アイシ×おお振り×セカコイ【お題:セフィロト(生命の樹)10題+α】

【ネツァクを抱き】

「だいじょぶ、かな?」
「ちょっと心配だね。」
カウンターの中から、廉と瀬那は律を見た。
2人の視線の先では、律は常連客の給仕をしながら笑顔を見せている。
だがその表情は少し疲れて見えた。

昨晩、3人はまた絵を盗んでいた。
タイトルは「ネツァクを抱き」またしても抽象画だ。
そもそも絵に興味がない上に、描かれているものは何だかよくわからない。
そんな絵が7枚も続くと、少々食傷気味だった。

今回も楽な仕事だった。
まだ警察は、蛭魔をマークしているからだ。
それにまた絵はその場に残し、メッセージなども置いていない。
つまり表向きは蛭魔の監視が始まった途端、アイシールドは動きを止めたことになる。

だが警察だって馬鹿ではない。
少なくても先日ここに現れた武蔵という刑事は有能だ。
こんな楽な仕事が続かないことは、覚悟しておかなければならない。

だが瀬那と廉にとって気がかりなのは、律の様子だった。
瀬那と廉は律より若いし、体力と運動神経には自信がある。
だが律は慣れないカフェの仕事と夜の仕事に、少々疲れが溜まっているようだ。
先日桐嶋にからまれたとき、律が怒ったのも気にかかる。
疲れているから、いつもならやり過ごせることにも、突っかかったのではないか。

「少し気を付けてあげた方がいいかもね。」
「うん。律っちゃん、無理、させないように!」
瀬那と律は秘かに顔を見合わせて、笑った。
元々怪盗アイシールドを始めた時から、覚悟は決まっている。
逮捕されることも、敵に捕獲されることも、想定内だ。
律のことを犠牲にしてまで、続けることではないと思っている。
それだけ3人の絆は深く、強固なものだ。

「いらっしゃいませ!」
入口の扉が開き、新たな客を招き入れる律の声が響く。
瀬那と律も「いらっしゃいませ」と声を揃えたが、次の瞬間、顔を見合わせた。
律も困ったような表情で、チラリと一瞬だけこちらを見た。

店に現れたのは、先日店に現れた少女。
桐嶋の娘の日和だった。
今にも泣きそうな表情で、じっと律を見上げている。

「どうぞ」
律は笑顔で少女を迎えた。
瀬那も廉もそれに倣って、笑顔を作る。
他に目的があっても、カフェでは笑顔を絶やさないようにする。
それが3人で最初に話し合った決め事だった。

*****

「絵のフレーム?」
「作った人間とか、仲介した業者とか。とにかくフレームに関係した人間を知りたい。」
蛭魔は、昔馴染みの男に詰め寄った。

4階の蛭魔の部屋には、客が来ていた。
男の名は酒奇溝六。
親子ほども年齢が違うこの男は、蛭魔が使っている情報屋だった。
表の政財界や芸能界、裏社会にも顔が広い。
大抵の調べ事なら、瞬く間に調べ上げてしまうのだ。
ただし調査を依頼した場合、その料金はべらぼうに高い。

柳瀬優が、怪盗アイシールドの目的は絵のフレームではないかと予想した。
実際に絵を分解してみて、それを確信したと言う。
なるほどつじつまの合う話だと思う。
そこで早速、この情報屋の男を呼んだのだ。

「そもそも蛭魔幽也の絵の売買は、息子のお前がしてただろ?」
「ああ。だが画商に任せっきりだった。」
絵はフレームなどつけずに、無造作に置いていた。
適当な画商を選んで、フレームをつけるところから売買まで一括で委託したのだ。

だがそこから先がやっかいだった。
蛭魔が絵を委託した画商は、依頼した直後に事故で突然この世を去ったのだ。
その画商は1人で商売をしており、その死と共に、絵も消えてしまった。
だが1年ほどして、その画商が倉庫をレンタルしているのがわかった。
そしてそこから絵も発見された。
そのときにはすでにフレームが付けられていたのだ。

「つまりその1年の間にフレームが付けられたんだな。記録とかは?」
「残っていないと思う。そもそも調べようとさえ思わなかった。」
つまりフレームはいつの間にか装着されていたことになる。
当時の蛭魔は絵を販売するために、亡くなった画商が付けたものとして疑わなかった。
絵さえ出てくれば損害もないし、特に問題ないと思ったのだ。

今回この男に依頼することにしたのは、その情報網の広さからだ。
蛭魔たちでも調べられないことはないだろうが、絵の業界にはコネもなく難航するだろう。
様々な方面に顔が利く溝六の方が早いはずだ。

「とにかくフレームの作者と仲介業者を調べてくれ。」
「なかなか厄介だな。」
「報酬は弾むぜ。」

溝六は「仕方ねぇな」と文句を言いながら、立ち上がった。
渋々という体を装っているが、この男は難しい依頼の方が張り切るのだ。
まして報酬を弾むのだから、やらないはずがない。
あとはもう任せておけば、すぐに情報が上がってくるだろう。

*****

「誰かに見られてる?」
律が聞き返すと、日和はコクンと頷いた。
カウンターの中で廉も首を傾げ、瀬那は「ストーカーとか?」と呟いた。

桐嶋の娘の日和は、何だかひどく思いつめた様子だった。
律は機転を利かせて、表の「営業中」の札をひっくり返した。
前回同様、ケーキを出そうかと思ったが、思い直す。
どうも食が進む雰囲気ではないからだ。
その代わりに、日和の前にオレンジジュースを置いた。
そして店にいた他の客が帰ったところで「どうしたの?」と聞いたのだ。

「最近、ずっと誰かに見られてるの。」
日和は慎重に言葉を選んで話し始めた。
最初に視線に気づいたのは、前回この店を訪れた少し後くらいだそうだ。
それ以来、時々視線を感じるようになったのだという。

「それっていつも?」
「ううん。学校の行き帰り。学校の中では感じない。」
「そっかぁ。お父さんには相談したの?」
「・・・まだ」

日和は明らかに迷っていた。
父親とは一緒に暮らしていないそうだが、不仲というわけではない。
それでも何でも相談できる関係というわけでもなさそうだ。

「そういうのって初めて?」
日和は静かに首を振った。
律はそんな日和を見ながら、秘かにため息をついた。
おそらく日和が視線を感じているのは、気のせいではない。
そしてそれは父親の仕事のせいなのだろう。
裏稼業をしている者の常で、身内は攻撃のターゲットにされやすいのだ。
律はそのことを身をもって体験している。

「お父さんに話した方がいいと思うよ。」
「でも、それって迷惑だよね。」
律の言葉に答える日和の声は震えている。
泣き出す寸前なのだろう。
怖くて泣き出しそうなのに、まだ父親を気遣う日和はいじらしいと思う。

「話した方がいいよ。日和ちゃんに何かあったら、お父さん悲しむよ。」
「桐嶋さん、呼ぶね。」
律が日和を説得する間に、瀬那が電話に手を伸ばした。
店の電話は内線で3階の「らーぜ」の事務所を呼び出せる。

だがその前に店の扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは、目付きの悪い若い男だ。
律は男を振り返り「すみません。今日はもう閉店です」と声をかける。
だが男は律の言葉など耳に入らない様子で、ポケットに手を入れた。

この男は客じゃない。襲撃者だ。
律は日和をかばうように立ちはだかり、瀬那と廉もカウンターから飛び出した。

*****

「織田、律?」
桐嶋は高野のスマートフォンを覗き込んだ。
画面には、カフェの三姉妹の長女、律とよく似た面立ちの少年の横顔が表示されている。

「そんなに娘が大事なら、普通の仕事をすればいいのに。」
先日、桐嶋に律はそう言った。
その言葉と口調には、妙なリアリティがあったのだ。
それが1つの手掛かりになった。
そして今日、羽鳥と共に調査に出た高野はそれらしい人物を突き止めたのだった。

「蛭魔は?」
「自分の部屋だ。溝六さんが来てる。」
調査結果はボスである蛭魔に報告するべきだが、桐嶋が来客中だと教えてくれた。
ならばと高野はスマートフォンを取り出して、事務所にいた桐嶋と横澤に見せた。

「名前は織田律。忌々しいことに俺と同じ高校を卒業してる。」
「それだけわかってるなら、もっとわかりやすい顔写真があっただろ。」
高野の報告に、横澤が顔をしかめる。
スマートフォンの画像は隠し撮りのものらしく、少年は遥か彼方で横を向いている。
例えば卒業アルバムとか、もっと鮮明な写真が入手できるのではないかと。

「いや。こいつ、1枚も写真を残してないんだ。」
「はぁ?そんなことできるのか?」
「修学旅行とか体育祭とかは全部欠席。アルバムの写真撮影もだ。」
「徹底して、顔が残らないようにしてるってことか。」
「これは律に好意を寄せていた当時のクラスメイトの隠し撮り。」

高野と横澤の会話を、じっと聞いていた桐嶋が首を傾げた。
学生時代の写真がなくても、本名が判明すればまた調べられることがある。
そんな桐嶋の疑問に答えるように、こんどは羽鳥が口を開いた。

「この織田律も偽名だったんですよ。学校に届け出た住所も名前もでたらめです。」
「つまり律は偽名で学校に通ってたってことか?」
桐嶋は呆然と声を上げる。
子供は親の仕事を選べないと叫んだ律の気持ちがわかった気がした。
写真を残さないためにイベントにも参加せず、本名さえ使えない。
そんな子供時代を過ごしたのなら無理もない。

そのとき階下から、ドスンと何かが倒れるような音がした。
すぐにガチャンと食器が割れるような音が響く。
どうやら1階のカフェのようだ。
4人は顔を見合わせると、部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。

*****

ったく、動きにくいって!
律は心の中で悪態を付きながら、男を睨み付けた。

いきなり現れた目付きの悪い男がポケットから取り出したのは、バタフライナイフ。
そして狙いは日和だった。
律だって少々腕には自信があるが、場所が悪い。
あまり店を壊したくないと思うと、どうしても思い切った動きができないのだ。

「日和ちゃん、こっち!」
瀬那と廉が日和を背後に庇いながら、ジリジリと奥のスタッフ専用のドアに向かう。
そこには上のフロアに通じる階段があるのだ。
そこに何とか日和を逃がすつもりだろう。
2階には「エメラルド」3階には「らーぜ」のメンバーが何人かいる。

男は血走った目で日和を見ている。
律は男の目を逸らすべく、男との距離を詰めた。
わざと挑発するように、唇を歪ませて嗤ってやる。
すると男の興味は、日和から律に移ったらしい。
ナイフを振り上げて、律に斬りかかってきた。

「うわぁぁ!」
奇声と共に突っかかってきた男を躱す。
男はテーブルをなぎ倒し、カウンターに激突した。
日和が飲んでいたオレンジジュースのグラスが床に落ちて、砕けた。
冗談じゃない。
こんな男に店を荒らされるなんて、我慢できない。

「店を汚すな、このクソ野郎!」
律はそう叫ぶと、男との間合いを詰めた。
体勢を崩した男が再び斬りかかってくる。
律は男を睨みながら、日和が無事にスタッフ専用ドアから出たのを確認した。
瀬那と廉はその場に留まり、男との間合いを計り始める。

だがそれに安心してしまったのがまずかった。
男が斬りかかってきたのを避け損ねたのだ。
肩に焼け付くような痛みを感じたが、律はそのまま男に体当たりをして転ばせる。
瀬那と廉がすぐに男に馬乗りになり、男を取り押さえた。

騒ぎを聞いて階下に降りて来た男たちは、その光景を見て唖然とした。
スカート姿の美人三姉妹が、凛々しい姿で男を取り押さえていたからだ。
普段の取り繕った女の子らしい立ち居振る舞いも口調もすべて振り捨てている。
だが髪を振り乱して、息を切らしたその姿は、普段の彼らよりも美しかった。

【続く】
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