アイシ×おお振り×セカコイ【お題:裏切り10題】
【最後は】
「痛、い。。。」
律は小さく呻いたが、答えが返ってくることはなかった。
この部屋には、他に誰もいないからだ。
律は未だに最初に連れて来られた地下室にいた。
瀬那も廉もどこかへ連れ出されたのに、律だけは置き去りだった。
そして1人になった途端、ひどい暴力を振るわれた。
縛られていたから、反撃はおろか逃れることさえできない。
もうただ一方的に殴られ、蹴られたのだ。
ボコボコにするってこういうことを言うんだ。
生まれてこのかた、喧嘩などしたことはない律はそう思った。
身体のあちこちに痣ができて、腫れて熱を持っている。
また皮膚が破れて、出血してしまった箇所もある。
この部屋が薄暗くて、本当によかったと思う。
明るい照明の下で、自分のダメージを見てしまったら。
それだけでもう気力が萎えてしまっただろう。
「どうやら本当にお前は『伴侶』ではないようだな。」
律を殴った男は、そう言った。
吸血鬼の「伴侶」は怪我を負っても、すぐに治ってしまう。
どうやらそれを確認するために、こんな目に合わされたらしい。
食事は時々差し入れられるが、身体が受け付けなかった。
口にしても、すぐに吐いてしまうのだ。
瀬那はなるべく体力を温存しながら、信じて待てと言った。
だが今の律にできることはなにもない。
身体がひどく痛んで、眠ることさえうまくできないのだ。
「高野、さん。。。」
律は目を閉じて、小さく呟いた。
このまま死んでしまうのかもしれない。
死ぬ前にもう1度だけでいい。
最後は絶対に、あの人に逢いたい。
*****
「僕たちを最初に捕まえた人は、知ってたんです。」
スィートルームに戻った瀬那は、リビングのソファに座るなり言った。
双生児の吸血鬼にたっぷりと血を吸われた瀬那は、ひどい状態だった。
ひどい貧血状態で、顔色も悪いし、身体も一回り細くなっている。
蛭魔の手を借りなければ、まっすぐ歩くことさえままならない。
今も隣に座る蛭魔にもたれながら、肩で荒い呼吸をしている。
喋ることさえつらいのだろう。
「瀬那、無理するな。休んだ方がいい。」
「大丈夫、です。律が戻ったら、休みます。」
同じくソファに腰を下ろした高野が忠告しても、瀬那は聞き入れない。
懸命に笑顔を作りながら答える瀬那に、高野は「悪いな」とあやまる。
「で?知ってたって何を?」
阿部がさりげなく話題を元に戻した。
瀬那の負担を減らすために、余計な話はしない方がいいと思ったからだ。
「高野さんのこと。高野さんの今の名前を知ってた。」
「それは確かか?」
蛭魔が瀬那に聞き返し、阿部と高野が身を乗り出す。
瀬那は3人の目を順に見回すと、はっきりと頷いた。
「律の携帯電話の着信履歴を見て。高野さんのものだってわかったんです。」
「それはかなりの手がかりだな。」
高野はようやく見えた希望に、かすかに微笑んだ。
蛭魔も阿部も顔を見合わせて、口元を緩ませた。
*****
高野が現在の名前「高野政宗」を名乗ってから、まだ1年ほどしか経っていない。
それまでは「嵯峨政宗」と名乗り、外見も高校生くらいに見える容姿だった。
律と出逢ったのも、その名前と姿の頃だ。
1年ほど前にエイジング処理を受けて、今の容姿と名前になったのだ。
そして経歴をでっち上げて、今の会社に中途採用で入社した。
その会社に新人として入社してきたのが、律だ。
高野は蛭魔と阿部以外の吸血鬼たちとは、ほとんど付き合いがない。
つまり「嵯峨政宗」は知っていても「高野政宗」を知らない者が多い。
「高野政宗」という名だけで吸血鬼だとわかる者となると、かなり限られるのだ。
蛭魔たちは、3人が誘拐された場所をあまり深く考えなかった。
瀬那は定期的に高野のマンションを訪れて、高野の「食事」に付き合っていたからだ。
高野のマンションで襲われたのは、瀬那を尾行した結果なのだと思ってしまった。
最初から「高野政宗」を知る者に絞れば、律はもっと早い時点で救出できていただろう。
「とにかく瀬那の回復を待たないと」
蛭魔は表情と口調に、悔しさを滲ませた。
蛭魔も阿部も高野も、もうずっと血を飲んでいない。
動くのはそろそろ限界だった。
だが瀬那はもう血を与えられる状態ではない。
そのとき阿部たちの寝室のドアが開き、廉が顔をのぞかせた。
精神的なショックがひどくて、ずっと部屋にこもっていたのだ。
廉は瀬那の姿を見つけると「無事でよかった」とかすかに笑う。
そして「あの」と静かに口を開いた。
*****
「よぉ。久しぶりだな。」
高野は目の前の男にそう言った。
男は無言のまま、高野の目をじっと見ている。
諦めたような男の表情から、高野は自分の読みが当たったことを知った。
そして男は、高野たちが何をしにここにいたのかわかっているだろう。
高野と相対している男の名は、横澤隆史。
横澤は人間でありながら、生まれながらに霊力を持つ者だった。
その能力を駆使して、人間と魔物の共存のために動いてきた。
魔物たちと時に話し合い、時には戦うのだ。
そういう人間たちは、表向きは会社という形の組織を作っていた。
横澤もその組織に所属する形で、報酬を受け取って、生計を立てている。
組織は魔物たちの戸籍操作など、超法規的措置も行なえる権力を持つ。
吸血鬼がからむトラブルにもっぱら介入するのが、この横澤だった。
高野たち吸血鬼は、常に横澤に名前や所在を知らせる決まりだった。
それとは別に高野と横澤は、友人関係にあった。
嵯峨と名乗っていた頃には単なる顔見知り程度だった。
だがエイジング処理後、高野に変わってから親密さが増した。
戸籍上の「高野政宗」と横澤の年齢が同じだったせいもあるかもしれない。
シニカルなものの考え方などが、似ているのかもしれない。
とにかく馬が合うとは、こういうことを言うのだろう。
一時期は互いの家などを行き来したりして、親交を深めていた。
だが最近は距離を置いており、会うのはおよそ半年振りだ。
横澤の言動に、高野への恋心が見えるような気がしたのだ。
高野はまさかと否定し、考え過ぎだと思い込もうとした。
だが万が一にも、横澤が高野に恋しているのだとしたら。
下手をすれば、人間と吸血鬼の間に余計な波風さえ立ちかねない。
だから高野は仕事の多忙を言い訳に、横澤から距離を置いたのだった。
*****
「蛭魔と阿部の『伴侶』が誘拐された話、知っているな?」
高野は前置きなしに、切り出した。
横澤は「ああ」と小さく頷く。
ここは横澤が所属する組織-表向きは会社-の事務所だ。
客などほとんど来ないのに、一応接客用の部屋がある。
ごく普通のオフィスの応接間のようなその部屋に、高野と横澤は対峙していた。
向かい合わせに座り、蛭魔と阿部が部屋の入口に立っている。
「知ってて、なぜ何もしなかった?」
「何もしなかったわけじゃない。誘拐犯の素性はわかっている。現在追跡中だ。」
「誘拐された『伴侶』たちは放置状態だったようだが。」
「行方は捜していた。だがお前たちが先に救出した、もう必要ないだろう。」
高野と横澤の会話に、蛭魔も阿部も割り込むことはしない。
それは高野のたっての頼みだった。
高野と横澤の因縁が、今回の事件に深く関わっている。
だから横澤との決着を付けたいという高野の懇願を、蛭魔も阿部も受け入れたのだ。
「危害を加えられた人間もいる。そいつは『伴侶』じゃねぇ。ただの人間だ。」
「そうなのか?そんな事実は認識していないが。」
「嘘をつくな。知らねぇわけがねぇだろ!瀬那たちの救出も滝井の素性も知ってたお前が!」
高野は声を荒げて、横澤を睨みつけた。
この先を言うことは、横澤との完全な決別になる。
だけど避けて通るわけにはいかない。
高野は律を取り返さなくてはならないからだ。
「滝井たちに、俺や律の情報を教えたのは、お前だな。」
横澤は高野をじっと見据えたまま動かず、返事もしない。
だがその無言は雄弁に、高野の言葉を肯定していた。
*****
「何でだ?横澤。俺はお前とは友人だと思っていた。お前もそうだと思っていたのに。」
「政宗。お前こそ嘘をつくな。俺は友人だなんて思ってなかった。知ってたはずだ。」
「何を。。。」
「俺はお前が好きだった。お前の『伴侶』になりたかったんだ!」
横澤が搾り出すように、自分の感情を吐露した。
高野が気がつかない振りをしていた横澤の気持ちが、言葉になってあふれ出す。
「お前が俺から距離を置き始めたのは、それに気がついたからだろ?」
「・・・そうだ。」
「ちょうどその頃、お前とアイツが一緒にいるのを見かけたんだ。」
「やはりそういうことなのか。」
高野は自分の予想が当たってしまったことに、肩を落とした。
高野が仕事を理由に、横澤から遠ざかり始めていた頃。
横澤は高野とある青年が一緒にいるところを、見た。
ちょうど高野の会社に入社したばかりの小野寺律だ。
高野が青年を見つめる優しい表情、熱い眼差し。
それを見た横澤は直感した。
高野はこの青年に恋をしている。
ひょっとしたらもう「伴侶」にしているのかもしれない。
そこに自分の割り込む余地はないのだと。
横澤は瀬那たちが誘拐されたとき、すぐに救出に向かっていた。
そして誘拐された者たちの中に律の顔を見つけたとき、驚いた。
だが次の瞬間、魔が差したのだ。
高野と律を引き離す、千載一遇のチャンスだと思ってしまった。
横澤は誘拐の実行犯たちに、高野の素性と律のことを話した。
そしてそのまま彼らを見逃したのだ。
彼らは律が「伴侶」なのかどうか、まず見極めようとするだろう。
もし「伴侶」ならば、どこかに売られていくに違いない。
そうでないにしても無事に返されることなどない。
そのまま高野の目に触れない場所に行ってしまえばいいと思った。
*****
「お前のせいで!律だけじゃなく瀬那も廉も、ひどいことになったんだぞ!」
「ひどいだと?吸血鬼に愛されてずっと生きられるヤツらに、同情なんかするか!」
「横澤!お前っ」
「小野寺律はどこにいる?」
高野と横澤の会話に、蛭魔が割って入った。
怒りで感情的に声を上げる高野と横澤は、冷静なその声に押し黙る。
「律が無事なら、俺たちはそれで手を引く。」
「滝井の処分だけはちゃんとしてもらえればな。」
蛭魔と阿部が交互に告げたその決断は、かなり寛大なものだった。
「それでいいのか?」
高野が信じられないという表情で、蛭魔と阿部を見た。
傷つけられたのはまぎれもなく、彼らの「伴侶」なのだ。
吸血鬼の「伴侶」の誘拐は、重大事件だ。
下手をすれば、吸血鬼と人間の争いに発展しかねないのだから。
それを察知しながら見逃したことが組織に知れれば、横澤自身が処分対象になる。
「横澤には俺たちもいろいろ世話になってる。処分されるのは見たくねぇよ。」
「今後『伴侶』の誘拐なんて、馬鹿なことを考えるヤツが出なけりゃいい。」
蛭魔と阿部は静かにそう答えると、穏やかな表情で横澤を見た。
「だがもしも。律が生きてなかったら」
高野がそう言うと、3人の吸血鬼たちの表情が一変した。
凍りつくような冷たい目と、口元だけに浮かべた薄情な笑み。
魔の者たちだけが持っている冷淡で残虐な表情だ。
「まだ生きているさ。滝井たちが監禁しているはずだ。」
横澤はついに負けを認めた。
そしてため息と共に、律が監禁されているビルの住所を白状した。
*****
「高野、さん。律に、逢える、かな?」
「大丈夫だよ。廉のおかげでね。」
不安そうな廉を、瀬那が励ますように笑った。
動けなくなった3人の吸血鬼たちに、血を分け与えたのは廉だった。
瀬那は血を取られすぎて意識が朦朧としており、もう血を与えられる状態ではなかった。
一同が瀬那の回復を待つしかないと諦めたその時。
廉は蛭魔たちに、自分の血を飲んで早く律を助けに行ってほしいと頼んだのだ。
男娼として売り飛ばされ、男の客の相手をさせられた。
そんな廉の心の傷は、未だ癒えていない。
でもせめて役に立ちたいと思った。
もしかしたら、身体を汚された分を埋め合わせたかっただけかもしれない。
だが廉の心を分析する余裕など、もうなかった。
とにかく一刻も早く律を救出するために、高野たちは廉の血を飲んで出かけた。
かくして廉も瀬那同様、極度の貧血状態になった。
さすがに3人の吸血鬼が動けるだけの血を飲まれると、きつい。
そして瀬那と廉はホテルのスィートルームでぐったりとソファに沈んでいた。
「僕は今まで何度も誘拐されたけど、いつも蛭魔さんが助けてくれた。」
「俺、も。隆也さん、来てくれた!」
「だから絶対、高野さんも律を助けるよ。」
瀬那と廉は顔を見合わせて笑う。
愛情深い吸血鬼たちは、最後は必ず愛する者を取り戻す。
それを信じられるから「伴侶」は幸せなのだ。
【続く】
「痛、い。。。」
律は小さく呻いたが、答えが返ってくることはなかった。
この部屋には、他に誰もいないからだ。
律は未だに最初に連れて来られた地下室にいた。
瀬那も廉もどこかへ連れ出されたのに、律だけは置き去りだった。
そして1人になった途端、ひどい暴力を振るわれた。
縛られていたから、反撃はおろか逃れることさえできない。
もうただ一方的に殴られ、蹴られたのだ。
ボコボコにするってこういうことを言うんだ。
生まれてこのかた、喧嘩などしたことはない律はそう思った。
身体のあちこちに痣ができて、腫れて熱を持っている。
また皮膚が破れて、出血してしまった箇所もある。
この部屋が薄暗くて、本当によかったと思う。
明るい照明の下で、自分のダメージを見てしまったら。
それだけでもう気力が萎えてしまっただろう。
「どうやら本当にお前は『伴侶』ではないようだな。」
律を殴った男は、そう言った。
吸血鬼の「伴侶」は怪我を負っても、すぐに治ってしまう。
どうやらそれを確認するために、こんな目に合わされたらしい。
食事は時々差し入れられるが、身体が受け付けなかった。
口にしても、すぐに吐いてしまうのだ。
瀬那はなるべく体力を温存しながら、信じて待てと言った。
だが今の律にできることはなにもない。
身体がひどく痛んで、眠ることさえうまくできないのだ。
「高野、さん。。。」
律は目を閉じて、小さく呟いた。
このまま死んでしまうのかもしれない。
死ぬ前にもう1度だけでいい。
最後は絶対に、あの人に逢いたい。
*****
「僕たちを最初に捕まえた人は、知ってたんです。」
スィートルームに戻った瀬那は、リビングのソファに座るなり言った。
双生児の吸血鬼にたっぷりと血を吸われた瀬那は、ひどい状態だった。
ひどい貧血状態で、顔色も悪いし、身体も一回り細くなっている。
蛭魔の手を借りなければ、まっすぐ歩くことさえままならない。
今も隣に座る蛭魔にもたれながら、肩で荒い呼吸をしている。
喋ることさえつらいのだろう。
「瀬那、無理するな。休んだ方がいい。」
「大丈夫、です。律が戻ったら、休みます。」
同じくソファに腰を下ろした高野が忠告しても、瀬那は聞き入れない。
懸命に笑顔を作りながら答える瀬那に、高野は「悪いな」とあやまる。
「で?知ってたって何を?」
阿部がさりげなく話題を元に戻した。
瀬那の負担を減らすために、余計な話はしない方がいいと思ったからだ。
「高野さんのこと。高野さんの今の名前を知ってた。」
「それは確かか?」
蛭魔が瀬那に聞き返し、阿部と高野が身を乗り出す。
瀬那は3人の目を順に見回すと、はっきりと頷いた。
「律の携帯電話の着信履歴を見て。高野さんのものだってわかったんです。」
「それはかなりの手がかりだな。」
高野はようやく見えた希望に、かすかに微笑んだ。
蛭魔も阿部も顔を見合わせて、口元を緩ませた。
*****
高野が現在の名前「高野政宗」を名乗ってから、まだ1年ほどしか経っていない。
それまでは「嵯峨政宗」と名乗り、外見も高校生くらいに見える容姿だった。
律と出逢ったのも、その名前と姿の頃だ。
1年ほど前にエイジング処理を受けて、今の容姿と名前になったのだ。
そして経歴をでっち上げて、今の会社に中途採用で入社した。
その会社に新人として入社してきたのが、律だ。
高野は蛭魔と阿部以外の吸血鬼たちとは、ほとんど付き合いがない。
つまり「嵯峨政宗」は知っていても「高野政宗」を知らない者が多い。
「高野政宗」という名だけで吸血鬼だとわかる者となると、かなり限られるのだ。
蛭魔たちは、3人が誘拐された場所をあまり深く考えなかった。
瀬那は定期的に高野のマンションを訪れて、高野の「食事」に付き合っていたからだ。
高野のマンションで襲われたのは、瀬那を尾行した結果なのだと思ってしまった。
最初から「高野政宗」を知る者に絞れば、律はもっと早い時点で救出できていただろう。
「とにかく瀬那の回復を待たないと」
蛭魔は表情と口調に、悔しさを滲ませた。
蛭魔も阿部も高野も、もうずっと血を飲んでいない。
動くのはそろそろ限界だった。
だが瀬那はもう血を与えられる状態ではない。
そのとき阿部たちの寝室のドアが開き、廉が顔をのぞかせた。
精神的なショックがひどくて、ずっと部屋にこもっていたのだ。
廉は瀬那の姿を見つけると「無事でよかった」とかすかに笑う。
そして「あの」と静かに口を開いた。
*****
「よぉ。久しぶりだな。」
高野は目の前の男にそう言った。
男は無言のまま、高野の目をじっと見ている。
諦めたような男の表情から、高野は自分の読みが当たったことを知った。
そして男は、高野たちが何をしにここにいたのかわかっているだろう。
高野と相対している男の名は、横澤隆史。
横澤は人間でありながら、生まれながらに霊力を持つ者だった。
その能力を駆使して、人間と魔物の共存のために動いてきた。
魔物たちと時に話し合い、時には戦うのだ。
そういう人間たちは、表向きは会社という形の組織を作っていた。
横澤もその組織に所属する形で、報酬を受け取って、生計を立てている。
組織は魔物たちの戸籍操作など、超法規的措置も行なえる権力を持つ。
吸血鬼がからむトラブルにもっぱら介入するのが、この横澤だった。
高野たち吸血鬼は、常に横澤に名前や所在を知らせる決まりだった。
それとは別に高野と横澤は、友人関係にあった。
嵯峨と名乗っていた頃には単なる顔見知り程度だった。
だがエイジング処理後、高野に変わってから親密さが増した。
戸籍上の「高野政宗」と横澤の年齢が同じだったせいもあるかもしれない。
シニカルなものの考え方などが、似ているのかもしれない。
とにかく馬が合うとは、こういうことを言うのだろう。
一時期は互いの家などを行き来したりして、親交を深めていた。
だが最近は距離を置いており、会うのはおよそ半年振りだ。
横澤の言動に、高野への恋心が見えるような気がしたのだ。
高野はまさかと否定し、考え過ぎだと思い込もうとした。
だが万が一にも、横澤が高野に恋しているのだとしたら。
下手をすれば、人間と吸血鬼の間に余計な波風さえ立ちかねない。
だから高野は仕事の多忙を言い訳に、横澤から距離を置いたのだった。
*****
「蛭魔と阿部の『伴侶』が誘拐された話、知っているな?」
高野は前置きなしに、切り出した。
横澤は「ああ」と小さく頷く。
ここは横澤が所属する組織-表向きは会社-の事務所だ。
客などほとんど来ないのに、一応接客用の部屋がある。
ごく普通のオフィスの応接間のようなその部屋に、高野と横澤は対峙していた。
向かい合わせに座り、蛭魔と阿部が部屋の入口に立っている。
「知ってて、なぜ何もしなかった?」
「何もしなかったわけじゃない。誘拐犯の素性はわかっている。現在追跡中だ。」
「誘拐された『伴侶』たちは放置状態だったようだが。」
「行方は捜していた。だがお前たちが先に救出した、もう必要ないだろう。」
高野と横澤の会話に、蛭魔も阿部も割り込むことはしない。
それは高野のたっての頼みだった。
高野と横澤の因縁が、今回の事件に深く関わっている。
だから横澤との決着を付けたいという高野の懇願を、蛭魔も阿部も受け入れたのだ。
「危害を加えられた人間もいる。そいつは『伴侶』じゃねぇ。ただの人間だ。」
「そうなのか?そんな事実は認識していないが。」
「嘘をつくな。知らねぇわけがねぇだろ!瀬那たちの救出も滝井の素性も知ってたお前が!」
高野は声を荒げて、横澤を睨みつけた。
この先を言うことは、横澤との完全な決別になる。
だけど避けて通るわけにはいかない。
高野は律を取り返さなくてはならないからだ。
「滝井たちに、俺や律の情報を教えたのは、お前だな。」
横澤は高野をじっと見据えたまま動かず、返事もしない。
だがその無言は雄弁に、高野の言葉を肯定していた。
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「何でだ?横澤。俺はお前とは友人だと思っていた。お前もそうだと思っていたのに。」
「政宗。お前こそ嘘をつくな。俺は友人だなんて思ってなかった。知ってたはずだ。」
「何を。。。」
「俺はお前が好きだった。お前の『伴侶』になりたかったんだ!」
横澤が搾り出すように、自分の感情を吐露した。
高野が気がつかない振りをしていた横澤の気持ちが、言葉になってあふれ出す。
「お前が俺から距離を置き始めたのは、それに気がついたからだろ?」
「・・・そうだ。」
「ちょうどその頃、お前とアイツが一緒にいるのを見かけたんだ。」
「やはりそういうことなのか。」
高野は自分の予想が当たってしまったことに、肩を落とした。
高野が仕事を理由に、横澤から遠ざかり始めていた頃。
横澤は高野とある青年が一緒にいるところを、見た。
ちょうど高野の会社に入社したばかりの小野寺律だ。
高野が青年を見つめる優しい表情、熱い眼差し。
それを見た横澤は直感した。
高野はこの青年に恋をしている。
ひょっとしたらもう「伴侶」にしているのかもしれない。
そこに自分の割り込む余地はないのだと。
横澤は瀬那たちが誘拐されたとき、すぐに救出に向かっていた。
そして誘拐された者たちの中に律の顔を見つけたとき、驚いた。
だが次の瞬間、魔が差したのだ。
高野と律を引き離す、千載一遇のチャンスだと思ってしまった。
横澤は誘拐の実行犯たちに、高野の素性と律のことを話した。
そしてそのまま彼らを見逃したのだ。
彼らは律が「伴侶」なのかどうか、まず見極めようとするだろう。
もし「伴侶」ならば、どこかに売られていくに違いない。
そうでないにしても無事に返されることなどない。
そのまま高野の目に触れない場所に行ってしまえばいいと思った。
*****
「お前のせいで!律だけじゃなく瀬那も廉も、ひどいことになったんだぞ!」
「ひどいだと?吸血鬼に愛されてずっと生きられるヤツらに、同情なんかするか!」
「横澤!お前っ」
「小野寺律はどこにいる?」
高野と横澤の会話に、蛭魔が割って入った。
怒りで感情的に声を上げる高野と横澤は、冷静なその声に押し黙る。
「律が無事なら、俺たちはそれで手を引く。」
「滝井の処分だけはちゃんとしてもらえればな。」
蛭魔と阿部が交互に告げたその決断は、かなり寛大なものだった。
「それでいいのか?」
高野が信じられないという表情で、蛭魔と阿部を見た。
傷つけられたのはまぎれもなく、彼らの「伴侶」なのだ。
吸血鬼の「伴侶」の誘拐は、重大事件だ。
下手をすれば、吸血鬼と人間の争いに発展しかねないのだから。
それを察知しながら見逃したことが組織に知れれば、横澤自身が処分対象になる。
「横澤には俺たちもいろいろ世話になってる。処分されるのは見たくねぇよ。」
「今後『伴侶』の誘拐なんて、馬鹿なことを考えるヤツが出なけりゃいい。」
蛭魔と阿部は静かにそう答えると、穏やかな表情で横澤を見た。
「だがもしも。律が生きてなかったら」
高野がそう言うと、3人の吸血鬼たちの表情が一変した。
凍りつくような冷たい目と、口元だけに浮かべた薄情な笑み。
魔の者たちだけが持っている冷淡で残虐な表情だ。
「まだ生きているさ。滝井たちが監禁しているはずだ。」
横澤はついに負けを認めた。
そしてため息と共に、律が監禁されているビルの住所を白状した。
*****
「高野、さん。律に、逢える、かな?」
「大丈夫だよ。廉のおかげでね。」
不安そうな廉を、瀬那が励ますように笑った。
動けなくなった3人の吸血鬼たちに、血を分け与えたのは廉だった。
瀬那は血を取られすぎて意識が朦朧としており、もう血を与えられる状態ではなかった。
一同が瀬那の回復を待つしかないと諦めたその時。
廉は蛭魔たちに、自分の血を飲んで早く律を助けに行ってほしいと頼んだのだ。
男娼として売り飛ばされ、男の客の相手をさせられた。
そんな廉の心の傷は、未だ癒えていない。
でもせめて役に立ちたいと思った。
もしかしたら、身体を汚された分を埋め合わせたかっただけかもしれない。
だが廉の心を分析する余裕など、もうなかった。
とにかく一刻も早く律を救出するために、高野たちは廉の血を飲んで出かけた。
かくして廉も瀬那同様、極度の貧血状態になった。
さすがに3人の吸血鬼が動けるだけの血を飲まれると、きつい。
そして瀬那と廉はホテルのスィートルームでぐったりとソファに沈んでいた。
「僕は今まで何度も誘拐されたけど、いつも蛭魔さんが助けてくれた。」
「俺、も。隆也さん、来てくれた!」
「だから絶対、高野さんも律を助けるよ。」
瀬那と廉は顔を見合わせて笑う。
愛情深い吸血鬼たちは、最後は必ず愛する者を取り戻す。
それを信じられるから「伴侶」は幸せなのだ。
【続く】