アイシ×おお振り×セカコイ【お題:セフィロト(生命の樹)10題+α】
【ダアトの謎】
「まったく!傷だらけだよ!」
吉野千秋は自分の両腕を見下ろした。
腕はひっかき傷だらけになっていて、うっすらと血が滲んでいた。
「でもおかげでミッションクリアだよ。」
苦笑するのは、今日一緒に仕事をこなした木佐翔太だ。
その腕の中には、1匹のアメリカンショートヘア。
つまり2人は今日1日、依頼のあった猫捜しをしていたのだった。
今回は楽な仕事だった。
捜す猫は臆病な性格な上、ずっと室内で飼われていたので、活動するテリトリーもない。
だから依頼人の家の近くで発見できた。
しかもリボンをつけていたので、識別も簡単だ。
最初こそいきなり近づいた見知らぬ人間に驚き、暴れた。
だが2人に悪意がないことはすぐに伝わったようだ。
だから今は木佐の腕の中で、安堵しきったように身体を預けている。
「千秋ちゃん、早く消毒した方がいいよ。」
木佐は腕の中の猫をあやしながら、そう言った。
家猫でもずっと外を彷徨っていたから、ばい菌を持っている可能性もある。
事務所の車は近くのコインパーキングにとめてあり、中には救急箱が積んであるのだ。
「うん。そうさせてもらうね。」
2人は猫を抱えて、コインパーキングに向かって歩き出した。
あとは依頼人に引き渡せば、終わりだ。
「ああ、早くらーぜに移って、探偵になりたい!」
車に乗り込んだ千秋は文句を言いながら、自分の腕に消毒液を振りかける。
木佐は運転席でエンジンをかけながら「まだ諦めてないんだ」と苦笑した。
千秋は消毒液がしみたせいで顔をしかめながら、何度も頷いた。
元々探偵志望の千秋が、便利屋に回されて不満なのは知っている。
だが木佐も他の多くの所員たちも、いかがなものかと思っている。
素直で見たものをありのままに信じてしまう千秋に、探偵が向いているのは思えないのだ。
「じゃあ、車出すよ。」
木佐は一声かけると、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
千秋の膝の上には猫がいるから、いつも以上に運転は慎重にしなければならない。
*****
「え?気づいてなかったの?」
木佐は驚いたように、聞き返す。
だがもっと驚いてしまった千秋は、ただ口をパクパクさせたものの声が出なかった。
「ねぇ知ってる?律さんたち、今4階に住んでるって。」
猫を送り届けた後、2人は事務所に戻る途中だった。
相変わらず運転は木佐で、助手席に千秋だ。
千秋はまるで女子学生が噂話をするように、どこか浮かれた口調だった。
「ああ、そうらしいね。何か住んでたアパートが破壊されたとか。」
木佐も千秋も、アイシールドの正体や、デビルバッツの存在を聞かされていない。
だからアパートが破壊されたなどと言われても、何のことやらと思う。
それでも木佐は、あの三姉妹がどこか訳ありなことには気づいていた。
「それってさ、世間的には同棲じゃん。」
「同棲?世間的には同居じゃないの?」
興味津々な様子の千秋に、木佐は冷静に返した。
あくまでも表向きは、新しい部屋が見つかるまでの仮住まいだと聞いている。
「でもさ、でもさ、そのまま結婚とか」
「できないだろ。男同士だし」
「えええ??」
「え?気づいてなかったの?」
木佐は驚いたように、聞き返す。
だがもっと驚いてしまった千秋は、ただ口をパクパクさせたものの声が出なかった。
律たちはカフェでは女装をしており、多くの客たちはそれに騙されている。
だが木佐も他のらーぜやエメラルドのメンバーたちも、気づいている。
千秋も当然気付いていると思っていたのだ。
律たちの変装は完璧すぎて、逆に不自然な感じなのだ。
男が理想とする女を演じている、そんな印象だ。
疑問を持って注意深く観察すれば、男にしか見えなくなってくる。
「千秋ちゃん、探偵への道は遠いよ。」
木佐は茶化しながら、ハンドルを切る。
未だに驚きから立ち直れない様子の千秋は、呆然としたままだった。
*****
「お疲れさまっす!」
「本当に疲れたな。」
雪名と柳瀬は顔を見合わせると、ため息をついた。
何をしたわけでもないのに、無駄に疲れていた。
今回の仕事は、オープンしたばかりのクラブのサクラだった。
期間は2週間、仕事は客を装って、ただただ店で遊ぶだけだ。
雪名も柳瀬もタイプは違うが、人目を引く美人なのだ。
クラブのホールで踊るだけで、華やかな雰囲気になる。
そして人気は口コミで広がり、雪名や柳瀬目当てに通う女性客も現れた。
最近では雪名派と柳瀬派でグループができてしまっているほどだ。
「でもいいんすかね。俺らのファンの子たち、俺らがいなくなっても来てくれるかな?」
気のいい雪名は、店の今後が少しだけ心配だった。
美青年を店に置いて、集客を狙う。
実に安直な発想だが、効果はあった。
しかし柳瀬と雪名が現れなくなっても、女性客が今まで通り来てくれるのか。
「そこまで心配する必要はない。そういう仕事なんだ。」
仕事だと完全に割り切っている柳瀬は、冷静だ。
彼らに与えられた仕事の期間は2週間なのだ。
その後どうなるかなんてわからないし、自分たちの関知するところではない。
「そうっすね。気にしても仕方ない。それに終わってよかったし。」
「お互い、クラブなんて性に合わないもんな。」
雪名と柳瀬は、顔を見合わせて笑った。
外見からチャラいと思われがちな2人だが、実は真面目で堅実なのだ。
それにしても消耗する仕事だった。
大音量で流れる音楽に、耳がおかしくなったような気がする。
さして美味しくもないのに、無駄に高いフードメニューにも呆れた。
ナンパしてくる女性客を怒らせずに躱すのに、神経を使った。
そしていつも閉店後、身体にタバコと香水の匂いが染みついた感じも苦痛だった。
「早く帰りましょう。」
「そうだな。」
閉店時刻はすでに明け方だ。
いつも始発電車に乗って、自宅に戻る。
それも今日で最後になるはずだ。
*****
「そういえば、律さんたち、4階に引っ越して来たみたいですね。」
「引っ越し?借り住まいだって聞いたけど。」
「そりゃ建前でしょ。蛭魔さんも阿部さんも高野さんも三姉妹に夢中だし。」
「三姉妹、ね」
始発電車の空いたシートに並んで腰を下ろすと、2人は声を潜めながら話し続けた。
徹夜明けなので、ひどく眠いのだ。
2週間分の疲れもあり、一度寝たら間違いなく乗り過ごしそうだ。
眠ってしまわないためには喋っていた方がいい。
「何かわからないけど、嫌な予感、しませんか?」
「ああ、多分あいつらはアイシールドだろうしな。」
木佐は律たちが女ではないことを見破っていたが、柳瀬と雪名はさらにその先を読んでいた。
まして柳瀬は蛭魔から、今までアイシールドが盗んだとされる絵を調べさせられたのだ。
あの三姉妹が実は怪盗アイシールドであり、蛭魔たちは手を貸すことにした。
そのことを予想するのは、さして難しいことではない。
「あんまり関わりたくないっスね。」
雪名がポツリと呟くと、柳瀬も頷く。
2人は千秋とは正反対で、便利屋から探偵の方に移れと蛭魔から再三言われている。
それでも応じず、便利屋家業に留まっているのは、大事な人がいるからだ。
好きな人の傍にいたいから、こうして好きでもない仕事をこなしている。
彼らの一番の気がかりは、律たちの存在そのものだった。
律たちがアイシールドであること、そして何か目的のために戦っていることはわかる。
だがここ最近、蛭魔たちに急接近しているのだけが気に入らない。
別に彼らのことが嫌いなわけではない。
大事な人が危険に巻き込まれることがあっては困るのだ。
「まぁお互い警戒するしかないっすね。」
「そうだな。」
雪名と柳瀬は顔を見合わせて、苦笑した。
とにかく今は静観するしかない。
だが大事な人たちに危害が及ぶようなら、蛭魔たちと決別するのも辞さない。
2人の意志は固かった。
*****
「確かにこれは綺麗な絵だよな。」
律は壁にかかっている絵をずっと見ている。
瀬那と廉も頷きながら、静かに絵を見つめていた。
カフェの4階の部屋で、3人は絵を見ていた。
蛭魔が父親から贈られたという絵だ。
元々蛭魔の部屋に掛けていたそうだが、この共有のリビングに移してくれた。
律たちがいつでもこの絵を見られるようにだ。
絵のタイトルは「ダアドの謎」だという。
やはり抽象画なのだが、不思議な色使いのグラデーションだ。
大自然の風景にも見えるし、人間の心の中を表現しているようにも見える。
蛭魔幽也が初めて画壇で評価されたきっかけになった絵だというのも頷ける。
「蛭魔さんたちを信用していいと思う?」
瀬那は絵を見上げたまま、誰にともなく問いかける。
なし崩しに彼らも怪盗アイシールドに加わってしまった。
しかもあろうことか、彼らと同じ部屋に暮らすことになってしまった。
これはまったくの計算外だ。
「俺、は、信じたい。」
廉が律に視線を送りながら、ポツリとそう呟いた。
元野球少年だった廉は、阿部とすっかり意気投合したらしい。
しかも野球好きはいい人という変な信念まで持っていたりする。
「駄目だ。まだ完全に信用することはできない。」
律はきっぱりとそう答えた。
少なくても「敵」ではないのだと思う。
だがだから味方なのだと単純に思えるほど、律は素直な性格ではない。
瀬那や律と違い、特殊な家に生まれ育った律は、用心深いのだ。
蛭魔幽也の絵に関わったために、瀬那も廉も家族を失うことになった。
律は蛭魔に自分もそうなのだと告げたが、必ずしもそれだけではない。
つまりまだ隠している事情があるのだが、それを伝えるつもりはなかった。
「まぁフレームを全部集めるまでは、デビルバッツも利用させてもらう。」
律の固い決意に、瀬那と廉も頷いた。
本当は瀬那は蛭魔に、廉は阿部に惹かれているし、律と高野もそうだ。
だが「敵」との戦いのためなら、少々の感傷など躊躇わずに断ち切るつもりだ。
「そう言えば、この前翔太君と話してたら、雪名君に睨まれたよ。」
「千秋ちゃんと話すと、柳瀬君が睨むよね。」
「千秋、ちゃん、だと、羽鳥、さんも睨む!」
暗い雰囲気を打ち払うように、3人は他愛もない雑談を始めた。
この先どうなるのかはわからないが、気持ちだけは明るくいよう。
それは3人がこの計画を始めた時に、最初に決めた約束だった。
【続く】お付き合いいただき、ありがとうございました。
「まったく!傷だらけだよ!」
吉野千秋は自分の両腕を見下ろした。
腕はひっかき傷だらけになっていて、うっすらと血が滲んでいた。
「でもおかげでミッションクリアだよ。」
苦笑するのは、今日一緒に仕事をこなした木佐翔太だ。
その腕の中には、1匹のアメリカンショートヘア。
つまり2人は今日1日、依頼のあった猫捜しをしていたのだった。
今回は楽な仕事だった。
捜す猫は臆病な性格な上、ずっと室内で飼われていたので、活動するテリトリーもない。
だから依頼人の家の近くで発見できた。
しかもリボンをつけていたので、識別も簡単だ。
最初こそいきなり近づいた見知らぬ人間に驚き、暴れた。
だが2人に悪意がないことはすぐに伝わったようだ。
だから今は木佐の腕の中で、安堵しきったように身体を預けている。
「千秋ちゃん、早く消毒した方がいいよ。」
木佐は腕の中の猫をあやしながら、そう言った。
家猫でもずっと外を彷徨っていたから、ばい菌を持っている可能性もある。
事務所の車は近くのコインパーキングにとめてあり、中には救急箱が積んであるのだ。
「うん。そうさせてもらうね。」
2人は猫を抱えて、コインパーキングに向かって歩き出した。
あとは依頼人に引き渡せば、終わりだ。
「ああ、早くらーぜに移って、探偵になりたい!」
車に乗り込んだ千秋は文句を言いながら、自分の腕に消毒液を振りかける。
木佐は運転席でエンジンをかけながら「まだ諦めてないんだ」と苦笑した。
千秋は消毒液がしみたせいで顔をしかめながら、何度も頷いた。
元々探偵志望の千秋が、便利屋に回されて不満なのは知っている。
だが木佐も他の多くの所員たちも、いかがなものかと思っている。
素直で見たものをありのままに信じてしまう千秋に、探偵が向いているのは思えないのだ。
「じゃあ、車出すよ。」
木佐は一声かけると、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
千秋の膝の上には猫がいるから、いつも以上に運転は慎重にしなければならない。
*****
「え?気づいてなかったの?」
木佐は驚いたように、聞き返す。
だがもっと驚いてしまった千秋は、ただ口をパクパクさせたものの声が出なかった。
「ねぇ知ってる?律さんたち、今4階に住んでるって。」
猫を送り届けた後、2人は事務所に戻る途中だった。
相変わらず運転は木佐で、助手席に千秋だ。
千秋はまるで女子学生が噂話をするように、どこか浮かれた口調だった。
「ああ、そうらしいね。何か住んでたアパートが破壊されたとか。」
木佐も千秋も、アイシールドの正体や、デビルバッツの存在を聞かされていない。
だからアパートが破壊されたなどと言われても、何のことやらと思う。
それでも木佐は、あの三姉妹がどこか訳ありなことには気づいていた。
「それってさ、世間的には同棲じゃん。」
「同棲?世間的には同居じゃないの?」
興味津々な様子の千秋に、木佐は冷静に返した。
あくまでも表向きは、新しい部屋が見つかるまでの仮住まいだと聞いている。
「でもさ、でもさ、そのまま結婚とか」
「できないだろ。男同士だし」
「えええ??」
「え?気づいてなかったの?」
木佐は驚いたように、聞き返す。
だがもっと驚いてしまった千秋は、ただ口をパクパクさせたものの声が出なかった。
律たちはカフェでは女装をしており、多くの客たちはそれに騙されている。
だが木佐も他のらーぜやエメラルドのメンバーたちも、気づいている。
千秋も当然気付いていると思っていたのだ。
律たちの変装は完璧すぎて、逆に不自然な感じなのだ。
男が理想とする女を演じている、そんな印象だ。
疑問を持って注意深く観察すれば、男にしか見えなくなってくる。
「千秋ちゃん、探偵への道は遠いよ。」
木佐は茶化しながら、ハンドルを切る。
未だに驚きから立ち直れない様子の千秋は、呆然としたままだった。
*****
「お疲れさまっす!」
「本当に疲れたな。」
雪名と柳瀬は顔を見合わせると、ため息をついた。
何をしたわけでもないのに、無駄に疲れていた。
今回の仕事は、オープンしたばかりのクラブのサクラだった。
期間は2週間、仕事は客を装って、ただただ店で遊ぶだけだ。
雪名も柳瀬もタイプは違うが、人目を引く美人なのだ。
クラブのホールで踊るだけで、華やかな雰囲気になる。
そして人気は口コミで広がり、雪名や柳瀬目当てに通う女性客も現れた。
最近では雪名派と柳瀬派でグループができてしまっているほどだ。
「でもいいんすかね。俺らのファンの子たち、俺らがいなくなっても来てくれるかな?」
気のいい雪名は、店の今後が少しだけ心配だった。
美青年を店に置いて、集客を狙う。
実に安直な発想だが、効果はあった。
しかし柳瀬と雪名が現れなくなっても、女性客が今まで通り来てくれるのか。
「そこまで心配する必要はない。そういう仕事なんだ。」
仕事だと完全に割り切っている柳瀬は、冷静だ。
彼らに与えられた仕事の期間は2週間なのだ。
その後どうなるかなんてわからないし、自分たちの関知するところではない。
「そうっすね。気にしても仕方ない。それに終わってよかったし。」
「お互い、クラブなんて性に合わないもんな。」
雪名と柳瀬は、顔を見合わせて笑った。
外見からチャラいと思われがちな2人だが、実は真面目で堅実なのだ。
それにしても消耗する仕事だった。
大音量で流れる音楽に、耳がおかしくなったような気がする。
さして美味しくもないのに、無駄に高いフードメニューにも呆れた。
ナンパしてくる女性客を怒らせずに躱すのに、神経を使った。
そしていつも閉店後、身体にタバコと香水の匂いが染みついた感じも苦痛だった。
「早く帰りましょう。」
「そうだな。」
閉店時刻はすでに明け方だ。
いつも始発電車に乗って、自宅に戻る。
それも今日で最後になるはずだ。
*****
「そういえば、律さんたち、4階に引っ越して来たみたいですね。」
「引っ越し?借り住まいだって聞いたけど。」
「そりゃ建前でしょ。蛭魔さんも阿部さんも高野さんも三姉妹に夢中だし。」
「三姉妹、ね」
始発電車の空いたシートに並んで腰を下ろすと、2人は声を潜めながら話し続けた。
徹夜明けなので、ひどく眠いのだ。
2週間分の疲れもあり、一度寝たら間違いなく乗り過ごしそうだ。
眠ってしまわないためには喋っていた方がいい。
「何かわからないけど、嫌な予感、しませんか?」
「ああ、多分あいつらはアイシールドだろうしな。」
木佐は律たちが女ではないことを見破っていたが、柳瀬と雪名はさらにその先を読んでいた。
まして柳瀬は蛭魔から、今までアイシールドが盗んだとされる絵を調べさせられたのだ。
あの三姉妹が実は怪盗アイシールドであり、蛭魔たちは手を貸すことにした。
そのことを予想するのは、さして難しいことではない。
「あんまり関わりたくないっスね。」
雪名がポツリと呟くと、柳瀬も頷く。
2人は千秋とは正反対で、便利屋から探偵の方に移れと蛭魔から再三言われている。
それでも応じず、便利屋家業に留まっているのは、大事な人がいるからだ。
好きな人の傍にいたいから、こうして好きでもない仕事をこなしている。
彼らの一番の気がかりは、律たちの存在そのものだった。
律たちがアイシールドであること、そして何か目的のために戦っていることはわかる。
だがここ最近、蛭魔たちに急接近しているのだけが気に入らない。
別に彼らのことが嫌いなわけではない。
大事な人が危険に巻き込まれることがあっては困るのだ。
「まぁお互い警戒するしかないっすね。」
「そうだな。」
雪名と柳瀬は顔を見合わせて、苦笑した。
とにかく今は静観するしかない。
だが大事な人たちに危害が及ぶようなら、蛭魔たちと決別するのも辞さない。
2人の意志は固かった。
*****
「確かにこれは綺麗な絵だよな。」
律は壁にかかっている絵をずっと見ている。
瀬那と廉も頷きながら、静かに絵を見つめていた。
カフェの4階の部屋で、3人は絵を見ていた。
蛭魔が父親から贈られたという絵だ。
元々蛭魔の部屋に掛けていたそうだが、この共有のリビングに移してくれた。
律たちがいつでもこの絵を見られるようにだ。
絵のタイトルは「ダアドの謎」だという。
やはり抽象画なのだが、不思議な色使いのグラデーションだ。
大自然の風景にも見えるし、人間の心の中を表現しているようにも見える。
蛭魔幽也が初めて画壇で評価されたきっかけになった絵だというのも頷ける。
「蛭魔さんたちを信用していいと思う?」
瀬那は絵を見上げたまま、誰にともなく問いかける。
なし崩しに彼らも怪盗アイシールドに加わってしまった。
しかもあろうことか、彼らと同じ部屋に暮らすことになってしまった。
これはまったくの計算外だ。
「俺、は、信じたい。」
廉が律に視線を送りながら、ポツリとそう呟いた。
元野球少年だった廉は、阿部とすっかり意気投合したらしい。
しかも野球好きはいい人という変な信念まで持っていたりする。
「駄目だ。まだ完全に信用することはできない。」
律はきっぱりとそう答えた。
少なくても「敵」ではないのだと思う。
だがだから味方なのだと単純に思えるほど、律は素直な性格ではない。
瀬那や律と違い、特殊な家に生まれ育った律は、用心深いのだ。
蛭魔幽也の絵に関わったために、瀬那も廉も家族を失うことになった。
律は蛭魔に自分もそうなのだと告げたが、必ずしもそれだけではない。
つまりまだ隠している事情があるのだが、それを伝えるつもりはなかった。
「まぁフレームを全部集めるまでは、デビルバッツも利用させてもらう。」
律の固い決意に、瀬那と廉も頷いた。
本当は瀬那は蛭魔に、廉は阿部に惹かれているし、律と高野もそうだ。
だが「敵」との戦いのためなら、少々の感傷など躊躇わずに断ち切るつもりだ。
「そう言えば、この前翔太君と話してたら、雪名君に睨まれたよ。」
「千秋ちゃんと話すと、柳瀬君が睨むよね。」
「千秋、ちゃん、だと、羽鳥、さんも睨む!」
暗い雰囲気を打ち払うように、3人は他愛もない雑談を始めた。
この先どうなるのかはわからないが、気持ちだけは明るくいよう。
それは3人がこの計画を始めた時に、最初に決めた約束だった。
【続く】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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