アイシ×おお振り×セカコイ【お題:囚われたお題】

【蘇る記憶】

「今、何て。。。」
律は呆然と聞き返した。
ここ最近、意識が朦朧とする時間が長くなった気がする。
だからたった今、命令された恐ろしいことが事実でないと思いたかった。

「だから。これを燃やすのよ。」
写真を見せられた律は、愕然とした。
これは人だ。
律よりも少し年齢が上の、若い青年の写真だった。

「できません。。。」
律は即座にそう答えた。
人を燃やすとは、つまり殺すことだ。
いくら朦朧としていても、それだけは承諾できない。
だが「ルリ」は冷たい表情のまま、首を振った。

「やらないと、あなたの大事な先輩が大変なことになるかも。」
「ルリ」の口調はあくまでも穏やかだった。
だが拒否は許さないという、断固とした意志が感じられる。

大事な先輩。
蘇る記憶の中の先輩は、涼やかな表情で笑っている。
彼は今も律のことを覚えていてくれるだろうか。
だがもし覚えてくれていても、殺人者になったらもう笑ってはくれないだろう。
それでもあの人を守るためなら、やるしかない。だが。

「写真だけじゃ、無理です。」
律はおずおずとそう告げた。
やろうとおもっても、実際には無理なことに気付いたのだ。
今の律の能力では、目の前のものしか発火させられない。

「大丈夫。その男を呼ぶから。」
律の答えを予想していたらしい「ルリ」が、笑顔になった。
その酷薄な笑顔に、律は背筋が凍るほどの恐怖を感じていた。

*****

「こんにちは、すみません!」
阿部はコンコンと扉を叩いた。
だが反応はなく、部屋の中からも人の気配がしなかった。

吉野千秋。
レンが予知した新たな能力者の名前だった。
姿形の特徴、そして清掃会社に勤務していること。
今回はレンの予知内容から、簡単に素性がわかったのだ。
ここで蛭魔と阿部は二手に分かれて、行動することになった。
蛭魔は小野寺律、阿部は吉野千秋を捜索する。

阿部は早速吉野千秋の住まいを訪ねた。
築30年以上は経過している、古い木造のアパート。
その2階の1室で、彼は1人暮らしをしている。

「吉野さん、いらっしゃいますか!」
反応がないので、阿部はもう少し強く扉を叩いてみた。
だがやはり応答はない。
留守なのだろう。
日雇い仕事で休みは不規則だという情報もある。
だから最初の訪問で会えないことも、覚悟の上だ。

「吉野に何か、用ですか?」
狭い通路で声をかけられて、阿部はそちらを振り向いた。
立っていたのは、自分とほぼ同じくらいの年齢の若い男だった。

「ええ。ちょっとお話がありまして。吉野さんは今、お仕事ですか?」
「ここ数日、行方がわからないんです。」
その瞬間、阿部は「やられた!」と小さく叫んでいた。
残念ながら、三橋家に先を越されたのだ。
そのまま走り去ろうとした瞬間、背後から「待ってください!」と呼び止められた。

「吉野に何があったんですか?連絡がつかないなんて今までなかった。」
男の表情は、心の底から千秋を案じているようだ。
だが千秋は実家とも疎遠で、近しい友人知人もいないはずだ。
それならこの男を巻き込むことは、避けた方がいいのだろう。

「吉野さんの居場所がわかったら、ここに連絡してください。」
阿部はポケットからメモ用紙を取り出すと、男に差し出した。
中には阿部の日本滞在中の携帯電話の番号が書かれている。
だが男は阿部の手首を掴んで「どういうことです」と食い下がってきた。

それなりに訓練を受け、場数を踏んでいる阿部には、その手を振り払うのは簡単だ。
だが男の手から伝わる熱が、それをするのを躊躇わせた。
この男はおそらく吉野千秋に惹かれている。

「阿部隆也といいます。あなたは?」
「羽鳥芳雪です。」
阿部は直感だけで、男を味方につけることに決めた。
羽鳥というこの男も、阿部がそう思ったことを感じ取ってくれたようだ。

*****

「お受けできません。」
高野はきっぱりとそう言い切った。
だが目の前の上司はにべもなく「拒否権はない」と答えた。

高野は今まで通りの生活を続けながら、迷っていた。
心の中で蘇る記憶は、高校生の小野寺律ばかり。
だがあの蛭魔と阿部という男の話は、掴みどころがなさ過ぎた。
律のことは気になりながら、どうしても信用することができないのだ。

そんなとき、高野は上司に呼ばれた。
このところうわの空ではあったが、仕事でミスはしていない。
それどころか他の社員よりも順調に実績を上げている。
呼ばれる理由などないはずだ。

「来週から中国支社に行ってくれないか?」
呼び出された狭い打ち合わせスペースで、部長職の男がそう告げた。
高野の直属の上司はその隣に座る課長で、この男はその上司になる。

「来週、ですか?でも今、プロジェクトを立ち上げたばかりで」
「残り1週間で、全て引き継いでくれ。」
「理由を聞かせてください。左遷させられるような覚えはありません。」
「左遷ではない。適材適所だ。」
「お受けできません。」
「拒否権はない」

部長はそれだけ言うと、さっさと出て行ってしまった。
課長はペコペコと頭を下げてそれを見送っている。
そして高野に視線を戻すと、誤魔化すような笑みを浮かべていた。

これは圧力だ。
高野は瞬時にそう思った。
転勤の時期でもなく、プロジェクトの始まりという中途半端な時期に、理由のない左遷。
こんな不自然な異動は聞いたことがない。
思い当たることはただ1つしかない。

高野の努める会社は旧財閥系企業グループ傘下の商社だ。
そしてあの蛭魔という男は、律を捕えているのは政財界に力を持つ一族だと言っていた。
高野1人を異動させるくらい、何のことはない。
律の件で高野が関わらないように、さっさと海外に飛ばそうということなのかもしれない。

何よりも寂しかったのは、直属の課長が少しも高野をかばってくれなかったことだ。
表情からして、彼も今、高野の異動話を聞いたのだろう。
課の中では高野はかなり実績も上げているし、課長との関係も良好だと思っていた。
だが課長は高野のために、食い下がる素振りも見せてくれなかった。

親類縁者とも疎遠で、学生時代の友人とも今はほとんどない。
つまりこんなに簡単に社員を異国に追い払う会社が、今の高野の生活のほぼ全てだ。
それと律とどちらが大事かなんて、考えるまでもない。
だったらそんなものは捨てて、あの蛭魔という男の妄言に付き合うのもいいかもしれない。

「今日付けで辞職します。」
良くも悪くも決断が早い高野が、迷いなく言い切った。
課長が慌てて「急すぎる」とか「引継ぎが」と喚き始めた。
だが知ったことではない。
そもそもいきなり異動話をされたのに、そちらを止めようとはしなかったではないか。

高野はその日のうちに辞表を提出して、会社を出た。
人がいなくなるのは、案外簡単なことだ。
律が失踪して、今更そんなことに気づくなんて皮肉なことだ。

*****

『蛭魔妖一、だな?』
電話から聞こえてくる声は、どことなくレンに似ている。
蛭魔は「三橋琉だな?」と聞き返してやった。
先にその場の主導権を取るのが、蛭魔のスタイルだ。

蛭魔は都内のホテルに滞在していた。
もちろん偽物のパスポート同様、偽名での滞在だ。
高級ホテルの豪華なスィートルームを取ったのは、蛭魔や阿部の趣味ではない。
小野寺律を保護し、匿うことを想定してのことだ。

その中央の広いリビングには、4人の男がいた。
蛭魔、阿部、羽鳥、そして先程ようやく合流した高野だ。
顔を付き合わせて、律と千秋の奪還計画を練っていた矢先。
蛭魔の携帯電話が鳴ったのだ。

『蛭魔妖一、だな?』
「三橋琉だな?」
日本滞在中専用に購入した携帯電話の番号は、もう知られていた。
その悔しさはおくびにも出さず、冷静に聞き返してやった。
相手が一瞬黙り込んだのが、愉快だ。
こうして先にその場の主導権を取るのが、蛭魔のスタイルだ。

『小野寺律の身柄をそちらに渡す。今すぐこれから言う場所に取りに来い。」
「罠じゃない保証は?」
『ない。嫌なら無理にとは言わない。』
三橋琉はある住所を告げて、一方的に電話を切った。
いきなり無遠慮にブチ切られた通話に、蛭魔は微かに眉をしかめる。

「律を返すと言ってきた。今すぐ身柄を取りに来いとさ。」
「律だけ?吉野の方は?」
「わからん。聞く前に切られた。」
「考える時間はあまりないな。」

蛭魔と阿部が相談しているのを、高野と羽鳥が黙って聞いている。
現実離れした事態に半信半疑だったのだろう。
こうして相談している蛭魔たちを見て、嘘ではないのだと思い知らされているのだ。

「さて、どうするか」
蛭魔は思案しながら、高野を見た。
高野はじっと蛭魔の表情を凝視していた。
その目から、何とか律を取り返したいという気持ちが見えた。

「行ってみる。お前は残って、俺に何かあったら後を頼む。」
蛭魔は意を決して立ち上がると、阿部の肩を叩いた。
すかさず高野が「俺も行く」と立ち上がる。
連れて行っていいものかと、蛭魔は一瞬迷った。

正直言って訓練もされていない高野が、役に立つかどうかわからない。
だが高野の気持ちは痛いほどわかった。
蛭魔だって、もしセナが誰かに捕えられていたら、絶対に自分の手で助けたいと思うだろう。

「よし。じゃあ2人で行こう。」
蛭魔はすぐに決断した。
そして2人はホテルを出て、指定された場所へと急いだ。

*****

「ひどい、こと、する。」
レンは悲しそうな表情で、そう呟いた。
セナはそんなレンの横顔を見ながら、首を傾げた。

セナとレンはアメリカの事務所で、ずっと待機していた。
レンは時々予知をしては、寝込んでしまうことを繰り返していた。
セナは本当に出番がなく、レンが寝ている間に念動力や瞬間移動の訓練に余念がない。
特に最近習得した瞬間移動は、かなり進歩した。
この事務所内だけなら、もうほとんど苦もなく移動できる。

「ジイちゃんも、瑠里も、琉も、ひどい。おかしい。」
レンはまたポツリと呟いた。
瞳はかたく閉じたままだ。
今もまた何か未来の光景を見ているのだろう。

「大丈夫?何が見えたの?」
ようやく目を開けたレンに、セナはそっと声をかけた。
未来を見ているレンはいつもつらそうだが、今日は特に悲しそうだ。
セナはそんなレンを見るたびに、自分の能力が予知でなくてよかったと思う。
近しい人が苦しむ未来が見えるなんて、考えただけで恐ろしい。

「律さん、に、蛭魔さん、を。焼き、殺させ、ようと、してる。」
レンは震えながら、そう答えた。
幼い頃から一緒だった身内の恐ろしい計画だ。
それを聞いたセナの表情が、一気に凍り付いた。

「蛭魔さんを殺させる?そんな!許せない!」
「大丈夫、だよ。それは。。。」
思いがけず恋人、蛭魔の危機を知らされ、セナの声が尖った。
レンは慌ててフォローしようとするが、セナには聞こえていない。
律に蛭魔を焼き殺させる。
その非道な計画に、セナの怒りが燃え上がる。

「絶対に、させない!」
セナが叫んだ瞬間、その身体が消えた。
レンは驚き「セナ!?」と叫んだ。
だがまるでマジックのように、セナはいなくなっていた。

瞬間移動だ。
残されたレンは呆然と立ち竦んでいた。
恋人の危機を知らされたセナは、一瞬で飛んでしまった。
その行先は1つしか考えられない。

その瞬間、レンは眩暈を感じた。
セナが瞬間移動したことで、また未来が変わったのだ。
レンは懸命に足を踏ん張り、携帯電話を取った。
今までは予知をセナに伝えて、そのまま眠ればよかった。
だが今は独りだ。
眠らずに、予知の内容を伝えなければならない。

心に蘇る記憶は、子供の頃一緒に遊んだ従姉妹たちの顔だ。
無邪気だったあの時の姉と弟はもうどこにもいない。
いるのは一族を守るために殺人も厭わない、悲しい大人たちだ。
レンは悲しみを堪えながら、携帯電話のボタンを押した。

【続く】
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