ヒルセナ放課後5題
「じゃあお先に、お兄さん!」
瀬那は「お兄さん」に不自然なアクセントを込めて、そう言った。
そして勢いよく駆け出していく。
蛭魔と瀬那の現在の住処は、学校から徒歩で10分程度。
だが瀬那の足なら1、2分で着いてしまうだろう。
「瀬那の決心、固いなぁ」
その背中を見送りながら、呆れた声を上げたのはモン太だ。
小結が「デシ!」と意味不明な声をあげながら、同意を示す。
十文字、黒木、戸叶は顔を見合わせて、困惑顔だ。
「帰り道、一緒がよかったのに!」
鈴音が文句を言いながら、蛭魔を睨み上げる。
武蔵さえどうするんだという目でこちらを見ている。
蛭魔も憮然とした表情で、瀬那の後ろ姿を見送っていた。
「僕、絶対にみんなに認めさせますからね!」
瀬那がそう宣言したのは、つい先程のことだ。
部員たちがランニングバックと認めるまで、別メニューで練習すると言った。
そして帰りは家までランニングをするからと、走って帰ってしまったのだ。
わかっている。
蛭魔が部長なのだから、決定権は蛭魔にある。
瀬那もそれがわかっているから、皮肉っぽく「お兄さん」などと言ったのだ。
蛭魔が瀬那を諦めさせるか、もしくは折れて他の部員たちを納得させるか。
2つに1つしかない。
まったく余計なことをしてくれる。
瀬那は今日明らかになった2人の「賞金稼ぎ」の顔を思い出して、舌打ちした。
「僕は教師をしながら賞金稼ぎをしてるんだ。」
ロードワークから戻ってきた瀬那は、部室の前で偶然その言葉を聞いた。
この声の主は最近気になっている人物。
魔物のことを知っている素振りの教師、雪光だ。
思わず一緒に戻ってきた蛭魔と武蔵を見る。
だが驚く瀬那と対照的に2人は冷静だった。
気付いていたのか、察していたか。
もしくは狡猾な魔物の常で、驚きを見せないだけかもしれない。
「雪光先生も賞金稼ぎだったんですか!?」
瀬那はノックもせずに部室のドアを開けると、勢い込んで叫んだ。
雪光先生「も」と表現したのは、先程もう1人の賞金稼ぎと出会ったばかり。
魔物を捕獲しては組織に売っているという進清十郎のことだ。
「って言っても、進とは違うタイプの賞金稼ぎ、だよなぁ?」
蛭魔はシニカルな口調で、そう言った。
今度は雪光が驚いた顔で「進を知ってるのか」と呟く。
他の部員たちはさっぱりわからないという表情だ。
「僕は魔物に血や気を与えて、金を貰うバイトをしてるんだ。」
雪光の告白に、瀬那は首を傾げた。
金を払うのは人間の専売特許だと思っていたからだ。
雪光は「魔物にも金持ちも多いんだよ」と苦笑する。
その視線の先にいるのは、蛭魔と武蔵。
彼らは「組織」から金を得ているし、それなりの資産も持っている。
「それで瀬那をエサに?」
怒りがこもった蛭魔の声が、部室に響く。
雪光は申し訳なさそうに頷いた。
蛭魔の剣幕に怯んだのではなく、雪光も多少気が咎める部分があるようだ。
「瀬那君に引き寄せられる魔物と交渉する。話が合えば商談成立だ。」
雪光の説明を、部員たちは言葉もなく聞いていた。
淡々とした口調だが、雪光の並々ならぬ決意を感じたからだ。
「まったく」
瀬那は着替えをしながら、不機嫌を露わにしていた。
この状況はまったく愉快じゃない。
だが怒るべき相手が見つからず、ますます不機嫌になる。
今日、正体がわかった2人の男。
賞金稼ぎとひと括りにしても、金の稼ぎ方は正反対だ。
魔物を捕らえるか、魔物に与するか。
共通しているのは、危険ということだ。
相手にした魔物が自分より強かったら、もしくは騙まし討ちにされれば終わりだ。
進も雪光もそれ相応の覚悟があり、していることなのだろう。
彼らのしていることは、悪いことではない。
法律にも触れないし、魔物と「組織」が交わした取り決めにも反していない。
だが瀬那としては、自分が勝手に「エサ」とされることが納得いかなかった。
まるで自分が人間でも魔物でもない、格下の生き物のように思えてしまう。
進や雪光のことは嫌いではないが、それとこれとは別問題だ。
「そもそも、部での扱いだって!」
瀬那の怒りは止まらない。
一人前と認められていないのは、このアメフト部でも同じだ。
他の部員たちはポジションを選んで、アメフトを楽しんでいるのに。
瀬那だけはプレーヤーになることも許されない。
試合に出ることもない真似事の部活だから、危険はほぼないのに。
そこで瀬那は決意してしまったのだ。
弱く見えるから、エサになると思われてしまうのだ。
弱いと思われているから、アメフトもさせてもらえない。
それならば誰にも文句を言われないほど強くなってやる。
手始めにランニングバックのポジションを貰う。
負けん気の強い瀬那は、それを固く心に誓った。
そこで帰り道、手始めにランニングで帰ることにした。
他の部員、何よりも蛭魔の驚いた顔を見たら、少しだけ愉快だった。
「いいかげんに機嫌を直せよ」
家に帰り着いた蛭魔は、開口一番にそう言った。
だが瀬那は澄ました顔で「何のことです?」と答えた。
「着替えたらどうです?お兄さん」
瀬那は穏やかな口調でそう言った。
そういう瀬那はもうさっさと部屋着に着替え終えている。
蛭魔と瀬那が兄弟ということになっているのは、学校だけだ。
つまり今そう呼ぶのは、瀬那なりの抗議なのだろう。
それでも声を荒げるようなことはない。
それは長く生きる瀬那と蛭魔の暗黙の了解だった。
意見が食い違っても、相手の主張を理解するように努める。
変に言い争ってわだかまりを残しても、後々面倒なだけでいいことはない。
蛭魔が着替えてリビングに戻ると、瀬那がコーヒーを淹れていた。
2人とも人間のような食事を必要としない。
だけど改まって話をするような場面では、コーヒーを好んでいた。
「そんなにアメフトがしたいのか?」
蛭魔はソファに腰を下ろしながら、そう聞いた。
瀬那は蛭魔の前にコーヒーのカップを置く。
そして蛭魔の隣に座って、自分のカップも置いた。
おそろいの白いマグカップ。
蛭魔はブラックコーヒーで、瀬那はカフェオレだ。
「したいです。それにみんなと対等でいたい。」
「俺たちは普通の高校生じゃない。潜入調査してるんだ。」
「でももう今しか高校生なんかできないでしょ?このくらい欲張ってはダメですか?」
瀬那は蛭魔の方に向き直った。
数秒ほど蛭魔と目を合わせてから、かわいらしく小首を傾げる。
真正面から文句を言うより、この方が効果があることを瀬那はよく知っている。
「お前が心配なんだ。お前は『伴侶』で魔物じゃないから。」
「その気持ちは嬉しいですけど」
「他のヤツらもそうだ。お前を大事に思ってる。」
「僕、お姫様じゃないんですよ。」
瀬那はカップを両手で包むように持つと、湯気の立つカフェオレをすする。
その仕草も妙にかわいくて、蛭魔はもう頭を抱えたくなった。
もう計算なのか、無意識なのかもわからない。
だが蛭魔はかわいい「伴侶」のおねだりを退けられないのだ。
「怪我しないように注意しろ」
蛭魔はついに諦めて、瀬那がランニングバックになることを許した。
実際怪我をしても、蛭魔がすぐに治してしまうだろう。
それでも蛭魔は瀬那が痛い思いをするのが嫌なのだ。
「それから帰り道のランニングはダメだ。」
「どうしてですか?」
「一緒に帰るから」
蛭魔は素っ気なく、そう付け加えた。
瀬那はおどけながら「それは譲歩しましょう」と微笑した。
部員たちは蛭魔よりも瀬那の方が強いと思っている。
そして蛭魔自身もそう思っているのに。
だが瀬那はもっと強くなろうとしている。
まったく勘弁してほしいものだと、蛭魔はため息が止まらない。
「それにしても校内に漂う魔の気配は、相変わらずですね。」
ふと瀬那が呟いたことで、蛭魔も真剣な表情になった。
本来の目的である捜査が難航している。
そしてそれが解明された時、瀬那と蛭魔は学校を去らなければならない。
「短い高校生活だ。めいっぱい楽しめ。」
蛭魔は腕を伸ばして、瀬那の肩を抱き寄せた。
瀬那は蛭魔にもたれながら「はい」と答えた。
【終】続編「ヒルセナ夜5題」に続きます。
瀬那は「お兄さん」に不自然なアクセントを込めて、そう言った。
そして勢いよく駆け出していく。
蛭魔と瀬那の現在の住処は、学校から徒歩で10分程度。
だが瀬那の足なら1、2分で着いてしまうだろう。
「瀬那の決心、固いなぁ」
その背中を見送りながら、呆れた声を上げたのはモン太だ。
小結が「デシ!」と意味不明な声をあげながら、同意を示す。
十文字、黒木、戸叶は顔を見合わせて、困惑顔だ。
「帰り道、一緒がよかったのに!」
鈴音が文句を言いながら、蛭魔を睨み上げる。
武蔵さえどうするんだという目でこちらを見ている。
蛭魔も憮然とした表情で、瀬那の後ろ姿を見送っていた。
「僕、絶対にみんなに認めさせますからね!」
瀬那がそう宣言したのは、つい先程のことだ。
部員たちがランニングバックと認めるまで、別メニューで練習すると言った。
そして帰りは家までランニングをするからと、走って帰ってしまったのだ。
わかっている。
蛭魔が部長なのだから、決定権は蛭魔にある。
瀬那もそれがわかっているから、皮肉っぽく「お兄さん」などと言ったのだ。
蛭魔が瀬那を諦めさせるか、もしくは折れて他の部員たちを納得させるか。
2つに1つしかない。
まったく余計なことをしてくれる。
瀬那は今日明らかになった2人の「賞金稼ぎ」の顔を思い出して、舌打ちした。
「僕は教師をしながら賞金稼ぎをしてるんだ。」
ロードワークから戻ってきた瀬那は、部室の前で偶然その言葉を聞いた。
この声の主は最近気になっている人物。
魔物のことを知っている素振りの教師、雪光だ。
思わず一緒に戻ってきた蛭魔と武蔵を見る。
だが驚く瀬那と対照的に2人は冷静だった。
気付いていたのか、察していたか。
もしくは狡猾な魔物の常で、驚きを見せないだけかもしれない。
「雪光先生も賞金稼ぎだったんですか!?」
瀬那はノックもせずに部室のドアを開けると、勢い込んで叫んだ。
雪光先生「も」と表現したのは、先程もう1人の賞金稼ぎと出会ったばかり。
魔物を捕獲しては組織に売っているという進清十郎のことだ。
「って言っても、進とは違うタイプの賞金稼ぎ、だよなぁ?」
蛭魔はシニカルな口調で、そう言った。
今度は雪光が驚いた顔で「進を知ってるのか」と呟く。
他の部員たちはさっぱりわからないという表情だ。
「僕は魔物に血や気を与えて、金を貰うバイトをしてるんだ。」
雪光の告白に、瀬那は首を傾げた。
金を払うのは人間の専売特許だと思っていたからだ。
雪光は「魔物にも金持ちも多いんだよ」と苦笑する。
その視線の先にいるのは、蛭魔と武蔵。
彼らは「組織」から金を得ているし、それなりの資産も持っている。
「それで瀬那をエサに?」
怒りがこもった蛭魔の声が、部室に響く。
雪光は申し訳なさそうに頷いた。
蛭魔の剣幕に怯んだのではなく、雪光も多少気が咎める部分があるようだ。
「瀬那君に引き寄せられる魔物と交渉する。話が合えば商談成立だ。」
雪光の説明を、部員たちは言葉もなく聞いていた。
淡々とした口調だが、雪光の並々ならぬ決意を感じたからだ。
「まったく」
瀬那は着替えをしながら、不機嫌を露わにしていた。
この状況はまったく愉快じゃない。
だが怒るべき相手が見つからず、ますます不機嫌になる。
今日、正体がわかった2人の男。
賞金稼ぎとひと括りにしても、金の稼ぎ方は正反対だ。
魔物を捕らえるか、魔物に与するか。
共通しているのは、危険ということだ。
相手にした魔物が自分より強かったら、もしくは騙まし討ちにされれば終わりだ。
進も雪光もそれ相応の覚悟があり、していることなのだろう。
彼らのしていることは、悪いことではない。
法律にも触れないし、魔物と「組織」が交わした取り決めにも反していない。
だが瀬那としては、自分が勝手に「エサ」とされることが納得いかなかった。
まるで自分が人間でも魔物でもない、格下の生き物のように思えてしまう。
進や雪光のことは嫌いではないが、それとこれとは別問題だ。
「そもそも、部での扱いだって!」
瀬那の怒りは止まらない。
一人前と認められていないのは、このアメフト部でも同じだ。
他の部員たちはポジションを選んで、アメフトを楽しんでいるのに。
瀬那だけはプレーヤーになることも許されない。
試合に出ることもない真似事の部活だから、危険はほぼないのに。
そこで瀬那は決意してしまったのだ。
弱く見えるから、エサになると思われてしまうのだ。
弱いと思われているから、アメフトもさせてもらえない。
それならば誰にも文句を言われないほど強くなってやる。
手始めにランニングバックのポジションを貰う。
負けん気の強い瀬那は、それを固く心に誓った。
そこで帰り道、手始めにランニングで帰ることにした。
他の部員、何よりも蛭魔の驚いた顔を見たら、少しだけ愉快だった。
「いいかげんに機嫌を直せよ」
家に帰り着いた蛭魔は、開口一番にそう言った。
だが瀬那は澄ました顔で「何のことです?」と答えた。
「着替えたらどうです?お兄さん」
瀬那は穏やかな口調でそう言った。
そういう瀬那はもうさっさと部屋着に着替え終えている。
蛭魔と瀬那が兄弟ということになっているのは、学校だけだ。
つまり今そう呼ぶのは、瀬那なりの抗議なのだろう。
それでも声を荒げるようなことはない。
それは長く生きる瀬那と蛭魔の暗黙の了解だった。
意見が食い違っても、相手の主張を理解するように努める。
変に言い争ってわだかまりを残しても、後々面倒なだけでいいことはない。
蛭魔が着替えてリビングに戻ると、瀬那がコーヒーを淹れていた。
2人とも人間のような食事を必要としない。
だけど改まって話をするような場面では、コーヒーを好んでいた。
「そんなにアメフトがしたいのか?」
蛭魔はソファに腰を下ろしながら、そう聞いた。
瀬那は蛭魔の前にコーヒーのカップを置く。
そして蛭魔の隣に座って、自分のカップも置いた。
おそろいの白いマグカップ。
蛭魔はブラックコーヒーで、瀬那はカフェオレだ。
「したいです。それにみんなと対等でいたい。」
「俺たちは普通の高校生じゃない。潜入調査してるんだ。」
「でももう今しか高校生なんかできないでしょ?このくらい欲張ってはダメですか?」
瀬那は蛭魔の方に向き直った。
数秒ほど蛭魔と目を合わせてから、かわいらしく小首を傾げる。
真正面から文句を言うより、この方が効果があることを瀬那はよく知っている。
「お前が心配なんだ。お前は『伴侶』で魔物じゃないから。」
「その気持ちは嬉しいですけど」
「他のヤツらもそうだ。お前を大事に思ってる。」
「僕、お姫様じゃないんですよ。」
瀬那はカップを両手で包むように持つと、湯気の立つカフェオレをすする。
その仕草も妙にかわいくて、蛭魔はもう頭を抱えたくなった。
もう計算なのか、無意識なのかもわからない。
だが蛭魔はかわいい「伴侶」のおねだりを退けられないのだ。
「怪我しないように注意しろ」
蛭魔はついに諦めて、瀬那がランニングバックになることを許した。
実際怪我をしても、蛭魔がすぐに治してしまうだろう。
それでも蛭魔は瀬那が痛い思いをするのが嫌なのだ。
「それから帰り道のランニングはダメだ。」
「どうしてですか?」
「一緒に帰るから」
蛭魔は素っ気なく、そう付け加えた。
瀬那はおどけながら「それは譲歩しましょう」と微笑した。
部員たちは蛭魔よりも瀬那の方が強いと思っている。
そして蛭魔自身もそう思っているのに。
だが瀬那はもっと強くなろうとしている。
まったく勘弁してほしいものだと、蛭魔はため息が止まらない。
「それにしても校内に漂う魔の気配は、相変わらずですね。」
ふと瀬那が呟いたことで、蛭魔も真剣な表情になった。
本来の目的である捜査が難航している。
そしてそれが解明された時、瀬那と蛭魔は学校を去らなければならない。
「短い高校生活だ。めいっぱい楽しめ。」
蛭魔は腕を伸ばして、瀬那の肩を抱き寄せた。
瀬那は蛭魔にもたれながら「はい」と答えた。
【終】続編「ヒルセナ夜5題」に続きます。
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