アイシ×おお振り×セカコイ【お題:セフィロト(生命の樹)10題+α】

【イエソドの綻び】

「何で勝手なことをするかな?」
口調は穏やかだったが、語尾も表情も尖っている。
律は本当に怒っているのだった。

ここはカフェの4階、蛭魔たちの居住スペースだった。
夜中に叩き起こされて、半ば連行するようにここへ来た律は至極機嫌が悪い。
その上、瀬那と廉が2人で勝手に盗みに出たと聞かされて、さらに悪化している。
しかも蛭魔たちに助けられたと聞かされれば、もう気分は地の底だ。

瀬那と廉は、神妙に肩を落としている。
律はこれ見よがしに大きくため息をついた。
責めても仕方がない。
2人が律のことを思ってしたことなのだとわかるからだ。
それに時間はもう戻せない。
起こってしまったことを後悔するより、この事態を収拾することを考えるべきだ。

律はこの部屋の主・蛭魔と向かい合って、ソファに座っていた。
蛭魔の左右には阿部と高野、そして羽鳥、桐嶋、横澤が後ろに立っている。
つまりデビルバッツのメンバーが全員揃っていた。
律の左右に座る瀬那と廉は、申し訳なさそうに俯いている。
つまり律は1人で戦わなければならない状況だった。

「とりあえず2人を助けてくれた礼は言っておく。」
律はデビルバッツの面々を見渡しながら、頬を緩ませた。
3人ともウィッグも外して、メイクもしていない。
つまり完全に男の姿だ。
思えば彼らにこの状態で接するのは、初めてだった。

「こっちも桐嶋の娘を助けてもらった。これでチャラだ。」
蛭魔が答えながら、じっとこちらを見ている。
どうやら「これでチャラ」で終わってくれる雰囲気ではなさそうだ。

「あのさ、チャラついでに取引しない?」
完全に男に戻った律は、不敵に口元を歪ませながら切り出した。
善良な家庭に育った瀬那や廉にはないふてぶてしさ。
それなりに修羅場を潜ったデビルバッツのメンバーでさえ一瞬目を見張るほどの迫力はある。

「取引?どんな?」
「俺たちが知りたいのは蛭魔幽也の所在だ。だからあんたらに近づいた。」
律は1枚、カードを切った。
さて蛭魔はどう出るか。

「それを知ってどうする?お前らは何をしたい?そもそも律、お前は誰だ?」
「そんなに質問を並べるなよ。取引なんだから1対1だろ。」
律は冷やかに突き放してやった。

ふと律は視線を感じて、そちらを見た。
律をじっと凝視しているのは高野だ。
他のメンバーの探るような視線に比べて、高野は無遠慮に律を見据えている。
何だ、この視線。
律は浴びたことのない熱を帯びた視線に戸惑いながら、蛭魔の答えを待つ。

「いいだろう。蛭魔幽也氏の居場所を教える。その代わりお前の正体を教えろ。」
「そっちが先だ」
「その前にこちらが調べたことを言う。間違っていたら教えてくれ。」
「1対1の取引だと言ったはずだが」
「2対2でどうだ?俺たちは今後、お前たちが盗みを働くことを邪魔しない。」
「・・・わかった。」

蛭魔は父親の所在を教え、今後アイシールドの邪魔はしない。
律は蛭魔たちの調査結果を判定し、律の素性を教える。
2対2の取引は、成立したのだった。

*****

「蛭魔幽也の絵のフレームを作ったのは、廉の父親の三橋玲一氏だな。」
蛭魔は唐突に切り出した。
律は事もなげに、首を縦に振った。

初めて聞かされるデビルバッツの面々も驚いている。
だが対するアイシールドの3人、律も瀬那も廉も表情を変えない。
そこまで知られているのは、予想通りなのだろう。

「一時期ある商社で蛭魔幽也の絵をまとめて買う話があった。その担当者が瀬那の父親の小早川秀馬氏」
律がまた頷く。
すべては酒奇溝六が調べて来たことだった。
老練な情報屋は古くてほとんど知る人のいない話を、あっという間に調べ上げたのだ。

「つまり2人とも、蛭魔幽也と関わりがある。」
「正確には蛭魔幽也氏の絵と、ね。」
「お前たちは三橋玲一氏の作品であるフレームを回収している。」
「その通り」
「こっそりすることもできるのに、わざわざ派手に盗むのは何かを誘き出すため」
「それも当たり」

律の表情はまったく変わらなかった。
ここまでは予想通りという表情だ。
律の反応だけ見ていたら、本当に驚いていないのか、フェイクなのかわからなかっただろう。
だが瀬那と廉の表情も変わっていない。
つまりここまで調べられることは、まったく予想通りということだ。

「それから蛭魔幽也はこの世にいない。」
「はぁぁ?死んでるっていうのか?いつ」
「もう15年以上前だ。」
「言うに事欠いて、随分な嘘をついてくれるじゃないか」

律の口調は静かなままだが、声からは隠せない怒気が滲んでいる。
それはそうだろう。
蛭魔にもいろいろ見えてきた。
どうやら絵に関わった人物が、何人も人生を踏み外しているのだ。

この3人はその真相を捜しているのだろう。
その重要人物が随分昔に死んでいると聞かされる。
だが蛭魔幽也は、それより後に絵を出している。
疑うのは当然のことだろう。

「巷に出回っている絵は、全部父親の絵を真似た俺の作品だ。」
蛭魔は律の疑惑を訂正しないまま、さらに続けた。
デビルバッツのメンバーたちも、もう隠すこともなく驚いている。
律はじっと黙ったまま、蛭魔の言葉を吟味しているようだ。

*****

「じゃあ、誰だよ!父さんに、罪を着せたのは!」
「僕の両親だって、生きているのか死んでいるのかもわからない。」
廉と瀬那は怒りを露わにして、蛭魔を睨み付けた。
だが律はあくまで冷静を保ちながら「それで?」と聞き返してきた。

「本当の蛭魔幽也の絵は、それだけだ。」
蛭魔は壁にかかっている絵を指さした。
瀬那と廉は立ち上がると、絵に駆け寄る。
フレームを見るためだ。
蛭魔は「フレームが欲しいなら、勝手に外して持っていけ」と言い放った。

「俺がこれを真似て描いたら、画商が勝手に勘違いしたんだ。親父の絵だと」
「それであなたの作品が、お父上の作品として世に出たってこと。」
「その通り。お前らは絵には興味を示さなかったけど正解だ。この絵以外は価値がない。」
「でも蛭魔幽也の作品だと売れるんだ。絵って不思議だね。」
「初めて意見が合ったな。」

蛭魔と律がやり取りしている間に、瀬那と廉が絵を見ている。
性格には絵にはめられたフレームだ。
だが廉は首を振った。
皮肉なことに唯一本物だという蛭魔幽也の絵には、捜しているフレームがついていない。
瀬那がポツリと「これは綺麗な絵だな」と呟いた。

「あんたの言葉を今ここで全て信じるのは、無理だ。」
律はゆっくりと立ち上がった。
その瞬間微かに顔をしかめて、肩を気にする素振りを見せた。
昼間ナイフで刺された傷は、さすがにまだ痛むのだろう。

「瀬那、廉、帰るよ。」
「おい、取引は?」
部屋を出ようとする律の背中に、声をかけた。
律の素性を明かすという約束は、まだ果たされていないからだ。

「俺の本名は小野寺律だ。あとは勝手に調べろ。」
律は冷やかに言い捨てると、さっさと部屋を出た。
瀬那と廉が慌てて、その後に続く。
残されたデビルバッツの面々は、全員固い表情だ。

「小野寺律については、俺に調べさせてくれ。」
少しの沈黙の後、口を開いたのは高野だった。
高野が律に興味を持っている、もっと言えば惹かれていることには全員が気付いている。
何しろ裏組織であり、全員勘の鋭さについては折り紙つきだった。

「わかった。まかせる。」
蛭魔はそれだけ告げると、立ち上がる。
今日はこれで解散という合図だった。

*****

「うう」
廉は左手で右肩を揉みながら、呻き声を上げた。
今朝起きてから、どうにも肩が重かったのだ。

怪盗アイシールドは、昨晩また盗みを働いた。
ある会社社長宅にある「イエソドの綻び」という名の絵だ。
その前の夜、警察に囲まれてかろうじて逃げるという失態を犯した。
だが律は果敢に、連夜の犯行に踏み切ったのだ。

そしてこれまで盗んで放置していた絵の所有者全てにカードを郵送した。
怪盗アイシールドが盗んだというメッセージだ。
これでフレームは9セット。
蛭魔幽也の絵は20枚だから、あと1回で半分ということになる。

「蛭魔、幽也、が。死んでいるなら。もう盗んでも、意味ない。」
廉はそう言って、これ以上盗みをしない方がいいと言った。
フレームの回収は、廉のためにしていることだ。
父親の大事な作品で、不吉な絵を飾りたくない。
それだけの理由で始めたことだったのだ。

「いいって。廉の大事なものだろ?」
「そうだよ。最後までやろう。後のことはそこで考えればいい。」
瀬那と律は笑顔でそう言ってくれた。
逮捕されるかもしれないし、「敵」の襲撃を受けるかもしれないのに。
父の逮捕で友人を失った廉には、2人の友情が嬉しい。

だから廉も行動を起こしたのだ。
武器として使うボールに、重りを仕込んだ。
しかも昨晩は警護の人間か多く、10球以上全力投球した。
そのせいで右肩に違和感を感じていたのだった。

「肩、痛むのか?」
声をかけられて、廉はハッと我に返った。
いけない。ここはカフェのホールで、廉は女の子の姿なのだ。
廉は慌てて「何でも、ない、です」と答え、厨房に入ろうとした。

「馬鹿。無理すんな。マッサージしてやるから来いよ」
阿部が廉の左手を掴み、留めようとする。
廉はそれを振り払おうとするが、阿部の力は強く振り払えなかった。

「はな、して。あなたは、味方、じゃない。」
「敵とか味方とかは関係ねーよ。野球好きとしてその肩を壊したくないだけだ。」
廉は困ったように、入口のドアを見た。
だが律は怪我のせいで休んでいるし、瀬那は買い出しに出ている。
この微妙な空気の中に2人きり。
困惑するうちに椅子に座らされ、阿部の手が廉の肩を静かに揉み始める。

「アップもしないでいきなり全力投球は肩に悪い。やめろ。」
背後から阿部の声と共に、吐息が耳をくすぐる。
その感触に困惑しながら、廉は「無理」と答えた。
怪盗が事前に投球練習をしている滑稽な様子を想像して、何とか気分を誤魔化した。

*****

「やっとお前の正体がわかった。」
高野は静かにそう告げた。
だが律は呆れた表情で、目を眇めて高野を見た。

「やっぱりフルネームがわかると、調査しやすいな。」
「そんなことを言いに、わざわざ来るかな。」
律は呆れたように、高野に冷たい視線を送ってくる。
ここは3人が仮住まいをしている山岸荘の1室。
怪我でカフェを休んでいる律を、高野が訪ねて来たのだった。

「まぁ入れば。他に住民はほとんどいないけど、一応声を落として。」
律は諦めのため息とともに、高野を部屋に招き入れた。
別に優しさからではない。
入れる、入れないの押し問答で、変に目立つのが嫌だったからだ。

「適当に座って。わざわざお茶なんか淹れないからね。」
「カフェの看板娘のセリフとも思えねーな。」
律は冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出した。
水とは味気ないと思ったが、それすらも過ぎた望みだったようだ。
律はボトルの蓋を開けて、自分で飲み始めたからだ。
本当にかわいい顔をして、きつい性格だ。

「お前の素性は俺が調べた。まだ蛭魔にも報告してない。」
「へぇぇ、それなのに何でここに?」
「確認したいことがあって、な。」

高野は手近にあったクッションに腰を下ろすと、立ったままの律を見上げた。
律は不機嫌そうに「何?」と聞き返す。

小野寺律という名前から、律の素性はすぐにわかった。
全国的にも有名な暴力団組織、小日向組。
その組長の片腕、実質組のナンバー2であるやくざ者の息子だった。
その上律本人は、小日向組組長の娘の婿候補で、ひょっとしたら組を継ぐと言われている。

だがここ数年、小日向組は権力争いの内部抗争が激化しているという情報もある。
次期組長か、失脚もしくは抹殺という不安定な立場。
なるほど律が本名を使わず、極力痕跡を残さずに生きる理由も納得できた。

高野がひっかかったのは、廉の父である三橋玲一と小日向組との関係だ。
三橋玲一は廉が高校生の時、薬物所持の容疑で逮捕されている。
その薬物は、小日向組から買ったものだとされているのだ。
つまり考えようによっては、廉から見れば律は敵ということになる。
そのことを廉が知っているのかどうか。
それが高野が確認したいことだった。

「ご心配なく。廉は知ってるよ。あんたたちからバレても特に問題ない。」
「そうか。それならいい。」
「変なことに気を使うんだね。実は。。。ん?」
「どうした?」

急に黙り込んでしまった律に、高野は首を傾げる。
律は「黙って」と言いながら、そっと窓に近寄ると、カーテンの隙間から外を見た。
ボロアパートの前には、似つかわしくない高級車がとまっている。

「どうやら本当の敵が来たみたい。脱出した方がよさそうだ。」
「本当の敵?」
「高野さんも運が悪い。よりによってこのタイミングでここに来るなんて。」

律は苦笑しながら「逃げるよ」と囁いた。
高野は訳がわからないながらも、笑い返す。
どうやら危機らしいが、律が一緒だと少しも気にならない。
これはこれで楽しいとさえ思えた。

【続く】
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