アイシ×おお振り×セカコイ【お題:裏切り10題】

【雷雨の夜】

「お願い、助かって」
搬送された救急病院の病室で、律は途方にくれていた。
必死の思いで呟いた言葉が、深夜の病室に虚しく響いた。

コンビニに行こうとしていた律は、見てしまった。
前方を歩いていた青年にバイクに乗った男が近づき、刃物を振り上げたのを。
そして青年を切りつけて、バイクは走り去った。
驚いて駆け寄って、その青年に見覚えがあることに気付いた。
あのリムジンを見かけた日に見た茶髪の青年。
後から乗り込んだ黒ずくめの青年と一緒にいた彼だ。

だがそれだけで律は彼の名前も知らない。
だから高野に連絡を取り、来てくれるように頼んだ。
どうやら高野はこの青年を知っているようだったからだ。

病院の医師は、この青年を少し診察しただけですぐに首を振った。
そして「ご家族を呼んでください」と、申し訳なさそうにそう言ったのだ。
彼の命は消えかけていて、もう救えないということなのだろう。
なす術もない律は青年の横に座り、彼の手を握って励まし続けていた。

そんな短いような長いような時間の後。
夜の静寂を破って、廊下をバタバタと走る足音が聞こえてきた。
近づいてきた足音が、この病室の前で止まる。
そしてバタンと乱暴にドアが開け放たれ、3人の青年が入ってきた。

******

「廉!」
阿部隆也は、深夜の病院の廊下を急いだ。
後に蛭魔妖一と高野政宗が続く。
そして目指す病室を見つけると、勢いよく中に踊りこんだ。

病室にいるのは、若い男性の医師が1人と女性の看護師が1人。
そして阿部の「伴侶」となる青年、廉と高野の最愛の青年、律だ。
息を切らせながらベットに駆け寄る阿部を見て、律は静かに立ち上がった。
何も言われなくても、阿部の廉への想いがわかったのだろう。
阿部は律に「ありがとう」と小さく声をかけると、律が座っていた場所に腰を下ろした。

「手は尽くしました。もう。。。」
そう言いかけた医師の顔の前に、蛭魔が右手をかざした。
そして高野も同じように、看護師の前に手をかざす。
すると医師と看護師は、その場にバタリと倒れてしまった。
そんな蛭魔と高野の行動に、律は怯えた表情になった。

「色々聞きたいだろうけど、少し黙ってろ。」
高野がすかさず律の背後に回り、耳元に唇を寄せてそう囁いた。
悲鳴を上げようとした律の口が、高野の右手でふさがれる。
そして左腕も回され、抱きしめられるような形で拘束されてしまう。
窓の外では雷鳴が轟き、激しくなった雨の音が律を威圧するように響いた。

おかしい。この人たちはおかしい。
そして自分の動きを拘束しているこの男は、本当に高野なのか?
指一本触れずに人間を倒してしまった高野たちに、律は激しく動揺していた。

******

廉のベットの横に座った阿部は、ポケットから黒い破片を取り出した。
それは折りたたみ型の小さなナイフで、畳んでしまえば手の中に納まるほどの小さいものだ。
阿部は右手にそれを持ち、左の手首に当てるとためらいなく引いた。
そして手首に唇を寄せて、あふれる自分の血を口に含んだ。

阿部はそのままベットに眠る廉の顔を見た。
ここが最後の別れ道だ。
このまま何もしなければ、廉は人間として死ぬことができる。
だがここでこのまま阿部の「伴侶」にしてしまえば、もう戻れない。
廉は「伴侶」という魔物になり、数奇な運命を生きなければならない。
死ぬことも出来ず、永遠という長い時間を。

「阿部、どうする?」
蛭魔がまるで最終確認だと言わんばかりに、そう聞いた。
高野は律を腕に抱えながら、黙ってじっと阿部の顔を見ている。
本当は廉に自分で決めてほしかった。
だがこのままでは、廉の命が消えてしまう。
阿部が決断するしかない。

阿部は意を決すると、廉におおいかぶさるように唇を寄せた。
そして口移しで自分の血を、廉の身体に送り込む。
古来から吸血鬼の間で語り継がれる秘密の儀式。
自分の血を飲ませることで、その人間は自分の「伴侶」になる。

廉にはいつか恨まれるかもしれない。
なぜあの時、死なせてくれなかったのかと。
だが阿部はこのまま永遠に廉と別れるなんて、嫌だった。
廉を助けるためには、永遠に死なない「伴侶」にするしか道はない。

******

「!!」
律はその光景を見て、驚愕した。
ナイフで自分を切りつける行為もさることながら。
阿部がその血を吸い取ったその手には、もう傷1つない。
そして口移しで血を与えた瞬間、廉は目を開けた。
今まであんなに苦しそうで、顔色が悪かったのに。
医者でさえ、もう何もできなかったのに。
廉はまるでちょっと眠っていただけという風情で目を開け、身体を起こした。

「ごめん、ごめんな。廉」
「阿部、く?俺、どうした、んだ?」
「事件にあったんだ。死にかかったんだ。だから。」
「俺、阿部くん、の『伴侶』に、なったのか?」
阿部が手を伸ばして、廉の髪をくしゃくしゃとなでた。
廉は両腕を回して、阿部の身体を抱きしめる。

「時間がない。とりあえず出るぞ。」
蛭魔がそう声をかけると、阿部が「わかった」と頷いた。
阿部にうながされた廉が、スタンと勢いよくベットから降りる。
さっきまで死にかけていたのに、別人のように軽い足取りだった。

「ここで見たことは、全部忘れろ。」
高野が律の耳元でそう囁くと、律の口をふさいでいた右手を律の顔の前にかざした。
その瞬間、律の意識がクラクラと酩酊した。
まるで強い酒でも飲んで、一気に酔っ払ったように。
そしてそのまま高野に背中を預けながら、律は意識を失った。

******

「うまくいったんですね。」
リムジンの中で一同の帰りを待っていた瀬那は、そう言ってホッと胸を撫で下ろした。
帰ってきた吸血鬼たちの中に、阿部の「伴侶」となった廉がいたからだ。
リムジンに乗り込んだ蛭魔が、瀬那の横に腰を下ろす。
先程まで高野に血を吸われてまだ身体が自由に動かない瀬那が、蛭魔に身体を預けた。

「高野さんは?」
「タクシーを拾った。あの子を送って帰るそうだ。」
瀬那の問いに答えたのは、蛭魔の真向かいに座った阿部だった。
その横には廉が座って、阿部の手をしっかりと握っている。
生き返った廉は、まだどこか呆然とした表情だった。
自分はもう人間ではないと言われても、正直言って実感がない。
まったく今までと変わるところがないからだ。

「俺、は。これから。。。」
「とりあえず表向きは死んだことになる。新しい戸籍を用意しないとな。」
廉の問いに、蛭魔が静かにそう答えた。
あの医者と看護師の記憶は消した。
病院の方にも手を回して、廉が運び込まれたという記録も消さなくてはいけない。
戸籍の前に、まずは今日の後始末だ。

「もう、会えない、ですか?お父、さん、お母さん、も。」
「廉、ごめんな」
阿部は廉の両肩をつかんでこちらを向かせると、そっと抱きしめた。
廉はこれから人間としての道を外れてしまったことを思い知ることになる。
沈黙が降りたリムジンに雨の音が響き、窓の外では雷が閃いた。

******

「もしかしたら」
あの青年-律も危ないかもしれない。
そう言いかけた瀬那だったが、蛭魔が肩を抱く腕に力を込めて、それを止めた。
今は言わない方がいい。
少なくてもまだ「伴侶」となったばかりで、混乱しているであろう廉の前では。

吸血鬼という存在があまり知られていない上「伴侶」という存在はさらに知られていない。
だが人間と吸血鬼の間に共存の取り決めがある以上、まったく秘密にはできない。
そして「伴侶」の存在を知っている者の中には、邪悪なことを考える輩もいる。
吸血鬼のように魔力は持たないから、捕らえやすい。
その上歳も取らないし、食事を与えなくても死なない。
何よりも、吸血鬼が選ぶ伴侶は概ね見目形が麗しいのだ。
だから彼らは吸血鬼の「伴侶」に商品価値を見出す。
その用途は主に性的なものだ。

瀬那も何度か拉致されたことがある。
その都度、蛭魔が嵐のような勢いで奪還した。
だがその蛭魔も阿部も、廉の襲撃は予想できなかった。
わざと廉に即死には至らないが、致命傷になるダメージを与える。
そして阿部が、廉を「伴侶」にするように仕向けたのだ。
こうして今度は「伴侶」となった廉を拉致するつもりなのだろう。
つまり阿部の迷いを知られて、先手を打たれたのだ。
そして同じ理屈で、今度は律が狙われるかもしれない。

リムジンの緩やかな揺れに、瀬那も廉もウトウトと眠り始めた。
それぞれの「伴侶」を腕に抱きながら、蛭魔と阿部は顔を見合わせた。

******

高野はすやすやと寝息を立てて眠る律の顔を、ずっと眺めている。
ここは律の部屋だ。
律の綺麗な容姿に似合わず、散らかっている部屋に高野は苦笑した。
だが多分、もう律の部屋に入ることはないだろう。

高野もまた迷っていたが、今日の事件で決心がついた。
今度こそ律の手を離してやろう。
さすがに同じ職場で仕事をしているから、律から高野に関する記憶を全部消すことは出来ない。
そんなことをすれば、日常生活も差し支えてしまう。
このまま律とは距離を置いて、仕事が一区切りしたら会社を去るのがいいだろう。

そして高野は、今までの律と自分の関係を思い起こした。
恋人として付き合っていた阿部と廉とは違う。
自分と律は表向きはあくまで会社の先輩後輩だ。
律は廉のように吸血鬼の「伴侶」候補として、狙われてはいないはずだ。

「律、さよならだ。」
高野は手を伸ばすと、律の髪に触れた。
細くてサラサラとした綺麗な髪に、いつまでも触れていたい。
だが高野は意を決して、律から手を離して立ち上がった。
律の記憶を消した上、催眠の術を施した。
だから会社から帰宅した後の記憶はなくなっているはずだ。

雷雨の夜、3人の吸血鬼は決意を固めた。
大事に思うかわいい存在を、絶対に守ると。

【続く】
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