ヒルセナ5題3

放課後の部活が終わった部室は、先程までの喧騒が嘘のように静かだった。
泥門デビルバッツのトレーナーの溝六は、部室のベンチに座って愛用の大徳利を傾けていた。

部室に残っている部員は「麻黄組」と呼ばれる3人-ヒル魔、ムサシ、栗田の3名だ。
3人は言葉を交わすこともなくめいめい勝手なことをしている。
ノートパソコンを叩くヒル魔。
なにやら建築関係の雑誌を見るムサシ。
胸焼けしそうな菓子を食べる栗田。
静かで落ち着いた雰囲気の部室で、ゆっくりと時間が流れていた。

そもそものデビルバッツ発足メンバーである彼らの絆は固い。
アメフト部の2年というと、とかく派手なヒル魔ばかりが目立ちがちだ。
だが栗田とムサシがいなければ、今のデビルバッツはないだろう。
2人はさほど意識してはいないかもしれない。
だが自分の役割というものを認識し、それをしっかりこなしている。

先程までそれを再認識するようなやりとりを目にしていた。
そしてこれからまたそんな事態が起こるだろう。
溝六はそんな思いを肴に、酒を呑んでいた。


つい先程までは、実に盛大にヒル魔とまもりの攻防が繰り広げられていた。
定められた下校時刻ギリギリまで激しい特訓の後。
部員たちは皆一様に息を整えながら、着替えのために部室に戻ってくる。
その中にあの小さなエースの姿がなかったからだ。

「あら、セナは?」
「ケルベロスとランニングに出たきりっス」
まもりとモン太のやりとりに、ヒル魔がピクリと眉を動かした。

ポジション別に組まれた練習の中の1つ、セナだけに課せられていた「ケルベロスの散歩」
それはまだ体力も持久力がなかったセナがトップスピードを維持するためのもの。
ヒル魔がセナに与えた、きわめて単純で乱暴なメニューだ。
最近はセナも40ヤード4秒2が常に維持できるようになったからノルマから外されている。
だがセナは自主的に続けていた。
それはセナにとっては多分、原点に立ちかえる1つの儀式のようなものなのだろう。

溝六はそういうヤル気は嫌いではない。
ヒル魔もそうだろう。
だが今日に限っては別だ。
セナは、神龍寺戦で膝を酷使した。
だから溝六は今日はまだ足に無理をかけないようにと言い渡していたのだ。


かくしてバトルが勃発したのだった。
セナを「捜さなきゃ!」と喚くまもりと「さっさと帰れ!」と怒鳴るヒル魔。
間に入ったのは栗田とムサシだ。

僕らが後はちゃんとするから、と宥める栗田。
もう暗いから逆に危ねぇぞ、と諭すムサシ。
帰れと怒鳴るヒル魔だけでは、まもりは絶対に引かなかっただろう。
でも栗田とムサシの言葉に、ついに折れたまもりもモン太とともに帰宅した。
見事なお手並みだと、溝六は感心する。

確かに今日のセナは、様子がおかしかった。
何か悩んでいる。多分アメフトに関することだ。
それならまもりより、ヒル魔たちの方がうまく事を収めるだろう。
まもりたちが帰って、一気に静かになった部室で溝六はさらに呑み続ける。


セナが学校に戻ったときには、もうほとんどの部員は帰宅した後だった。
ケルベロスと戻ってきたセナは、部室の前で鬼の形相で仁王立ちするヒル魔に出迎えられた。

「こんの、糞チビ!」
セナが「ヒィィィ」と後ずさりしようとした。
だがヒル魔の忠犬ケルベロスが、背後で威嚇しそれを阻む。
「膝の痛みが取れてねぇんだろ?走るのは控えろって言ったはずじゃねぇか!この。。。」
ヒル魔はセナに何も言う機会を与えず、セナの足元にマシンガンを乱射する。
その怒声と爆音に、部室の中からムサシと栗田が顔を出した。

「エースのくせに、自覚が足んねぇんだ。テメーは!」
ヒル魔は長い腕を伸ばして、セナの襟首をグイと掴んで、言い捨てる。
乱暴に手を離されて、ふらついたセナの身体を背後から栗田が支えた。
ヒル魔はそんなセナを一瞥すると、そのまま校舎の方へと歩き去ってしまった。
ムサシと栗田は呆然とするセナを、部室に招きいれて椅子に座らせた。


「で?なんで無茶したんだ?」
ムサシが口を開いた。同じ高校生とは思えない落ち着いた口調。
セナはしょんぼりと頭を垂れて、何も話そうとしない。

「言いたくないか?まぁ無理にとは言わねぇが。」
セナが顔を上げた。老け顔とかジジィなどと揶揄される顔。
だが家業の切り盛りまでこなした自信に満ちた表情だ。
「言えば楽になることもあるかもしれねぇぞ。」
さらにそう言われて、セナは微かに笑った。
諦めたようにポツポツと喋り始める。

「僕がダメだから、泥門はいつも綱渡りみたいな試合してるんですよね。」
「神龍寺との試合も。盤戸戦も。巨深戦も。西部の時は負けちゃったし。」
「最後の最後まで抜けなくて。いつも皆をヒヤヒヤさせて。」
セナの独白を聞いて、ムサシと栗田は顔を見合わせた。

「春の王城戦だって僕がさっさと進さんを抜けていれば勝てたでしょ?」
「エイリアンズとの試合は最後に僕が動けなくなって負けちゃったし。」
何かを言いかけた栗田をムサシが目で制する。
セナの心の中の澱をすべて語らせるためだ。

「わかってます。僕は皆と一緒に戦ってる。一人で気負ってもダメだって。」
「それにもうすぐ王城と、進さんと戦うんだから、くよくよしてる暇はないって。」
「でも焦っちゃって。何か、気持ちだけが空回りしちゃってて。」
セナはまた下を向いて、何かを堪えるように唇を噛みしめている。

*
「はい、セナくん。ランニングの後だし、水分補給しなきゃ。」
栗田がセナの前にスポーツドリンクのボトルを置いた。
セナが律儀に「ありがとうございます」と小さな声で言う。

「セナくんはそのままですごいRBだと思うよ。」
栗田が邪気のない顔でニコニコと笑う。
「大事な試合の最後の最後はいつも勝ってる。すごいライバルたちにちゃんと勝ってる。」
皆が見慣れたいつもの表情は不思議な安心感に満ちていた。
「それはとても大変なことだよ。だから皆、セナくんを信じることができるんだ。」
セナは黙って栗田の笑顔を見ている。
ムサシはそのセナの横顔を、表情の変化を見守っていた。

「それに負けた試合でだって、僕たちはちゃんと学んで成長してると思う。」
「でもそんなこと言ったらヒル魔は怒るんだろうなぁ。勝たなきゃ意味がねぇ!って」
少し情けなさそうな栗田の表情を見て、セナが笑った。

「すみませんでした。ご迷惑かけて。」
セナはスポーツドリンクのボトルを開けて、飲み始めた。
多分ケルベロスに引きずり回されて喉が渇いていたのだろう。
ゴクゴクと音を立てて、盛大にドリンクを喉に流し込む。
ムサシも栗田もそんなセナの様子に、ホッとした表情になった。


着替え終わったセナはすっきりとした表情をしていた。
「あ、そういえば下校時間過ぎちゃって!校門閉まってますよね。」
携帯電話で時間を確認したセナは焦った声を上げた。
「大丈夫だよ。開いてるよ。」
「ヒル魔がうまくやってんだろ。」
即答する栗田とムサシ。だがセナは思い出したようにため息をついた。
「ヒル魔さん、怒ってたなぁ。。。」
「それも大丈夫だよ。もう怒ってないって。」
「あいつなりに心配してんだ。あれでも。」
またしても2人同時の即答にセナは笑った。

ちょうどその時、部室のドアが開き、ヒル魔が入ってきた。
「何だぁ?まだいやがったか?門は開いてっからさっさと帰りやがれ!」
ヒル魔の怒声にセナが「す、すみません!」と条件反射の声を上げる。
だがすぐに笑顔に戻り、ヒル魔たちに向けて深々と頭を下げた。
「ありがとうございました!」
そして「帰ります」と言って、部室を飛び出した。
背中から「だから走んなって言ってんだろ!」とヒル魔の怒声が追いかけてくる。
セナの「ヒィィィィ」という声と銃声が重なり、栗田とムサシが笑う。

相変わらず、見事なコンビネーションだ。
まだまだ成長を続けるエースと見守る主将、そして2人を支える栗田とムサシ。
溝六はそんな彼らを見ながら、ニヤリと笑う。
そして小脇に抱えていた大徳利からまた一口、酒を喉に流し込んだ。

【終】
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