アイシ×おお振り×セカコイ【お題:裏切り10題】

【ほんの少しの違和感】

小野寺律はパソコンから目を上げて、斜め右に視線を向けた。
その先にあるのは、高野の席だ。
ここ最近、何度もこうして高野を盗み見ている。
だが高野はそんな律の視線には、まったく気がついていないようだった。

ここのところ、高野の様子がおかしい。
律はそのことが気がかりでならなかった。
そもそも忙しい職場ではあったが、ここ最近は輪をかけて忙しい。
だから顔色が悪いことには随分前から気がついていたが、最初はそのせいだと思っていた。
他の社員も何よりも律本人も、最近疲れ気味だという自覚はあったからだ。
最初はそんなほんの少しの違和感だった。

だがどうやらそれだけではない。
明らかにどこか集中力を欠いており、心なしかぼんやりした表情だ。
それでいてたまに律と目が合うときには、ひどく思いつめた顔をしている。
高野が悩み事を抱えているのは、間違いないと思う。
そんな状態で仕事ではミスがないのだから、大したものだ。

高野の様子がおかしくなってから、律との会話も減っている。
強引に抱きしめたり、キスを仕掛けることもなくなった。
それは喜ばしいことのはずなのに、寂しいとも思う。
何か力になれないのだろうか。
結局、律もまたグルグルと悩んでしまっていた。

*****

「あ、高野さん。お疲れ様です。」
高野が律に気付いて「おぅ」と短く応じた。
会社帰り、律は自宅マンションのエントランスホールで高野に会った。
高野は律よりも一足先に帰宅していたのだが、どこかで寄り道でもしたのだろう。
どうやら追いついてしまったらしい。

2人でエレベーターに乗り、自分たちの部屋がある12階に上がる。
そもそも同じマンションの隣室に住むのだから、待っててくれてもいいのに。
律は帰る道すがら、ずっとそんなことを考えていた。
それに今だって高野の態度は、心ここにあらずという感じで素っ気ない。
避けられているわけではないが、どうにも違和感が拭えなかった。

「こんばんは、高野さん。」
12階でドアが開き、高野がエレベーターから降りると、そんな声が聞こえた。
高野に続いて、エレベーターを降りた律は、声の主の方を見て驚く。
一番手前の高野の部屋の前。
そのドアにもたれかかりながら、1人の青年が立っていた。
彼は先日リムジンに乗っていた小柄な黒髪の青年だ。

「蛭魔に言われてきたのか?」
「はい。高野さんが最近いらっしゃらないから、心配してました。」
「わざわざ悪いな。」
「いえ。でも、あの、お友達がいらしているなら、また改めて来ますけど。」
黒髪の青年は律の方をチラリと見ると、ペコリと頭を下げた。
2人の会話を無言でただ聞いていた律も、慌てて頭を下げる。
だが高野は「いや、いいんだ」と言いながら、自分の部屋の鍵を開けた。

「小野寺、また明日な。瀬那、入ってくれ」
高野はそう言うと、さっさと自分の部屋に入っていく。
瀬那と呼ばれた青年も「おやすみなさい」と律に声をかけて、後に続いた。
残された律は、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。

*****

「さっきのあの人が高野さんの大事な人ですか?」
部屋に招き入れられた瀬那は、そう言った。
高野は何も答えずに、手でソファを示して座るようにと促した。
そしてキッチンで薬缶を火にかけ、コーヒーを淹れる準備をする。

「あんなに冷たい態度で。嫌われちゃいますよ?」
「いいんだ。アイツは関係ない。」
「でも、彼を『伴侶』にしようと思ってるんじゃ。。。」
「気が変わったんだ。今はアイツを巻き込みたくない。」
キッチンから聞こえる高野の声に、瀬那は顔をしかめた。

高野政宗も蛭魔妖一や阿部隆也と同様、吸血鬼だ。
もう200年以上生きている。
蛭魔や阿部と比べれば半分ほどの年齢だが、不老不死の彼らには関係ない。
そもそも年齢を数えようという習慣がないのだ。
高野も阿部同様「伴侶」を持たない吸血鬼。
だから友人の蛭魔の「伴侶」瀬那の血を、定期的に分けてもらっている。

高野は数年前まで嵯峨政宗と名乗っていた。
そのころには今よりもかなり若い10代に見える容姿をしていた。
多くの吸血鬼は、何も加工を施さなければ10代後半くらいで成長が止まる。
そのままの容姿でずっと老いることはない。
だがそれでは現代を生きるのは難しい。
未成年ではいろいろと法的な規制があるからだ。
だからエイジング処理を施し、20代半ばくらいまで外見を成長させるのだ。

数年前にエイジング処理をし、名前も高野と改め、戸籍を変えた。
そして過去に決別した途端に、別れたはずの想い人、小野寺律に再会してしまったのだ。

*****

「瀬那、お前は今幸せか?」
高野は瀬那の前に、コーヒーを置きながらそう言った。
そして自分の分のコーヒーをテーブルに置き、瀬那の隣に腰掛ける。

「幸せですよ。好きな人とずっと生きられるんですから。」
高野の目を真っ直ぐに見る瀬那。
その答えに迷いはなかった。
高野はコーヒーのカップを口に運びながら「そうか」と答えた。

瀬那は吸血鬼ではない普通の人間であるけど、高野より長く生きている。
高野が蛭魔と知り合ったとき、瀬那はもう蛭魔の「伴侶」だった。
家族を捨て、友人を捨て、人間であることさえ捨てた。
悲しみや苦しみがなかったとは、到底思えない。

10年前高野が律と恋におちたとき、高野は律の前から姿を消した。
吸血鬼の「伴侶」にするなど、出来ないと思ったのだ。
だかもしも。もう一度出逢えたら、それは運命だ。
そのときこそ「伴侶」にしようと思っていた。
そして2人はあっけなく再会してしまった。

再会してしばらくは、また出逢えた喜びに浮かれて「好きだ」と告白した。
だがこの前蛭魔のリムジンに乗り込む阿部を見て、また迷い始めたのだ。
あのリムジンの中は、普通の人間が関わってはいけない魔物たちが乗っている。
その中に律を巻き込むことは、律にとって幸せとは思えない。

高野はそっと瀬那の身体を抱き寄せて、その首元に顔を埋めた。
瀬那の首筋に歯を当てて噛み付くと、瀬那が「ああっ」と声を上げて、顔をゆがめた。

*****

「くっ」
蛭魔妖一は、思わず顔をしかめてしまった。
向かいに座る阿部が「大丈夫か?」という表情で蛭魔の顔をのぞきこむ。
だが蛭魔は顔をしかめたまま、歯を食いしばって答えない。
多分今、高野が瀬那の血を吸っているのだろう。
瀬那の苦痛が主である蛭魔に伝わってきたのだ。

蛭魔はリムジンを高野のマンション前に停めて、待っていた。
しばらく血を口にいなかった高野には、少々多目の血が必要なはずだ。
多分瀬那はまた貧血状態で意識を失ってしまう。
だからこうして高野の「食事」が終わるまで、こうして待っているのだった。

「蛭魔、悪いな。」
阿部が蛭魔にあやまる理由はただ1つ。
阿部も高野も、蛭魔の大事な「伴侶」である瀬那の血を飲んでいることだ。
最低週に1度、血を摂取しなければならない
その吸血鬼3人に血を与えている瀬那は、2日に1回は血を吸われている。
その都度フラフラになり、倒れてしまう瀬那にはかなりの無理を強いている。
そしてその主たる蛭魔は、いつもつらそうな表情だ。
「気にする必要はねぇよ。」
そう答えた蛭魔の手が震えていた。
本人は努めてさり気なく答えたつもりだろうが、つらいのは間違いないのだろう。

阿部は生涯の「伴侶」は廉であり、廉以外の者は「伴侶」にしないとまで思っている。
だが血を吸われて苦しそうな瀬那を見るたびに、迷うのだ。
人間としての全てを捨てさせて、与えられるのは苦しみだけなのか。
そこまでして廉を「伴侶」としていいのだろうか。

*****

律は一度帰宅したものの、外へ出ることにした。
気分転換がてらの夜の散歩。
とりあえず空腹だし、コンビニで夜食でも買おう。
携帯電話と財布だけ持って、律はマンションを出た。

高野が「瀬那」と呼んだあの青年は誰なのだろう?
律は2人の関係が気になって仕方がない。
入り込む隙などなさそうな、親密な雰囲気だった。
やはりまだ高野のことが好きなのだと、律は改めて思う。
もう付き合うつもりはないなんて言いながら、気になって仕方がない。
ほかの誰かが高野と付き合うことになったら、絶対に嫌だと思う。

コンビニまでの道は、街路灯も少なくて暗い上、人通りも少ない。
今だって100メートルほど前方に、通行人の影が1人だけ見える。
後ろを振り返れば誰もおらず、正直言って怖い。

過敏になりすぎている、と律は苦笑した。
男であるから痴漢の心配はいらないし、小銭しか持っていないから強盗の心配もない。
だが吹き抜ける風は妙に生暖かい湿気を含んでいて、空はゴロゴロと鳴っている。
どうやら雷雨になりそうだ。

不意に背後から聞こえるエンジン音に、律はビクリと背中を揺らした。
だがすぐに律の横を一台のオートバイがすり抜け、追い越していく。
いつものコンビニまでの道のりが、なぜこんなに不気味に感じるのだろう?
ただバイクが走って行っただけなのに。
ほんの少し、だが確かに違和感がある。

とにかく雨が降り出す前に帰りたいと、律はコンビニへと急ぐ。
だがすぐに軋むようなオートバイのブレーキ音が聞こえた。
先程律の横をすり抜けていったオートバイだ。
慌てて目を凝らして前方を見た律は、その光景に驚愕した。

*****

瀬那の血で「食事」を済ませた高野は、タバコを吸っていた。
喫煙は高野の悪癖だ。
阿部は能力が低下するから止めた方がいいと言う。
蛭魔は人間の真似をするなんて馬鹿だと暴言を吐く。
だが覚えてしまったタバコの味は、高野を魅了する。

タバコを1本吸い終わったら、蛭魔に連絡して瀬那を迎えに来させる。
だがその前に高野の携帯電話が、着信音を響かせた。
表示された名前は「小野寺律」だ。
一瞬躊躇した高野だったが、すぐに電話に出た。

「はい。」
『高野さん、通り魔が。俺の、目の前、で。』
「小野寺?」
『人を襲って、血が、いっぱい。。。それで』
どうやら目の前で、何かの事件を目撃したらしい。
律の声はか細く震え、ひどく取り乱しているようだった。

「お前は無事なんだな?」
『はい。』
「犯人は?」
『オートバイで、逃げました。』
「襲われたのは、知り合いか?」
『はい、いえ、あの、その』
律の答えは要領を得ない。
混乱している律は、懸命に考えをまとめようとしているようだった。

*****

『高野さんの、知り合いの、あのリムジンの』
「え?」
『リムジンに、乗らずに見送ってた、あの茶髪の人です。』
「なんだと?」
『救急車が来たので一緒に行きます。また電話します。」
話しているうちに、律は落ち着きを取り戻したようだ。
最後の方は口調もだいぶしっかりしてきて、通話が切れた。

だがまるで入れ替わるように、高野は事の重大さを理解し、激しく動揺していた。
あの時、リムジンに乗らずに見送ってた茶髪の青年。
阿部が「伴侶」と決めた青年。
律の目の前で襲われたのは、三橋廉だ。

律は通り魔と言っていたが、多分違う。
犯人は三橋廉を狙ったのだ。
理由は吸血鬼が「伴侶」と決めた相手だからだ。
これでもう阿部と廉は後戻りが出来なくなった。
だがそれを目撃したのが律だとは、なんという皮肉だろう。

今ならまだ間に合う。
律を廉と同じ目に合わせるわけにはいかない。
逃がしてやれる。
高野はそう決意すると、もう一度携帯電話を操作する。

友人である阿部隆也に。
彼の「伴侶」の青年のことを知らせるためだ。

【続く】
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