アイシ×おお振り×セカコイ【お題:囚われたお題】
【鳥籠の中】
「どうして俺を捨てたんですか?」
律はあくまでも穏やかに、問いかけた。
だが冷静を装ってみても、声は微かに震えている。
それが怒りなのか悲しみなのかは、律本人にもよくわからなかった。
三橋家からの脱出を果たした律は、数年振りに実家に戻った。
両親はいったいどうしているのか。
高校卒業まで過ごした懐かしい我が家は。
律はどうしてもそれを、自分の目で確かめたかった。
この「里帰り」には、蛭魔と高野が同行してくれることになった。
大まかな事情の説明や、いざという時の警備を蛭魔がしてくれる。
高野は律に寄り添い、支えてくれる役目だ。
残りのメンバーは、すぐ近くにとめたワゴン車の中で全員が待機している。
不測の事態が起きた時には、駆けつけてくる手筈だ。
たかが里帰りにしては、あまりにも物々しい。
だが律は、みんなの好意に甘えることにした。
監禁生活ですっかり疑心暗鬼になっており、1人で外出するのはまだ怖い。
でも隣に高野がいて、その周りに仲間がいれば、何とか進んでいける気がする。
そして訪れた実家で、律は呆然としていた。
家の外観は変わっていないが、中はかなり変わっていたからだ。
家具などの調度品が買い換えられていて、豪華になっているのだ。
なによりショックだったのは、律の部屋がなくなっていたこと。
持ち物はすべて片付けられ、住み込みの家政婦の部屋になっていた。
「どうして俺を捨てたんですか?」
ひと通り家の中を見終えた律は、客間のソファで両親と向かい合っていた。
もうこの家は律の家ではない。
息子ではなく、客として扱われているのだ。
実家にいた頃にはあまり立ち入らなかった客間にいることで、ますますそれを痛感する。
律が姿を消したあの頃、律の父親がやっている事業はにわかに傾き始めていた。
両親ははっきりと言わなかったが、律はそれを何となく感じ取っていた。
そして現在、豪華になった家を見て、想像することは難しくなかった。
律の両親は金を受け取ることで、律の失踪に口を噤んだのだ。
「今までのことを黙っていれば、金は返さなくてもいい。三橋家はそう言っている。」
律の顔を見ても、喜びよりも怯えと困惑の表情を浮かべる父と母。
その2人は蛭魔の言葉に、あからさまにホッとした顔になっている。
ようやく鳥籠の中から脱出した律にとって、外の世界はあまりにも残酷だった。
俺は拉致されたんじゃなく、金で売られたんだ。
律は俯きながら、きつく唇を噛みしめ、必死に感情を抑えようとした。
このまま怒りを露わにしたら、力が暴発するかもしれない。
すると律が膝の上で握りしめた拳に、そっと手が乗せられた。
驚いて横を見上げると、高野が律と目を合わせてそっと頷いた。
この人と生きていく。
そう思った途端、今にも弾けそうな心は不思議なほど落ち着くのを感じた。
律の居場所はこの家ではなく、高野の横なのだ。
*****
「やはり解雇されていた。」
羽鳥は淡々と報告した。
わかっていたことだが、やはりいい気分ではない。
三橋家と対峙した後、羽鳥は職場である清掃会社に出向いていた。
電話1本で、勝手に長期休暇を取ってしまったのだ。
迷惑をかけたと思うし、怒っているだろう。
案の定、全てが片付いた後にもう1度電話を入れたら、解雇を言い渡されてしまった。
解雇は甘んじて受け入れるが、せめてきちんと詫びたい。
羽鳥は菓子折りを持参し、清掃会社を訪ねた。
だが羽鳥は詫びるどころか、中にいれてもらうことさえできなかった。
私物は自宅に送られていたし、未払いの給料は振り込みされている。
いくら何でも手際が良すぎる気がした。
アットホームな会社で、そんなにもバッサリと切られるほど嫌われてもいなかったはずだ。
「そりゃ手を回されたな。」
阿部がモグモグと菓子を食べながら、事もなげにそう言った。
結局受け取ってもらえなかった菓子折りは、一同のおやつになった。
それは有名店の高級菓子で、値段もかなり高価だ。
そんなものを手土産に選ぶことに、羽鳥の誠実な人柄が伺える。
一同は結局ホテル滞在を続けている。
律の戸籍を復活させる手続きを待っている状態だ。
本来ならば、死んだ人間の戸籍を戻すなど容易なことではない。
だが蛭魔は三橋家を脅して、裏から手を回しているという。
それでも今日明日というわけにはいかず、しばらくは時間がかかるらしい。
「手を回される?あんな小さな会社が?」
羽鳥もまた菓子を食べながら、聞き返していた。
スィートルームのリビングにいるのは、阿部と羽鳥だけだ。
男2人が豪華ホテルで高級菓子とティータイム、話題は職場にかけられた圧力。
あまりにもちぐはぐだ。
「そう考えた方が自然じゃねーか。」
「圧力って、どんな」
「大口の仕事をやる。代わりに羽鳥を解雇しろ。てのが手っ取り早い手だろう。」
阿部の意見は、至極わかりやすく、説得力があった。
小さな清掃会社は、いつもギリギリいっぱいの状態で仕事をしている。
社員の首1つと大口の取引を秤にかけて、さぞかし揺れたことだろう。
貧しい者の頬を札束で叩きつけるような真似をしてまで、羽鳥を遠ざけようとした。
千秋を奪い取るためだ。
そんなことを平然とやってのける相手が、敵だったのだ。
「これからもまたやり合うかもしれない。でも絶対に守り抜く。」
阿部の言葉に、羽鳥は力強く頷いた。
マイノリティである故に狙われ、それでも健気に生きる能力者たちを。
千秋を絶対に守るのだ。
「俺のせいで会社に仕事が増えたなら、よしとするか。」
「羽鳥、お前本当にいいやつだな。」
菓子を食べ終えた2人は、紅茶のカップを口に運ぶ。
穏やかな午後がゆっくりと過ぎていった。
*****
「何でも、いい。カーテン、とか。ドアとか。向こう側を、隠すもの、イメージして。」
千秋は額にうっすらと汗をかきながら、ハァハァと荒い呼吸をしていた。
本当はもう無理だと叫びたい。
だが懸命に言葉を紡ぐレンを前にして、そんなことは言えなかった。
律の戸籍の復活と全員のパスポートの準備。
それは蛭魔と阿部が奔走している。
その間、高野と羽鳥は住んでいた賃貸マンションの片付けにもっぱら時間を費やしていた。
大きな家具や不用品を処分して、身の回りの物をまとめるのは大変らしい。
だが千秋は同じ作業を、半日で終えてしまった。
日雇いで薄給だった千秋は、持ち物が極端に少ないのだ。
能力者の4人は部屋にこもることが多い。
もっぱらセナとレンが、律と千秋にいろいろと手ほどきをして過ごしている。
技術的な指導は子供の頃から能力を磨き、知識も豊富なレンがする。
セナは主に精神的なアドバイスが担当だ。
大人になってから能力が覚醒し、不安や恐怖を克服した経験が役に立つ。
「本当は、見えない。それを、強く、思う、んだ。」
レンが吃音気味の声を張って、指示してくれる。
千秋がしているのは、透視能力を封じるトレーニングだ。
今の千秋は見えるもの全てが透けて見える。
人の裸身のみならず、調子がいいときには内臓まで見えたりする。
これを普段は見えない状態にして、必要な時だけ意識を集中させて見えるようにするのだ。
常に力を使っている状態だと、気付かないうちに体力を消耗してしまう。
「だから俺、疲れやすいのか!」
レンの説明を聞いたとき、千秋は大きく頷いた。
子供の頃から体力がなくて、動くとすぐに疲れてしまうのだ。
自分はこういう体質なのだと、すっかり思い込んでいた。
「普段、見えない、と、かなり、楽だよ。だから、頑張ろ!」
レンの力強い助言に、千秋は元気よく「うん!」と頷いた。
だがこれがなかなか大変だった。
一日中ずっと神経を集中させて、イメージトレーニングを重ねる。
それでも透けて見える映像は、全然消える気配がない。
成果が見えないので、精神的にぐったり疲れてしまう。
「これ、なかなかハードだね。」
「慣れ、れば、へーき!」
「レンもこういうの、やってたんだ。」
「3歳の、頃、から。毎日、5、時間、くらい。」
明るく告げられた内容に、千秋は目を剥いた。
3歳の頃から、毎日5時間?
考えただけでも、気が遠くなる。
そして自分を拉致した三橋家の無茶っぷりを今さらのように痛感した。
レンの代わりとして自分を攫ったなんて、見る目がないにも程がある。
「疲れた?今日、もう、終わる?」
「やる!」
千秋は半ばヤケ気味に声を上げると、再び意識を集中させた。
教えてくれるレンのため、助けてくれた蛭魔たちのため、そして大好きな羽鳥のために。
今できることを全力でやるだけだ。
*****
「うわ!」
律は思わず声を上げて、念を飛ばしてしまった方向を見る。
だが発火した炎は一瞬で消され、微かな煙が残るだけだった。
律も千秋同様、トレーニングを重ねていた。
内容はレンが決めたが、その場に立ち合うのはセナだ。
律の力が暴走した時、瞬時に火を消さなければならない。
それができるのはセナだけだった。
トレーニングの内容はシンプルだ。
部屋のテレビで映画のディスクをひたすら見る。
その内容は、悲しくて泣けるもの、不条理で怒れるもの、もしくは絶叫系のホラーなど。
とにかく感情が激してしまいそうなものをチョイスしている。
律は映画に集中し、かつ能力が暴走しないように注意する。
それでも暴走して何かが燃えそうになったら、セナが空気を動かして消すのだ。
「消せなかったらどうするの?」
このトレーニングを聞かされたとき、セナは思わずレンに聞き返した。
セナの責任は重大だ。
万が一消し損なえば、大惨事になる。
だがレンはあっさりと「だいじょ、ぶ。予知、する」と答えた。
大惨事になる場合は、レンが事前に予知するという二段構えの作戦だ。
「ゴメンなさい。まただ。」
律は申し訳なさそうに肩を落とした。
集中力が高く、感受性が豊かな律は、すぐに映画に感情移入してしまう。
平均して1作品に1回は何かを発火させてしまうのだ。
実はずっと集中して、発火と同時に風を起こすセナの方が消耗している。
「気にしないで。僕のトレーニングにもなってるから。」
セナは笑顔でそう答えた。
その言葉は本当だ。
セナにとっても瞬時に力を繰り出すいい練習になっている。
「セナは迷ったことない?こんな力、何の役に立つのかなって」
「あるよ。今も迷ってる。こういう使い方で合ってるのか、自信がない。」
律はその瞬間、微妙な表情になった。
同じ事で迷っている人間にホッとし、同時に失望したのだろう。
迷っているということは、この悩みの正解をセナは持っていないのだ。
「発火なんて役にたたないし、つらいだけだよ。。。」
「それを言うなら、多分僕や律より、レンや千秋の方がつらいよ。」
意外なセナの言葉に、律はキョトンとしている。
予知や透視の方が、世の中の役に立つのにと思ったのだろう。
「僕たちの能力は念じて発動する。だけど彼らは有無を言わさず見えちゃうんだ。」
律は思わず「そうか」と呟いた。
セナや律の力は、基本的には自分発信だ。
だけど千秋は常に透視した状態で見えるそうだし、レンの予知も時や場所を選ばない。
見たくもないものを強制的に見せられるなんて、考えただけで疲れてくる。
レンも千秋もそれを受け入れて、前に進もうとしているのだ。
「俺、とにかく頑張る。力の使い方は制御できるようになってから考えるよ。」
「うん。それがいい。僕も精一杯協力するから。」
セナはレコーダーを停止させると、ディスクを取り出した。
次のディスクは苦手なホラー映画。
だがセナは覚悟を決めると、新しいディスクを放り込んだ。
「ずっと続けたら、映画にかなり詳しくなりそうだね。」
「絶叫系限定で?」
セナと律は顔を見合わせて、笑った。
前向きに頑張ることが、きっと明るい未来につながる。
ごく自然にそう信じることができた。
*****
「ファッキン!」
部屋に戻るなり、蛭魔が悪態をつく。
たまたまリビングスペースでコーヒーを飲んでいた高野が、思わずカップを持つ手を止めた。
「どうしたんだよ?」
「思い切り吹っかけてきやがった!」
蛭魔は現在、メンバーの中で一番多忙だ。
律の戸籍を戻すのに、人脈を駆使してかなり強引な手法を取っているらしい。
だが今、蛭魔が手こずっているのはパスポートの取得だった。
蛭魔と阿部は偽造パスポートで入国しており、千秋と律は普通に取ればいい。
高野と羽鳥はそもそも自分名義のパスポートを持っている。
問題はセナとレンのパスポートだ。
瞬間移動で飛んできてしまったセナと、拉致されて連行されてきたレン。
2人ともパスポートどころではなく、身1つで来てしまった。
アメリカ在住で日本への入国記録もない2人がパスポートの申請をしたら、怪しまれること必至だ。
当然偽造のパスポートを用意することになるのだが。
「日本のパスポートって、偽造が難しいんだそうだ。」
蛭魔はウンザリした表情でため息をつく。
偽造パスポート屋に、かなりの金額を吹っかけられたのだ。
高野は「なるほど」と頷いた。
日本のパスポートはほぼ100%偽造不可能だと聞いたことがある。
「いっそセナに飛んでもらったらどうだ?」
「パスポートを持ってこさせるんだろ?考えたさ。それだと入国記録が問題に。。。」
「レンを連れて飛ぶのさ。手を繋ぐとか、抱きかかえるとかして。ダメ元でやらせてみたらどうだ?」
「・・・なるほど」
思いも寄らない意見だったようで、蛭魔がキョトンとしている。
いつも冷静でみんなのリーダー的存在である蛭魔にしては、珍しい表情だ。
そんな表情を自分がさせたと思うと、高野は愉快な気分だった。
「アンタたち、アメリカでトラブルシューターやってるのって、楽しいか?」
「もちろんだ。鳥籠の中みたいな日本の会社よりスリリングだし。」
「真面目に働く日本の会社員に失礼だな。」
「でもお前も興味あるだろ?」
高野は迷わず頷いていた。
今回の件で初めて「裏稼業」というものを見たが、蛭魔と阿部には驚かされた。
つねに冷静で慎重、それでいて大胆に目的に向かって突き進む2人をカッコいいと思ったのだ。
「お前と羽鳥なら歓迎する。うちの事務所は人使いが荒いが、給料はいいぞ。」
蛭魔が冗談とも本気ともつかない口調で、勧誘してくる。
高野は「考えておく」と答えたが、心はもう決まっていた。
今までのしがらみのない場所で、かわいい恋人と一緒に生きていく。
それが律を取り返した高野の新しい夢だ。
【続く】
「どうして俺を捨てたんですか?」
律はあくまでも穏やかに、問いかけた。
だが冷静を装ってみても、声は微かに震えている。
それが怒りなのか悲しみなのかは、律本人にもよくわからなかった。
三橋家からの脱出を果たした律は、数年振りに実家に戻った。
両親はいったいどうしているのか。
高校卒業まで過ごした懐かしい我が家は。
律はどうしてもそれを、自分の目で確かめたかった。
この「里帰り」には、蛭魔と高野が同行してくれることになった。
大まかな事情の説明や、いざという時の警備を蛭魔がしてくれる。
高野は律に寄り添い、支えてくれる役目だ。
残りのメンバーは、すぐ近くにとめたワゴン車の中で全員が待機している。
不測の事態が起きた時には、駆けつけてくる手筈だ。
たかが里帰りにしては、あまりにも物々しい。
だが律は、みんなの好意に甘えることにした。
監禁生活ですっかり疑心暗鬼になっており、1人で外出するのはまだ怖い。
でも隣に高野がいて、その周りに仲間がいれば、何とか進んでいける気がする。
そして訪れた実家で、律は呆然としていた。
家の外観は変わっていないが、中はかなり変わっていたからだ。
家具などの調度品が買い換えられていて、豪華になっているのだ。
なによりショックだったのは、律の部屋がなくなっていたこと。
持ち物はすべて片付けられ、住み込みの家政婦の部屋になっていた。
「どうして俺を捨てたんですか?」
ひと通り家の中を見終えた律は、客間のソファで両親と向かい合っていた。
もうこの家は律の家ではない。
息子ではなく、客として扱われているのだ。
実家にいた頃にはあまり立ち入らなかった客間にいることで、ますますそれを痛感する。
律が姿を消したあの頃、律の父親がやっている事業はにわかに傾き始めていた。
両親ははっきりと言わなかったが、律はそれを何となく感じ取っていた。
そして現在、豪華になった家を見て、想像することは難しくなかった。
律の両親は金を受け取ることで、律の失踪に口を噤んだのだ。
「今までのことを黙っていれば、金は返さなくてもいい。三橋家はそう言っている。」
律の顔を見ても、喜びよりも怯えと困惑の表情を浮かべる父と母。
その2人は蛭魔の言葉に、あからさまにホッとした顔になっている。
ようやく鳥籠の中から脱出した律にとって、外の世界はあまりにも残酷だった。
俺は拉致されたんじゃなく、金で売られたんだ。
律は俯きながら、きつく唇を噛みしめ、必死に感情を抑えようとした。
このまま怒りを露わにしたら、力が暴発するかもしれない。
すると律が膝の上で握りしめた拳に、そっと手が乗せられた。
驚いて横を見上げると、高野が律と目を合わせてそっと頷いた。
この人と生きていく。
そう思った途端、今にも弾けそうな心は不思議なほど落ち着くのを感じた。
律の居場所はこの家ではなく、高野の横なのだ。
*****
「やはり解雇されていた。」
羽鳥は淡々と報告した。
わかっていたことだが、やはりいい気分ではない。
三橋家と対峙した後、羽鳥は職場である清掃会社に出向いていた。
電話1本で、勝手に長期休暇を取ってしまったのだ。
迷惑をかけたと思うし、怒っているだろう。
案の定、全てが片付いた後にもう1度電話を入れたら、解雇を言い渡されてしまった。
解雇は甘んじて受け入れるが、せめてきちんと詫びたい。
羽鳥は菓子折りを持参し、清掃会社を訪ねた。
だが羽鳥は詫びるどころか、中にいれてもらうことさえできなかった。
私物は自宅に送られていたし、未払いの給料は振り込みされている。
いくら何でも手際が良すぎる気がした。
アットホームな会社で、そんなにもバッサリと切られるほど嫌われてもいなかったはずだ。
「そりゃ手を回されたな。」
阿部がモグモグと菓子を食べながら、事もなげにそう言った。
結局受け取ってもらえなかった菓子折りは、一同のおやつになった。
それは有名店の高級菓子で、値段もかなり高価だ。
そんなものを手土産に選ぶことに、羽鳥の誠実な人柄が伺える。
一同は結局ホテル滞在を続けている。
律の戸籍を復活させる手続きを待っている状態だ。
本来ならば、死んだ人間の戸籍を戻すなど容易なことではない。
だが蛭魔は三橋家を脅して、裏から手を回しているという。
それでも今日明日というわけにはいかず、しばらくは時間がかかるらしい。
「手を回される?あんな小さな会社が?」
羽鳥もまた菓子を食べながら、聞き返していた。
スィートルームのリビングにいるのは、阿部と羽鳥だけだ。
男2人が豪華ホテルで高級菓子とティータイム、話題は職場にかけられた圧力。
あまりにもちぐはぐだ。
「そう考えた方が自然じゃねーか。」
「圧力って、どんな」
「大口の仕事をやる。代わりに羽鳥を解雇しろ。てのが手っ取り早い手だろう。」
阿部の意見は、至極わかりやすく、説得力があった。
小さな清掃会社は、いつもギリギリいっぱいの状態で仕事をしている。
社員の首1つと大口の取引を秤にかけて、さぞかし揺れたことだろう。
貧しい者の頬を札束で叩きつけるような真似をしてまで、羽鳥を遠ざけようとした。
千秋を奪い取るためだ。
そんなことを平然とやってのける相手が、敵だったのだ。
「これからもまたやり合うかもしれない。でも絶対に守り抜く。」
阿部の言葉に、羽鳥は力強く頷いた。
マイノリティである故に狙われ、それでも健気に生きる能力者たちを。
千秋を絶対に守るのだ。
「俺のせいで会社に仕事が増えたなら、よしとするか。」
「羽鳥、お前本当にいいやつだな。」
菓子を食べ終えた2人は、紅茶のカップを口に運ぶ。
穏やかな午後がゆっくりと過ぎていった。
*****
「何でも、いい。カーテン、とか。ドアとか。向こう側を、隠すもの、イメージして。」
千秋は額にうっすらと汗をかきながら、ハァハァと荒い呼吸をしていた。
本当はもう無理だと叫びたい。
だが懸命に言葉を紡ぐレンを前にして、そんなことは言えなかった。
律の戸籍の復活と全員のパスポートの準備。
それは蛭魔と阿部が奔走している。
その間、高野と羽鳥は住んでいた賃貸マンションの片付けにもっぱら時間を費やしていた。
大きな家具や不用品を処分して、身の回りの物をまとめるのは大変らしい。
だが千秋は同じ作業を、半日で終えてしまった。
日雇いで薄給だった千秋は、持ち物が極端に少ないのだ。
能力者の4人は部屋にこもることが多い。
もっぱらセナとレンが、律と千秋にいろいろと手ほどきをして過ごしている。
技術的な指導は子供の頃から能力を磨き、知識も豊富なレンがする。
セナは主に精神的なアドバイスが担当だ。
大人になってから能力が覚醒し、不安や恐怖を克服した経験が役に立つ。
「本当は、見えない。それを、強く、思う、んだ。」
レンが吃音気味の声を張って、指示してくれる。
千秋がしているのは、透視能力を封じるトレーニングだ。
今の千秋は見えるもの全てが透けて見える。
人の裸身のみならず、調子がいいときには内臓まで見えたりする。
これを普段は見えない状態にして、必要な時だけ意識を集中させて見えるようにするのだ。
常に力を使っている状態だと、気付かないうちに体力を消耗してしまう。
「だから俺、疲れやすいのか!」
レンの説明を聞いたとき、千秋は大きく頷いた。
子供の頃から体力がなくて、動くとすぐに疲れてしまうのだ。
自分はこういう体質なのだと、すっかり思い込んでいた。
「普段、見えない、と、かなり、楽だよ。だから、頑張ろ!」
レンの力強い助言に、千秋は元気よく「うん!」と頷いた。
だがこれがなかなか大変だった。
一日中ずっと神経を集中させて、イメージトレーニングを重ねる。
それでも透けて見える映像は、全然消える気配がない。
成果が見えないので、精神的にぐったり疲れてしまう。
「これ、なかなかハードだね。」
「慣れ、れば、へーき!」
「レンもこういうの、やってたんだ。」
「3歳の、頃、から。毎日、5、時間、くらい。」
明るく告げられた内容に、千秋は目を剥いた。
3歳の頃から、毎日5時間?
考えただけでも、気が遠くなる。
そして自分を拉致した三橋家の無茶っぷりを今さらのように痛感した。
レンの代わりとして自分を攫ったなんて、見る目がないにも程がある。
「疲れた?今日、もう、終わる?」
「やる!」
千秋は半ばヤケ気味に声を上げると、再び意識を集中させた。
教えてくれるレンのため、助けてくれた蛭魔たちのため、そして大好きな羽鳥のために。
今できることを全力でやるだけだ。
*****
「うわ!」
律は思わず声を上げて、念を飛ばしてしまった方向を見る。
だが発火した炎は一瞬で消され、微かな煙が残るだけだった。
律も千秋同様、トレーニングを重ねていた。
内容はレンが決めたが、その場に立ち合うのはセナだ。
律の力が暴走した時、瞬時に火を消さなければならない。
それができるのはセナだけだった。
トレーニングの内容はシンプルだ。
部屋のテレビで映画のディスクをひたすら見る。
その内容は、悲しくて泣けるもの、不条理で怒れるもの、もしくは絶叫系のホラーなど。
とにかく感情が激してしまいそうなものをチョイスしている。
律は映画に集中し、かつ能力が暴走しないように注意する。
それでも暴走して何かが燃えそうになったら、セナが空気を動かして消すのだ。
「消せなかったらどうするの?」
このトレーニングを聞かされたとき、セナは思わずレンに聞き返した。
セナの責任は重大だ。
万が一消し損なえば、大惨事になる。
だがレンはあっさりと「だいじょ、ぶ。予知、する」と答えた。
大惨事になる場合は、レンが事前に予知するという二段構えの作戦だ。
「ゴメンなさい。まただ。」
律は申し訳なさそうに肩を落とした。
集中力が高く、感受性が豊かな律は、すぐに映画に感情移入してしまう。
平均して1作品に1回は何かを発火させてしまうのだ。
実はずっと集中して、発火と同時に風を起こすセナの方が消耗している。
「気にしないで。僕のトレーニングにもなってるから。」
セナは笑顔でそう答えた。
その言葉は本当だ。
セナにとっても瞬時に力を繰り出すいい練習になっている。
「セナは迷ったことない?こんな力、何の役に立つのかなって」
「あるよ。今も迷ってる。こういう使い方で合ってるのか、自信がない。」
律はその瞬間、微妙な表情になった。
同じ事で迷っている人間にホッとし、同時に失望したのだろう。
迷っているということは、この悩みの正解をセナは持っていないのだ。
「発火なんて役にたたないし、つらいだけだよ。。。」
「それを言うなら、多分僕や律より、レンや千秋の方がつらいよ。」
意外なセナの言葉に、律はキョトンとしている。
予知や透視の方が、世の中の役に立つのにと思ったのだろう。
「僕たちの能力は念じて発動する。だけど彼らは有無を言わさず見えちゃうんだ。」
律は思わず「そうか」と呟いた。
セナや律の力は、基本的には自分発信だ。
だけど千秋は常に透視した状態で見えるそうだし、レンの予知も時や場所を選ばない。
見たくもないものを強制的に見せられるなんて、考えただけで疲れてくる。
レンも千秋もそれを受け入れて、前に進もうとしているのだ。
「俺、とにかく頑張る。力の使い方は制御できるようになってから考えるよ。」
「うん。それがいい。僕も精一杯協力するから。」
セナはレコーダーを停止させると、ディスクを取り出した。
次のディスクは苦手なホラー映画。
だがセナは覚悟を決めると、新しいディスクを放り込んだ。
「ずっと続けたら、映画にかなり詳しくなりそうだね。」
「絶叫系限定で?」
セナと律は顔を見合わせて、笑った。
前向きに頑張ることが、きっと明るい未来につながる。
ごく自然にそう信じることができた。
*****
「ファッキン!」
部屋に戻るなり、蛭魔が悪態をつく。
たまたまリビングスペースでコーヒーを飲んでいた高野が、思わずカップを持つ手を止めた。
「どうしたんだよ?」
「思い切り吹っかけてきやがった!」
蛭魔は現在、メンバーの中で一番多忙だ。
律の戸籍を戻すのに、人脈を駆使してかなり強引な手法を取っているらしい。
だが今、蛭魔が手こずっているのはパスポートの取得だった。
蛭魔と阿部は偽造パスポートで入国しており、千秋と律は普通に取ればいい。
高野と羽鳥はそもそも自分名義のパスポートを持っている。
問題はセナとレンのパスポートだ。
瞬間移動で飛んできてしまったセナと、拉致されて連行されてきたレン。
2人ともパスポートどころではなく、身1つで来てしまった。
アメリカ在住で日本への入国記録もない2人がパスポートの申請をしたら、怪しまれること必至だ。
当然偽造のパスポートを用意することになるのだが。
「日本のパスポートって、偽造が難しいんだそうだ。」
蛭魔はウンザリした表情でため息をつく。
偽造パスポート屋に、かなりの金額を吹っかけられたのだ。
高野は「なるほど」と頷いた。
日本のパスポートはほぼ100%偽造不可能だと聞いたことがある。
「いっそセナに飛んでもらったらどうだ?」
「パスポートを持ってこさせるんだろ?考えたさ。それだと入国記録が問題に。。。」
「レンを連れて飛ぶのさ。手を繋ぐとか、抱きかかえるとかして。ダメ元でやらせてみたらどうだ?」
「・・・なるほど」
思いも寄らない意見だったようで、蛭魔がキョトンとしている。
いつも冷静でみんなのリーダー的存在である蛭魔にしては、珍しい表情だ。
そんな表情を自分がさせたと思うと、高野は愉快な気分だった。
「アンタたち、アメリカでトラブルシューターやってるのって、楽しいか?」
「もちろんだ。鳥籠の中みたいな日本の会社よりスリリングだし。」
「真面目に働く日本の会社員に失礼だな。」
「でもお前も興味あるだろ?」
高野は迷わず頷いていた。
今回の件で初めて「裏稼業」というものを見たが、蛭魔と阿部には驚かされた。
つねに冷静で慎重、それでいて大胆に目的に向かって突き進む2人をカッコいいと思ったのだ。
「お前と羽鳥なら歓迎する。うちの事務所は人使いが荒いが、給料はいいぞ。」
蛭魔が冗談とも本気ともつかない口調で、勧誘してくる。
高野は「考えておく」と答えたが、心はもう決まっていた。
今までのしがらみのない場所で、かわいい恋人と一緒に生きていく。
それが律を取り返した高野の新しい夢だ。
【続く】