アイシ×おお振り×セカコイ【お題:裏切り10題】
【柔らかな日々】
「うわぁ。。。」
小野寺律は思わず感嘆の声を上げた。
そして目の前に広がるドラマのような光景に見蕩れた。
それは帰り道のことだった。
会社を出て、駅へと向かう道の途中。
隣に並んで歩くのは、隣人であり上司である横暴な男。
そして律の初恋の相手でもある高野政宗だ。
高校時代のほんの短い間だけ付き合っていた男と、律は社会人になって入社した会社で再会した。
高野は律に「もう一度俺を好きと言わせる」と宣言している。
そして何だかんだで律にセクハラまがいのちょっかいをかけてくる。
しかも何の運命のいたずらか、高野は同じマンションの隣の部屋に住んでいるのだ。
律は会社でも家でも、気が休まらない日々を送っている。
本当は高野のことをまだ好きなのだと思う。
だけどもう昔の恋愛に縛られたくない。
もう「好き」という気持ちだけでよかった高校時代とは違うのだ。
家、会社、世間体などいろいろ余計なことを考えると、男同士の恋愛をつらぬく自信はなかった。
それにそれ以前にまず早く仕事をおぼえて、一人前になりたい。
凄腕と呼ばれる高野の部下であることは、その役に立つのだからなんとも皮肉だ。
高野に「好きだ」と言われるとドキドキするし、触れられれば火がついたように身体が熱くなる。
高野のことをキッパリと拒みきれない自分に、いつも自己嫌悪だ。
かくして律はグルグル、悶々とした日々を送っている。
*****
駅前の大通りに出た律は、前方に2人の男が立っているのを見つけた。
長身で精悍な顔立ちの黒髪、短髪の青年と、可愛らしい顔立ちの小柄な茶色い髪の青年。
どちらも20代前半-律と同じくらいの年齢だろう。
長身の青年は、黒いシャツに黒いジャケットと黒いスラックス。
そして小柄な少年は、白いシャツと淡いベージュのジャケットにジーパンというスタイルだ。
律の目を引いたのは、2人が醸し出す色のコントラストだった。
とにかく黒ずくめの青年と、淡い色合いの青年。
まるで自分たちは対照的な存在なのだとアピールしているようだ。
茶髪の青年が、黒髪の青年に何かを言った。
黒髪の青年が手を伸ばして茶髪の青年の髪に手を伸ばし、くしゃくしゃとなでる。
茶髪の青年が泣き笑いのような表情で、黒髪の青年を見た。
そのときその2人の前に、1台の車が止まった。
この日本でよくもと言いたくなるような大きな黒いリムジン。
2人の青年の前に停まると、後部座席の扉が開く。
そこから降りてきたのは、茶髪の青年と同じくらい小柄な黒い髪の青年だ。
そしてチラリと見えた豪華なリムジンの車内には。
秀麗な美貌と目の醒めるような金髪の青年が座っていた。
リムジンから降りた小柄な青年が優雅な動作で一礼すると、長身の青年がリムジンに乗り込んだ。
だが茶髪の青年は乗らないらしい。
小柄な黒髪の青年がリムジンに戻り、ドアが閉まろうとした瞬間。
彼は律たちの方を見て、一瞬驚いた表情になった。
その理由はすぐにわかった。
律の隣にいた高野が、小柄な黒髪の青年にむかって軽く手をあげて挨拶したからだ。
このド派手なリムジンの一行はどうやら高野の知り合いらしい。
小柄な黒髪の青年が高野に頭を下げると、今度こそドアが閉まり、リムジンが発進した。
そして1人残された茶髪の少年は律たちに背を向け、駅に向かって歩き出した。
「高野さんの知り合いですか?すごいリムジンですね。」
「ああ、そうだな。」
高野は素っ気なくそう言うと、さっさと歩き出す。
律もその後を追うように歩き出した。
*****
阿部隆也は「よぉ」と言いながら、リムジンに乗り込んだ。
先程律が見かけた長身で黒髪、黒ずくめの男だ。
このリムジンのオーナーである金髪の男-蛭魔妖一が短く「おぉ」と答えた。
阿部が蛭魔の真向かいに座り、小柄な黒髪の青年-小早川瀬那が蛭魔の隣に座る。
するとリムジンは静かに滑らかに、夜の街へと走り出した。
「偶然ですけど、そこに嵯峨さんがいらっしゃいましたよ。あぁ今は高野さんでしたっけ。」
瀬那が穏やかに微笑を浮かべながら言う。
阿部も黙って頷いた。
特に挨拶は交わさなかったが、阿部からも高野は見えたからだ。
蛭魔は「そうか」と答えて、視線を窓の外に向けた。
それが合図だった。
瀬那が席を立ち、阿部の横へと移動した。
阿部は瀬那の肩を抱き寄せると、くせの強い髪をくしゃりとなでる。
そして首筋の髪を指で丁寧に後ろへ流して、首筋をあらわにする。、
瀬那が覚悟を決めたようにきつく目を閉じると、阿部はその首筋に噛み付いた。
阿部の犬歯が牙のように伸びて、瀬那の首に食い込んだ。
瀬那が小さく「うっ」と呻く。
だが阿部はかまわずに瀬那の身体をきつく抱きしめると、阿部の黒い瞳が血のような赤に変化した。
そしてその喉がゴクン、ゴクンと大きく鳴っている。
阿部は瀬那の血を吸っているのだ。
「ああっ!」
瀬那は悲鳴を上げながら阿部の背中に腕を回し、ジャケットをつかんだ。
阿部は久々に味わう血の味に酩酊しながら見た。
窓の外を見て素知らぬ顔をしている蛭魔が、きつく拳を握り締めているのを。
*****
蛭魔妖一も阿部隆也も普通の人間ではない。
いわゆる吸血鬼とかヴァンパイアとか呼ばれる、人間の血を捕食の対象とする亜人類だ。
見た目は20代半ばの青年の姿をしているが、実際はもう数百年も生きている。
人間の血さえ摂取し続ければ、彼らは基本的には不老不死だ。
彼らの種族の存在は、一般には知られていない。
だが人間に比べれば格段に数は少ないものの、確かに存在している。
太古の昔には、人間と吸血鬼が争ったということもあったらしい。
だが戦争の果てに、それらの事実は歴史からは抹消された。
そしてお互い共存するために、人間と吸血鬼の間では取り決めがされている。
吸血鬼は基本的にはその存在を隠して、人間として生きること。
血を摂取する場合は、必ず相手の人間の合意を得ること。
それを守れば戸籍も与え、普通の人間と同じ人権を保障する。
だが血を吸う相手の合意を得るのはなかなか大変なことだ。
普通は「俺、吸血鬼なんだ」などと言ったって、信じてもらえない。
結局人間を襲って血を吸い、取り決めを破ったとして抹殺されてしまう。
ごく稀に血を吸わせてくれる人間がいたとしてもその人間の口が軽かったら。
今度はその存在を隠すという取り決めを破り、また抹殺だ。
そうして吸血鬼は時代と共に、その数を減らしていった。
それでも捕食の対象である人間がいなくなれば、吸血鬼も生きてはいけない。
人間社会の中にしか、彼らの生きる場所はないのだ。
*****
小早川瀬那は吸血鬼ではない。
吸血鬼である蛭魔妖一と「契約」を交わした人間だ。
人間は吸血鬼と契約を交わすと、その「伴侶」となる。
そして「主」と共に生き「主」が死ねば滅びる運命だ。
瀬那も見た目は若いが、もう何百年も生きている。
蛭魔には瀬那がいるから、血には不自由しない。
だが阿部には決まった「伴侶」も、血を与えてくれる人間もいない。
だから旧知の友人である蛭魔の「伴侶」瀬那の血を、こうして時々飲ませてもらっている。
だいたい1週間に1回程度血を吸えば、吸血鬼は生きていけるのだ。
普通、吸血鬼には血を吸われている人間の苦痛はわからない。
牙を立てられれば痛いだろう。
多量の血を吸われて、眩暈のようないわゆる貧血状態になることも想像がつく。
それに吸血鬼の唾液には人間にとって媚薬効果があり、性的に興奮するとも聞く。
だが「伴侶」である瀬那の苦痛は「主」である蛭魔にもテレパシーのように伝わるのだという。
だからなのだろうか。
こうして阿部が瀬那の血を吸うとき、蛭魔の方がつらそうな顔をしている。
阿部が血を吸い終わる頃には、瀬那はもう意識がなかった。
蛭魔がゆっくりと席を立ち、瀬那を抱き上げて、また元の場所に座る。
蛭魔はしっかりと瀬那を腕に抱えて、また窓の外を見る。
瀬那は蛭魔に身体を預けながら、無防備であどけない顔で眠っている。
阿部はそんな2人の様子を見ながら、いつも申し訳ないと思うのだ。
*****
「ごめんね。本当は俺が血をあげられればいいのに」
「いいんだ。気にするな。」
阿部が手を伸ばして、廉の髪をくしゃくしゃとなでる。
そして廉は蛭魔のリムジンに乗り込んだ阿部を見送った。
廉-律が見かけた小柄な茶色い髪の青年だ。
三橋廉は普通の人間だ。
蛭魔や阿部のような吸血鬼でもないし、瀬那のような「伴侶」でもない。
他の人間と唯一違うのは、吸血鬼の存在を知っているということだけだ。
廉が阿部と知り合ったのは数年前。
まだ学生だった廉の大学の近くのいきつけのコーヒーショップ。
阿部もそこの常連だった。
何度も顔を合わすうちに挨拶をするようになり、話をするようになり、友人、そして恋人になった。
廉は野球部に所属しており、投手をしていた。
実は野球部の試合を見てファンになり、行きつけのコーヒーショップで話す機会をうかがっていた。
阿部がそんな暴露をしたのは、恋人になってしばらくしてからだ。
廉は一瞬驚いたものの、思わず笑い出してしまった。
今思えば、柔らかな日々だった。
阿部が実は自分が吸血鬼であることを廉に打ち明けたのは、つい最近のことだ。
友人に蛭魔という吸血鬼がいること、そしてその「伴侶」の瀬那のこと。
命をつなぐために、瀬那から血を飲ませてもらっていることを。
あの豪華なリムジンの中で、いったい何が行なわれているかも聞かされた。
そして廉に阿部の「伴侶」になって欲しいと強く望まれたのだ。
途方もない話を、廉は信じた。そして迷っている。
阿部のことは好きだが、だからすぐ「伴侶」になる決心などつかない。
それは人間としての全てを捨てて、阿部と共に生きること。
つまり歳を重ねることを止め、家族も友人も阿部以外の全ての絆を失くすことだ。
瀬那はどうだったのだろう?
蛭魔に請われたとき、すぐに全てを捨てられたのだろうか?
こうして廉は迷い続ける。
阿部の告白を受け入れることも拒否することもできずに悩むのだ。
*****
「じゃあな。」
「あ、お疲れ様です。」
さっさと自分の部屋に入っていく高野に、律は拍子抜けした。
いつもは何かと律を自分の部屋に連れ込もうとするか、律の部屋に押し入ろうとするからだ。
そしてがっかりしている自分に気付き、困惑する。
「あ~しっかりしろよ、俺。」
誰もいなくなった廊下で、律はポツリと呟いた。
そして高野だって疲れていることもあるだろうと思った後、その考えにまた焦る。
そもそももう高野とどうなるつもりはないのだ。
律は迷いを振り切るように、自分の部屋の鍵を開けた。
「あのリムジン、すごかったな。」
部屋着に着替えてソファに身を沈めた律は、先程見た光景を思い出していた。
豪華なリムジン、乗ってきた2人も、待っていた2人も、みんな綺麗な青年だった。
まるで少女漫画のように、ドラマチックなシーンだ。
彼らはいったい何者なのだろう。
どうやら高野の知り合いのようだが、聞いても教えてくれなかった。
律はまだ気がついていなかった。
あのリムジンの青年たちに逢ったことで、自分の運命が大きく変わることに。
高校時代の先輩後輩。同じ会社の上司と部下。
そんな高野との柔らかな日々が、もうすぐ終わりを告げることも。
「また逢えるかな。」
何も知らない律は、あのリムジンの4人組に思いを馳せる。
始まりはいつもと何も変わらない、穏やかな夜だ。
【続く】
「うわぁ。。。」
小野寺律は思わず感嘆の声を上げた。
そして目の前に広がるドラマのような光景に見蕩れた。
それは帰り道のことだった。
会社を出て、駅へと向かう道の途中。
隣に並んで歩くのは、隣人であり上司である横暴な男。
そして律の初恋の相手でもある高野政宗だ。
高校時代のほんの短い間だけ付き合っていた男と、律は社会人になって入社した会社で再会した。
高野は律に「もう一度俺を好きと言わせる」と宣言している。
そして何だかんだで律にセクハラまがいのちょっかいをかけてくる。
しかも何の運命のいたずらか、高野は同じマンションの隣の部屋に住んでいるのだ。
律は会社でも家でも、気が休まらない日々を送っている。
本当は高野のことをまだ好きなのだと思う。
だけどもう昔の恋愛に縛られたくない。
もう「好き」という気持ちだけでよかった高校時代とは違うのだ。
家、会社、世間体などいろいろ余計なことを考えると、男同士の恋愛をつらぬく自信はなかった。
それにそれ以前にまず早く仕事をおぼえて、一人前になりたい。
凄腕と呼ばれる高野の部下であることは、その役に立つのだからなんとも皮肉だ。
高野に「好きだ」と言われるとドキドキするし、触れられれば火がついたように身体が熱くなる。
高野のことをキッパリと拒みきれない自分に、いつも自己嫌悪だ。
かくして律はグルグル、悶々とした日々を送っている。
*****
駅前の大通りに出た律は、前方に2人の男が立っているのを見つけた。
長身で精悍な顔立ちの黒髪、短髪の青年と、可愛らしい顔立ちの小柄な茶色い髪の青年。
どちらも20代前半-律と同じくらいの年齢だろう。
長身の青年は、黒いシャツに黒いジャケットと黒いスラックス。
そして小柄な少年は、白いシャツと淡いベージュのジャケットにジーパンというスタイルだ。
律の目を引いたのは、2人が醸し出す色のコントラストだった。
とにかく黒ずくめの青年と、淡い色合いの青年。
まるで自分たちは対照的な存在なのだとアピールしているようだ。
茶髪の青年が、黒髪の青年に何かを言った。
黒髪の青年が手を伸ばして茶髪の青年の髪に手を伸ばし、くしゃくしゃとなでる。
茶髪の青年が泣き笑いのような表情で、黒髪の青年を見た。
そのときその2人の前に、1台の車が止まった。
この日本でよくもと言いたくなるような大きな黒いリムジン。
2人の青年の前に停まると、後部座席の扉が開く。
そこから降りてきたのは、茶髪の青年と同じくらい小柄な黒い髪の青年だ。
そしてチラリと見えた豪華なリムジンの車内には。
秀麗な美貌と目の醒めるような金髪の青年が座っていた。
リムジンから降りた小柄な青年が優雅な動作で一礼すると、長身の青年がリムジンに乗り込んだ。
だが茶髪の青年は乗らないらしい。
小柄な黒髪の青年がリムジンに戻り、ドアが閉まろうとした瞬間。
彼は律たちの方を見て、一瞬驚いた表情になった。
その理由はすぐにわかった。
律の隣にいた高野が、小柄な黒髪の青年にむかって軽く手をあげて挨拶したからだ。
このド派手なリムジンの一行はどうやら高野の知り合いらしい。
小柄な黒髪の青年が高野に頭を下げると、今度こそドアが閉まり、リムジンが発進した。
そして1人残された茶髪の少年は律たちに背を向け、駅に向かって歩き出した。
「高野さんの知り合いですか?すごいリムジンですね。」
「ああ、そうだな。」
高野は素っ気なくそう言うと、さっさと歩き出す。
律もその後を追うように歩き出した。
*****
阿部隆也は「よぉ」と言いながら、リムジンに乗り込んだ。
先程律が見かけた長身で黒髪、黒ずくめの男だ。
このリムジンのオーナーである金髪の男-蛭魔妖一が短く「おぉ」と答えた。
阿部が蛭魔の真向かいに座り、小柄な黒髪の青年-小早川瀬那が蛭魔の隣に座る。
するとリムジンは静かに滑らかに、夜の街へと走り出した。
「偶然ですけど、そこに嵯峨さんがいらっしゃいましたよ。あぁ今は高野さんでしたっけ。」
瀬那が穏やかに微笑を浮かべながら言う。
阿部も黙って頷いた。
特に挨拶は交わさなかったが、阿部からも高野は見えたからだ。
蛭魔は「そうか」と答えて、視線を窓の外に向けた。
それが合図だった。
瀬那が席を立ち、阿部の横へと移動した。
阿部は瀬那の肩を抱き寄せると、くせの強い髪をくしゃりとなでる。
そして首筋の髪を指で丁寧に後ろへ流して、首筋をあらわにする。、
瀬那が覚悟を決めたようにきつく目を閉じると、阿部はその首筋に噛み付いた。
阿部の犬歯が牙のように伸びて、瀬那の首に食い込んだ。
瀬那が小さく「うっ」と呻く。
だが阿部はかまわずに瀬那の身体をきつく抱きしめると、阿部の黒い瞳が血のような赤に変化した。
そしてその喉がゴクン、ゴクンと大きく鳴っている。
阿部は瀬那の血を吸っているのだ。
「ああっ!」
瀬那は悲鳴を上げながら阿部の背中に腕を回し、ジャケットをつかんだ。
阿部は久々に味わう血の味に酩酊しながら見た。
窓の外を見て素知らぬ顔をしている蛭魔が、きつく拳を握り締めているのを。
*****
蛭魔妖一も阿部隆也も普通の人間ではない。
いわゆる吸血鬼とかヴァンパイアとか呼ばれる、人間の血を捕食の対象とする亜人類だ。
見た目は20代半ばの青年の姿をしているが、実際はもう数百年も生きている。
人間の血さえ摂取し続ければ、彼らは基本的には不老不死だ。
彼らの種族の存在は、一般には知られていない。
だが人間に比べれば格段に数は少ないものの、確かに存在している。
太古の昔には、人間と吸血鬼が争ったということもあったらしい。
だが戦争の果てに、それらの事実は歴史からは抹消された。
そしてお互い共存するために、人間と吸血鬼の間では取り決めがされている。
吸血鬼は基本的にはその存在を隠して、人間として生きること。
血を摂取する場合は、必ず相手の人間の合意を得ること。
それを守れば戸籍も与え、普通の人間と同じ人権を保障する。
だが血を吸う相手の合意を得るのはなかなか大変なことだ。
普通は「俺、吸血鬼なんだ」などと言ったって、信じてもらえない。
結局人間を襲って血を吸い、取り決めを破ったとして抹殺されてしまう。
ごく稀に血を吸わせてくれる人間がいたとしてもその人間の口が軽かったら。
今度はその存在を隠すという取り決めを破り、また抹殺だ。
そうして吸血鬼は時代と共に、その数を減らしていった。
それでも捕食の対象である人間がいなくなれば、吸血鬼も生きてはいけない。
人間社会の中にしか、彼らの生きる場所はないのだ。
*****
小早川瀬那は吸血鬼ではない。
吸血鬼である蛭魔妖一と「契約」を交わした人間だ。
人間は吸血鬼と契約を交わすと、その「伴侶」となる。
そして「主」と共に生き「主」が死ねば滅びる運命だ。
瀬那も見た目は若いが、もう何百年も生きている。
蛭魔には瀬那がいるから、血には不自由しない。
だが阿部には決まった「伴侶」も、血を与えてくれる人間もいない。
だから旧知の友人である蛭魔の「伴侶」瀬那の血を、こうして時々飲ませてもらっている。
だいたい1週間に1回程度血を吸えば、吸血鬼は生きていけるのだ。
普通、吸血鬼には血を吸われている人間の苦痛はわからない。
牙を立てられれば痛いだろう。
多量の血を吸われて、眩暈のようないわゆる貧血状態になることも想像がつく。
それに吸血鬼の唾液には人間にとって媚薬効果があり、性的に興奮するとも聞く。
だが「伴侶」である瀬那の苦痛は「主」である蛭魔にもテレパシーのように伝わるのだという。
だからなのだろうか。
こうして阿部が瀬那の血を吸うとき、蛭魔の方がつらそうな顔をしている。
阿部が血を吸い終わる頃には、瀬那はもう意識がなかった。
蛭魔がゆっくりと席を立ち、瀬那を抱き上げて、また元の場所に座る。
蛭魔はしっかりと瀬那を腕に抱えて、また窓の外を見る。
瀬那は蛭魔に身体を預けながら、無防備であどけない顔で眠っている。
阿部はそんな2人の様子を見ながら、いつも申し訳ないと思うのだ。
*****
「ごめんね。本当は俺が血をあげられればいいのに」
「いいんだ。気にするな。」
阿部が手を伸ばして、廉の髪をくしゃくしゃとなでる。
そして廉は蛭魔のリムジンに乗り込んだ阿部を見送った。
廉-律が見かけた小柄な茶色い髪の青年だ。
三橋廉は普通の人間だ。
蛭魔や阿部のような吸血鬼でもないし、瀬那のような「伴侶」でもない。
他の人間と唯一違うのは、吸血鬼の存在を知っているということだけだ。
廉が阿部と知り合ったのは数年前。
まだ学生だった廉の大学の近くのいきつけのコーヒーショップ。
阿部もそこの常連だった。
何度も顔を合わすうちに挨拶をするようになり、話をするようになり、友人、そして恋人になった。
廉は野球部に所属しており、投手をしていた。
実は野球部の試合を見てファンになり、行きつけのコーヒーショップで話す機会をうかがっていた。
阿部がそんな暴露をしたのは、恋人になってしばらくしてからだ。
廉は一瞬驚いたものの、思わず笑い出してしまった。
今思えば、柔らかな日々だった。
阿部が実は自分が吸血鬼であることを廉に打ち明けたのは、つい最近のことだ。
友人に蛭魔という吸血鬼がいること、そしてその「伴侶」の瀬那のこと。
命をつなぐために、瀬那から血を飲ませてもらっていることを。
あの豪華なリムジンの中で、いったい何が行なわれているかも聞かされた。
そして廉に阿部の「伴侶」になって欲しいと強く望まれたのだ。
途方もない話を、廉は信じた。そして迷っている。
阿部のことは好きだが、だからすぐ「伴侶」になる決心などつかない。
それは人間としての全てを捨てて、阿部と共に生きること。
つまり歳を重ねることを止め、家族も友人も阿部以外の全ての絆を失くすことだ。
瀬那はどうだったのだろう?
蛭魔に請われたとき、すぐに全てを捨てられたのだろうか?
こうして廉は迷い続ける。
阿部の告白を受け入れることも拒否することもできずに悩むのだ。
*****
「じゃあな。」
「あ、お疲れ様です。」
さっさと自分の部屋に入っていく高野に、律は拍子抜けした。
いつもは何かと律を自分の部屋に連れ込もうとするか、律の部屋に押し入ろうとするからだ。
そしてがっかりしている自分に気付き、困惑する。
「あ~しっかりしろよ、俺。」
誰もいなくなった廊下で、律はポツリと呟いた。
そして高野だって疲れていることもあるだろうと思った後、その考えにまた焦る。
そもそももう高野とどうなるつもりはないのだ。
律は迷いを振り切るように、自分の部屋の鍵を開けた。
「あのリムジン、すごかったな。」
部屋着に着替えてソファに身を沈めた律は、先程見た光景を思い出していた。
豪華なリムジン、乗ってきた2人も、待っていた2人も、みんな綺麗な青年だった。
まるで少女漫画のように、ドラマチックなシーンだ。
彼らはいったい何者なのだろう。
どうやら高野の知り合いのようだが、聞いても教えてくれなかった。
律はまだ気がついていなかった。
あのリムジンの青年たちに逢ったことで、自分の運命が大きく変わることに。
高校時代の先輩後輩。同じ会社の上司と部下。
そんな高野との柔らかな日々が、もうすぐ終わりを告げることも。
「また逢えるかな。」
何も知らない律は、あのリムジンの4人組に思いを馳せる。
始まりはいつもと何も変わらない、穏やかな夜だ。
【続く】
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