「おお振り」×「◆A」6年後

【横恋慕はいらない】

「三橋投手、ファンなんです~♪」
試合前のグラウンドに現れた女は、馴れ馴れしく三橋の手を握る。
三橋は「ど、ども」と戸惑いながらも、女からそっと手を外した。

御幸は打撃練習をしながら、その光景を見ていた。
三橋と話しているのは、某局の女子アナウンサーだ。
もちろんアナウンサーになるくらいだから、美人でかわいらしい。
だが御幸やその他の選手たちには嫌われていた。

彼女は野球選手と結婚したいという願望が見え見えの女だったのだ。
有望な選手と見ると、とにかくすり寄って来る。
実は御幸も、彼女に付きまとわれた時期があった。
試合前や試合後、やたらに声をかけて来るのだ。
ベタベタと触ろうとするのも、気持ち悪かった。
何年間も野球担当の取材に来ているが、未だにルールを覚えているかどうかさえ怪しかった。

彼女が三橋に付きまとい始めたのは、少しずつ勝ち星を伸ばし、一軍に定着した頃だ。
一時期のように二軍で調整登板をして、その夜一軍の試合で投げるなんてことはもうない。
セットアッパーとして定着し、何ならクローザーになるくらいの勢いだ。
おそらく三橋は、まだ高みに登る。
それに三橋の実家は学校を経営しており、プロ野球を終えた後の再就職先も決まっている。
つまり超優良物件なのだ。
彼女はそれを見越したのだろう。

「今度、食事に行きませんかぁ~?」
女の甘ったるい声に、三橋が「え、と」と戸惑っている。
こんなとき、恋人が異性であるなら「彼女がいます」とでも言える。
だが同性である場合、実に微妙だ。
男同士の恋愛は決して法に触れるようなものではないが、まだまだ好意的には受け取られない。
プロ野球選手という顔も名前もバレバレな商売なら、なおのことだ。

御幸はそっと三橋に近づいた。
バッテリー間の打ち合わせだとか言い訳をつけて、彼女をから引き離してやるつもりだった。
人のいい三橋は、自分から彼女を拒めないだろうから。
だが御幸が声をかける前に、凛とした声が響いた。

「食事、行かない、です。」
三橋はきっぱりとそう告げたのだった。
彼女は一瞬ひどく驚いた顔になったが、すぐに笑顔を作って「何でですかぁ~?」と聞く。
三橋は少しも躊躇うことなく「タイプ、じゃない、から」と言い放ったのだ。
あまりにも綺麗な斬り方に、御幸は思わず吹き出した。

三橋は今でも真っ直ぐに阿部を思ってる。
それにあんな女に引っかかるほど、バカでもないのだ。

彼女の顔からかわいい仮面が落ちた。
ふて腐れたように鼻を鳴らすと「何よ、いい気になって!」と言い放つと、踵を返す。
御幸はそれを見ながら、心配することなかったなと苦笑した。

*****

「どうして!」
隣室から女性の叫び声が聞こえた。
防音がしっかりしているこのマンションで聞こえたのだから、かなりの大声なのだろう。
もしかして修羅場なのかと、阿部は顔をしかめた。

会社から帰った阿部は、着替えてくつろいでいた。
夕食は野菜ジュースを1杯、飲んで終わらせることにした。
この間、不意に現れた御幸に呆れられたばかりだ。
生活をちゃんとしなくては。
何より営業職で接待が増えたが、運動する機会がない。
そのせいで少しずつ体重が増えているのだ。
とにかく夕食は減らして、それでも戻らないなら本格的にダイエットが必要かもしれない。

「絶対に嫌!」
また叫び声が聞こえる。
隣の三橋の部屋には、今、別の人間がいる。
沢村と同い年の幼なじみの女性だ。
確か沢村は「若菜」と呼んでいた。
その女性と話がしたいからと頼まれ、場所を貸したのだ。
有名人である沢村が、街中で女性と会うのは目立ちすぎるからだ。

「御幸先輩に言えないようなことじゃないよな?」
部屋を貸すに当たって、阿部がまず確認したのはそのことだった。
沢村に限って、二股なんて器用なことができるはずはない。
わかっているけれど、言わずにはいられない。

「むしろ逆。コクられてことわったら、直接話させてくれって」
沢村はそう言った。
それならば仕方ないと、阿部は部屋を使うことに同意したのだ。
今まさに2人は話し込んでいる最中で、そう思うだけで阿部まで無意味に緊張する。

やがて隣室のドアがバタンと大きな音を立てた。
そして廊下をバタバタと走る音がする。
阿部は何となく気になり、部屋を出た。
すると1人の女性が走り去っていく後ろ姿と、それを見送る沢村が見えた。

「ああ、阿部。部屋を貸してくれてサンキュ。助かった。」
「それはいいけど。彼女はいいのか?」
「うん。御幸先輩の恋人にしか、なれないから。」

沢村は寂しそうにそう言った。
口で言うほど、割り切れてはいないのだろう。
御幸への恋心は揺るがないだろうが、幼なじみをバッサリ切り捨てるのはつらいはずだ。

「御幸先輩、きっと嬉しいだろうな。」
阿部は静かにそう告げた。
沢村は寂しそうな表情なまま「そうだといいな」と答えた。

【続く】
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