アイシ×おお振り×セカコイ【お題:毒花(草)で10題】
【ジキタリス】
「どうして、1人で、抱え込んでたの!」
いつになく大声を張り上げているのは、三橋だ。
阿部が「病院だから静かに」と、三橋をそっと諌めた。
ストーカーの恐怖に怯えて1人で引きこもっていた律は、今は入院している。
高野によって救出されたものの、衰弱していたために救急車で運ばれたのだ。
元々芸能界で働いていた律は、不規則な生活で身体を痛めつけていた。
そこへ来てまともな食事もしないで過ごしていたせいで、身体はすっかり弱ってしまった。
病院の担当医師は難しい表情で「しばらく入院です」と言い渡した。
心配をかけたくないからと、律は自分の身内などには入院を隠していた。
だがカフェ「エメラルド」で知り合った友人たちには、バレた。
彼らは高野から律の身に起こった出来事を聞くと、律の病室に駆けつけてきた。
まず現れたのがセナと蛭魔だ。
セナが「どうして連絡しないの!」と怒り、蛭魔が「デカい声をだすな」と諌められる。
次に現れたのは千秋と羽鳥で、やはり千秋が怒って羽鳥が宥める。
そして最後に現れた三橋と阿部までもが、同じやり取りだ。
もしかして男同士のカップルって定型パターンがあるのかとツッコミたくなるほどだった。
「それにしても三橋さんまで。お忙しいでしょうに」
律はベットに上半身を起こしながら、呆れたようにそう言った。
結局律に下された診断は「ストレスによる過労と栄養失調」だ。
プロ野球選手で多忙な三橋に、わざわざ駆けつけて来てもらうほどの重症ではない。
「お前のために時間を割いてくれてんだ。ちっとは反省しろ」
ベットの横に陣取る高野が、会話に割り込んでくる。
高野はすっかり恋人気取りで、入院中の律の病室にずっと居座っている。
そしてこうしてしつこく1人で引きこもっていたことを責めるのだ。
「今阿部さんと三橋さんと話してるんです。割り込まないで下さい!」
「うるさい。ここは病院だぞ。」
律は文句を言ったが、高野に冷静に返されてしまった。
しかも見舞いに来た男同士のカップルたちの定型パターンでだ。
三橋と阿部は顔を見合わせて、ニヤニヤと笑っている。
高野が助けてくれたことには、すごく感謝している。
だけどなし崩しに恋人になるのは嫌だと、律は思っている。
恋仲になるには、きちんと気持ちを確認して受け入れなければならない。
だからこの入院中は絶対に甘い雰囲気にはしてやらない。
生真面目な律は、固くそう決めていた。
*****
「ジギタリス。これで『毒花』シリーズは最後です。」
セナはそう言いながら、デザイン画を見せた。
細かく書き込まれた薄紫の花はセナ渾身の力作だ。
だが蛭魔はいつもの通り、小さく頷いただけだった。
「もうここで蛭魔さんの爪を描くのも、最後かもしれませんね。」
セナは素っ気なくそう呟くと、プイと横を向いてしまう。
どうやら最後の作品に、蛭魔から何もコメントがなかったことが不満なようだ。
未だにセナしかいないネイルサロンのオープンスペース。
セナの小さな呟きは、充分に蛭魔の耳に届いた。
「なぁ、どうしても一緒に来ないのか?」
蛭魔はもう何度も繰り返した言葉をまた言った。
セナは「意外としつこいですね」と苦笑する。
やはりセナの決心は変わらないようで、蛭魔はため息をつくしかなかった。
セナのデザインが盗まれたり、通り魔が出たりして混乱する中、蛭魔は秘かに活躍していた。
まず「マジシャン・オブ・ザ・イヤー」の受賞が決まった。
日本の国内のマジック愛好家の投票でその年、最も活躍したマジシャンに贈られるものだ。
その功績が認められたようで、ハリウッドの「マジックキャッスル」への出演も決めた。
世界的に有名なマジック専門の会員制クラブであり、出演することが高評価につながる。
半年ほど出演する予定で、その後は海外からのオファーが多数きている。
蛭魔は専属のネイルアーティストとして、セナを連れて行くつもりだった。
だがセナはことわったのだ。
今、蛭魔と一緒に行くことはできない。
まだ日本でやりたいことがあるのだと。
「蛭魔さんと一緒に行くのは、きっと楽しいです。でもそれじゃダメなんですよ。」
「何がダメなんだ?」
「蛭魔さんの後ろじゃなくて、隣を歩きたいんで。悔いは残したくないんです。」
「どっちだっていいだろうが」
セナは下を向いて蛭魔の爪にジギタリスを描きながら、そう言った。
もう何度も繰り返したやり取りだ。
蛭魔は不満気に言い返しているが、セナの言わんとするところはわかった。
阿部や律とやろうとしている新会社のことだろう。
セナにもいろいろ思うところがあり、今何もかも捨てて日本を離れたくないのだ。
「だいたいマジシャン・オブ・ザ・イヤーとか、マジックキャッスルとか何なんです?」
「は?」
「知らないうちに勝手にエラい人になっちゃって!ひどいじゃないですか!」
「何だと?」
「もう追いつくのがますます大変じゃないですか!」
セナが拗ねているのを見て、蛭魔は何だか安心していた。
今は離れることを選んでも、セナが蛭魔と別れるつもりはないのがわかったからだ。
蛭魔に引き上げてもらうのではなく、自力で蛭魔のいる場所まで上がってこようとしている。
そういうセナだから好きになったのだ。
「しばらくは遠距離恋愛だな」
「そうですね」
蛭魔がため息をつくと、セナも顔を上げて苦笑する。
一生一緒にいるつもりなら、何年か離れるなんて大したことではない。
むしろ2人の愛情を新鮮なものにしてくれるだろう。
*****
「ほら。人差し指の爪、特にここがすり減ってるでしょう?」
「あ、ホントだ」
「つまりこんな風にボールを持って投げるからです。だからこっちを少しだけ削れば、ね?」
「なるほど」
セナが三橋の右手を取り、阿部に説明している。
三橋は黙ってそれを聞きながら、キョドキョドと2人を見比べていた。
セナはいつも無造作に爪を削ったり磨いたりしているように見えた。
だがそれはものすごい技術なのだと思い知る。
来シーズン、三橋の爪は自分がケアしたい。
阿部はセナにそう申し出て、セナも快諾した。
なのでシーズンオフの今、阿部はセナから特訓を受けている。
何とか開幕までには、三橋の爪に関してはセナと同等のケアができるようにするのが目標だという。
「阿部君、大丈夫?」
目をシバシバさせながら細かい作業をする阿部に、三橋は心配そうに声をかけた。
最近の阿部はとにかくオーバーワーク過ぎる。
理学療法だとかスポーツマッサージなどを習い始め、英会話の勉強もしている。
三橋は、来シーズンは今の球団と契約が残っているが、それ以降はメジャーに行く可能性が高い。
阿部はそれに同行するつもりなのだ。
しかもそれまでに新会社を軌道に乗せて、会社の仕事として請け負うつもりのようだ。
「いいんだよ。廉は心配しなくて」
阿部は三橋の右手に落としていた視線を上げて、そう答えた。
まったく阿部のスピード感に、三橋はただ驚くしかない。
いつの間にかカップルになっており、キスをして、身体を重ねて、しかも「廉」と呼び捨てだ。
その上、この先の投手としての三橋の一切をケアする準備を整えている。
三橋は振り回されるところまでも行けず、呆然と見ているだけだ。
「廉は新しい会社の優良顧客になってもらうから。稼ぐことだけ考えろよ」
阿部はそう答えると、ニタ~と擬音がつきそうな黒い笑顔を見せた。
セナが「やめてよ。悪徳会社みたいだから」と苦笑する。
三橋はそんな2人を交互に見ながら「ウヒ」と笑った。
蛭魔とセナはどうやら遠距離恋愛になりそうだと聞いた。
お互いを高めるためにあえて離れるのだと、セナはきっぱりと言い切ったのだ。
対して阿部は、まったく逆だった。
三橋にずっと寄り添って、投手としての三橋の成功のために尽くすことを選んだのだ。
まったく自分ばかりがこんなに幸せでいいのだろうかと思う。
「これでどうだ?」
作業を終えた阿部がそう聞いてきた。
三橋は鞄の中からボールを取り出すと、握ったり爪をかけたりした。
どうやらセナが施術した状態と同じように仕上がっている。
「だいじょ、ぶ。いい感じ、だ!」
三橋が元気よくそう告げると、阿部が満足そうに笑う。
少々過保護な恋愛関係は、まだ始まったばかりだ。
*****
「こんばんは」
セナは声をかけながら、新しいサロンへと足を踏み入れた。
営業を終えたばかりの時間を見計らったせいで、見知ったスタッフが片付けなどをしていた。
セナは移転していった新しいネイルサロンに来ていた。
ここはかつての「デビルバッツ」のメンバーが、ほとんどそのまま勤務している。
かつて「姉ちゃん」と呼んだ幼なじみも、店長のままだ。
スタッフたちはみなセナを見て、困惑した表情になった。
中には露骨に顔をしかめる者もいる。
だがこういう反応は初めから覚悟の上だ。
この新しいサロンは、元々のネイルサロン「デビルバッツ」とは目と鼻の先にある。
新しい会社を前の店で始めるのだから、スタッフたちと顔を合わせることだってある。
それならば自分から出向いた方がいいと判断したのだ。
「挨拶に来たんだ。」
セナは客用の席に座って売り上げを計算していた店長のまもりに近づくと、頭を下げた。
まもりは思わぬ来客に驚き、警戒するような視線でセナを見る。
「開店、おめでとうございます。」
セナはかつての上司であった女性に頭を下げた。
そして持ってきた菓子折りをそっと差し出す。
まもりは一瞬躊躇ったものの、諦めたように笑いながらそれを受け取った。
「今日は挨拶だけ?」
まもりが自分の隣の席を手で進めながら、そう聞いた。
セナはありがたく席に座りながら「実は」と切り出す。
察しのいいまもりは、セナが単にするためだけに着たのではないとわかったようだ。
「前の『デビルバッツ』の場所で、新しく会社を作るんだ。」
セナはまもりだけでなく、スタッフたちにも聞こえるように話をした。
将来的には業務提携ができるといい。
コーディネイトを業務とする会社なので、ネイルだけ発注するのもありだ。
セナが控え目にそんな希望を口にすると、まもりは「セナは変わらないわね」と苦笑した。
「僕はまもり姉ちゃんにとって、嫌なヤツだった?」
帰り際にセナはまもりにそう聞いた。
まもりはしばらくじっとセナを見ていたが、やがてフッと笑みをもらすと首を振った。
「蛭魔様のこと関してだけ、ね。」
まもりは軽やかにそう答えた。
やはり完全に以前と同じ関係には戻れない。
まもりは蛭魔のことが好きで、セナにわだかまりを持っているのだ。
「じゃあ、また」
セナは短くそう言って、ネイルサロンを出た。
まもりはとにかく話を聞いてくれた。
それならばいがみ合ったままではなく、新しい関係を築けるかもしれない。
そんな甘い期待に、セナは胸を熱くしていた。
*****
「阿部が会社を作る?」
ヘアサロン「らーぜ」の面々は、一瞬黙り込んだ。
だが次の瞬間には、全員が顔を見合わせて笑い出した。
阿部もまた自分の職場であるヘアサロンに退職届を出した。
それを閉店後のスタッフミーティングの場で発表されたときのことだ。
店長の百枝に「何か一言」と水を向けられた阿部は、新しい会社を立ち上げるのだと発表した。
阿部もセナ同様、職場の中では浮いた存在になっていた。
三橋との関係を水谷にツッコまれて、その恋をカミングアウトしたからだ。
噂が広まったし、阿部もそれに対してあえて止めることもしなかった。
むしろ聞かれれば、進んで自分の好きな相手は男なのだと話した。
阿部とセナの最大の違いはそこだった。
セナは仲たがいしたかつての仲間と何とか新たな関係を築けないかと模索している。
だが阿部はもう決別してもいいと思っていた。
それはやはりかつて三橋が水谷に嘘を吹き込まれて、阿部と三橋がすれ違ったことがあったせいだ。
それでも新しい会社を作ることは、キチンと話しておこうと思った。
何しろネイルサロン「デビルバッツ」の場所、つまり同じビルの中に居を構えるのだ。
隠し切れるものでもない。
だから事前にとミーティングの場で話したが、好意的な反応は期待していなかった。
笑い声が漏れた時には嘲笑なのだと思ったから、その後に湧き上がった声には驚いた。
「コーディネイト会社?面白いところに目をつけたな!」
「話をもっと聞かせてくれよ!」
「うちのサロンでも協力できること、ありそうだよな。」
スタッフたちは興味津々と言った表情で、阿部に声をかけてくる。
店長の百枝が「まだミーティング、終わってないよ!」と声を張らなければならないほどだった。
「なぁ今日、これから飲みに行かね?」
ミーティングの後、阿部に声をかけてきたのは水谷だった。
何となく気まずくて最近はほとんど話していない相手からの申し出に、阿部は戸惑う。
だが水谷は「行こうよ!」と食い下がった。
「いろいろあやまりたいし、新しい会社の話も聞きたいしさ!」
水谷の言葉に反応した何人かのスタッフが「俺も行く」と手を上げる。
阿部は一瞬迷ったが「じゃあ行くか」と返事をした。
本当は三橋の顔を見に、球団の選手寮まで行くつもりだったのだ。
だが特に約束をしていたわけでもないし、かまわないだろう。
三橋のことを最優先に考えて、捨ててもいいと思っていた絆。
だけどそんな阿部のことを、彼らは見捨てないでいてくれたようだ。
この絆は、新しい会社の役に立つかもしれない。
思いのほか高揚してしまい、それが妙に照れくさくなった阿部は、誤魔化すようにそう思った。
*****
「何てこと、してくれたんですか!」
退院した律は思いも寄らない事態に唖然とし、事態を把握すると抗議の叫び声を上げた。
だが高野は涼しい顔で「見た通りだ」と答えてやる。
散らかっていた律の部屋は、何もない空き家になっていた。
「ったく、大変だったぜ。お前の部屋、散らかりすぎなんだよ!」
高野は荷造りの大変さを思い出して、文句を言った。
実際本当に大変だったのだ。
店は羽鳥と千秋に任せっきりだった。
病院の面会時間いっぱいは律の病室で過ごす。
そして夜の間に、ひたすら荷造りをしていた。
律の入院は精密検査と療養で約1週間。
その間に高野は律の部屋にあった荷物を全て梱包した。
そしてカフェ「エメラルド」から徒歩で数分のところに住む高野の家に残らず運び込んだのだ。
退院した律は、ガランとした自分の部屋で呆然と立ち尽くすことになったわけだ。
「何を逆ギレしてるんですか!」
律が綺麗な顔を歪ませて、文句を言っている。
だが高野は平然と「声、うるせー」と聞き流した。
何と言っても鍵を高野に預けっぱなしにしていた律のミスだ。
「ああ、そう言えばお前のストーカー、どうなったんだよ」
「見つかったらしいです。また病院に保護されたそうで。」
「保護?逮捕じゃねーの?」
「精神疾患は罪に問えないみたいです。」
「じゃあますますここは出た方がいい。またいつ現れるかわかんねーだろ?1人暮らしは危険だ。」
律が顔をしかめたのは、怖かったのを思い出したからだろう。
高野は俯いてしまった律をそっと抱きしめた。
今さら怯えさせるのは本意ではない。
律は一瞬驚いたようだが、高野の肩に顔を埋めてされるがままになっていた。
「とりあえず俺んちに帰るぞ。いいな。」
「お、お世話になります。。。」
律はいかにも渋々といった様子で、高野に従う。
だがとりあえず同居は成功だと、高野は秘かにニンマリと笑った。
「あとお前は俺の恋人。これも決定事項だからな。」
高野はそう宣言すると、さっさと部屋を出て行く。
律が背後で「何、勝手に決定してるんですか!」と叫んでいるが、振り返らなかった。
どんなに文句を言われようと、絶対に律を手離すつもりはないからだ。
*****
「こんな感じ。どうかな?」
律はクライアントである女性タレントに声をかける。
相手は「うん、今回もすごくいい!」と笑顔で答えた。
阿部とセナと律が立ち上げたコーディネイト会社「アイシールド」。
記念すべき最初の顧客は、蛭魔でも三橋でもなかった。
初めて契約したのは、かつて騒動を起こした女性タレント。
律が前の会社でマネージャーを務めていた小日向杏だ。
あのネイルのデザイン盗作騒動では、杏は世間からバッシングを受けた。
そして盗作の実行犯が瀧鈴音だったことから「デビルバッツ」のイメージも悪くなった。
それを一気に解消するべく相談した結果、こうなった。
杏が「アイシールド」と契約し、今度はセナが杏のためにネイルのデザインを描く。
阿部がヘアケアとメイク、律はファッション担当した。
こうして杏という女性をコーディネイトする。
今までかわいいという印象だった杏は、見事に変貌を果たした。
大人の女性へとイメージチェンジを果たし、再ブレイクしたのだ。
小日向杏の新しいイメージを作った会社は、一般人も予算に応じてコーディネイトしてくれる。
それが話題を呼んで、新会社は順調に利益を上げている。
「じゃあ杏ちゃん、衣装はスタジオに届けるから。ヘアとネイルは個室でね。」
律はそう言うと、杏は「はーい」と答えて、案内を待たずに個室へ入っていった。
後はセナと阿部に任せて、律は自分のデスクに座る。
かつてのネイルサロンは、すっかりオフィス風になっている。
3人はそれぞれに顧客を持ち、時に協力しながら業務をこなしていた。
パソコンに向かおうとした律は、机に置いた携帯電話がメールを着信していることに気付いた。
嫌な予感がしつつ、メールを開く。
案の定、差出人は高野だ。
『ローションがなくなったから、ドラックストアで買っといて』
何とも即物的なメールに、律はガックリと肩を落とした。
蛭魔とセナも、阿部と三橋も、順調に愛情を育んでいるように見える。
なのに高野と律の関係は、何かが違うような気がする。
きちんと恋人になる前に身体を重ねてしまったせいかもしれない。
恋愛というのはもう少しロマンチックであってもいいと思うのに。
それでも律は『わかりました』と短くメールを返した。
強引で横暴でマイペースな高野は、すごく鬱陶しい。
だけどきっと好きなのだ。
こんなメールをやり取りして、苛立ちよりもドキドキの方が微妙に上回っているのだから。
律は両手でパンパンと自分の頬を叩くと、パソコンの画面に目を移した。
今は仕事の時間、鬱陶しい恋人のことは後回しだ。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
「どうして、1人で、抱え込んでたの!」
いつになく大声を張り上げているのは、三橋だ。
阿部が「病院だから静かに」と、三橋をそっと諌めた。
ストーカーの恐怖に怯えて1人で引きこもっていた律は、今は入院している。
高野によって救出されたものの、衰弱していたために救急車で運ばれたのだ。
元々芸能界で働いていた律は、不規則な生活で身体を痛めつけていた。
そこへ来てまともな食事もしないで過ごしていたせいで、身体はすっかり弱ってしまった。
病院の担当医師は難しい表情で「しばらく入院です」と言い渡した。
心配をかけたくないからと、律は自分の身内などには入院を隠していた。
だがカフェ「エメラルド」で知り合った友人たちには、バレた。
彼らは高野から律の身に起こった出来事を聞くと、律の病室に駆けつけてきた。
まず現れたのがセナと蛭魔だ。
セナが「どうして連絡しないの!」と怒り、蛭魔が「デカい声をだすな」と諌められる。
次に現れたのは千秋と羽鳥で、やはり千秋が怒って羽鳥が宥める。
そして最後に現れた三橋と阿部までもが、同じやり取りだ。
もしかして男同士のカップルって定型パターンがあるのかとツッコミたくなるほどだった。
「それにしても三橋さんまで。お忙しいでしょうに」
律はベットに上半身を起こしながら、呆れたようにそう言った。
結局律に下された診断は「ストレスによる過労と栄養失調」だ。
プロ野球選手で多忙な三橋に、わざわざ駆けつけて来てもらうほどの重症ではない。
「お前のために時間を割いてくれてんだ。ちっとは反省しろ」
ベットの横に陣取る高野が、会話に割り込んでくる。
高野はすっかり恋人気取りで、入院中の律の病室にずっと居座っている。
そしてこうしてしつこく1人で引きこもっていたことを責めるのだ。
「今阿部さんと三橋さんと話してるんです。割り込まないで下さい!」
「うるさい。ここは病院だぞ。」
律は文句を言ったが、高野に冷静に返されてしまった。
しかも見舞いに来た男同士のカップルたちの定型パターンでだ。
三橋と阿部は顔を見合わせて、ニヤニヤと笑っている。
高野が助けてくれたことには、すごく感謝している。
だけどなし崩しに恋人になるのは嫌だと、律は思っている。
恋仲になるには、きちんと気持ちを確認して受け入れなければならない。
だからこの入院中は絶対に甘い雰囲気にはしてやらない。
生真面目な律は、固くそう決めていた。
*****
「ジギタリス。これで『毒花』シリーズは最後です。」
セナはそう言いながら、デザイン画を見せた。
細かく書き込まれた薄紫の花はセナ渾身の力作だ。
だが蛭魔はいつもの通り、小さく頷いただけだった。
「もうここで蛭魔さんの爪を描くのも、最後かもしれませんね。」
セナは素っ気なくそう呟くと、プイと横を向いてしまう。
どうやら最後の作品に、蛭魔から何もコメントがなかったことが不満なようだ。
未だにセナしかいないネイルサロンのオープンスペース。
セナの小さな呟きは、充分に蛭魔の耳に届いた。
「なぁ、どうしても一緒に来ないのか?」
蛭魔はもう何度も繰り返した言葉をまた言った。
セナは「意外としつこいですね」と苦笑する。
やはりセナの決心は変わらないようで、蛭魔はため息をつくしかなかった。
セナのデザインが盗まれたり、通り魔が出たりして混乱する中、蛭魔は秘かに活躍していた。
まず「マジシャン・オブ・ザ・イヤー」の受賞が決まった。
日本の国内のマジック愛好家の投票でその年、最も活躍したマジシャンに贈られるものだ。
その功績が認められたようで、ハリウッドの「マジックキャッスル」への出演も決めた。
世界的に有名なマジック専門の会員制クラブであり、出演することが高評価につながる。
半年ほど出演する予定で、その後は海外からのオファーが多数きている。
蛭魔は専属のネイルアーティストとして、セナを連れて行くつもりだった。
だがセナはことわったのだ。
今、蛭魔と一緒に行くことはできない。
まだ日本でやりたいことがあるのだと。
「蛭魔さんと一緒に行くのは、きっと楽しいです。でもそれじゃダメなんですよ。」
「何がダメなんだ?」
「蛭魔さんの後ろじゃなくて、隣を歩きたいんで。悔いは残したくないんです。」
「どっちだっていいだろうが」
セナは下を向いて蛭魔の爪にジギタリスを描きながら、そう言った。
もう何度も繰り返したやり取りだ。
蛭魔は不満気に言い返しているが、セナの言わんとするところはわかった。
阿部や律とやろうとしている新会社のことだろう。
セナにもいろいろ思うところがあり、今何もかも捨てて日本を離れたくないのだ。
「だいたいマジシャン・オブ・ザ・イヤーとか、マジックキャッスルとか何なんです?」
「は?」
「知らないうちに勝手にエラい人になっちゃって!ひどいじゃないですか!」
「何だと?」
「もう追いつくのがますます大変じゃないですか!」
セナが拗ねているのを見て、蛭魔は何だか安心していた。
今は離れることを選んでも、セナが蛭魔と別れるつもりはないのがわかったからだ。
蛭魔に引き上げてもらうのではなく、自力で蛭魔のいる場所まで上がってこようとしている。
そういうセナだから好きになったのだ。
「しばらくは遠距離恋愛だな」
「そうですね」
蛭魔がため息をつくと、セナも顔を上げて苦笑する。
一生一緒にいるつもりなら、何年か離れるなんて大したことではない。
むしろ2人の愛情を新鮮なものにしてくれるだろう。
*****
「ほら。人差し指の爪、特にここがすり減ってるでしょう?」
「あ、ホントだ」
「つまりこんな風にボールを持って投げるからです。だからこっちを少しだけ削れば、ね?」
「なるほど」
セナが三橋の右手を取り、阿部に説明している。
三橋は黙ってそれを聞きながら、キョドキョドと2人を見比べていた。
セナはいつも無造作に爪を削ったり磨いたりしているように見えた。
だがそれはものすごい技術なのだと思い知る。
来シーズン、三橋の爪は自分がケアしたい。
阿部はセナにそう申し出て、セナも快諾した。
なのでシーズンオフの今、阿部はセナから特訓を受けている。
何とか開幕までには、三橋の爪に関してはセナと同等のケアができるようにするのが目標だという。
「阿部君、大丈夫?」
目をシバシバさせながら細かい作業をする阿部に、三橋は心配そうに声をかけた。
最近の阿部はとにかくオーバーワーク過ぎる。
理学療法だとかスポーツマッサージなどを習い始め、英会話の勉強もしている。
三橋は、来シーズンは今の球団と契約が残っているが、それ以降はメジャーに行く可能性が高い。
阿部はそれに同行するつもりなのだ。
しかもそれまでに新会社を軌道に乗せて、会社の仕事として請け負うつもりのようだ。
「いいんだよ。廉は心配しなくて」
阿部は三橋の右手に落としていた視線を上げて、そう答えた。
まったく阿部のスピード感に、三橋はただ驚くしかない。
いつの間にかカップルになっており、キスをして、身体を重ねて、しかも「廉」と呼び捨てだ。
その上、この先の投手としての三橋の一切をケアする準備を整えている。
三橋は振り回されるところまでも行けず、呆然と見ているだけだ。
「廉は新しい会社の優良顧客になってもらうから。稼ぐことだけ考えろよ」
阿部はそう答えると、ニタ~と擬音がつきそうな黒い笑顔を見せた。
セナが「やめてよ。悪徳会社みたいだから」と苦笑する。
三橋はそんな2人を交互に見ながら「ウヒ」と笑った。
蛭魔とセナはどうやら遠距離恋愛になりそうだと聞いた。
お互いを高めるためにあえて離れるのだと、セナはきっぱりと言い切ったのだ。
対して阿部は、まったく逆だった。
三橋にずっと寄り添って、投手としての三橋の成功のために尽くすことを選んだのだ。
まったく自分ばかりがこんなに幸せでいいのだろうかと思う。
「これでどうだ?」
作業を終えた阿部がそう聞いてきた。
三橋は鞄の中からボールを取り出すと、握ったり爪をかけたりした。
どうやらセナが施術した状態と同じように仕上がっている。
「だいじょ、ぶ。いい感じ、だ!」
三橋が元気よくそう告げると、阿部が満足そうに笑う。
少々過保護な恋愛関係は、まだ始まったばかりだ。
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「こんばんは」
セナは声をかけながら、新しいサロンへと足を踏み入れた。
営業を終えたばかりの時間を見計らったせいで、見知ったスタッフが片付けなどをしていた。
セナは移転していった新しいネイルサロンに来ていた。
ここはかつての「デビルバッツ」のメンバーが、ほとんどそのまま勤務している。
かつて「姉ちゃん」と呼んだ幼なじみも、店長のままだ。
スタッフたちはみなセナを見て、困惑した表情になった。
中には露骨に顔をしかめる者もいる。
だがこういう反応は初めから覚悟の上だ。
この新しいサロンは、元々のネイルサロン「デビルバッツ」とは目と鼻の先にある。
新しい会社を前の店で始めるのだから、スタッフたちと顔を合わせることだってある。
それならば自分から出向いた方がいいと判断したのだ。
「挨拶に来たんだ。」
セナは客用の席に座って売り上げを計算していた店長のまもりに近づくと、頭を下げた。
まもりは思わぬ来客に驚き、警戒するような視線でセナを見る。
「開店、おめでとうございます。」
セナはかつての上司であった女性に頭を下げた。
そして持ってきた菓子折りをそっと差し出す。
まもりは一瞬躊躇ったものの、諦めたように笑いながらそれを受け取った。
「今日は挨拶だけ?」
まもりが自分の隣の席を手で進めながら、そう聞いた。
セナはありがたく席に座りながら「実は」と切り出す。
察しのいいまもりは、セナが単にするためだけに着たのではないとわかったようだ。
「前の『デビルバッツ』の場所で、新しく会社を作るんだ。」
セナはまもりだけでなく、スタッフたちにも聞こえるように話をした。
将来的には業務提携ができるといい。
コーディネイトを業務とする会社なので、ネイルだけ発注するのもありだ。
セナが控え目にそんな希望を口にすると、まもりは「セナは変わらないわね」と苦笑した。
「僕はまもり姉ちゃんにとって、嫌なヤツだった?」
帰り際にセナはまもりにそう聞いた。
まもりはしばらくじっとセナを見ていたが、やがてフッと笑みをもらすと首を振った。
「蛭魔様のこと関してだけ、ね。」
まもりは軽やかにそう答えた。
やはり完全に以前と同じ関係には戻れない。
まもりは蛭魔のことが好きで、セナにわだかまりを持っているのだ。
「じゃあ、また」
セナは短くそう言って、ネイルサロンを出た。
まもりはとにかく話を聞いてくれた。
それならばいがみ合ったままではなく、新しい関係を築けるかもしれない。
そんな甘い期待に、セナは胸を熱くしていた。
*****
「阿部が会社を作る?」
ヘアサロン「らーぜ」の面々は、一瞬黙り込んだ。
だが次の瞬間には、全員が顔を見合わせて笑い出した。
阿部もまた自分の職場であるヘアサロンに退職届を出した。
それを閉店後のスタッフミーティングの場で発表されたときのことだ。
店長の百枝に「何か一言」と水を向けられた阿部は、新しい会社を立ち上げるのだと発表した。
阿部もセナ同様、職場の中では浮いた存在になっていた。
三橋との関係を水谷にツッコまれて、その恋をカミングアウトしたからだ。
噂が広まったし、阿部もそれに対してあえて止めることもしなかった。
むしろ聞かれれば、進んで自分の好きな相手は男なのだと話した。
阿部とセナの最大の違いはそこだった。
セナは仲たがいしたかつての仲間と何とか新たな関係を築けないかと模索している。
だが阿部はもう決別してもいいと思っていた。
それはやはりかつて三橋が水谷に嘘を吹き込まれて、阿部と三橋がすれ違ったことがあったせいだ。
それでも新しい会社を作ることは、キチンと話しておこうと思った。
何しろネイルサロン「デビルバッツ」の場所、つまり同じビルの中に居を構えるのだ。
隠し切れるものでもない。
だから事前にとミーティングの場で話したが、好意的な反応は期待していなかった。
笑い声が漏れた時には嘲笑なのだと思ったから、その後に湧き上がった声には驚いた。
「コーディネイト会社?面白いところに目をつけたな!」
「話をもっと聞かせてくれよ!」
「うちのサロンでも協力できること、ありそうだよな。」
スタッフたちは興味津々と言った表情で、阿部に声をかけてくる。
店長の百枝が「まだミーティング、終わってないよ!」と声を張らなければならないほどだった。
「なぁ今日、これから飲みに行かね?」
ミーティングの後、阿部に声をかけてきたのは水谷だった。
何となく気まずくて最近はほとんど話していない相手からの申し出に、阿部は戸惑う。
だが水谷は「行こうよ!」と食い下がった。
「いろいろあやまりたいし、新しい会社の話も聞きたいしさ!」
水谷の言葉に反応した何人かのスタッフが「俺も行く」と手を上げる。
阿部は一瞬迷ったが「じゃあ行くか」と返事をした。
本当は三橋の顔を見に、球団の選手寮まで行くつもりだったのだ。
だが特に約束をしていたわけでもないし、かまわないだろう。
三橋のことを最優先に考えて、捨ててもいいと思っていた絆。
だけどそんな阿部のことを、彼らは見捨てないでいてくれたようだ。
この絆は、新しい会社の役に立つかもしれない。
思いのほか高揚してしまい、それが妙に照れくさくなった阿部は、誤魔化すようにそう思った。
*****
「何てこと、してくれたんですか!」
退院した律は思いも寄らない事態に唖然とし、事態を把握すると抗議の叫び声を上げた。
だが高野は涼しい顔で「見た通りだ」と答えてやる。
散らかっていた律の部屋は、何もない空き家になっていた。
「ったく、大変だったぜ。お前の部屋、散らかりすぎなんだよ!」
高野は荷造りの大変さを思い出して、文句を言った。
実際本当に大変だったのだ。
店は羽鳥と千秋に任せっきりだった。
病院の面会時間いっぱいは律の病室で過ごす。
そして夜の間に、ひたすら荷造りをしていた。
律の入院は精密検査と療養で約1週間。
その間に高野は律の部屋にあった荷物を全て梱包した。
そしてカフェ「エメラルド」から徒歩で数分のところに住む高野の家に残らず運び込んだのだ。
退院した律は、ガランとした自分の部屋で呆然と立ち尽くすことになったわけだ。
「何を逆ギレしてるんですか!」
律が綺麗な顔を歪ませて、文句を言っている。
だが高野は平然と「声、うるせー」と聞き流した。
何と言っても鍵を高野に預けっぱなしにしていた律のミスだ。
「ああ、そう言えばお前のストーカー、どうなったんだよ」
「見つかったらしいです。また病院に保護されたそうで。」
「保護?逮捕じゃねーの?」
「精神疾患は罪に問えないみたいです。」
「じゃあますますここは出た方がいい。またいつ現れるかわかんねーだろ?1人暮らしは危険だ。」
律が顔をしかめたのは、怖かったのを思い出したからだろう。
高野は俯いてしまった律をそっと抱きしめた。
今さら怯えさせるのは本意ではない。
律は一瞬驚いたようだが、高野の肩に顔を埋めてされるがままになっていた。
「とりあえず俺んちに帰るぞ。いいな。」
「お、お世話になります。。。」
律はいかにも渋々といった様子で、高野に従う。
だがとりあえず同居は成功だと、高野は秘かにニンマリと笑った。
「あとお前は俺の恋人。これも決定事項だからな。」
高野はそう宣言すると、さっさと部屋を出て行く。
律が背後で「何、勝手に決定してるんですか!」と叫んでいるが、振り返らなかった。
どんなに文句を言われようと、絶対に律を手離すつもりはないからだ。
*****
「こんな感じ。どうかな?」
律はクライアントである女性タレントに声をかける。
相手は「うん、今回もすごくいい!」と笑顔で答えた。
阿部とセナと律が立ち上げたコーディネイト会社「アイシールド」。
記念すべき最初の顧客は、蛭魔でも三橋でもなかった。
初めて契約したのは、かつて騒動を起こした女性タレント。
律が前の会社でマネージャーを務めていた小日向杏だ。
あのネイルのデザイン盗作騒動では、杏は世間からバッシングを受けた。
そして盗作の実行犯が瀧鈴音だったことから「デビルバッツ」のイメージも悪くなった。
それを一気に解消するべく相談した結果、こうなった。
杏が「アイシールド」と契約し、今度はセナが杏のためにネイルのデザインを描く。
阿部がヘアケアとメイク、律はファッション担当した。
こうして杏という女性をコーディネイトする。
今までかわいいという印象だった杏は、見事に変貌を果たした。
大人の女性へとイメージチェンジを果たし、再ブレイクしたのだ。
小日向杏の新しいイメージを作った会社は、一般人も予算に応じてコーディネイトしてくれる。
それが話題を呼んで、新会社は順調に利益を上げている。
「じゃあ杏ちゃん、衣装はスタジオに届けるから。ヘアとネイルは個室でね。」
律はそう言うと、杏は「はーい」と答えて、案内を待たずに個室へ入っていった。
後はセナと阿部に任せて、律は自分のデスクに座る。
かつてのネイルサロンは、すっかりオフィス風になっている。
3人はそれぞれに顧客を持ち、時に協力しながら業務をこなしていた。
パソコンに向かおうとした律は、机に置いた携帯電話がメールを着信していることに気付いた。
嫌な予感がしつつ、メールを開く。
案の定、差出人は高野だ。
『ローションがなくなったから、ドラックストアで買っといて』
何とも即物的なメールに、律はガックリと肩を落とした。
蛭魔とセナも、阿部と三橋も、順調に愛情を育んでいるように見える。
なのに高野と律の関係は、何かが違うような気がする。
きちんと恋人になる前に身体を重ねてしまったせいかもしれない。
恋愛というのはもう少しロマンチックであってもいいと思うのに。
それでも律は『わかりました』と短くメールを返した。
強引で横暴でマイペースな高野は、すごく鬱陶しい。
だけどきっと好きなのだ。
こんなメールをやり取りして、苛立ちよりもドキドキの方が微妙に上回っているのだから。
律は両手でパンパンと自分の頬を叩くと、パソコンの画面に目を移した。
今は仕事の時間、鬱陶しい恋人のことは後回しだ。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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