ヒルセナ5題3

大変だな。
石丸はアメフト部の練習を横目に見ながら、密かに同情のため息をついた。

泥門高校において、部活動は3年生の夏までという規定がある。
石丸が陸上部で練習に参加できるのも、あとわずかだ。
だがアメフト部においては、少々事情が違う。
最大のイベントはやはり秋大会であり、クリスマスボウルだ。
そして3年生は、時期的にそれに参加できない。
だからヒル魔たちは夏を待たずに、さっさと部を引退した。
同時に、石丸も助っ人部員の任を解かれた。

あれ?アメフトやめたの?
最近では陸上部の練習に参加していると、そんなことを言われたりする。
石丸はどうやら陸上部よりアメフト部の方のイメージが強いらしい。
それにアメフト部は泥門生にとって、鮮烈なインパクトがあるのだと思う。
複雑な気分ではあったが、確かにアメフトも好きだった。
目を閉じれば浮かんでくるフィールドの緑は懐かしい。
だから練習の合間にヒル魔たちがいないアメフト部の練習が見えると、何とも感慨深い気持ちになる。

そして春になり、陸上部もアメフト部も新しい学年を迎え入れた。
昨年は部員が集まらなくて、助っ人をかき集めていたアメフト部に、入部希望者が殺到していた。
これならきっとヒル魔たちの穴も埋められるだろう。
石丸はどこかホッとした気分になった。
もう関係ないとはいえ、やはりアメフト部には思い入れがある。


だがマネージャーのレベル低下は、部外者でもはっきりとわかった。
ビデオの分析やデータ作りも、練習のサポートも、部室の掃除やユニフォームの洗濯まで。
何でも笑顔でこなしていた姉崎まもり。
だがそんな奇特な存在は、そうそういない。
マネージャーは人数こそ増えたものの、遠目に見ていても頭を抱えたくなる者が多すぎる。

おそらく有名なマンガのミナミちゃんとかいうイメージができているのではなかろうか。
部員たちにタオルや飲み物を配ったりする可愛い女の子。
だが実際のマネージャーとは体力勝負の過酷な仕事だ。
件のマンガの女の子は新体操部だったか?
とにかく他の部と掛け持ちで出来るほど甘いものではない。

何曜日だけしかできません。
アメフトのルールを知らないので、データ作りは出来ません。
爪が折れたら嫌なので、用具運びは手伝いません。

セナにそんなことを言う女の子たちを、石丸は何回か目撃した。
手入れの行き届いた長い爪と、綺麗に整えられた束ねもしない長い髪の少女たち。
マネージャーなら、髪や爪の手入れの時間にもっとすることがあるだろうと思う。
でもセナは何も言わずに、ただ「わかった」とだけ答えていた。

今日は今日で1人の女子生徒が、またセナに何か言っているのが見えた。
どうやら自転車に乗れないから、ロードワークの伴走が出来ないと言っているようだ。
セナは諦めたように頷くと、部員たちに号令をかけた。
首にストップウォッチをぶら下げて、自ら自転車に跨って部員たちの後ろから自転車を漕ぎ出す。
多分いつもの川沿いの道を、走るのだろう。


以前、部活を終えた石丸はグラウンドで走り込みをするセナを見たことがある。
どの部もすでに部活を終えており、走っているのはセナ1人だけだ。
セナは石丸の姿を認めると、駆け寄ってきて元気よく「こんにちは」と挨拶をした。
石丸は「頑張ってるね」と言って笑いながら、セナに歩み寄った。

「居残りの原因は、マネージャーの仕事のせい?」
石丸はかねてから思っていたことを、思い切って聞いてみた。
結局セナがマネージャーまでこなして、こうして1人残っている。
これでは本来の練習に差し支えるのではなかろうか。

「バレちゃってました?」
セナはどこか照れたような、悪戯っぽいような笑いを見せた。
「少し怒れば?それに姉崎さんに手伝ってもらえばいいのに」
セナは「う~ん」と唸るような声を上げると、諦めたように話し始める。

「怒って無理に雑用をやらせるのは嫌なんです。アメフトを好きになった上で手伝ってもらいたくて」
アメフトを好きになってもらいたい。なんともセナらしいと石丸は思う。
「それにまもり姉ちゃんって、完璧なマネージャーだったでしょ?」
「うん。」
「手伝ってもらってそれを正解にしちゃったら、後の人が大変です。」
「確かにそうだなぁ」
「僕は1年の時、ダメ主務でしたから。今その分働きますよ。」
石丸に「それじゃ」と手を振って、セナはグラウンドへと戻っていった。

なるほどセナはセナで、悩んだ末に今の状態を続けているということだ。
でもそれだけではないのだろうと思う。
まもりに対する思いもあるだろう。
セナが自分をダメ主務だったと評したのは、まもりと比べた上での負い目かもしれない。
それに今のセナは2代目主将としてヒル魔と比較されることも多い。
それを正解にしたら後の人が大変というのは、そういうことなのではないだろうか。

石丸はそんなことを思い出しながら、アメフト部の部員たちが繰り出していくのを見送った。
部員に檄を飛ばしながら伴走するセナの姿は、まるでかつての敏腕マネージャーまもりを彷彿とさせる。
ふと気がつくと、少し離れた場所から同じように部員たちを見送る人物がいることに気がついた。


「あら、石丸くん」
石丸の視線に気がついたその人物-姉崎まもりがこちらへ歩み寄ってきた。
「やぁ、何か久しぶりだね」
石丸は軽く片手を上げて、まもりに答えた。
教室などでまもりを見かけることはさほど珍しいことではないが、話をするのは久しぶりなのだ。

「本当は手伝いたいんじゃないの?」
石丸はかつてセナにした質問を、こんどはまもりに投げかけてみた。
「まぁ本音はそうなんだけどね」
まもりは一瞬驚いた表情になったが、すぐに諦めたような顔で苦笑した。
それはそうだろう。
主務とマネージャーを一分の隙もなくこなしていたまもりにとって、現在の状況は惨状とさえいえる。
学校の規定ではまだ部活に参加できるのだから、まもりだけ夏まで続けたっていいはずだ。
「やっぱりマネージャーも含めてアメフト部だから、私だけ残るべきじゃないと思う。」
石丸が思わず横に立つまもりの顔を見てしまうほど、まもりの口調はきっぱりしていた。

当初は主務とは名ばかりの気弱な少年だったセナは、この1年で見違えるばかりの成長を遂げた。
それまで過保護に世話を焼いていたまもりにとって、それは単に嬉しいばかりではなかったはずだ。
可愛い少年が自分から離れていく寂しさ。
想いを寄せるヒル魔と可愛い弟分のセナが恋におちた事だって、まもりにとってはつらかっただろう。
だがその全てを乗り越えて、セナの成長を祝福し、あえて何も言わずに見守っている。
石丸は不意に夕暮れの陽の中で、凛とした姿で立っているまもりを美しいと思った。

アメフト部と関わる前に、まもりのこんな一面を知っていたら好きになってたかもしれない。
ヒル魔とセナの恋愛も、2人を見守るまもりの想いも知らずにいたらどうだっただろう。
そんな他愛もないことを考えて、石丸は密かに苦笑する。
そして学校を出て行くアメフト部の頼もしい後輩たちを、まもりとともに見送った。

【終】
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