アイシ×おお振り【お題:敵同士10題】

【どうして貴方なんだろう】

蛭魔が部屋のドアを叩くと、中から「はい」と声がした。
どうやら昨夜この部屋の住人となった青年はすでに目を覚ましているようだ。
蛭魔は「入るぞ」と言いながら部屋のドアを開けた。

「すっかりお世話になっちゃって」
昨晩セナと名乗った青年は、ベットに腰掛けていた。
蛭魔が入ってくるのを見て、痛みに顔を少し顰めながら立ち上がろうとする。
どうやら挨拶をするつもりらしい。
蛭魔はセナを手で制しながら「座ってていいぞ」と言った。

「急ぎの予定がないなら、まだ帰るな。医者を呼ぶから。」
蛭魔がそう言うと、セナは少し困った顔になった。
「どうした?」
「こんなことになるなんて思わなかったんで、保険証もお金も持ってないんです。」
セナの答えに、蛭魔は笑った。
「そんなことか。それならいい。金はコチラ持ちだ。」
「でも、それじゃ」
「いいんだ。テメーの怪我は俺たちのせいだからな。」
「じゃあとりあえず立て替えてください。なんだか昨日より今日の方が痛くてキツイんで」
セナが白状すると、蛭魔はまた笑う。

「今レンが朝メシの支度をしてる。出来るまでの間、聞かせてもらおうか。」
「何をですか。」
「俺に会いに来た理由だよ。小早川瀬那くん」
蛭魔は昨晩のうちに調べた青年の本名をフルネームで呼んだ。
その途端、セナの顔からは笑顔が消えた。

*****

「まず俺の話をしようか。」
一気に緊張した表情になったセナに、蛭魔は告げた。
蛭魔はそこそこ格闘術も身に着けており、また喧嘩ならそれなりに場数も踏んでいる。
だからこそわかった。
セナには敵意はないし、仮にあっても蛭魔の敵ではないだろう。

「俺の名前は蛭魔妖一。職業はトレーダーだ。」
「トレーダー?」
顔を強張らせたまま、蛭魔の話を聞いていたセナの表情が変わった。
「そうだ。テメーの会社の株を買ったのは、単に投機目的だった。」
「そうなんだ。。。」
セナは大きくため息をつくと、フッと笑った。

小早川瀬那は、かつて蛭魔が上場したばかりの株を買い占めた会社の社長だった。
服飾を扱うその会社は元々小さなデザイン会社だった。
同じ趣味を持つ同年代の仲間と立ち上げた、まるで学校の部活のような会社だ。
社員も少なく、事務員も専門の営業社員もいない。
社長であるセナも、他の社員も全員デザイナー兼雑用係だった。
だが趣味のいいデザインと、真面目な仕事ぶりでコツコツと業績を伸ばした。
そして貧乏な時代を支えてくれた取引先に勧められるままに株式会社にして、上場した。
蛭魔はその株を大量に買い占めて筆頭大株主となったが、公式の場にその姿を現すことはなかった。

*****

だがその後、その会社でデザインしたキャラクターが爆発的に流行することで事態は一転した。
「デビルバット」と呼ばれた蝙蝠の形を模したそれは小学生や中学生を中心に大人気を博す。
それらをプリントした様々な商品が売れ、会社の業績と共に株価は急上昇した。
社員数名の会社はあっという間に、年商が億の単位になるほどに成長を遂げた。

筆頭株主の蛭魔の元には市場価格より高く持ち株を譲って欲しいという者が現れた。
いわゆるのっとり目的の、株の買占めだった。
投機のみが目的だった蛭魔は、あっさりと応じた。
その他の株も買い占められた挙句に、経営権を取られて、セナたち創立時の社員は解雇された。
結局「デビルバット」の著作権や収益はすべて新しくなった会社のものになった。
セナたちは今までの苦労も努力も、その成果もすべて奪い取られて、追い出されたのだ。
そこまでが昨晩のうちに、蛭魔が集めた小早川瀬那の情報だった。

「僕たちはあまりにも子供でした。ほんとに見事に騙された。」
「ああ、そうだな。」
セナは苦笑し、蛭魔もまたつられたように笑う。
セナたちが会社を追われた経緯も調べた蛭魔には、よくわかる。
彼らは株式とか上場とか商品の権利とか、そういうものにあまりにも無頓着だった。
きっと好きなデザインをして食べていければ、それで満足だったのだろう。
だが仮にも会社を名乗り運営していくためには、最低限知らなくてはならないことがある。
周りの言葉だけを信じ、訳もわからず求められるままに書類に判を押した結果、彼らは全てを失った。

*****

「誰かを恨んだりしているわけではありません。」
セナはきっぱりとした口調で言う。
「楽しいこともいっぱいあったし、幸いにも借金は残らなかった。やり直せばいいだけです。でも」
そうしてセナはまっすぐに蛭魔を見た。
蛭魔は正面からその視線を受け止めて、セナを見つめる。

「あなたのことだけがわからないんです。どうして上場したばかりのうちの株を大量に買ったのか。」
なるほど、と蛭魔は納得した。
「デビルバット」が世に出る前、まだ発案さえされていない時に株を買い占めたのが謎というわけだ。
セナはおそらく真っ直ぐな性格なのだろう。
そして前向きだ。
乗っ取られた会社についての恨み言を言うのではなく、理由を知るために蛭魔に会いに来た。
多分株を買ったときに、セナの会社には大株主の蛭魔のフルネームと住所は通知されただろう。
それを頼りに、ここへやって来たのだ。

「株を買う前に、おまえの会社を調べた。堅実な会社だと思って投資した。」
蛭魔は口調を元に戻して、ゆっくりと言った。
「買える限りの株式を購入して、値が上がったところで高値で買いたいと言った相手に売っただけだ。」
そしてその相手こそセナの会社の新オーナーというだけのことだ。
蛭魔としては、セナの会社の株を買ったことに他意はないと、言外に告げたつもりだった。
考え込むような表情のセナの横顔を、蛭魔はじっと凝視した。

*****

「蛭魔さん、嘘は。いけません。」
不意にドアが開いて、薄茶の髪がフワリと揺れた。
「レン」
「彼には、知る、権利が、あります。」
蛭魔が咎めるような強い口調で、レンを呼ぶ。
だがレンは動じる風もなく、セナを見ながら口を開く。

「株の値段が、上がる。俺が、そう、言いました。」
「え?」
どういうことだ、とセナが考えをめぐらせている。
今まで冷静だった蛭魔がわずかに動揺したような声で「レン止めろ」と言葉を挟む。
だがレンはチラリと蛭魔に視線を送っただけで、またセナに向き直った。

「俺は、そういうのが、わかる。そういう力が、ある。」
レンはなおも言葉を続けた。
「俺には、わかった。あなたは、蛭魔さんに、会いに来た。でも、本当は、会うべきなのは、俺だ。」
吃音で、一言ずつ区切りながら喋るレンの言葉はまるで予言のようだった。
それは不思議な説得力で、セナを圧倒している。

「レンくんは、未来が見えるんですか?」
セナは信じられない思いで、レンと蛭魔を交互に見ながらそう聞いた。
「そうだ、と言ったら、信じるのか?」
蛭魔はまるで試すような口調で、逆にセナに聞いてきた。
セナはしばらくじっとレンの顔を見ていたが、その後ゆっくりと頷いた。
「信じます。レンくんの言葉には何か不思議な説得力がある。」
セナがそう答えると、蛭魔は諦めたようにため息をついた。

*****

「蛭魔さんは。一番、最初に、俺を捕まえに。来た人です。」
レンはかすかに苦笑しながら言った。
「副業で探偵みたいなこともしている。それでそういう依頼を受けたんだ。」
ヒル魔が諦めたように言った。
「探偵?ですか。」
「っていうかなんでも屋みたいなもんだ。でも失敗した。何せ予知能力者だからな。」
蛭魔は苦笑しながら、白状した。

「それで、お願い、したんです。しばらくは、俺を守ってほしい、と。」
「すげぇ話だろ?危害を加えに来た男に、護衛を依頼したんだぜ?」
「でも、蛭魔さん、引き受けて、くれて」
「報酬は予知で得た情報だ。それで俺は株で莫大な利益を得た。ギブアンドテイクだな。」
レンと蛭魔が淡々と交わす会話を、セナは黙って聞いている。

最初の蛭魔の襲撃から辛くも逃れたレンだったが、この先も刺客は現れるだろう。
毎回かわしきれる自信などない。それならば。
レンは蛭魔に取引をもちかけたのだった。
セナの会社の株価の急上昇の予知は、報酬のほんの一端だった。
会社が上場したとき、レンにはもうその将来さえ見えていたのだ。

「なるほど。僕の会社の情報も予知したわけですか。」
予知能力。改めて言葉にすると何とも途方もない事実だと思う。
話だけ聞かされたのだったら、到底信じることなどできないだろう。
だがレンと蛭魔を見ていると、どうにも嘘には聞こえなかった。

*****

どうして貴方なんだろう。
セナは大きくため息をついた。
あまりにも繊細そうに見えるこのレンという青年が、セナや仲間の運命を大きく負の方向へ動かした。
そのことが信じられない。

「あっ。。。」
不意にレンが両手で額を押さえて、呻くような声を上げた。
ガクンと膝を折り、その場に崩れ落ちそうになるのを蛭魔が支える。
レンは意識を失っているようで、弛緩した細い肢体を蛭魔にぐったりと預けている。

「また予知だ。悪いが朝メシはもう少し待ってくれ。」
蛭魔はそう言って、レンの身体を抱き上げた。
レンは何かを予知するたびに、こうなる。
蛭魔は慣れた仕草でレンの身体を支えて、抱き上げた。

「レンくんは、どうして命を狙われているんですか?」
「さぁな。理由は知らねぇ。」
蛭魔がセナの問いに答えながら、器用に足でドアを開ける。
「俺が知ってるのは、レンを殺そうとしてるのが、レンの実の祖父さんだってことだけだ。」
そしてセナの方を振り返ることもなく、それだけ言うと蛭魔は部屋を出て行った。

1人部屋に残されたセナは、ただ呆然としていた。
血を分けた肉親に、実の祖父に殺されようとしている。
それはレンが持っているという予知能力と、関係があるのだろうか?
セナは痛む首をさすりながら、答えの出ない問いをいつまでも考えていた。

【続く】
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