夏鈴5題
妖ー兄は知ってたんでしょ?
夏にアニキがプロテスト受けたとき、セナが合格したことを。
鈴音はヒル魔に挑みかかるような口調で言った。
デスマーチの途中で、セナと夏彦が受けたプロテストの結果。
セナがそのテストに合格していたことを、鈴音は知らなかった。
夏彦の結果だけを聞いて、会場を出てしまったのだ。
セナ本人だって、知らなかったはずだ。
でもつい最近、ちょっとした偶然からそれを知った。
最初はただセナは凄いと思った。それだけだった。
だが時間が経つにつれて、1つの疑問が湧いてくる。
ヒル魔はこの事実を知らなかったのだろうか?
デビルバッツに合流したとき、夏彦はヒル魔に確かに言っていた。
今日、プロテストを受けたと。
あのヒル魔が結果を確かめないはずはない。
知っていたのだ。セナの合格を。
そこまで考えたとき、鈴音はヒル魔に対して怒りを感じた。
セナに事実を隠して、利用したのではないか。
セナの可能性を1つ、潰したのではないか。
理性ではわかっている。この怒りは理不尽だ。
もしあの時に。セナがアメリカ残留を希望していたら。
セナは泥門デビルバッツから離脱していただろう。
デビルバッツはクリスマスボウル優勝などしなかっただろう。
そして鈴音がセナに惹かれることもなかったかもしれない。
つまり自分の現在まで否定することになる。
それでも鈴音はヒル魔に怒りを感じていた。
そして今たまたま部室にいるのは、ヒル魔と鈴音だけ。
鈴音はヒル魔に、その感情をぶつけた。
ああ、知ってた。
ヒル魔はパソコンから目も上げずに答えた。
カチャカチャとキーを叩く音も止まる気配もない。
セナがそれを知ったら、アメリカに残ってたかもよ。
涼しい顔のヒル魔が気に入らない。
鈴音の口調は、彼女にしては挑発的だった。
あのテストの結果を知った直後に糞チビに言った。
もし受かってたら、テメーはどうする?って。
ヒル魔がパソコンを叩く手をようやく止めて言った。
え?思いがけない言葉に鈴音はヒル魔を見た。
ヒル魔はパソコンから目を上げて、鈴音の視線を受け止めた。
何て答えたと思う?
ヒル魔の鋭い視線が、鈴音を射抜いた。
鈴音は答えずに、ヒル魔の次の言葉を待つ。
どうもしません。
だってデビルバッツでクリスマスボウルに行くのが、僕の、それに皆の夢でしょ。
多分一字一句間違いなくセナの言葉を記憶しているのだろう。
ヒル魔は忌々しいほど見事にセナの口真似をしながら、そう言った。
そういうこった。じゃあな。
ヒル魔はそれだけ言うと、ノートパソコンを閉じた。
そしてそれを小脇に抱えると、部室から出て行った。
セナとヒル魔の間では、とっくに終わったことだった。
そう思った途端、鈴音には自分の怒りの正体がわかった。
2人の絆に割り込めないことへの怒り。つまり嫉妬だ。
夏彦は、部室の外で鈴音とヒル魔の会話を聞いていた。
立ち聞きするつもりはなかったが、何か入りにくい雰囲気に足を止めてしまった。
そして会話の内容までしっかりと聞いてしまって。
もう部室に入ることも立ち去ることも出来なくなってしまった。
鈴音は夏彦にとって可愛い妹だ。
時に夏彦に対して怒ったり、口うるさく世話を焼いたりする。
でもこんなに攻撃的に怒りを露にする鈴音は、見たことがなかった。
小さい頃からよく知っているはずの妹の様子に、夏彦は困惑する。
それほどまでにセナが好きなのか。
夏彦は切ない思いで、鈴音の心の内を思った。
鈴音がセナを好きだということはわかっていた。
小柄で可愛らしい2人はお似合いのカップルになれると思っていた。
だがセナはヒル魔の恋人となり、鈴音が片思いに苦しんでいる。
鈴音の為に何かしてやりたいとは思うが、恋愛に関しては出来ることは何もない。
そのことがひどく悲しくて、腹立たしい。
部室の扉が開いて、ノートパソコンを抱えたヒル魔が現れた。
夏彦はヒル魔と一瞬目が合ってしまって、動揺する。
だがヒル魔は特に気にする素振りも見せなかった。
勘のいいヒル魔は夏彦が立ち聞きしていたことなどわかっていただろう。
夏彦が「おや?」と思ったのは、扉が閉まる瞬間。
ヒル魔が部室の方を振り返って、ほんの一瞬だけ辛そうな表情をした。
だが次の瞬間にはもういつもの無表情。
見間違えたのかと思うほど、わずかな変化だった。
そうか。夏彦はその表情の意味を理解した。
ヒル魔も悲しくて、腹立たしいのだ。
血のつながりこそないが「妖ー兄」などと呼ばれているヒル魔。
鈴音が慕っているのと同じに。
そして夏彦が鈴音を思うのと同じに。
ヒル魔もまた鈴音を本当の妹のように大事に思っている。
だからセナに片思いする鈴音が切ないのだ。
そのセナと恋人同士であるなら、なおさらだろう。
ヒル魔が夏彦とすれ違い、そのまま歩き去っていく。
夏彦はその足音を聞きながら、ヒル魔の気配が遠のくのを待った。
可愛い妹の幸せを祈るように、拳を握り締める。
そしてヒル魔の姿が見えなくなってから、部室の扉を開けて。
何も知らない素振りのおどけた口調で、鈴音を呼んだ。
【終】
夏にアニキがプロテスト受けたとき、セナが合格したことを。
鈴音はヒル魔に挑みかかるような口調で言った。
デスマーチの途中で、セナと夏彦が受けたプロテストの結果。
セナがそのテストに合格していたことを、鈴音は知らなかった。
夏彦の結果だけを聞いて、会場を出てしまったのだ。
セナ本人だって、知らなかったはずだ。
でもつい最近、ちょっとした偶然からそれを知った。
最初はただセナは凄いと思った。それだけだった。
だが時間が経つにつれて、1つの疑問が湧いてくる。
ヒル魔はこの事実を知らなかったのだろうか?
デビルバッツに合流したとき、夏彦はヒル魔に確かに言っていた。
今日、プロテストを受けたと。
あのヒル魔が結果を確かめないはずはない。
知っていたのだ。セナの合格を。
そこまで考えたとき、鈴音はヒル魔に対して怒りを感じた。
セナに事実を隠して、利用したのではないか。
セナの可能性を1つ、潰したのではないか。
理性ではわかっている。この怒りは理不尽だ。
もしあの時に。セナがアメリカ残留を希望していたら。
セナは泥門デビルバッツから離脱していただろう。
デビルバッツはクリスマスボウル優勝などしなかっただろう。
そして鈴音がセナに惹かれることもなかったかもしれない。
つまり自分の現在まで否定することになる。
それでも鈴音はヒル魔に怒りを感じていた。
そして今たまたま部室にいるのは、ヒル魔と鈴音だけ。
鈴音はヒル魔に、その感情をぶつけた。
ああ、知ってた。
ヒル魔はパソコンから目も上げずに答えた。
カチャカチャとキーを叩く音も止まる気配もない。
セナがそれを知ったら、アメリカに残ってたかもよ。
涼しい顔のヒル魔が気に入らない。
鈴音の口調は、彼女にしては挑発的だった。
あのテストの結果を知った直後に糞チビに言った。
もし受かってたら、テメーはどうする?って。
ヒル魔がパソコンを叩く手をようやく止めて言った。
え?思いがけない言葉に鈴音はヒル魔を見た。
ヒル魔はパソコンから目を上げて、鈴音の視線を受け止めた。
何て答えたと思う?
ヒル魔の鋭い視線が、鈴音を射抜いた。
鈴音は答えずに、ヒル魔の次の言葉を待つ。
どうもしません。
だってデビルバッツでクリスマスボウルに行くのが、僕の、それに皆の夢でしょ。
多分一字一句間違いなくセナの言葉を記憶しているのだろう。
ヒル魔は忌々しいほど見事にセナの口真似をしながら、そう言った。
そういうこった。じゃあな。
ヒル魔はそれだけ言うと、ノートパソコンを閉じた。
そしてそれを小脇に抱えると、部室から出て行った。
セナとヒル魔の間では、とっくに終わったことだった。
そう思った途端、鈴音には自分の怒りの正体がわかった。
2人の絆に割り込めないことへの怒り。つまり嫉妬だ。
夏彦は、部室の外で鈴音とヒル魔の会話を聞いていた。
立ち聞きするつもりはなかったが、何か入りにくい雰囲気に足を止めてしまった。
そして会話の内容までしっかりと聞いてしまって。
もう部室に入ることも立ち去ることも出来なくなってしまった。
鈴音は夏彦にとって可愛い妹だ。
時に夏彦に対して怒ったり、口うるさく世話を焼いたりする。
でもこんなに攻撃的に怒りを露にする鈴音は、見たことがなかった。
小さい頃からよく知っているはずの妹の様子に、夏彦は困惑する。
それほどまでにセナが好きなのか。
夏彦は切ない思いで、鈴音の心の内を思った。
鈴音がセナを好きだということはわかっていた。
小柄で可愛らしい2人はお似合いのカップルになれると思っていた。
だがセナはヒル魔の恋人となり、鈴音が片思いに苦しんでいる。
鈴音の為に何かしてやりたいとは思うが、恋愛に関しては出来ることは何もない。
そのことがひどく悲しくて、腹立たしい。
部室の扉が開いて、ノートパソコンを抱えたヒル魔が現れた。
夏彦はヒル魔と一瞬目が合ってしまって、動揺する。
だがヒル魔は特に気にする素振りも見せなかった。
勘のいいヒル魔は夏彦が立ち聞きしていたことなどわかっていただろう。
夏彦が「おや?」と思ったのは、扉が閉まる瞬間。
ヒル魔が部室の方を振り返って、ほんの一瞬だけ辛そうな表情をした。
だが次の瞬間にはもういつもの無表情。
見間違えたのかと思うほど、わずかな変化だった。
そうか。夏彦はその表情の意味を理解した。
ヒル魔も悲しくて、腹立たしいのだ。
血のつながりこそないが「妖ー兄」などと呼ばれているヒル魔。
鈴音が慕っているのと同じに。
そして夏彦が鈴音を思うのと同じに。
ヒル魔もまた鈴音を本当の妹のように大事に思っている。
だからセナに片思いする鈴音が切ないのだ。
そのセナと恋人同士であるなら、なおさらだろう。
ヒル魔が夏彦とすれ違い、そのまま歩き去っていく。
夏彦はその足音を聞きながら、ヒル魔の気配が遠のくのを待った。
可愛い妹の幸せを祈るように、拳を握り締める。
そしてヒル魔の姿が見えなくなってから、部室の扉を開けて。
何も知らない素振りのおどけた口調で、鈴音を呼んだ。
【終】