アイシ×おお振り【お題:敵同士10題】

【初めて泣きたいと思った】

「本当にいいんだな?」
蛭魔が隣に立つセナに確認するように、そう言った。
セナは小さいがはっきりした声で「はい」と答えた。
2人は顔を見合わせて頷きあうと「敵地」に向かって足を踏み出した。
「敵地」-三橋廉の生家である三星神社だ。

阿部がレンを襲撃したのは昨日のことだ。
三橋家がその失敗を知る前に、先手を打つ。
蛭魔が選んだ作戦は、考えうる限りでもっとも単純で大胆なもの。
三橋家に乗り込んで、阿部の弟のシュンを奪還することだった。

阿部はヒル魔のマンションに身柄を拘束しているが、精神的にはひどく不安定な状態だった。
レンは連日の予知とセナの念動力を受け止めたせいで、歩くのもままならない。
だからこの作戦はヒル魔とセナで実行するしかない。
だが襲撃などの荒事に関しては、やたらと場数を踏んでいる蛭魔はともかく。
セナの能力を使うことに関しては、最後まで迷った。

この特殊能力に関する知識が一番豊富なのは、やはりレンだった。
昨晩はレンの言うとおりに、覚醒したばかりのセナの念動力の実験をした。
ティッシュペーパーから始まって、ボールペン、携帯電話、テレビのリモコン、ペットボトルの飲み物。
そこでわかったのは、現在のセナは数百グラム程度のものならば、自由意志で弾き飛ばせる。
それ以上の重量のものは、まだ念だけで動かすことはできなかった。
レンによると、能力が覚醒したばかりにしては悪くないものらしい。

ただ潜在能力は、かなり高い。
いきなりナイフの刃を折り、レンに吐血させるほどのダメージを与える力を放ったのだ。
自分の意思でその力を操るようになること、くれぐれも暴走させないこと。
それが今後のセナの課題だった。

*****

「ちくしょう。。。」
阿部は力なく悪態をついた。
その言葉を聞き取ったレンは、身体をビクリと震わせた。

阿部は両手を前に束ねて、手錠をかけられている。
しかも両手を結ぶ金具には、1メートルほどの長い鎖。
鎖の先は、部屋に置かれたスチール製のラックに繋がれている。
つまり阿部はこの鎖の長さしか動けない状態になっていた。

レンは同じ部屋で、やはり拘束されていた。
ベットに寝かされた上に、両手は手錠で頭上に束ねられている。
そしてその手錠は、やはり鎖でベットに繋がれている。
レンはベットに磔られた状態で、身体を起こすことさえできない。
かろうじてどうにか、寝返りができるぐらいだ。

どちらも蛭魔の判断だった。
シュンを人質に取られて、レンを殺すしかないと思いつめる阿部。
それならば自分が三橋家に出頭して、代わりにシュンを返してもらおうと言い出したレン。
まずは蛭魔が三橋家に乗り込むといっても、2人とも納得しない。
だから気が進まない様子ではあったが、阿部とレンを拘束したのだ。

蛭魔のマンションの地下にあるこの部屋は、外から施錠できるようになっている。
蛭魔の仕事柄、わざわざ誂えた「拘束部屋」だった。
頑丈な鍵は、そう簡単には開けることも壊すこともできない。
それでも2人がそれぞれ部屋で動けないようにされている理由。
それは目を離したすきに、阿部がレンを殺すことを阻止するためだ。

もし蛭魔たちが殺されるようなことになったら、蛭魔の仕事仲間が救出にくるように手配してある。
蛭魔はそれだけ言い残すと、2人を置いて出かけてしまった。

*****

「なぁ、あの蛭魔妖一って男。どれだけ信用できるんだ?」
自分をその場所に縛り付けているスチールラックに寄りかかりながら、床に座り込んでいる阿部が聞く。
「信用、は、わかんないけど。蛭魔、さんも、セナも、イイ人、だよ。」
ベットに横たわったレンが、阿部の方に微かに首を傾けながら、そう答えた。

「イイ人、ねぇ。。。」
イイ人だと?阿部はレンの言葉を考える。
あの事故の前なら、そんなことは思わなかっただろう。
阿部の周りには、両親の愛情や知人たちの友情に溢れていた。
だが事故の後のことを思い出すと「イイ人」など思い出せない。
皆が事故を起こした両親を責め、親戚たちは自分と弟を見放した。
学校の友人たちはみな阿部兄弟を「加害者の息子」という目で見た。
学校を中退して就いた仕事先の人間は、阿部のことを「高校も卒業してないくせに」と蔑んでいた。
イイ人って何だ?
そんなことを真剣に考えてしまうほど、阿部は愛情や友情とはかけ離れた世界にいた。

「っん、ああ!」
不意にレンが身を捩って呻いた。
阿部は驚いて立ち上がり、レンの様子を覗き込む。
レンは額に汗を浮かべながら、大きく目を見開き、背中を反り返らせていた。
「どうした?レン!」
「だい、じょ、ぶ。いつもの、予知、だ。」
セナはハァハァと肩で呼吸をしながら、苦しげに答えた。
「多分、蛭魔、さんと、セナが。もうすぐ、祖父ちゃん、と、逢う。」
それだけ言うと、レンはきつく目を閉じ、歯を食いしばる。
苦痛に耐えるレンに近寄ろうとした阿部は、手を拘束する鎖に阻まれた。
ピンと張った鎖は、それ以上阿部がレンに近寄ることを許さない。

阿部が苦しんだように、レンも苦しんでいる。
そう思うだけで、心が痛かった。
今まで誰に何を言われても、両親の無残な遺体を見たときでさえ、涙が出て来なかった。
だがレンが苦しんでいるのに、手を握ることも、汗を拭ってやることもできない今。
阿部は初めて泣きたいと思った。

*****

「いろいろとふざけたことをしてくれたよな?」
「何のことだ?むしろふざけているのは、君のほうだろう?」
蛭魔の言葉に答えたのは、レンの祖父である三橋老人だ。
ここはレンの生家、三星神社の本殿。
広い広い畳敷きの部屋の中央で、三橋家の者たちと蛭魔とセナがポツンと座っている。

レンから情報は得ている。
現在の三橋家の当主であるレンの祖父。レンの両親、レンの叔父夫婦、そして従兄弟の少年と少女。
今蛭魔とセナの前にいるのは、その7名だ。
7名とも多くは語らず、声を荒げることもないので、神社の本殿は静まり返っていた。

だがセナにはわからないだろうが、蛭魔にはわかる。
音こそないが、この神社の中には張り詰めた空気-殺気が満ちている。
仕えている人間はこの倍はいるだろうし、その中には武力派もいるだろう。
おそらく襖の向こうには、不測の事態に備えて待機している人間もいるはずだ。
事実、蛭魔とセナが来訪したときには、入念に身体検査をされた。
武器などを持ち込まれないように、と普通の神社ではありえないような警戒をしているのだ。

「蛭魔妖一くん。そもそも君にはレンの抹殺を依頼したはずだが。」
「だがそれは断った。ギャラも返上しただろう。」
「失敗したから、じゃないのか?」
「テメーらにつくより、レンについた方が面白い。そう思っただけだ。」
三橋老人と蛭魔の会話を、セナは懸命に平静を装いながら聞いていた。

三橋老人。レンの言葉によれば彼もまた予知能力者のはずだ。
予知のたびに苦しむレン。
レンの何倍もの年月を生きてきたこの老人は、レンの何倍も苦しんだはずだ。
その苦しみゆえか、名門家の当主としての威厳か。
老人の放つ威圧感は並大抵のものではない。
その老人を向こうに回して、蛭魔は少しも気後れせず、対等に話をしている。

*****

「わざわざ訪ねて来たんだ。用件があるのだろう?」
老人の言葉に、蛭魔がニヤリと不敵に笑う。
そしてセナの肩をポンと叩くと、ゆっくりと口を開いた。
「簡単なことだ。俺とこの小早川瀬那、阿部隆也と弟のシュン、そして三橋廉に。二度と手を出すな。」
老人の横に控える大人たち、レンの両親と叔父夫婦が顔色を変えた。
レンの従兄弟と思われる少年と少女が、じっと無言で蛭魔を睨みつけている。

「俺たちは別に三橋家やあんたらが仕える一族に何もしない。ただ放っておいてほしいだけだ。」
「まったく君は」
三橋老人は心底呆れたという風情で、ため息をついた。
「元々私たちはレンさえ消せればよかったのだ。勝手に絡んできて放っておけだと?」
レンの叔父と思われる男が横から口を挟む。
セナはその言葉に顔を顰めた。
レンを消す。血を分けた肉親のあまりにも冷たい言葉が不愉快だった。
「その通り。もうレンだけ消せば済む話ではない。君たちは知りすぎた。」
三橋老人が蛭魔とセナをまっすぐに見据える。
この老人も言った。レンを消すと。実の孫を消すと。
そう思った瞬間、セナの中で怒りが弾けとんだ。

本殿の中にガラガラと大きな音が響いた。
祭られている祭壇が何の前触れもなく崩れたのだ。
すると本殿奥の襖が開き、黒いスーツ姿の男たちがなだれ込んで来た。
蛭魔はすかさず逆立てている自分の髪の中に手を入れる。
そこには手のひらに収まるほどの小型ナイフを隠してあった。
そうしながらセナの手を引いて立ち上がり、ごく自然に戦闘モードになる。

*****

「こんなヤバいお兄さんたちがいるなんて、やっぱりマトモじゃねぇなぁ」
蛭魔が背後にセナを庇いながら、茶化すように言う。
「今のは何だ?なぜ祭壇が!」
「わかんねぇか?」
三橋老人の問いに、蛭魔が挑発するようにさらに問い返した。
老人が蛭魔の背後のセナを見て「まさか」と呻く。

「こっちには念動力者がいる。その気になればこの神社を壊すのも、祖父さんの心臓を止めるのも簡単だ。」
蛭魔は顔色1つ変えずに、大きな嘘をついた。
現在のセナでは、自分の意思で大きな破壊はできないし、人を殺すのはもっと難しい。
だが本殿の奥を大きく陣取っていた祭壇を、一瞬で破壊した効果は絶大だった。
黒いスーツの男たちは蛭魔たちを取り囲んだものの、動けずにいた。

「さっき言っただろ?俺とコイツ、阿部と弟とレン。誰か1人でも傷つけたら。」
蛭魔が言葉を切って、そこにいる者たちをゆっくりと見回した。
「三橋家の秘密をネットに流す。超能力なんて嘘っぽい話だが、世界中に流せば信じるやつだっている。」
その存在が白日の下に晒されれば、仕えている財閥家は三橋家を放逐するだろう。
権力によって庇護されない能力者は、世界中の裏世界から狙われることになる。
「それでもテメーら一族が滅びないなら、俺たちが手を下す。三橋家はいずれにしてもこの世から消える。」
そう言って蛭魔は笑った。
明るい笑顔ではない。見る者を恐怖させる酷薄で凄絶な笑顔。

「レンだって、その青年だって、まともには生きていけないぞ。」
三橋老人が怒りに言葉を震わせながら、そう言った。
「俺には孫を殺そうとするあんたの方が、まともじゃねぇと思うけどな。」
蛭魔はそう応じると、セナの肩を抱いて、三星神社を出た。

*****

セナの足がふらついている。
蛭魔はセナに肩を貸しながら、ゆっくりと歩いていた。
無理もない。セナには何か軽い物を少し動かすという小さなパフォーマンスを割り当てていた。
だが三橋家の者たちの心無い言葉に怒ったセナは、大きな祭壇を破壊したのだ。
まだ能力に慣れていないセナにとっては、きつかっただろう。

「待ってください。」
不意に背後から声をかけられて、蛭魔とセナは立ち止まって、振り返った。
息を切らせながら駆け寄ってきたのは、先程相対していた2人の人物。レンの両親だった。
「廉を、よろしくお願いします。」
レンの父親がそう言うと、2人は深々と頭を下げた。
そして蛭魔とセナが答える前に、もと来た道を引き返していった。

「よかった。少なくてもレンのご両親はレンが生きることを喜んでるんですね。」
セナはレンの両親の後姿を見送りながら、言った。
蛭魔は「そうだな」と小さく同意しながら、セナの横顔を見た。
セナの目が涙で潤んでいるのに気がついたが、あえてそれは言わない。

「変なの。会社が乗っ取られても、念動力者だって言われても、涙なんか出なかったのに。」
なんだか今、初めて泣きたいと思った。
セナは泣き笑いのような表情で、そう言った。

三橋老人の言う通り、もうセナは戻れない。
世間が言うところの平凡な人生は送れないだろう。
ならば精一杯守ってやるしかない。
蛭魔はセナの身体を引き寄せて、強く抱きしめた。

【続く】
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