ヒルセナ5題4
「セナは明日、アメリカに発つわ」
「らしいな」
まもりの言葉に、ヒル魔は表情も変えずに相槌を打った。
ヒル魔はまもりに呼び出されて、武蔵工務店近くの喫茶店にいた。
まもりの用件はわかっている。
セナをこのままアメリカに行かせていいのか。
何だかんだでやはりセナのことが心配なのだろう。
ヒル魔が大学を卒業して、あと少しで1年になる。
卒業時には、進路について迷った。
いくつかのXリーグのチームからも声がかかった。
NFL入りを目指して渡米することも考えた。
だが結局、武蔵工バベルズに名を連ねることにした。
いつか絶対にNFLへ行くつもりだったが、まだそのレベルではないと思う。
だから今は日本で実力をつけるつもりだった。
かつての仲間である栗田もまたヒル魔同様、同じチームへの加入を決めた。
4年間敵として戦い続けた元祖デビルバッツのメンバーが再びここに集ったのだ。
まもりはというと昔からの夢である教師の道を選び、彼らの母校である泥門高校で教鞭を執っている。
学校では生徒たちに勉強を教えながら、アメフト部の顧問に志願したという。
それでいながら、かつてのデビルバッツのメンバーたちの動向にも注意を払っていた。
幼馴染にして可愛い弟分であるセナたちの学年の進路についても、怠りなくチェックしている。
その面倒見の良さと行動力に、ヒル魔は感心していた。
もちろんまもり本人にそんなことを言ったりはしなかったが。
「セナと鈴音ちゃんが付き合ってるっていう噂、まさか信じてはいないでしょ?」
「さぁな。」
まもりに問われたが、ヒル魔は気のない反応を返した。
セナと鈴音が付き合っているという噂は、ヒル魔だって聞いている。
その真偽を調べることは簡単だが、ヒル魔はそれをしなかった。
セナとヒル魔が恋人同士であったのは、実質2年にも満たない期間だった。
ヒル魔がこんなにも大事で愛おしいと思ったのは、後にも先にもセナ1人だ。
だから周囲には、何も隠さなかった。
普通とは違う同性同士の恋愛だが、決して恥ずべきものだとは思わない。
堂々としていたかった。
だがその結果、セナは危険に晒されることになった。
短期間でクリスマスボウル制覇を果たすために用いた手段。
あの黒い手帳を埋めるためにヒル魔が労した様々なことは、幾多の恨みを買っていた。
そしてその矛先がセナに向けられるようになったのだ。
セナは尾行されたり、嫌がらせをされたり、拉致されかけたこともある。
その都度どうにか先回りして、何とか事なきを得てきた。
こんな筈ではなかった。
ただ普通に恋人として、セナを大事にしたいと思っただけなのに。
セナ自身は何もヒル魔に聞いてくることはなかった。
ヒル魔が「大丈夫」と言えば、黙って頷くだけだ。
そしてセナのノートルダムへの留学が決まったある日、ヒル魔は決断した。
近くにいるならともかく、アメリカと日本では離れすぎている。
何かあっても守ることなどできないだろう。
ヒル魔は、セナに別れを告げたのだ。
「今でも好きなんでしょう?このままでいいの?」
ヒル魔の向かいの席に座るまもりは、切り込むような口調で詰問してくる。
あまりにも真剣な眼差しに、ヒル魔が微かに苦笑した。
このままでいいのかと問われると、本当に返事に困る。
ヒル魔はセナが帰国したら、また付き合うつもりでいた。
心変わりをしたから別れたというわけではない。
同じ日本で、また同じチームにいれば守ってやれる。
だがセナはヒル魔に相談もなく、違う大学への入学を決めていた。
それに留学を機に買い換えたらしい携帯電話。
新しい番号もメールアドレスも、ヒル魔に知らされることはなかった。
それがセナの答えなのか。
だからヒル魔は帰国したセナに何も言わなかった。
「指先を食んで」
ヒル魔がポツリとそう呟いた。
唐突な言葉に、まもりが「え?」と問い返す。
「あいつはそのとき、何を思っていたんだろうな」
ヒル魔はどこか遠い表情で、言葉を続けた。
ヒル魔もセナもまだお互いのことが好きなのに。
だからヒル魔への諦めきれない恋心を懸命に隠しているのに。
まもりは焼け付くようなじれったさを飲み込んで、黙り込んでしまったヒル魔を見ていた。
2人がまだ恋人だった頃、身体を重ねるとき。
ヒル魔はいつも必ずセナの足首にそっとキスを落とした。
この足が2人を結びつけてくれたのだ。
そう思うとセナの足が崇高なものに思えたのだ。
そうするとセナは痛みに耐えるように唇を引き結んで、少しだけ笑う。
そして泣き笑いのような表情を浮かべてヒル魔の右手を取ると、指先を口に含むのだ。
ヒル魔がセナの足に思い入れがあるように、セナにもあるのだろう。
セナへとボールを繰り出すヒル魔の指先へ思いが。
そのときはただただ幸福だった。
この時間がずっと続くものだと思っていた。
セナのちょっとしたこの癖は可愛いだけのものだった。
でも今は知りたいと思う。
ヒル魔の指先を食んで、セナは何を思っていたのだろう。
あの少し苦しげな淡い微笑には何が隠されていたのだろう。
ヒル魔とセナは、何を間違えてしまったのだろう。
そしてヒル魔はずっと迷い続けている。
別れを告げたのはヒル魔の方なのだ。
セナはそれを黙って受け入れた。
このまま手を離したまま、黙って見守ってやるのがいいのか。
それとも心のままに、セナを無理にでも手に入れるのがいいのか。
迷いながら実に4年もの月日が流れてしまったのだった。
「瀧くん、帰ってくるんだってね」
まもりが唐突に話題を変えた。
まもりとしては、言うべきことはもう言ったということなのだろう。
ヒル魔はフンと鼻で笑いながら、頷いた。
ヒル魔のこの1年は、アメフト選手としては実に楽しいものだった。
かつての気心が知れた仲間と共に、また戦う。
今度は昔のように、ギリギリの状態ではない。
人数も練習環境も充実したチームでのプレイだ。
もう少しだけアメフトをしたら、実家の寺を継ぐと栗田が言い出したのがきっかけだった。
それならばしばらくはかつての仲間とまた同じサイドに立つのも悪くない。
そしてまたあの高校時代のメンバーと同じチームで戦いたいと思うようになった。
だから泥門デビルバッツの後輩たちに、声を掛けまくった。
モン太、十文字、小結、瀧夏彦。
かつての泥門デビルバッツの復活に、皆が面白がって快諾した。
だがただ1人、光速のエースだけはこの誘いを断ったのだ。
渡米して、NFL入りを目指す。
セナに連絡したというムサシから、それを聞かされたときには少なからず驚いた。
そんな道を選ぶのは、ヒル魔と同じ道を避けたからだろうか。
そんなことを思って動揺してしまうほど、セナを忘れることが出来ていない。
ヒル魔は自分の気持ちを持て余して、深いため息をついた。
それを聞きつけたまもりは、最後に一言だけヒル魔に「ある事実」を告げた。
結局セナの渡米の日、ヒル魔は何もしなかった。
会いにいくこともしなかったし、電話もメールもしていない。
ヒル魔は自宅でノートパソコンを叩いていた。
確かセナが乗る飛行機は夕方だと聞いた気がする。
今はもう深夜だ。とっくに離陸しているだろう。
昨日まもりが別れ際にヒル魔に告げた「ある事実」がヒル魔に決意させた。
セナはアメリカへの永住権の取得について調べていたらしい。
つまりNFLへの挑戦がうまくいかなくても、アメリカで暮らそうと思っているのだ。
それ程までにヒル魔と距離をおこうとしているなら、そうしてやるべきなのだろう。
それでも割り切れない思いのヒル魔は、ノートパソコンの画面を見て手を止めた。
大手検索サイトのトップ画面に表示されたニュースだ。
それには今夕、日本を発ったアメリカ行きの飛行機が、消息を絶ったとある。
ヒル魔は大急ぎでリモコンを取り、テレビをつけた。
ちょうど放送していたニュース番組。
アナウンサーが沈痛な面持ちで、墜落の可能性大、乗客全員絶望と告げていた。
まさか。
ヒル魔は震える指先で、ノートパソコンに指を走らせる。
飛行機の便名、そして乗客名簿を非合法な手段で画面に表示させた。
そして的中してしまった予感を確信し、呆然とした。
コバヤカワ セナ。
そこにはヒル魔が愛した少年の名前が、はっきりと記載されていた。
【続く】
「らしいな」
まもりの言葉に、ヒル魔は表情も変えずに相槌を打った。
ヒル魔はまもりに呼び出されて、武蔵工務店近くの喫茶店にいた。
まもりの用件はわかっている。
セナをこのままアメリカに行かせていいのか。
何だかんだでやはりセナのことが心配なのだろう。
ヒル魔が大学を卒業して、あと少しで1年になる。
卒業時には、進路について迷った。
いくつかのXリーグのチームからも声がかかった。
NFL入りを目指して渡米することも考えた。
だが結局、武蔵工バベルズに名を連ねることにした。
いつか絶対にNFLへ行くつもりだったが、まだそのレベルではないと思う。
だから今は日本で実力をつけるつもりだった。
かつての仲間である栗田もまたヒル魔同様、同じチームへの加入を決めた。
4年間敵として戦い続けた元祖デビルバッツのメンバーが再びここに集ったのだ。
まもりはというと昔からの夢である教師の道を選び、彼らの母校である泥門高校で教鞭を執っている。
学校では生徒たちに勉強を教えながら、アメフト部の顧問に志願したという。
それでいながら、かつてのデビルバッツのメンバーたちの動向にも注意を払っていた。
幼馴染にして可愛い弟分であるセナたちの学年の進路についても、怠りなくチェックしている。
その面倒見の良さと行動力に、ヒル魔は感心していた。
もちろんまもり本人にそんなことを言ったりはしなかったが。
「セナと鈴音ちゃんが付き合ってるっていう噂、まさか信じてはいないでしょ?」
「さぁな。」
まもりに問われたが、ヒル魔は気のない反応を返した。
セナと鈴音が付き合っているという噂は、ヒル魔だって聞いている。
その真偽を調べることは簡単だが、ヒル魔はそれをしなかった。
セナとヒル魔が恋人同士であったのは、実質2年にも満たない期間だった。
ヒル魔がこんなにも大事で愛おしいと思ったのは、後にも先にもセナ1人だ。
だから周囲には、何も隠さなかった。
普通とは違う同性同士の恋愛だが、決して恥ずべきものだとは思わない。
堂々としていたかった。
だがその結果、セナは危険に晒されることになった。
短期間でクリスマスボウル制覇を果たすために用いた手段。
あの黒い手帳を埋めるためにヒル魔が労した様々なことは、幾多の恨みを買っていた。
そしてその矛先がセナに向けられるようになったのだ。
セナは尾行されたり、嫌がらせをされたり、拉致されかけたこともある。
その都度どうにか先回りして、何とか事なきを得てきた。
こんな筈ではなかった。
ただ普通に恋人として、セナを大事にしたいと思っただけなのに。
セナ自身は何もヒル魔に聞いてくることはなかった。
ヒル魔が「大丈夫」と言えば、黙って頷くだけだ。
そしてセナのノートルダムへの留学が決まったある日、ヒル魔は決断した。
近くにいるならともかく、アメリカと日本では離れすぎている。
何かあっても守ることなどできないだろう。
ヒル魔は、セナに別れを告げたのだ。
「今でも好きなんでしょう?このままでいいの?」
ヒル魔の向かいの席に座るまもりは、切り込むような口調で詰問してくる。
あまりにも真剣な眼差しに、ヒル魔が微かに苦笑した。
このままでいいのかと問われると、本当に返事に困る。
ヒル魔はセナが帰国したら、また付き合うつもりでいた。
心変わりをしたから別れたというわけではない。
同じ日本で、また同じチームにいれば守ってやれる。
だがセナはヒル魔に相談もなく、違う大学への入学を決めていた。
それに留学を機に買い換えたらしい携帯電話。
新しい番号もメールアドレスも、ヒル魔に知らされることはなかった。
それがセナの答えなのか。
だからヒル魔は帰国したセナに何も言わなかった。
「指先を食んで」
ヒル魔がポツリとそう呟いた。
唐突な言葉に、まもりが「え?」と問い返す。
「あいつはそのとき、何を思っていたんだろうな」
ヒル魔はどこか遠い表情で、言葉を続けた。
ヒル魔もセナもまだお互いのことが好きなのに。
だからヒル魔への諦めきれない恋心を懸命に隠しているのに。
まもりは焼け付くようなじれったさを飲み込んで、黙り込んでしまったヒル魔を見ていた。
2人がまだ恋人だった頃、身体を重ねるとき。
ヒル魔はいつも必ずセナの足首にそっとキスを落とした。
この足が2人を結びつけてくれたのだ。
そう思うとセナの足が崇高なものに思えたのだ。
そうするとセナは痛みに耐えるように唇を引き結んで、少しだけ笑う。
そして泣き笑いのような表情を浮かべてヒル魔の右手を取ると、指先を口に含むのだ。
ヒル魔がセナの足に思い入れがあるように、セナにもあるのだろう。
セナへとボールを繰り出すヒル魔の指先へ思いが。
そのときはただただ幸福だった。
この時間がずっと続くものだと思っていた。
セナのちょっとしたこの癖は可愛いだけのものだった。
でも今は知りたいと思う。
ヒル魔の指先を食んで、セナは何を思っていたのだろう。
あの少し苦しげな淡い微笑には何が隠されていたのだろう。
ヒル魔とセナは、何を間違えてしまったのだろう。
そしてヒル魔はずっと迷い続けている。
別れを告げたのはヒル魔の方なのだ。
セナはそれを黙って受け入れた。
このまま手を離したまま、黙って見守ってやるのがいいのか。
それとも心のままに、セナを無理にでも手に入れるのがいいのか。
迷いながら実に4年もの月日が流れてしまったのだった。
「瀧くん、帰ってくるんだってね」
まもりが唐突に話題を変えた。
まもりとしては、言うべきことはもう言ったということなのだろう。
ヒル魔はフンと鼻で笑いながら、頷いた。
ヒル魔のこの1年は、アメフト選手としては実に楽しいものだった。
かつての気心が知れた仲間と共に、また戦う。
今度は昔のように、ギリギリの状態ではない。
人数も練習環境も充実したチームでのプレイだ。
もう少しだけアメフトをしたら、実家の寺を継ぐと栗田が言い出したのがきっかけだった。
それならばしばらくはかつての仲間とまた同じサイドに立つのも悪くない。
そしてまたあの高校時代のメンバーと同じチームで戦いたいと思うようになった。
だから泥門デビルバッツの後輩たちに、声を掛けまくった。
モン太、十文字、小結、瀧夏彦。
かつての泥門デビルバッツの復活に、皆が面白がって快諾した。
だがただ1人、光速のエースだけはこの誘いを断ったのだ。
渡米して、NFL入りを目指す。
セナに連絡したというムサシから、それを聞かされたときには少なからず驚いた。
そんな道を選ぶのは、ヒル魔と同じ道を避けたからだろうか。
そんなことを思って動揺してしまうほど、セナを忘れることが出来ていない。
ヒル魔は自分の気持ちを持て余して、深いため息をついた。
それを聞きつけたまもりは、最後に一言だけヒル魔に「ある事実」を告げた。
結局セナの渡米の日、ヒル魔は何もしなかった。
会いにいくこともしなかったし、電話もメールもしていない。
ヒル魔は自宅でノートパソコンを叩いていた。
確かセナが乗る飛行機は夕方だと聞いた気がする。
今はもう深夜だ。とっくに離陸しているだろう。
昨日まもりが別れ際にヒル魔に告げた「ある事実」がヒル魔に決意させた。
セナはアメリカへの永住権の取得について調べていたらしい。
つまりNFLへの挑戦がうまくいかなくても、アメリカで暮らそうと思っているのだ。
それ程までにヒル魔と距離をおこうとしているなら、そうしてやるべきなのだろう。
それでも割り切れない思いのヒル魔は、ノートパソコンの画面を見て手を止めた。
大手検索サイトのトップ画面に表示されたニュースだ。
それには今夕、日本を発ったアメリカ行きの飛行機が、消息を絶ったとある。
ヒル魔は大急ぎでリモコンを取り、テレビをつけた。
ちょうど放送していたニュース番組。
アナウンサーが沈痛な面持ちで、墜落の可能性大、乗客全員絶望と告げていた。
まさか。
ヒル魔は震える指先で、ノートパソコンに指を走らせる。
飛行機の便名、そして乗客名簿を非合法な手段で画面に表示させた。
そして的中してしまった予感を確信し、呆然とした。
コバヤカワ セナ。
そこにはヒル魔が愛した少年の名前が、はっきりと記載されていた。
【続く】