アイシ×おお振り×セカコイ【お題:セフィロト(生命の樹)10題+α】
【ティフェレトに眩む】
「疲れた、かな。」
律は小さく呟きながら、思い切り伸びをした。
夕方、カフェの閉店の時間。
店の前に出していた「カフェ・デビルバッツ」の看板を「バー・デビルバッツ」に変える。
それで今日の仕事は終わりだった。
昨日の夜はまた某屋敷に忍び込んで、仕事をした。
目的の絵は「ティフェレトに眩む」とかいう訳の分からないタイトル。
相変わらず訳がわからない絵だった。
蛭魔幽也の絵は、いわゆる抽象画というジャンルなのだろう。
画廊で扱っているからには、芸術性は高いに違いない。
だが律にはただ絵具を塗りたくっただけのキャンバスにしか見えなかった。
例によって絵を「盗んだ」ものの、未だに発覚していない。
絵はそのまま残してきたし、今回はカードもつけていないのだ。
警察は今、蛭魔を監視している。
そんな中で犯行が起これば、蛭魔がアイシールドでないことがわかってしまう。
だから今回は絵を「盗んだ」ことを明かしていない。
蛭魔はアイシールドではないのだから、いつかは警察もマークが緩むだろう。
そう判断した時に、メッセージカードを送りつけてやるつもりだった。
ちなみに警察が蛭魔たちに注目した理由は、タレコミのせいだ。
蛭魔たちがアイシールドの一味だと、匿名で通報してやった。
警察の注目をそちらに向け、かつ蛭魔たちも牽制できる。
一石二鳥、我ながら上手い作戦だと思う。
「やっぱりもう若くないのかな。」
律はまたポツリと、独り言をもらす。
夜に仕事をして、昼間こうしてカフェで働くのはしんどい。
瀬那や廉ほどの体力がない律は、身体の疲れが取れていない気がしてならない。
とにかく看板を変えたから、今日は終わりだ。
今日の夜は絵を盗む予定もないし、のんびりできる。
店に戻ろうとした律は、ふと強い視線を感じて振り向いた。
「あの、パパ。。。お父さん、いますか?」
だがそこにいたのは、10歳くらいの少女だった。
すがるような目で、律を見上げている。
律は怪訝に思いながら「どなたのお嬢さん?」と聞き返した。
*****
「絵を見せていただけますか?」
柳瀬優は笑顔で頭を下げた。
画廊の主人は、めんどくさいという気持ちを隠そうともしない。
いかにも渋々といった体で「わかりました」と頷いた。
柳瀬は千秋と共に、銀座の画廊に来ていた。
ここには怪盗アイシールドが最初に盗んだ絵が置かれている。
なんでもアイシールドのせいで、この絵を買いたいという客が殺到しているらしい。
来週、その絵のオークションを開催するのだと聞いて、内心呆れた。
絵は何も変わらないのに、値段だけが跳ね上がっていくのだから。
柳瀬と千秋がここに来たのは、蛭魔の指示だった。
怪盗アイシールドがこれまでに盗んだ絵をチェックすること。
アイシールドはただ悪戯に絵を盗んだり返したりしているわけではない。
そこには絶対に何かの意図がある。
絵を返しているなら、絵に何かの細工をするのが目的なのではないか。
柳瀬も、そして蛭魔たちもそう考えている。
だからこうして絵を見せて貰いに来たのだ。
蛭魔が絵のチェックに柳瀬を指名したのは、一部のメンバーが警察にマークされているからだ。
蛭魔が経営する2つの事務所、探偵業の「らーぜ」となんでも屋の「エメラルド」。
そのうち「らーぜ」のメンバーが、怪盗アイシールドと思われているらしい。
柳瀬は「エメラルド」に所属しているから、マーク外だ。
だが実は能力の高さから何度も「らーぜ」に移れと言われている。
それなのに柳瀬は、頑として「エメラルド」に残り続けた。
理由は簡単、ペアを組んでいる吉野千秋のせいだ。
この危なっかしい相方を置いて、移ることなどできない。
それにこうして2人で仕事ができるなら、雑用みたいな仕事でも楽しいのだ。
「手袋して絵に触ると、な~んか偉そうだよね?」
柳瀬が絵に指紋がつかないように白い手袋をすると、画廊の主人から絵を受け取った。
その横から、千秋がはしゃいだ声を出している。
柳瀬は思い切り顔をしかめると、これ見よがしにため息をついた。
千秋は探偵志望で「らーぜ」に移りたがっているが、このキャラでは難しそうだ。
柳瀬は気を取り直すと、慎重な手つきで絵をひっくり返した。
裏面やフレームなどに、何か痕跡が残されていないか。
たとえば文字などのメッセージとか。
だが残念ながらそれっぽいどころか、傷や汚れさえ1つもない。
さすがにそんなに簡単ではないようだ。
だが失望を顔に出さず、フレームに手をかけた。
フレームから絵を外して、中身を確認するためだ。
だが外そうと力を込めた柳瀬は、思わず「あれ?」と声を上げていた。
*****
「桐嶋日和です!」
カウンター席に座った少女は、元気に挨拶した。
廉が残り物のフルーツケーキを出してやり、瀬那がその隣にアイスティーのグラスを置く。
律はその様子を見ながら、懸命に考えを巡らせていた。
律に声をかけた少女は、桐嶋の娘だった。
ここでカフェをやるに当たって、事前に関係者のデータは頭に入れていた。
桐嶋は確か妻と死別しており、今は独身。
娘が1人いるが、自分の両親、つまり娘の祖父母に預けている状態だった。
そこまでの情報は得ていたが、娘の写真までは取り寄せていない。
娘を利用しようという発想はなかったからだ。
それにしても日和に声をかけられる寸前、確かに強い視線を感じた。
殺気、そして悪意をはらんだ邪悪な気配。
あれは絶対にこの少女のものではない。
つまり日和が現れたのと同じタイミングで、こちらを見ていた者がいたのだ。
警察だろうか?
蛭魔たちを監視する刑事は何人か店の周辺を張り込んでいるが、それはもう数日に渡っている。
いまさら唐突に視線を感じることはないはずだ。
また蛭魔たちの仲間なら、外からこちらを見ているわけもない。
カフェで堂々と律たちを見張ればいいのだから。
ならばついに「敵」が動いたのか?
どちらにしろ嫌な予感しかしない。
律が身体能力の高い瀬那や廉と一緒にやっていけているのは、この勘のおかげだ。
あまり普通ではない生い立ちの律だからこそ、備わってしまったものだ。
10代までは鬱陶しいだけだったのに。
今では危機を乗り越え、目的を果たすための頼もしい味方だ。
その勘が律に危険を訴えている。
「律っちゃん、どうしたの?」
心配そうな表情の瀬那に声をかけられて、律は我に返った。
考え込んでいたせいで、険しい表情になっていたらしい。
廉と日和も不安そうに律を見ている。
律はあわてて「何でもないよ」と笑顔を作った。
その瞬間、入口のドアが開いた。
律は咄嗟にそちらを振り返って身構えたが、すぐに大きく息を吐いた。
立っていたのは、横澤と高野、そして怒りの表情を浮かべた桐嶋だった。
*****
「あれ?」
「どうしたの?優」
柳瀬はフレームに手をかけたまま、動きを止めた。
千秋がそんな柳瀬を不思議そうに見ている。
立ち合いを頼んだ画廊の主人が目だけで「早くしてくれ」と睨んでいた。
「ああ、すみません。」
柳瀬は画廊の主人に詫びると、ゆっくりとフレームを外し始めた。
フレームの付け方と外し方は、事前に蛭魔から聞いている。
蛭魔幽也の絵のフレームはすべて、4本の細長い木片で組み立てられている。
ネジなどは使わず、四つの角を嵌め込むタイプだ。
絵の大きさの割には幅が府と太めに作られているが、外すのは難しくない。
それでも念のために蛭魔の部屋にある父親の絵を使って、付け外しの練習をしていた。
だがどうも感触が異なっている。
蛭魔の部屋の絵よりも固いし、そもそも少し重い気がするのだ。
絵自体は同じくらいのサイズなのに、どうしてこんなに違う気がするのだろう。
だが今は考えている場合ではなさそうだ。
「よし千秋、外すぞ。」
柳瀬は声をかけると、長方形の辺の1つ1つを丁寧に外した。
そして慎重に絵を持ち直すと、額に隠れていた絵の隅を丁寧にチェックする。
だがやはり外側同様、不自然な傷や汚れはなかった。
「じゃあフレームかな?」
千秋が4本の木材となったフレームを1つずつチェックし始めた。
だがそれも同じだ。
綺麗に磨きこまれた木製のフレームには、何の変哲もない。
「もしかして、見込み違いだったとか」
絵とフレームを一通りチェックした千秋はため息をついた。
やはり絵に何かが残っているという考え方が間違っていたのではないか。
なぜならこうして絵を分解して入念にチェックしても、何も見つけられなかったのだから。
「いや。考え方は合ってるよ。」
柳瀬は千秋を見て、ニヤリと笑った。
分解するときに感じた違和感、そして何も残されていない絵とフレーム。
そして盗んだけれど、返却された絵。
柳瀬は怪盗アイシールドの目的を理解した。
怪盗アイシールドは確かに盗んでいた。
だが目的はおそらく、絵ではなくてフレームだ。
絵をそのままにフレームだけを偽物とすり替えていた。
そう考えるのが自然だろう。
*****
「俺の娘に、何の用だ?」
桐嶋が剣呑な声を上げながら、こちらを睨んでいる。
あの殺気はこの男のものだったのか。
思わぬ展開に、律はガックリと肩を落とした。
「俺の娘に何の目的で近づいた?」
桐嶋は脱力する律にお構いなしに、詰め寄ってくる。
律は「別に」と答えた。
別に何の目的もないし、そもそも近づいていない。
桐嶋を訪ねて来た日和に声をかけられたから、店で待てばいいと中に入れただけだ。
「ひよ、何もされてねーか?」
横澤が日和の隣に腰を下ろすと、声をかけている。
熊みたいな風貌の男が猫なで声を出しているのが、おかしい。
「何もしてませんよ。お父さんに会いたいって言うから入ってもらっただけです。」
「本当だよ。1人で来たの。そうしたら中に入れてくれて。ケーキも御馳走になったの。」
律が静かに桐嶋に告げると、日和がそれに同意した。
一番困惑しているのは、日和だろう。
父親と親切にしてくれた「お姉さん」が、妙な雰囲気なのだから。
「悪かった。早合点だ。」
桐嶋が律に頭を下げた。
どうやら自分が先走ってしまったことを悟ったのだ。
カウンターの中の瀬那と廉にも、同様に詫びている。
その姿を見た律は猛然と腹が立ってきた。
敵と認識している律たちと大事な娘が一緒にいて、頭に血が上ったのだというのはわかる。
だがやはり気に入らない。
「そんなに娘が大事なら、普通の仕事をすればいいのに。」
考えるより先に、律の口から言葉が漏れた。
桐嶋と日和たちだけでなく、瀬那や廉まで驚いた様子で律を見ている。
だけどもう止まらなかった。
「親の仕事なんて、子供は絶対に選べないんだから。」
律はさらに言葉を続けた。
それは普通と違う仕事をする親を持つ、律の偽らざる本音だった。
親が裏稼業などしているから、危険と向き合わざるを得ない。
子供はいい迷惑だ。
この発言で彼らが律の素性に気付くかもしれない。
言ってしまった後でそれを危惧したが、すぐにそれでもいいと思い直した。
どうせいつかはバレることなのだから。
【続く】
「疲れた、かな。」
律は小さく呟きながら、思い切り伸びをした。
夕方、カフェの閉店の時間。
店の前に出していた「カフェ・デビルバッツ」の看板を「バー・デビルバッツ」に変える。
それで今日の仕事は終わりだった。
昨日の夜はまた某屋敷に忍び込んで、仕事をした。
目的の絵は「ティフェレトに眩む」とかいう訳の分からないタイトル。
相変わらず訳がわからない絵だった。
蛭魔幽也の絵は、いわゆる抽象画というジャンルなのだろう。
画廊で扱っているからには、芸術性は高いに違いない。
だが律にはただ絵具を塗りたくっただけのキャンバスにしか見えなかった。
例によって絵を「盗んだ」ものの、未だに発覚していない。
絵はそのまま残してきたし、今回はカードもつけていないのだ。
警察は今、蛭魔を監視している。
そんな中で犯行が起これば、蛭魔がアイシールドでないことがわかってしまう。
だから今回は絵を「盗んだ」ことを明かしていない。
蛭魔はアイシールドではないのだから、いつかは警察もマークが緩むだろう。
そう判断した時に、メッセージカードを送りつけてやるつもりだった。
ちなみに警察が蛭魔たちに注目した理由は、タレコミのせいだ。
蛭魔たちがアイシールドの一味だと、匿名で通報してやった。
警察の注目をそちらに向け、かつ蛭魔たちも牽制できる。
一石二鳥、我ながら上手い作戦だと思う。
「やっぱりもう若くないのかな。」
律はまたポツリと、独り言をもらす。
夜に仕事をして、昼間こうしてカフェで働くのはしんどい。
瀬那や廉ほどの体力がない律は、身体の疲れが取れていない気がしてならない。
とにかく看板を変えたから、今日は終わりだ。
今日の夜は絵を盗む予定もないし、のんびりできる。
店に戻ろうとした律は、ふと強い視線を感じて振り向いた。
「あの、パパ。。。お父さん、いますか?」
だがそこにいたのは、10歳くらいの少女だった。
すがるような目で、律を見上げている。
律は怪訝に思いながら「どなたのお嬢さん?」と聞き返した。
*****
「絵を見せていただけますか?」
柳瀬優は笑顔で頭を下げた。
画廊の主人は、めんどくさいという気持ちを隠そうともしない。
いかにも渋々といった体で「わかりました」と頷いた。
柳瀬は千秋と共に、銀座の画廊に来ていた。
ここには怪盗アイシールドが最初に盗んだ絵が置かれている。
なんでもアイシールドのせいで、この絵を買いたいという客が殺到しているらしい。
来週、その絵のオークションを開催するのだと聞いて、内心呆れた。
絵は何も変わらないのに、値段だけが跳ね上がっていくのだから。
柳瀬と千秋がここに来たのは、蛭魔の指示だった。
怪盗アイシールドがこれまでに盗んだ絵をチェックすること。
アイシールドはただ悪戯に絵を盗んだり返したりしているわけではない。
そこには絶対に何かの意図がある。
絵を返しているなら、絵に何かの細工をするのが目的なのではないか。
柳瀬も、そして蛭魔たちもそう考えている。
だからこうして絵を見せて貰いに来たのだ。
蛭魔が絵のチェックに柳瀬を指名したのは、一部のメンバーが警察にマークされているからだ。
蛭魔が経営する2つの事務所、探偵業の「らーぜ」となんでも屋の「エメラルド」。
そのうち「らーぜ」のメンバーが、怪盗アイシールドと思われているらしい。
柳瀬は「エメラルド」に所属しているから、マーク外だ。
だが実は能力の高さから何度も「らーぜ」に移れと言われている。
それなのに柳瀬は、頑として「エメラルド」に残り続けた。
理由は簡単、ペアを組んでいる吉野千秋のせいだ。
この危なっかしい相方を置いて、移ることなどできない。
それにこうして2人で仕事ができるなら、雑用みたいな仕事でも楽しいのだ。
「手袋して絵に触ると、な~んか偉そうだよね?」
柳瀬が絵に指紋がつかないように白い手袋をすると、画廊の主人から絵を受け取った。
その横から、千秋がはしゃいだ声を出している。
柳瀬は思い切り顔をしかめると、これ見よがしにため息をついた。
千秋は探偵志望で「らーぜ」に移りたがっているが、このキャラでは難しそうだ。
柳瀬は気を取り直すと、慎重な手つきで絵をひっくり返した。
裏面やフレームなどに、何か痕跡が残されていないか。
たとえば文字などのメッセージとか。
だが残念ながらそれっぽいどころか、傷や汚れさえ1つもない。
さすがにそんなに簡単ではないようだ。
だが失望を顔に出さず、フレームに手をかけた。
フレームから絵を外して、中身を確認するためだ。
だが外そうと力を込めた柳瀬は、思わず「あれ?」と声を上げていた。
*****
「桐嶋日和です!」
カウンター席に座った少女は、元気に挨拶した。
廉が残り物のフルーツケーキを出してやり、瀬那がその隣にアイスティーのグラスを置く。
律はその様子を見ながら、懸命に考えを巡らせていた。
律に声をかけた少女は、桐嶋の娘だった。
ここでカフェをやるに当たって、事前に関係者のデータは頭に入れていた。
桐嶋は確か妻と死別しており、今は独身。
娘が1人いるが、自分の両親、つまり娘の祖父母に預けている状態だった。
そこまでの情報は得ていたが、娘の写真までは取り寄せていない。
娘を利用しようという発想はなかったからだ。
それにしても日和に声をかけられる寸前、確かに強い視線を感じた。
殺気、そして悪意をはらんだ邪悪な気配。
あれは絶対にこの少女のものではない。
つまり日和が現れたのと同じタイミングで、こちらを見ていた者がいたのだ。
警察だろうか?
蛭魔たちを監視する刑事は何人か店の周辺を張り込んでいるが、それはもう数日に渡っている。
いまさら唐突に視線を感じることはないはずだ。
また蛭魔たちの仲間なら、外からこちらを見ているわけもない。
カフェで堂々と律たちを見張ればいいのだから。
ならばついに「敵」が動いたのか?
どちらにしろ嫌な予感しかしない。
律が身体能力の高い瀬那や廉と一緒にやっていけているのは、この勘のおかげだ。
あまり普通ではない生い立ちの律だからこそ、備わってしまったものだ。
10代までは鬱陶しいだけだったのに。
今では危機を乗り越え、目的を果たすための頼もしい味方だ。
その勘が律に危険を訴えている。
「律っちゃん、どうしたの?」
心配そうな表情の瀬那に声をかけられて、律は我に返った。
考え込んでいたせいで、険しい表情になっていたらしい。
廉と日和も不安そうに律を見ている。
律はあわてて「何でもないよ」と笑顔を作った。
その瞬間、入口のドアが開いた。
律は咄嗟にそちらを振り返って身構えたが、すぐに大きく息を吐いた。
立っていたのは、横澤と高野、そして怒りの表情を浮かべた桐嶋だった。
*****
「あれ?」
「どうしたの?優」
柳瀬はフレームに手をかけたまま、動きを止めた。
千秋がそんな柳瀬を不思議そうに見ている。
立ち合いを頼んだ画廊の主人が目だけで「早くしてくれ」と睨んでいた。
「ああ、すみません。」
柳瀬は画廊の主人に詫びると、ゆっくりとフレームを外し始めた。
フレームの付け方と外し方は、事前に蛭魔から聞いている。
蛭魔幽也の絵のフレームはすべて、4本の細長い木片で組み立てられている。
ネジなどは使わず、四つの角を嵌め込むタイプだ。
絵の大きさの割には幅が府と太めに作られているが、外すのは難しくない。
それでも念のために蛭魔の部屋にある父親の絵を使って、付け外しの練習をしていた。
だがどうも感触が異なっている。
蛭魔の部屋の絵よりも固いし、そもそも少し重い気がするのだ。
絵自体は同じくらいのサイズなのに、どうしてこんなに違う気がするのだろう。
だが今は考えている場合ではなさそうだ。
「よし千秋、外すぞ。」
柳瀬は声をかけると、長方形の辺の1つ1つを丁寧に外した。
そして慎重に絵を持ち直すと、額に隠れていた絵の隅を丁寧にチェックする。
だがやはり外側同様、不自然な傷や汚れはなかった。
「じゃあフレームかな?」
千秋が4本の木材となったフレームを1つずつチェックし始めた。
だがそれも同じだ。
綺麗に磨きこまれた木製のフレームには、何の変哲もない。
「もしかして、見込み違いだったとか」
絵とフレームを一通りチェックした千秋はため息をついた。
やはり絵に何かが残っているという考え方が間違っていたのではないか。
なぜならこうして絵を分解して入念にチェックしても、何も見つけられなかったのだから。
「いや。考え方は合ってるよ。」
柳瀬は千秋を見て、ニヤリと笑った。
分解するときに感じた違和感、そして何も残されていない絵とフレーム。
そして盗んだけれど、返却された絵。
柳瀬は怪盗アイシールドの目的を理解した。
怪盗アイシールドは確かに盗んでいた。
だが目的はおそらく、絵ではなくてフレームだ。
絵をそのままにフレームだけを偽物とすり替えていた。
そう考えるのが自然だろう。
*****
「俺の娘に、何の用だ?」
桐嶋が剣呑な声を上げながら、こちらを睨んでいる。
あの殺気はこの男のものだったのか。
思わぬ展開に、律はガックリと肩を落とした。
「俺の娘に何の目的で近づいた?」
桐嶋は脱力する律にお構いなしに、詰め寄ってくる。
律は「別に」と答えた。
別に何の目的もないし、そもそも近づいていない。
桐嶋を訪ねて来た日和に声をかけられたから、店で待てばいいと中に入れただけだ。
「ひよ、何もされてねーか?」
横澤が日和の隣に腰を下ろすと、声をかけている。
熊みたいな風貌の男が猫なで声を出しているのが、おかしい。
「何もしてませんよ。お父さんに会いたいって言うから入ってもらっただけです。」
「本当だよ。1人で来たの。そうしたら中に入れてくれて。ケーキも御馳走になったの。」
律が静かに桐嶋に告げると、日和がそれに同意した。
一番困惑しているのは、日和だろう。
父親と親切にしてくれた「お姉さん」が、妙な雰囲気なのだから。
「悪かった。早合点だ。」
桐嶋が律に頭を下げた。
どうやら自分が先走ってしまったことを悟ったのだ。
カウンターの中の瀬那と廉にも、同様に詫びている。
その姿を見た律は猛然と腹が立ってきた。
敵と認識している律たちと大事な娘が一緒にいて、頭に血が上ったのだというのはわかる。
だがやはり気に入らない。
「そんなに娘が大事なら、普通の仕事をすればいいのに。」
考えるより先に、律の口から言葉が漏れた。
桐嶋と日和たちだけでなく、瀬那や廉まで驚いた様子で律を見ている。
だけどもう止まらなかった。
「親の仕事なんて、子供は絶対に選べないんだから。」
律はさらに言葉を続けた。
それは普通と違う仕事をする親を持つ、律の偽らざる本音だった。
親が裏稼業などしているから、危険と向き合わざるを得ない。
子供はいい迷惑だ。
この発言で彼らが律の素性に気付くかもしれない。
言ってしまった後でそれを危惧したが、すぐにそれでもいいと思い直した。
どうせいつかはバレることなのだから。
【続く】