ヒルセナ10題

【バカな子ほど可愛い】

まさか、そんな。
最初は気のせいかと思った。だが確かにその手は邪な意志を持っている。

初めてのデート。待ち合わせ場所に向かう途中だった。
休日の朝の電車は意外に混んでいる。
普段乗っている電車なのに、雰囲気が違っていた。
何か違和感があって落ち着かないのは、電車のせいか。
それともデート用に普段着ないような服を着て来たせいだろうか。
そんなことを考えていたら。
スカートの上から誰かの手がお尻に触ってきた。

最初は気のせいかと思い、次は混んでるせいだと思おうとした。
だがその手は明らかに目的を持って触っている。
なんでよりによって、初デートの日に。痴漢なんて。
生まれて初めての経験に、驚いて声も出せない。
恐る恐る振り向くと、中年の男性がニタニタと笑いながらこちらを見下ろしていた。
思わず息を飲む。怖い。表情で怖がっていることが相手に伝わってしまった。
手の動きがだんだんと大きくなり、触るから撫でる、に変わった。

電車が途中の駅に停まった。目的地はまだまだ先だ。
1回降りようか?
いや身支度に思わぬ時間を取られてしまったから、待ち合わせ時間ギリギリだ。
迷いが動きに出たのだろう。
男は背後からコートの胸倉を掴んで行く手を阻んだ。
そしてスカートの上を這っていた手がスカートに侵入してくる。

どうしよう。このままじゃ。でもどうしていいかわからない。
その瞬間、電車の窓ガラスが割れた。そして割れ目から太い腕が突き出されて。
その腕がコートの胸倉で行く手を掴んでいた痴漢の手首を掴み、引っ張った。
痴漢をしていた中年の男は、ガラスが割れる激しい音と共に車外へ引きずり出された。


「大丈夫?」
金剛阿含はドレッドヘアを揺らしながら、サングラスを外した。
そして小柄な少女の目線の高さに身を屈め、ナンパ用の笑顔を作る。
先程ヒル魔から久々に送られたメール。
写真は微妙に焦点がボケていたが、痴漢をされている少女は可愛い感じだ。
ピンクのニットの帽子が色白の小さな顔によく似合っている。
これは期待できそうだと、神速のインパルスよろしく駆けつけたのだった。

「阿含さん。。。」
だが少女から出たのは信じられないセリフ。自分の名前だった。
訝しげに痴漢をされていた少女の顔を覗き込んだ。
「テメー、泥門のチビっかすか!」
阿含は唖然とした表情で、マジマジと少女を見る。
「すみません。。。」
少女-ではなくセナは恐縮してペコリと頭を下げると、恥かしそうに俯いた。

きっかけは些細なことだった。ヒル魔との初めてのデート。
何を着ていこうか、いっそ新しい服を買おうか。
そこで見つけたのは、去年まもりからもらったピンク色のコートだった。
ちょうど1年前。まもりは新しいコートを買ったからとこれをくれた。
そしてこのコートに合うから、と同じ色のニットの帽子も。
まもりの厚意は嬉しいが、こんな女の子みたいな服は恥かしい。
だからせっかくのコートも帽子も着られることなく、セナの部屋のタンスで眠っていた。

世の当たり前のカップルのように、腕を組んで歩きたい。ピンクのコート。
その2つのキーワードがセナの中で合わさった結果がこれだ。
恥かしいのを我慢して、黒に白のチェックが入ったスカートを買った。
そしてこの冬、母親が新調してくれた白いセーターを合わせた。
凝ったメイクなんかできないから、ほんのり色がつくリップクリームだけ塗った。
そして癖のある髪をニットの帽子に押し込んだ。靴は通学用のローファーで間に合わせ。
かくして「女の子セナ」が出来上がった。


「脅迫ネタ、ゲ~ット♪」
聞き覚えのある声に振り向くと、ヒル魔が携帯のカメラで痴漢の男の顔写真を撮っている。
セナは慌ててクルリと背を向け、その場から逃げようとした。
すかさずヒル魔が長い腕を伸ばして、セナの身体を抱き寄せる。
背後から片腕で抱き取られたセナは恥かしさからジタバタと身を捩る。
「時間に遅れた上に、何だ?そのカッコは」
セナはうう、と答えに詰まっていると、そこへ阿含が歩み寄ってきた。

「よくも騙してくれたな、ヒル魔」
ヒル魔はケケケと笑いながら、知らん顔だ。
そこでセナはようやく悟った。
痴漢にあっているセナを助けるために、ヒル魔が阿含を差し向けたのだ。
どうやってそのことを知ることが出来たのかというのは一般的な疑問。
だがそれはヒル魔だからという一言でセナの中では解決済だ。
脅迫ネタというオマケにどれほどの魅力があるのかは敢えて知らない振りをする。

「ありがとうございました。本当に助かりました。」
セナはもう一度、阿含に深々と頭を下げた。
阿含はチっと忌々しげに舌打ちしながら、セナを見下ろした。
こんなチビをナンパしかけたとは。
女の子のこの格好は確かに似合っているが、それ以前にこんな服を着るなんてバカだ。
そしてヒル魔に視線を移す。
先程はセナに痴漢していた男を睨み殺しそうな勢いで睨んでいたヒル魔は。
今はかつて見たこともないほど優しげにセナを見ている。
いいように利用しやがって。
馬鹿らしさに毒気を抜かれた阿含はそのまま無言で、2人に背を向けて歩き去っていった。

2人きりになり、ヒル魔はセナの格好をじっくりと上から下まで検分する。
遡ること少し前。
待ち合わせに早く来すぎたヒル魔は、独自の非合法な常套手段でカメラ越しにセナを見つけた。
そして呆然とする。ピンクのコート。スカート。
趣味で着ているのではないことはわかっている。
女装していれば人前でイチャイチャ出来るとか、そういうことだろう。
まったくバカだ。それで痴漢に触られるなど、バカの極致だ。


だが実際に間近で見ると、その可愛さにたじろいでしまう。
ピンクの帽子にセナの肌の綺麗さがよく映えている。
コートは細身で、セナの身体の細さを強調している。
ミニスカートから出ているヒル魔を魅了した光速の足は、嘘のように華奢でたおやかだ。
腕が組みたいなら、別に女装などしなくても堂々とすればいい。
そんなことを言ってやるつもりだったヒル魔は一瞬で気が変わった。
これを止めさせるなんてもったいない。

そしてよくよく見ているうちに、妙な悪戯心も湧いてくる。
リップクリームが少し唇からはみ出している。
キチンとメイクをしてみたら、もっと可愛くなるだろう。
靴はローファではなくて、ブーツが合いそうだ。
それなら服からちゃんとコーディネイトしてやってもいい。
そうだ、この前アメリカで偵察に使ったときに着たメイド服がある。
まずはあれを着せてみようか。

「ヒル魔さん、そんなに変ですか?」
セナが知ったら失神してしまいそうな巧みを巡らせていたヒル魔がその声に顔を向けた。
そして不安そうにヒル魔を見上げるセナに、殴られたような衝撃を受ける。
縋るような上目遣いの大きな潤んだ瞳、ピンクに塗られた小さな唇。
その格好でそんな目で見るのは、反則だろ?
だがそんなヒル魔の内心の苦悶がわからないセナが、追い討ちをかけるように小首を傾げた。
まったく可愛いけどバカなのか、バカだから可愛いのか。
だけどそんなセナに惚れてしまっている自分もまたバカには違いない。
ヒル魔は諦めたように大きくため息をついた。

「行くぞ」
ヒル魔がセナの1歩前に立って、肘を少し曲げて腕と腋の間に隙間を作った。
その意図を察して、不安そうなセナの顔が一気にパッと輝いた。
その隙間に細い腕を差し込んで、絡ませて。
セナの花の咲くようなふわりとした笑顔とヒル魔のいつもの不敵な笑顔が並ぶ。
そして腕を組んだ2人は、ゆっくりと歩き出した。

【終】
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