アイシ×おお振り×セカコイ【お題:裏切り10題】
【あの日の約束】
「蛭魔、わかったぞ」
男は蛭魔の隣に腰を下ろす。
カチャカチャとノートパソコンを叩いていた蛭魔が、顔を上げた。
ここは蛭魔たちが現在滞在しているホテルのスィートルームだ。
共有スペースとして使っている部屋に、彼らはいた。
10名以上は楽に座れるであろう豪華なソファセット。
蛭魔も阿部も高野も、めいめい好き勝手な位置にどっかりと座っている。
「早かったな、武蔵」
蛭魔は男にそう答えると、労をねぎらうように微かに口元を緩ませる。
武蔵と呼ばれた男は黙って頷くと、蛭魔に数枚の紙片を手渡した。
武蔵(ムサシ)は、武蔵厳(たけくらげん)という人間の戸籍を持っている。
だがその正体は人間ではなく、蛭魔たちと同じ魔物だった。
蛭魔たちと同属、つまり吸血鬼ではない。
彼は植物や動物、人間の生気を糧にして生きている。
それらは人間にはわからないか、普通に辺りに漂っている。
だから普通に呼吸するだけで、摂取することはできるのだ。
人間からわざわざ血を摂取しなくてはならない吸血鬼より、生きるのは簡単だ。
武蔵はもう何百年も、蛭魔たちと行動を共にしている。
今の彼の仕事は、蛭魔のリムジンの運転手だ。
そして今回のようになにか事件があれば、蛭魔の手足となって動く。
役割的には主従関係だが、蛭魔は武蔵を対等な友人だと思っている。
*****
「政宗のマンションの管理会社で、瀬那たちが消えた直後に辞めたヤツがいる。」
武蔵は冷静な口調で、そう言った。
そして「蛭魔の読み通りだな」と付け加えた。
犯人はおそらく複数、組織的な犯行だろう。
そしてここで着目すべきは「伴侶」ではない律も一緒に連れ去っているということだ。
瀬那と廉は行動を共にしていたが、律がそこにいたのはまったくの偶然だ。
つまり犯人は律が何者なのか知らずに連れて行った可能性が高いということだ。
人間と吸血鬼との決め事の中に、警察の力が及ばないというのがある。
犯罪の被害者、もしくは加害者が吸血鬼かその「伴侶」だった時、警察は動かない。
だが人間である律は違う。
律がまったく関係のないマンションの住人だとしたら、警察に届けられる可能性がある。
それでも律を連れて行ったということは。
つまり警察が捜査をしてマンションの防犯カメラなどを調べられても平気だということだ。
そこまで推理した蛭魔は、まずはマンションの管理会社を武蔵に調べさせていた。
「その辞めた男の名前。。。倉田岳史?」
「そいつ、滝井の部下だ。」
武蔵から渡された紙片の一枚は、管理会社で保管していた倉田の履歴書だ。
その名を読み上げた蛭魔に、武蔵が補足するように答える。
すると2人のやりとりを聞いていた阿部が「滝井?」と呟いた。
ようやく手に入れたばかりの「伴侶」を奪われて、憔悴した表情だ。
「なるほど。廉をわざわざ『伴侶』にしてから誘拐したわけだ。隆也への私怨か。」
高野がそう結論付けると、阿部の表情が歪んだ。
タレ目のくせに目つきが悪いと日頃から評されている阿部。
その表情が、凶暴なものになる。
武蔵が突き止めた実行犯のグループは、阿部とちょっとした因縁のある相手だったのだ。
*****
「ひとまず報告は以上だ。瀬那たちの居場所を突き止めたら、また知らせる。」
「わかった。悪いな、武蔵。」
「いや、かまわん。俺だって瀬那たちが連れ去られたなんて気分が悪いからな。」
「よろしく頼む。」
蛭魔の言葉に、阿部も高野も武蔵に目だけで謝意を示した。
武蔵は軽く手を上げて答えると、部屋を出た。
蛭魔と武蔵が知り合ったのは、もう数百年も前のこと。
当時まだ生まれたばかりで、魔力もさほど強くなかった。
他の魔物たちと諍いになり、殺されそうになったのを助けてくれたのが蛭魔だった。
それまで蛭魔と武蔵はただの顔見知り、すれ違えば挨拶を交わす程度の知り合いだった。
だから武蔵は蛭魔に聞いた。なぜ自分を助けたのかと。
「俺を怖がらなかったヤツは、隆也以外じゃお前が初めてだったんだ。」
蛭魔はそう言った。
蛭魔は武蔵とは逆で、生まれたばかりの頃からすでに魔力が強かった。
だから他の吸血鬼や魔物たちからは、恐れられていた存在だったのだ。
「お前が気に入ったから。だから助けた。それだけだ。」
「わかった。では俺もそうしよう。」
それが蛭魔と武蔵があの日交わした約束だった。
それ以来、蛭魔と武蔵は行動を共にするようになった。
魔力は蛭魔や阿部や高野の方が強い。
武蔵が危機のとき、彼らは何度も助けてくれた。
蛭魔の「伴侶」瀬那は快く武蔵に生気をわけてくれた。
だから瀬那が拉致されたときには、何度も奪還のために手を貸してきた。
そして吸血鬼たちと武蔵の間には信頼関係が築かれていった。
今回も同じだ。瀬那たちを取り返す。
武蔵はそんな強い思いに突き動かされるように、足早に歩いた。
*****
「吸血鬼とか『伴侶』って!何なんですか?」
律が興奮気味に声を張り上げる。
瀬那と廉は、困ったように顔を見合わせた。
瀬那と廉と律は、依然として同じ部屋に監禁されていた。
後手に拘束されて、床に転がされた状態も変わらない。
瀬那と話をしたあの男は、先程出て行ってしまった。
今部屋にいるのは、3人だけだ。
「聞いてたんだ。律、くん。」
「すみません。寝た振りをしてて。。。」
先程まで部屋にいた犯人の一味の男との会話。
律は寝ているものだと思っていたから、不用意に話してしまった。
「あなたたちは何者なんですか?それに高野さんは?人間じゃないんですか?」
「律くん、落ち着いて。」
瀬那は混乱した様子の律に、困惑する。
冗談や嘘が通用する雰囲気ではない。
高野はさんざん悩んで、律から離れるという結論に達したのに。
軽々しく自分が話していいことなのだろうか?
「律、くんは、知る、権利、ある。」
黙って2人の様子を見ていた廉が、口を開いた。
「今、こんな目に、合ってる。それなのに、知らない、のは、かわいそう。」
廉はそう言うと、瀬那の目をじっと見た。
それにここから逃げた後、必要なら高野がまた律の記憶を消すだろう。
だから今は真実を話しても、問題はないはずだ。
廉は目だけで瀬那にそれを伝えると、瀬那は黙って頷いた。
「そうだね。話すよ。」
瀬那はそう前置きすると、話し始めた。
3人の吸血鬼とその「伴侶」の長い長い物語を。
*****
「瀬那は、どう、して、蛭魔、さん、の『伴侶』に、なった、の?」
沈黙してしまった部屋の中で、廉がポツリとそう聞いた。
唐突な質問に、瀬那は一瞬「え?」と戸惑う。
だがすぐに廉がそんなことを言い出した理由がわかった。
長い静寂がつらいのだ。
瀬那たちが試みたのは、もちろんここからの脱出だ。
まずは何とか拘束が外れないかと思ったが、無理だった。
3人を拘束しているのは紐ではなく、細い金属のチェーンだったからだ。
とても切れる代物ではない。
しかもがっちりと鍵でロックされていたのだ。
それでもどうにか縛られた状態で立ち上がってみた。
だが足もしっかり固められた状態で、歩くこともままならない。
この拘束が解かれなくては、チャンスはない。
ひとまず今出来るのは、待つことだ。
ただ待つのは、つらい。
しかも律はこちらに背中を向けたまま、じっと動かない。
高野が何者であるのか、また瀬那や廉の正体を知って、混乱しているのだろう。
瀬那も廉もいたたまれない気分で、沈黙に耐えていたのだ。
何かを話している方がいいかもしれない。
そうすれば少しは気もまぎれるかもしれない。
「僕が蛭魔さんの『伴侶』になったのは、ね」
瀬那はゆっくりと話し始めた。
先程律に話した吸血鬼たちの話より、さらに長い話。
瀬那と蛭魔が出逢うことになったいきさつを。
*****
まだ瀬那がただの人間だった頃、約500年前。
日本はまだ政治も安定していなかった。
瀬那は貧しい農村の生まれで、両親は早くに流行り病で死んでしまった。
姉と2人で、両親が残してくれた田畑を耕して暮らしていた。
貧しくて、とにかく必死に働く日々だ。
年貢を納めれば、手元に残るものはほんの僅かな食料しかない。
だから自分の家の田畑の作業のほかに、内職などもした。
あの頃は食べるためだけに一生懸命だったな、と瀬那は苦笑する。
蛭魔は当時、農民たちに神と崇められていた。
まだ吸血鬼として生を受けたばかりの蛭魔には、すでに強い魔力があった。
稲や野菜などの植物にちょっと力を行使すれば、生育がよくなる。
そのかわり毎年村の中から1人、生贄が捧げられる。
その生贄の血を吸って、蛭魔は命を繋ぎ、また田畑に力を授ける。
瀬那たちの村は、蛭魔とそういう契約を交わしていたのだ。
そしてある年、瀬那の姉が生贄になることになった。
村では代々若い女性が生贄に選ばれていた。
だから瀬那たち村人は、生贄の条件は女の子なのだと思っていた。
でも実はそうではなかったという。
あとで蛭魔に聞いたところ、できればなるべく若い者とだけ条件をつけていたそうだ。
そしてもう1つ、村人たちが知らない事実があった。
蛭魔は新しい生贄が来ると、前の年の生贄を村に帰らせていた。
だが村の長は帰ってきた生贄の少女を、売り飛ばしていたのだった。
売る先は今で言うところの売春宿、長はそれで私腹を肥やしていた。
村人たちはそんなことは知らされず、生贄は食べられてしまうのだと思っていた。
*****
「お願いします。姉ちゃんを殺さないで下さい。」
瀬那は生贄にされ、蛭魔の住む祠に連れて行かれる姉の後をこっそりついて行った。
そして蛭魔の前に飛び出すと、そう言って土下座したのだ。
蛭魔は「別に殺さねーけど」と戸惑った顔で、瀬那を見た。
これが2人の出逢いだった。
「お前、面白いな。来年の生贄が来るまで、ここにいろよ。」
蛭魔はそう言って瀬那を引き留め、姉は家に返してくれた。
後になって蛭魔は「一目惚れしたんだ」と白状した。
だがそのときの瀬那にはそんなことはわからない。
だが瀬那は蛭魔の言葉に従った。
瀬那は1年間、蛭魔と共に暮らした。
結局その年の生贄は、瀬那が姉の身代わりになったのだ。
僕の人間としての最後の1年は幸せだったよ、と瀬那は笑う。
血を吸われて、濃密に昼夜かまわず身体を重ねて、愛された。
生とか死とか「伴侶」なんて、何も知らずに。
「僕、ずっと蛭魔さんと一緒にいたい。」
あっと言う間に過ぎ去った1年。
次の生贄が来るときになって、瀬那は蛭魔にそうせがんだ。
だが蛭魔は駄目だと言った。
いつまでも蛭魔と一緒にいてはいけないのだと。
蛭魔は普通の人間として生きることが、瀬那が幸せだと考えたのだ。
瀬那もまた蛭魔に惹かれていたのだ。
蛭魔の祠を出た瀬那を、待ち受けていたのは村の長だった。
結局生贄にならずにすんだ瀬那の姉によって、村には知らされていた。
守り神「蛭魔」は、生贄の少女を食べたりしない。
血を吸うだけで、新しい生贄が来ると帰らせてくれるのだと。
では今までの娘たちはということになり、長の所業がバレたのだ。
村を追われた長は瀬那を逆恨みして、瀬那を殺そうと待ち構えていたのだ。
短刀で切りつけられた瀬那は瀕死の重傷を負った。
*****
「あとは廉と同じ。蛭魔さんは僕を死なせないために、僕を『伴侶』にしてくれた。」
「お、姉、さん、は?」
「新しく村の長になった人と結婚したんだ。」
その頃は戸籍などが今ほど整っていなかったし、吸血鬼と人間の取り決めもなかった。
だから「伴侶」になったからといって、すぐに隠れずにすんだのだ。
姉の幸せを見届けた瀬那は、蛭魔と共に村を離れることにした。
蛭魔は姉に瀬那を絶対に幸せにすると約束してくれた。
そしてあの日の約束を今も守り続けている。
「僕は人間としての暮らしを捨てるのに迷いはなかった。友だちなんかいなかったし。」
「そ、なの?」
「うん。学校なんか行ってないし。食べるだけで精一杯って暮らしだったんだ。」
「そう、か。」
「そういう時代、だったんだよ。」
瀬那と廉の話を、律は背中越しに聞いていた。
500年前だと多分、日本は戦国時代ではなかろうか。
そんな中で毎日食べるのが精一杯だったという瀬那。
とても律には想像できない話だ。
そのとき部屋の扉が開いた。
瀬那も廉も律も、思わず警戒して身を固くする。
ツカツカと足音を響かせながら現れたのは、最初に瀬那と話した男だった。
「小早川瀬那、三橋廉。買い手がついたぞ。出ろ。」
その言葉と共に、黒い服の男たちが数人室内に入ってきた。
瀬那も廉も懸命に暴れたが、苦もなく抱え上げられて運ばれていく。
「それから小野寺律。お前はもう少しここにいてもらう。」
男はそう言い放つと、部屋を出て行ってしまう。
暗い部屋に律1人が残された。
男は律のフルネームを呼んだ。
つまり律の素性は知れてしまったのだ。
頼みの瀬那も廉も連れて行かれてしまった。
律はこれからどうなるかわからない不安に怯えながら、ただ待つしかなかった。
【続く】
「蛭魔、わかったぞ」
男は蛭魔の隣に腰を下ろす。
カチャカチャとノートパソコンを叩いていた蛭魔が、顔を上げた。
ここは蛭魔たちが現在滞在しているホテルのスィートルームだ。
共有スペースとして使っている部屋に、彼らはいた。
10名以上は楽に座れるであろう豪華なソファセット。
蛭魔も阿部も高野も、めいめい好き勝手な位置にどっかりと座っている。
「早かったな、武蔵」
蛭魔は男にそう答えると、労をねぎらうように微かに口元を緩ませる。
武蔵と呼ばれた男は黙って頷くと、蛭魔に数枚の紙片を手渡した。
武蔵(ムサシ)は、武蔵厳(たけくらげん)という人間の戸籍を持っている。
だがその正体は人間ではなく、蛭魔たちと同じ魔物だった。
蛭魔たちと同属、つまり吸血鬼ではない。
彼は植物や動物、人間の生気を糧にして生きている。
それらは人間にはわからないか、普通に辺りに漂っている。
だから普通に呼吸するだけで、摂取することはできるのだ。
人間からわざわざ血を摂取しなくてはならない吸血鬼より、生きるのは簡単だ。
武蔵はもう何百年も、蛭魔たちと行動を共にしている。
今の彼の仕事は、蛭魔のリムジンの運転手だ。
そして今回のようになにか事件があれば、蛭魔の手足となって動く。
役割的には主従関係だが、蛭魔は武蔵を対等な友人だと思っている。
*****
「政宗のマンションの管理会社で、瀬那たちが消えた直後に辞めたヤツがいる。」
武蔵は冷静な口調で、そう言った。
そして「蛭魔の読み通りだな」と付け加えた。
犯人はおそらく複数、組織的な犯行だろう。
そしてここで着目すべきは「伴侶」ではない律も一緒に連れ去っているということだ。
瀬那と廉は行動を共にしていたが、律がそこにいたのはまったくの偶然だ。
つまり犯人は律が何者なのか知らずに連れて行った可能性が高いということだ。
人間と吸血鬼との決め事の中に、警察の力が及ばないというのがある。
犯罪の被害者、もしくは加害者が吸血鬼かその「伴侶」だった時、警察は動かない。
だが人間である律は違う。
律がまったく関係のないマンションの住人だとしたら、警察に届けられる可能性がある。
それでも律を連れて行ったということは。
つまり警察が捜査をしてマンションの防犯カメラなどを調べられても平気だということだ。
そこまで推理した蛭魔は、まずはマンションの管理会社を武蔵に調べさせていた。
「その辞めた男の名前。。。倉田岳史?」
「そいつ、滝井の部下だ。」
武蔵から渡された紙片の一枚は、管理会社で保管していた倉田の履歴書だ。
その名を読み上げた蛭魔に、武蔵が補足するように答える。
すると2人のやりとりを聞いていた阿部が「滝井?」と呟いた。
ようやく手に入れたばかりの「伴侶」を奪われて、憔悴した表情だ。
「なるほど。廉をわざわざ『伴侶』にしてから誘拐したわけだ。隆也への私怨か。」
高野がそう結論付けると、阿部の表情が歪んだ。
タレ目のくせに目つきが悪いと日頃から評されている阿部。
その表情が、凶暴なものになる。
武蔵が突き止めた実行犯のグループは、阿部とちょっとした因縁のある相手だったのだ。
*****
「ひとまず報告は以上だ。瀬那たちの居場所を突き止めたら、また知らせる。」
「わかった。悪いな、武蔵。」
「いや、かまわん。俺だって瀬那たちが連れ去られたなんて気分が悪いからな。」
「よろしく頼む。」
蛭魔の言葉に、阿部も高野も武蔵に目だけで謝意を示した。
武蔵は軽く手を上げて答えると、部屋を出た。
蛭魔と武蔵が知り合ったのは、もう数百年も前のこと。
当時まだ生まれたばかりで、魔力もさほど強くなかった。
他の魔物たちと諍いになり、殺されそうになったのを助けてくれたのが蛭魔だった。
それまで蛭魔と武蔵はただの顔見知り、すれ違えば挨拶を交わす程度の知り合いだった。
だから武蔵は蛭魔に聞いた。なぜ自分を助けたのかと。
「俺を怖がらなかったヤツは、隆也以外じゃお前が初めてだったんだ。」
蛭魔はそう言った。
蛭魔は武蔵とは逆で、生まれたばかりの頃からすでに魔力が強かった。
だから他の吸血鬼や魔物たちからは、恐れられていた存在だったのだ。
「お前が気に入ったから。だから助けた。それだけだ。」
「わかった。では俺もそうしよう。」
それが蛭魔と武蔵があの日交わした約束だった。
それ以来、蛭魔と武蔵は行動を共にするようになった。
魔力は蛭魔や阿部や高野の方が強い。
武蔵が危機のとき、彼らは何度も助けてくれた。
蛭魔の「伴侶」瀬那は快く武蔵に生気をわけてくれた。
だから瀬那が拉致されたときには、何度も奪還のために手を貸してきた。
そして吸血鬼たちと武蔵の間には信頼関係が築かれていった。
今回も同じだ。瀬那たちを取り返す。
武蔵はそんな強い思いに突き動かされるように、足早に歩いた。
*****
「吸血鬼とか『伴侶』って!何なんですか?」
律が興奮気味に声を張り上げる。
瀬那と廉は、困ったように顔を見合わせた。
瀬那と廉と律は、依然として同じ部屋に監禁されていた。
後手に拘束されて、床に転がされた状態も変わらない。
瀬那と話をしたあの男は、先程出て行ってしまった。
今部屋にいるのは、3人だけだ。
「聞いてたんだ。律、くん。」
「すみません。寝た振りをしてて。。。」
先程まで部屋にいた犯人の一味の男との会話。
律は寝ているものだと思っていたから、不用意に話してしまった。
「あなたたちは何者なんですか?それに高野さんは?人間じゃないんですか?」
「律くん、落ち着いて。」
瀬那は混乱した様子の律に、困惑する。
冗談や嘘が通用する雰囲気ではない。
高野はさんざん悩んで、律から離れるという結論に達したのに。
軽々しく自分が話していいことなのだろうか?
「律、くんは、知る、権利、ある。」
黙って2人の様子を見ていた廉が、口を開いた。
「今、こんな目に、合ってる。それなのに、知らない、のは、かわいそう。」
廉はそう言うと、瀬那の目をじっと見た。
それにここから逃げた後、必要なら高野がまた律の記憶を消すだろう。
だから今は真実を話しても、問題はないはずだ。
廉は目だけで瀬那にそれを伝えると、瀬那は黙って頷いた。
「そうだね。話すよ。」
瀬那はそう前置きすると、話し始めた。
3人の吸血鬼とその「伴侶」の長い長い物語を。
*****
「瀬那は、どう、して、蛭魔、さん、の『伴侶』に、なった、の?」
沈黙してしまった部屋の中で、廉がポツリとそう聞いた。
唐突な質問に、瀬那は一瞬「え?」と戸惑う。
だがすぐに廉がそんなことを言い出した理由がわかった。
長い静寂がつらいのだ。
瀬那たちが試みたのは、もちろんここからの脱出だ。
まずは何とか拘束が外れないかと思ったが、無理だった。
3人を拘束しているのは紐ではなく、細い金属のチェーンだったからだ。
とても切れる代物ではない。
しかもがっちりと鍵でロックされていたのだ。
それでもどうにか縛られた状態で立ち上がってみた。
だが足もしっかり固められた状態で、歩くこともままならない。
この拘束が解かれなくては、チャンスはない。
ひとまず今出来るのは、待つことだ。
ただ待つのは、つらい。
しかも律はこちらに背中を向けたまま、じっと動かない。
高野が何者であるのか、また瀬那や廉の正体を知って、混乱しているのだろう。
瀬那も廉もいたたまれない気分で、沈黙に耐えていたのだ。
何かを話している方がいいかもしれない。
そうすれば少しは気もまぎれるかもしれない。
「僕が蛭魔さんの『伴侶』になったのは、ね」
瀬那はゆっくりと話し始めた。
先程律に話した吸血鬼たちの話より、さらに長い話。
瀬那と蛭魔が出逢うことになったいきさつを。
*****
まだ瀬那がただの人間だった頃、約500年前。
日本はまだ政治も安定していなかった。
瀬那は貧しい農村の生まれで、両親は早くに流行り病で死んでしまった。
姉と2人で、両親が残してくれた田畑を耕して暮らしていた。
貧しくて、とにかく必死に働く日々だ。
年貢を納めれば、手元に残るものはほんの僅かな食料しかない。
だから自分の家の田畑の作業のほかに、内職などもした。
あの頃は食べるためだけに一生懸命だったな、と瀬那は苦笑する。
蛭魔は当時、農民たちに神と崇められていた。
まだ吸血鬼として生を受けたばかりの蛭魔には、すでに強い魔力があった。
稲や野菜などの植物にちょっと力を行使すれば、生育がよくなる。
そのかわり毎年村の中から1人、生贄が捧げられる。
その生贄の血を吸って、蛭魔は命を繋ぎ、また田畑に力を授ける。
瀬那たちの村は、蛭魔とそういう契約を交わしていたのだ。
そしてある年、瀬那の姉が生贄になることになった。
村では代々若い女性が生贄に選ばれていた。
だから瀬那たち村人は、生贄の条件は女の子なのだと思っていた。
でも実はそうではなかったという。
あとで蛭魔に聞いたところ、できればなるべく若い者とだけ条件をつけていたそうだ。
そしてもう1つ、村人たちが知らない事実があった。
蛭魔は新しい生贄が来ると、前の年の生贄を村に帰らせていた。
だが村の長は帰ってきた生贄の少女を、売り飛ばしていたのだった。
売る先は今で言うところの売春宿、長はそれで私腹を肥やしていた。
村人たちはそんなことは知らされず、生贄は食べられてしまうのだと思っていた。
*****
「お願いします。姉ちゃんを殺さないで下さい。」
瀬那は生贄にされ、蛭魔の住む祠に連れて行かれる姉の後をこっそりついて行った。
そして蛭魔の前に飛び出すと、そう言って土下座したのだ。
蛭魔は「別に殺さねーけど」と戸惑った顔で、瀬那を見た。
これが2人の出逢いだった。
「お前、面白いな。来年の生贄が来るまで、ここにいろよ。」
蛭魔はそう言って瀬那を引き留め、姉は家に返してくれた。
後になって蛭魔は「一目惚れしたんだ」と白状した。
だがそのときの瀬那にはそんなことはわからない。
だが瀬那は蛭魔の言葉に従った。
瀬那は1年間、蛭魔と共に暮らした。
結局その年の生贄は、瀬那が姉の身代わりになったのだ。
僕の人間としての最後の1年は幸せだったよ、と瀬那は笑う。
血を吸われて、濃密に昼夜かまわず身体を重ねて、愛された。
生とか死とか「伴侶」なんて、何も知らずに。
「僕、ずっと蛭魔さんと一緒にいたい。」
あっと言う間に過ぎ去った1年。
次の生贄が来るときになって、瀬那は蛭魔にそうせがんだ。
だが蛭魔は駄目だと言った。
いつまでも蛭魔と一緒にいてはいけないのだと。
蛭魔は普通の人間として生きることが、瀬那が幸せだと考えたのだ。
瀬那もまた蛭魔に惹かれていたのだ。
蛭魔の祠を出た瀬那を、待ち受けていたのは村の長だった。
結局生贄にならずにすんだ瀬那の姉によって、村には知らされていた。
守り神「蛭魔」は、生贄の少女を食べたりしない。
血を吸うだけで、新しい生贄が来ると帰らせてくれるのだと。
では今までの娘たちはということになり、長の所業がバレたのだ。
村を追われた長は瀬那を逆恨みして、瀬那を殺そうと待ち構えていたのだ。
短刀で切りつけられた瀬那は瀕死の重傷を負った。
*****
「あとは廉と同じ。蛭魔さんは僕を死なせないために、僕を『伴侶』にしてくれた。」
「お、姉、さん、は?」
「新しく村の長になった人と結婚したんだ。」
その頃は戸籍などが今ほど整っていなかったし、吸血鬼と人間の取り決めもなかった。
だから「伴侶」になったからといって、すぐに隠れずにすんだのだ。
姉の幸せを見届けた瀬那は、蛭魔と共に村を離れることにした。
蛭魔は姉に瀬那を絶対に幸せにすると約束してくれた。
そしてあの日の約束を今も守り続けている。
「僕は人間としての暮らしを捨てるのに迷いはなかった。友だちなんかいなかったし。」
「そ、なの?」
「うん。学校なんか行ってないし。食べるだけで精一杯って暮らしだったんだ。」
「そう、か。」
「そういう時代、だったんだよ。」
瀬那と廉の話を、律は背中越しに聞いていた。
500年前だと多分、日本は戦国時代ではなかろうか。
そんな中で毎日食べるのが精一杯だったという瀬那。
とても律には想像できない話だ。
そのとき部屋の扉が開いた。
瀬那も廉も律も、思わず警戒して身を固くする。
ツカツカと足音を響かせながら現れたのは、最初に瀬那と話した男だった。
「小早川瀬那、三橋廉。買い手がついたぞ。出ろ。」
その言葉と共に、黒い服の男たちが数人室内に入ってきた。
瀬那も廉も懸命に暴れたが、苦もなく抱え上げられて運ばれていく。
「それから小野寺律。お前はもう少しここにいてもらう。」
男はそう言い放つと、部屋を出て行ってしまう。
暗い部屋に律1人が残された。
男は律のフルネームを呼んだ。
つまり律の素性は知れてしまったのだ。
頼みの瀬那も廉も連れて行かれてしまった。
律はこれからどうなるかわからない不安に怯えながら、ただ待つしかなかった。
【続く】