アイシ×おお振り×セカコイ×黒バス【お題:クリフォト(邪悪の樹)10題】
【エーイーリーの歌】
「どういうことだ?」
蛭魔は集まった面々の顔を見回した。
だが全員が困惑した表情のまま固まっている。ただ1人を除いては。
しばらくなりを潜めていた怪盗アイシールドが再び活動を開始した。
再び絵を盗み、そしてまた返却したのだ。
しかも今回のやり方はすこぶる変わっている。
所有者である会社社長は、蛭魔幽也の絵「バチカルの祈り」を持っていることを秘密にしていた。
違法な手段で手に入れたのか、もしくは所得隠しのために買った絵なのか。
アイシールドはそれを盗んだ後、わざわざ宅配便を使って、本人の自宅に戻した。
そしてマスコミ各社に犯行声明を送ったのだ。
その反響は大きかった。
マスコミは面白おかしくそれを取り上げ、件の会社社長は時の人だ。
なぜ蛭魔幽也の絵を隠していたのか、さまざまな憶測がネットを駆け巡っていた。
きっとそう遠からず、警察が動く。
場合によっては逮捕劇になるかもしれなかった。
元々怪盗アイシールドは、律、瀬那、廉が3人で組んだグループだ。
そこへ蛭魔たち「デビルバッツ」が強引に加わり、大所帯になった。
だが残りの蛭魔幽也の絵の行方はわからなくなっており、ここ最近表立って動いていなかったのだ。
そして今回の件、彼らがまったく知らないままに行われたのだ。
驚いた蛭魔は、アイシールドの秘密を知る全員を呼び集めた。
そして深夜、貸し切り状態のバー「デビルバッツ」で、彼らは顔を突き合わせていた。
「どういうことだ?」
蛭魔は集まった面々の顔を見回した。
だが全員が困惑した表情のまま固まっている。ただ1人を除いては。
蛭魔はそれを見て、誰の仕業かを理解した。
「お前か、律。」
蛭魔が低い声でそう告げると、全員が律を見た。
律は慌てるでもなく、驚くでもなく、うっすらと笑みさえ浮かべていた。
カフェでの女装スタイルではなく、男の姿をしていても律は美しい。
そして不敵に微笑む表情には、凄絶な迫力があった。
「最初っから隠せるとは思ってない。バレるのは覚悟の上だ。」
律は平然とそう言い放つ。
「ちゃんと理由を聞かせてもらえるんだろうな?」
蛭魔は念を押しながら、瀬那と廉の様子を盗み見た。
その表情と顔色から、彼らも蛭魔たち同様、何も知らされていないのだと悟る。
今回の盗みは完全に律の独断専行だった。
「元々アイシールドを始めたのは俺だ。あんたたちが加わったことも許したわけじゃない。」
「今になってそんなことを言うのか!?」
律の言葉に気色ばんだのは、彼を愛する男、高野だ。
だが律は艶然と微笑んだまま「言わないよ」と答える。
「簡単に言えば、別の勢力に巻き込まれた。そいつらが俺を利用したってとこかな。」
「あぁ?何だ、それは。ちゃんと話せ。」
「やつらの目論見がまだ見えない。わかったら話すよ。」
律はそれだけ言うと、席を立った。
そして思い出したように「しばらくここで寝泊まりしないから」と付け加えて、店を出て行った。
残された面々は、困惑したように蛭魔を見る。
だが蛭魔は黙ったまま、首を振った。
律は強気で少々無茶をするところはあるが、決してバカではない。
彼なりの作戦があり、それに従って動いているのだろう。
だが黙って待つつもりもない。
こちらはこちらで動くだけだ。
*****
「ってことで。報告終わり。」
十文字はそう告げて、雇い主である男を見る。
案の定「早すぎねーか?」と、予想通りのツッコミが入った。
十文字一輝は「らーぜ」の調査員だ。
会社や個人の信用調査などの固い仕事から、恋人の浮気調査など軟弱な仕事まで。
とにかく調査と名のつくものなら、何でもする。
ただしあくまでも、ギリギリ法に触れない範囲内という条件付きだ。
一応系列店(?)として、便利屋「エメラルド」がある。
こちらはもっと格安で、もっと幅広くいろいろな雑用を請け負う。
引越の手伝いとか迷子の飼い猫捜しなどが一番多い。
元々「らーぜ」で働きたいと思っても、蛭魔が適正なしと見なせば「エメラルド」勤務だ。
だが「エメラルド」で成果を上げて「らーぜ」に移ることもできる。
そして「らーぜ」で失態を犯せば「エメラルド」に落とされる。
まるでプロ野球の一軍と二軍のようだ。
そんな中で十文字は、自分は「らーぜ」の中でもトップクラスの調査員だという自負がある。
ちなみに今回の仕事はかなり軟弱な部類だと思う。
結婚相手の身上調査だ。
依頼主は大企業の社長で、自分の娘が結婚したいと連れて来た男について調べてほしいそうだ。
頼みに来たのは社長ではなく、秘書。
何だか金持ちが貧乏人を下に見ているのが、ひしひしと伝わる依頼だ。
十文字はこういうのが好きではないが、仕事として割り切った。
だが調査初日で、調査対象の男がとんだ食わせ者だったことが判明したのだ。
十文字は「らーぜ」の事務所で、それを蛭魔に報告していた。
会社では面倒なことを全て後輩に押し付け、上司の前でだけ調子よく振る舞う。
生活面では、ゴミ出しの日などのルールを無視し、近所から嫌われている。
そして今回結婚する女性の他にも、何人も女がいる。
またギャンブルなどで借金もあり、今回の結婚は金のためだと女の1人に話していた。
「ってことで。報告終わり。」
十文字はそう告げて、雇い主である男を見る。
案の定「早すぎねーか?」と、予想通りのツッコミが入った。
そう、こんなくだらない調査でも真剣にやれば手間暇がかかる。
だが今回は、今までの同様の調査に比べれば格段に早く終わってしまった。
十文字は不機嫌を隠しもせずに「黒子だよ」と答えた。
「あいつ気配ってもんがまるでねぇ。対象に接近してもまるで気付かれねーんだ。」
「近距離で監視するだけじゃ、わかんねぇだろうが」
「それが関係者に事情を聞くのも上手いんだ。相手がまるで警戒しねぇ。」
「それで口を割らせちまうってのかよ。」
蛭魔は面白そうにしているが、十文字は愉快ではなかった。
この前まで女装して、カフェでかわいく働いていた青年。
すっかり見くびっていた相手が、いきなりとんでもない能力を発揮したのだ。
このままでは「らーぜ」のトップ調査員の奪われると思うと、心が騒ぐ。
それでも黒子の手柄であることを隠すつもりはなかった。
正々堂々、真っ向勝負が十文字のモットーだ。
「詳細はサーバにアップしてる。確認してくれ。」
十文字はそう言うと、部屋を出ようとした。
だがふと思いついて足を止めると「最近、律って休みなのか?」と聞いた。
最近カフェの美人三姉妹の長女が店にいないのだ。
十文字の好みは次女の瀬那なのだが、律がいないので忙しそうで、話しかけにくい。
「黒木と戸叶がやってる調査のフォローに回ってくれ」
蛭魔は十文字の問いには答えずに、次の仕事の指示だけ投げてきた。
十文字は肩をすくめると「了解した」と答えて、事務所を出た。
*****
「ギャップ、あり過ぎですよ。」
雪名は苦笑しながら、目の前の男を見下ろす。
便利屋「エメラルド」の中で、唯一雪名より背が高いこの男を見下ろしたのは初めてだった。
雪名は今日も元気に、便利屋として働いていた。
蛭魔たちの雰囲気が何やら不穏であることは、肌で感じている。
だが雪名にとっては関係のないことだった。
便利屋「エメラルド」は、楽しい職場だ。
それに蛭魔たちのことも信頼していた。
万が一何か危ないようなことになったとしても、雪名たちを巻き込むようなことはしないはずだと。
今日は最近メンバーに加わった火神との仕事だった。
仕事に慣れさせるために、全員が火神と仕事をするようなローテーションが組まれている。
この前は千秋と柳瀬が、火神と共にゴミ屋敷の掃除の仕事をした。
千秋曰く「火神さんがいると、力仕事が楽でいい!」。
柳瀬曰く「あんな立派な身体、こんなことに使うのはもったいない」。
とにかく2人の評価は悪くないものだ。
だが今回はそれを大きく下方修正せざるを得なかった。
仕事の内容は、迷子の飼い犬捜し。
手掛かりがないと長引きがちな仕事だが、今回は短くて済んだ。
近所で聞き込みをしたら、すぐに見つかったのだ。
人懐っこい犬は近所で拾われ、別の家に飼われていた。
事情を説明すると、新しい飼い主は「よかったです」とすぐに犬を渡してくれた。
金を取るのが申し訳なくなるくらい、楽な仕事であったのだ。
だが火神は「俺、犬とかダメなんスよ」と情けない声を上げて、雪名を驚かせた。
聞けば幼少の頃、犬に襲われた経験があるらしい。
だけどそれにしたって、いくらなんでも。
小型犬を相手に190センチ超の男が逃げ回る姿は異様過ぎだ。
しかも最後には地面に膝をついて、蹲ってしまったのだ。
「ギャップ、あり過ぎですよ。」
雪名は苦笑しながら、目の前の男を見下ろす。
便利屋「エメラルド」の中で、唯一雪名より背が高いこの男を見下ろしたのは初めてだった。
火神は申し訳なさそうに雪名を見上げて「すみません」と恐縮している。
「今後、火神さんは犬捜しは止めた方がよさそうですねぇ。」
「いや、俺、何でもできるようになりたいんすよ!」
「苦手なものがあっても別にいいと思いますけどね。うちは大なり小なりありますから。」
「そう言われると、ちょっとホッとします。」
火神は恐々と雪名の腕の中で丸くなっている犬を見ている。
雪名は苦笑しながら「おとなしい犬みたいだから大丈夫ですよ」と告げた。
犬が怖いというのが、多分本当だろう。
だけど火神は、何か底を見せていないような感じがある。
元々「らーぜ」志望だとは聞いているが、それでも納まらない器の大きさの片鱗が見えるのだ。
この男は何しにここへ来たのだろう。
便利屋で犬捜しなんて、ミスマッチもいいところだ。
「早く飼い主さんに知らせてあげましょう。」
雪名は犬を抱いたまま、歩き出す。
火神は一定の距離を保ちながら、ついて来た。
*****
「じゃあお願いします。」
律は梱包を終えた絵を手渡すと、素っ気なく頼んだ。
律はカフェ「デビルバッツ」を離れて、1人で怪盗アイシールドを続けている。
今回のターゲットは「エーイーリーの歌」で、盗難にあった絵だ。
元々あるギャラリーにあったのだが、現在はIT企業の社長宅に飾られていた。
それを知った律は、その社長宅に侵入し、絵を持ち出した。
そして目当てのフレームを付け替えると、厳重に梱包して、宅配便で送るだけだ。
宅配便の伝票の差出人は、IT企業の社長の名を書いてやった。
「じゃあお願いします。」
律は梱包を終えた絵を手渡すと、素っ気なく頼んだ。
そしてゆっくりとした足取りで、店を出る。
ここは東京郊外の雑貨店だ。
宅配便を扱っていて、しかも防犯カメラもなく、店員は年老いた店主とその妻のみ。
内緒の荷物を送るのは、もってこいの店だった。
ちなみに前回は、わざわざ埼玉県まで出て、同じような条件の店から絵を送っている。
数百メートルほど歩いたところに、1台の乗用車が止まっている。
律は迷うことなく、その後部座席に乗り込んだ。
そして待っていた男に「終わったよ」と声をかける。
「ご苦労だった。これであのIT社長も終わりだな。」
後部座席で律を待っていた男は、尊大な態度でそう告げた。
律は「そうなの?」と素っ気なく応じる。
別に律にとってはどうでもいいことなので、相槌も適当なのだ。
運転席にもう1人男がおり、黙って2人の会話を聞いている。
この男こそ、律に取引を持ち掛けた張本人だった。
律が怪盗アイシールドであることを見抜き、条件を出したのだ。
蛭魔幽也の残りの絵の所在を教える代わりに、それを盗んでほしいと。
まったく不可解だし、必要がないと思った。
蛭魔たちだって絵の所在を捜しており、彼らの調査能力だって優秀なのだ。
遠からず絵を盗むことはできるだろう。
だがこの男は律の素性を知っている。それが問題だった。
もしかして瀬那と廉の素性もバレていたらと思うと、無視できなかったのだ。
律は逮捕される、もしくは敵に捕らえられる覚悟はできている。
だが瀬那と廉だけは守らなければならない。
そのためにもこの男と接触しない訳にはいかなかったのだ。
車は静かに走り出し、東京都内に入る。
そして律が滞在する安いビジネスホテルの前に到着した。
ここにいることを律は一言も喋っていないのに、この男は知っていた。
本当にこの調査能力は侮れない。
「せいぜいまた、絵の情報をくれよ。」
律はせめてもの意趣返しに、負け惜しみを言ってやる。
男は余裕の笑みで「また連絡する」と告げる。
手のひらで踊らされている感じが腹立たしいが、知らん顔で車を降りた。
「さて、お手並み拝見だ。」
律は男の車を見送りながら、ひとりごちた。
そしてその車を尾行するもう1台の車に手を振ってやる。
さすが蛭魔、もう追いついてきている。
これであの男たちが本当の敵かどうか、見極められるかもしれない。
*****
「俺の女にちょっかい出すの、やめてくれないですか?」
高野は言ってしまってから、思わず苦笑してしまう。
まるで安手のドラマのようだと思ったからだ。
この男と向き合うのは、本来リーダーである蛭魔の仕事なのだとわかっている。
だが高野はこれを志願し、蛭魔も許可してくれた。
こういう時は変に奇襲などせず、表からドアを叩くのがデビルバッツ流だ。
高野は男を彼の職場近くのカフェに呼び出した。
男は1人で現れ、窓際のボックス席に座る高野の前に腰を下ろした。
「1人で来るとはいい度胸、と言いたいところですか、お仲間も店にまぎれこんでますね。」
高野は店内を見回しながら、そう言った。
男は一瞬だけ驚いたように目を開くが、すぐに「さすが」と答えた。
そして「よくわかったね」と愉快そうに笑う。
「皆さん殺気があり過ぎですよ。少しは気配を殺した方がいい。」
「なるほど」
男は愉快そうに笑うが、彼もまた店内に視線を走らせている。
だが「デビルバッツ」の面々はここにはいない。
高野のシャツには隠しカメラとマイクが隠されている。
そして店の駐車場で。蛭魔たちはこのやり取りを見て聞いている手はずだった。
「それで用件は何だい?」
男は相変わらずたっぷりな余裕で、そう聞いてくる。
高野は彼の経歴を思い出して、笑った。
彼は生まれてこの方、一度も負けたことがない男なのだ。
「俺の女にちょっかい出すの、やめてくれないですか?」
高野は言ってしまってから、思わず苦笑してしまう。
まるで安手のドラマのようだと思ったからだ。
「俺の女?」
「律ですよ。あんたが車でホテルに送ったのを見たんでね。」
「ああ、小野寺律、ね。」
その言葉に、高野はピクリと反応した。
律は店では瀬那の姓である小早川を名乗っており、学生時代は織田と言う偽名を名乗っている。
巧妙に隠された律の本名を、調べ上げているのだ。
だがすぐに平静を装うと「本当に困ります」と付け加えた。
「あんたたちの活動も本来の仕事の範疇を越えてますよ。赤司征十郎さん。」
高野はきっぱりとそう告げた。
そっちにも弱みはあるのだから、律たちの素性をネタにして脅すのはやめろ。
そんな高野の意図など、頭脳明晰なこの男は造作なく読み取るだろう。
「あんたの勤め先を考えたら、失うものはそっちの方が大きいだろ?」
高野は最後のダメ押しをすると、窓の外を指差した。
そこに見えるのは、男の職場である桜田門のショートケーキのような形の建物。
言わずと知れた、天下の警視庁だ。
【続く】
「どういうことだ?」
蛭魔は集まった面々の顔を見回した。
だが全員が困惑した表情のまま固まっている。ただ1人を除いては。
しばらくなりを潜めていた怪盗アイシールドが再び活動を開始した。
再び絵を盗み、そしてまた返却したのだ。
しかも今回のやり方はすこぶる変わっている。
所有者である会社社長は、蛭魔幽也の絵「バチカルの祈り」を持っていることを秘密にしていた。
違法な手段で手に入れたのか、もしくは所得隠しのために買った絵なのか。
アイシールドはそれを盗んだ後、わざわざ宅配便を使って、本人の自宅に戻した。
そしてマスコミ各社に犯行声明を送ったのだ。
その反響は大きかった。
マスコミは面白おかしくそれを取り上げ、件の会社社長は時の人だ。
なぜ蛭魔幽也の絵を隠していたのか、さまざまな憶測がネットを駆け巡っていた。
きっとそう遠からず、警察が動く。
場合によっては逮捕劇になるかもしれなかった。
元々怪盗アイシールドは、律、瀬那、廉が3人で組んだグループだ。
そこへ蛭魔たち「デビルバッツ」が強引に加わり、大所帯になった。
だが残りの蛭魔幽也の絵の行方はわからなくなっており、ここ最近表立って動いていなかったのだ。
そして今回の件、彼らがまったく知らないままに行われたのだ。
驚いた蛭魔は、アイシールドの秘密を知る全員を呼び集めた。
そして深夜、貸し切り状態のバー「デビルバッツ」で、彼らは顔を突き合わせていた。
「どういうことだ?」
蛭魔は集まった面々の顔を見回した。
だが全員が困惑した表情のまま固まっている。ただ1人を除いては。
蛭魔はそれを見て、誰の仕業かを理解した。
「お前か、律。」
蛭魔が低い声でそう告げると、全員が律を見た。
律は慌てるでもなく、驚くでもなく、うっすらと笑みさえ浮かべていた。
カフェでの女装スタイルではなく、男の姿をしていても律は美しい。
そして不敵に微笑む表情には、凄絶な迫力があった。
「最初っから隠せるとは思ってない。バレるのは覚悟の上だ。」
律は平然とそう言い放つ。
「ちゃんと理由を聞かせてもらえるんだろうな?」
蛭魔は念を押しながら、瀬那と廉の様子を盗み見た。
その表情と顔色から、彼らも蛭魔たち同様、何も知らされていないのだと悟る。
今回の盗みは完全に律の独断専行だった。
「元々アイシールドを始めたのは俺だ。あんたたちが加わったことも許したわけじゃない。」
「今になってそんなことを言うのか!?」
律の言葉に気色ばんだのは、彼を愛する男、高野だ。
だが律は艶然と微笑んだまま「言わないよ」と答える。
「簡単に言えば、別の勢力に巻き込まれた。そいつらが俺を利用したってとこかな。」
「あぁ?何だ、それは。ちゃんと話せ。」
「やつらの目論見がまだ見えない。わかったら話すよ。」
律はそれだけ言うと、席を立った。
そして思い出したように「しばらくここで寝泊まりしないから」と付け加えて、店を出て行った。
残された面々は、困惑したように蛭魔を見る。
だが蛭魔は黙ったまま、首を振った。
律は強気で少々無茶をするところはあるが、決してバカではない。
彼なりの作戦があり、それに従って動いているのだろう。
だが黙って待つつもりもない。
こちらはこちらで動くだけだ。
*****
「ってことで。報告終わり。」
十文字はそう告げて、雇い主である男を見る。
案の定「早すぎねーか?」と、予想通りのツッコミが入った。
十文字一輝は「らーぜ」の調査員だ。
会社や個人の信用調査などの固い仕事から、恋人の浮気調査など軟弱な仕事まで。
とにかく調査と名のつくものなら、何でもする。
ただしあくまでも、ギリギリ法に触れない範囲内という条件付きだ。
一応系列店(?)として、便利屋「エメラルド」がある。
こちらはもっと格安で、もっと幅広くいろいろな雑用を請け負う。
引越の手伝いとか迷子の飼い猫捜しなどが一番多い。
元々「らーぜ」で働きたいと思っても、蛭魔が適正なしと見なせば「エメラルド」勤務だ。
だが「エメラルド」で成果を上げて「らーぜ」に移ることもできる。
そして「らーぜ」で失態を犯せば「エメラルド」に落とされる。
まるでプロ野球の一軍と二軍のようだ。
そんな中で十文字は、自分は「らーぜ」の中でもトップクラスの調査員だという自負がある。
ちなみに今回の仕事はかなり軟弱な部類だと思う。
結婚相手の身上調査だ。
依頼主は大企業の社長で、自分の娘が結婚したいと連れて来た男について調べてほしいそうだ。
頼みに来たのは社長ではなく、秘書。
何だか金持ちが貧乏人を下に見ているのが、ひしひしと伝わる依頼だ。
十文字はこういうのが好きではないが、仕事として割り切った。
だが調査初日で、調査対象の男がとんだ食わせ者だったことが判明したのだ。
十文字は「らーぜ」の事務所で、それを蛭魔に報告していた。
会社では面倒なことを全て後輩に押し付け、上司の前でだけ調子よく振る舞う。
生活面では、ゴミ出しの日などのルールを無視し、近所から嫌われている。
そして今回結婚する女性の他にも、何人も女がいる。
またギャンブルなどで借金もあり、今回の結婚は金のためだと女の1人に話していた。
「ってことで。報告終わり。」
十文字はそう告げて、雇い主である男を見る。
案の定「早すぎねーか?」と、予想通りのツッコミが入った。
そう、こんなくだらない調査でも真剣にやれば手間暇がかかる。
だが今回は、今までの同様の調査に比べれば格段に早く終わってしまった。
十文字は不機嫌を隠しもせずに「黒子だよ」と答えた。
「あいつ気配ってもんがまるでねぇ。対象に接近してもまるで気付かれねーんだ。」
「近距離で監視するだけじゃ、わかんねぇだろうが」
「それが関係者に事情を聞くのも上手いんだ。相手がまるで警戒しねぇ。」
「それで口を割らせちまうってのかよ。」
蛭魔は面白そうにしているが、十文字は愉快ではなかった。
この前まで女装して、カフェでかわいく働いていた青年。
すっかり見くびっていた相手が、いきなりとんでもない能力を発揮したのだ。
このままでは「らーぜ」のトップ調査員の奪われると思うと、心が騒ぐ。
それでも黒子の手柄であることを隠すつもりはなかった。
正々堂々、真っ向勝負が十文字のモットーだ。
「詳細はサーバにアップしてる。確認してくれ。」
十文字はそう言うと、部屋を出ようとした。
だがふと思いついて足を止めると「最近、律って休みなのか?」と聞いた。
最近カフェの美人三姉妹の長女が店にいないのだ。
十文字の好みは次女の瀬那なのだが、律がいないので忙しそうで、話しかけにくい。
「黒木と戸叶がやってる調査のフォローに回ってくれ」
蛭魔は十文字の問いには答えずに、次の仕事の指示だけ投げてきた。
十文字は肩をすくめると「了解した」と答えて、事務所を出た。
*****
「ギャップ、あり過ぎですよ。」
雪名は苦笑しながら、目の前の男を見下ろす。
便利屋「エメラルド」の中で、唯一雪名より背が高いこの男を見下ろしたのは初めてだった。
雪名は今日も元気に、便利屋として働いていた。
蛭魔たちの雰囲気が何やら不穏であることは、肌で感じている。
だが雪名にとっては関係のないことだった。
便利屋「エメラルド」は、楽しい職場だ。
それに蛭魔たちのことも信頼していた。
万が一何か危ないようなことになったとしても、雪名たちを巻き込むようなことはしないはずだと。
今日は最近メンバーに加わった火神との仕事だった。
仕事に慣れさせるために、全員が火神と仕事をするようなローテーションが組まれている。
この前は千秋と柳瀬が、火神と共にゴミ屋敷の掃除の仕事をした。
千秋曰く「火神さんがいると、力仕事が楽でいい!」。
柳瀬曰く「あんな立派な身体、こんなことに使うのはもったいない」。
とにかく2人の評価は悪くないものだ。
だが今回はそれを大きく下方修正せざるを得なかった。
仕事の内容は、迷子の飼い犬捜し。
手掛かりがないと長引きがちな仕事だが、今回は短くて済んだ。
近所で聞き込みをしたら、すぐに見つかったのだ。
人懐っこい犬は近所で拾われ、別の家に飼われていた。
事情を説明すると、新しい飼い主は「よかったです」とすぐに犬を渡してくれた。
金を取るのが申し訳なくなるくらい、楽な仕事であったのだ。
だが火神は「俺、犬とかダメなんスよ」と情けない声を上げて、雪名を驚かせた。
聞けば幼少の頃、犬に襲われた経験があるらしい。
だけどそれにしたって、いくらなんでも。
小型犬を相手に190センチ超の男が逃げ回る姿は異様過ぎだ。
しかも最後には地面に膝をついて、蹲ってしまったのだ。
「ギャップ、あり過ぎですよ。」
雪名は苦笑しながら、目の前の男を見下ろす。
便利屋「エメラルド」の中で、唯一雪名より背が高いこの男を見下ろしたのは初めてだった。
火神は申し訳なさそうに雪名を見上げて「すみません」と恐縮している。
「今後、火神さんは犬捜しは止めた方がよさそうですねぇ。」
「いや、俺、何でもできるようになりたいんすよ!」
「苦手なものがあっても別にいいと思いますけどね。うちは大なり小なりありますから。」
「そう言われると、ちょっとホッとします。」
火神は恐々と雪名の腕の中で丸くなっている犬を見ている。
雪名は苦笑しながら「おとなしい犬みたいだから大丈夫ですよ」と告げた。
犬が怖いというのが、多分本当だろう。
だけど火神は、何か底を見せていないような感じがある。
元々「らーぜ」志望だとは聞いているが、それでも納まらない器の大きさの片鱗が見えるのだ。
この男は何しにここへ来たのだろう。
便利屋で犬捜しなんて、ミスマッチもいいところだ。
「早く飼い主さんに知らせてあげましょう。」
雪名は犬を抱いたまま、歩き出す。
火神は一定の距離を保ちながら、ついて来た。
*****
「じゃあお願いします。」
律は梱包を終えた絵を手渡すと、素っ気なく頼んだ。
律はカフェ「デビルバッツ」を離れて、1人で怪盗アイシールドを続けている。
今回のターゲットは「エーイーリーの歌」で、盗難にあった絵だ。
元々あるギャラリーにあったのだが、現在はIT企業の社長宅に飾られていた。
それを知った律は、その社長宅に侵入し、絵を持ち出した。
そして目当てのフレームを付け替えると、厳重に梱包して、宅配便で送るだけだ。
宅配便の伝票の差出人は、IT企業の社長の名を書いてやった。
「じゃあお願いします。」
律は梱包を終えた絵を手渡すと、素っ気なく頼んだ。
そしてゆっくりとした足取りで、店を出る。
ここは東京郊外の雑貨店だ。
宅配便を扱っていて、しかも防犯カメラもなく、店員は年老いた店主とその妻のみ。
内緒の荷物を送るのは、もってこいの店だった。
ちなみに前回は、わざわざ埼玉県まで出て、同じような条件の店から絵を送っている。
数百メートルほど歩いたところに、1台の乗用車が止まっている。
律は迷うことなく、その後部座席に乗り込んだ。
そして待っていた男に「終わったよ」と声をかける。
「ご苦労だった。これであのIT社長も終わりだな。」
後部座席で律を待っていた男は、尊大な態度でそう告げた。
律は「そうなの?」と素っ気なく応じる。
別に律にとってはどうでもいいことなので、相槌も適当なのだ。
運転席にもう1人男がおり、黙って2人の会話を聞いている。
この男こそ、律に取引を持ち掛けた張本人だった。
律が怪盗アイシールドであることを見抜き、条件を出したのだ。
蛭魔幽也の残りの絵の所在を教える代わりに、それを盗んでほしいと。
まったく不可解だし、必要がないと思った。
蛭魔たちだって絵の所在を捜しており、彼らの調査能力だって優秀なのだ。
遠からず絵を盗むことはできるだろう。
だがこの男は律の素性を知っている。それが問題だった。
もしかして瀬那と廉の素性もバレていたらと思うと、無視できなかったのだ。
律は逮捕される、もしくは敵に捕らえられる覚悟はできている。
だが瀬那と廉だけは守らなければならない。
そのためにもこの男と接触しない訳にはいかなかったのだ。
車は静かに走り出し、東京都内に入る。
そして律が滞在する安いビジネスホテルの前に到着した。
ここにいることを律は一言も喋っていないのに、この男は知っていた。
本当にこの調査能力は侮れない。
「せいぜいまた、絵の情報をくれよ。」
律はせめてもの意趣返しに、負け惜しみを言ってやる。
男は余裕の笑みで「また連絡する」と告げる。
手のひらで踊らされている感じが腹立たしいが、知らん顔で車を降りた。
「さて、お手並み拝見だ。」
律は男の車を見送りながら、ひとりごちた。
そしてその車を尾行するもう1台の車に手を振ってやる。
さすが蛭魔、もう追いついてきている。
これであの男たちが本当の敵かどうか、見極められるかもしれない。
*****
「俺の女にちょっかい出すの、やめてくれないですか?」
高野は言ってしまってから、思わず苦笑してしまう。
まるで安手のドラマのようだと思ったからだ。
この男と向き合うのは、本来リーダーである蛭魔の仕事なのだとわかっている。
だが高野はこれを志願し、蛭魔も許可してくれた。
こういう時は変に奇襲などせず、表からドアを叩くのがデビルバッツ流だ。
高野は男を彼の職場近くのカフェに呼び出した。
男は1人で現れ、窓際のボックス席に座る高野の前に腰を下ろした。
「1人で来るとはいい度胸、と言いたいところですか、お仲間も店にまぎれこんでますね。」
高野は店内を見回しながら、そう言った。
男は一瞬だけ驚いたように目を開くが、すぐに「さすが」と答えた。
そして「よくわかったね」と愉快そうに笑う。
「皆さん殺気があり過ぎですよ。少しは気配を殺した方がいい。」
「なるほど」
男は愉快そうに笑うが、彼もまた店内に視線を走らせている。
だが「デビルバッツ」の面々はここにはいない。
高野のシャツには隠しカメラとマイクが隠されている。
そして店の駐車場で。蛭魔たちはこのやり取りを見て聞いている手はずだった。
「それで用件は何だい?」
男は相変わらずたっぷりな余裕で、そう聞いてくる。
高野は彼の経歴を思い出して、笑った。
彼は生まれてこの方、一度も負けたことがない男なのだ。
「俺の女にちょっかい出すの、やめてくれないですか?」
高野は言ってしまってから、思わず苦笑してしまう。
まるで安手のドラマのようだと思ったからだ。
「俺の女?」
「律ですよ。あんたが車でホテルに送ったのを見たんでね。」
「ああ、小野寺律、ね。」
その言葉に、高野はピクリと反応した。
律は店では瀬那の姓である小早川を名乗っており、学生時代は織田と言う偽名を名乗っている。
巧妙に隠された律の本名を、調べ上げているのだ。
だがすぐに平静を装うと「本当に困ります」と付け加えた。
「あんたたちの活動も本来の仕事の範疇を越えてますよ。赤司征十郎さん。」
高野はきっぱりとそう告げた。
そっちにも弱みはあるのだから、律たちの素性をネタにして脅すのはやめろ。
そんな高野の意図など、頭脳明晰なこの男は造作なく読み取るだろう。
「あんたの勤め先を考えたら、失うものはそっちの方が大きいだろ?」
高野は最後のダメ押しをすると、窓の外を指差した。
そこに見えるのは、男の職場である桜田門のショートケーキのような形の建物。
言わずと知れた、天下の警視庁だ。
【続く】