「おお振り」×「◆A」2年後
【捕手の悩み】
久し振りだな。
その声はあまりにも小さくて、よく聞き取れなかった。
だけど御幸は何となく察して「本当にお久しぶりです」と答えた。
御幸一也は自分のチームの試合前の球場で、かつてのチームメイトと再会した。
彼の名は、滝川・クリス・優。
高校時代、同じ野球部で1年先輩だった男だ。
今では御幸がプロで、クリスは大学生、立場が逆転している。
それでも御幸にとって、クリスは尊敬する捕手だ。
クリスはこうしてたまに、ふらりと御幸に会いに来てくれる。
そして立ち話のような軽いノリで、近況報告などをするのだ。
最初はそんな状況に慣れず、戸惑っていた。
なぜならケガさえなければ、クリスの方が先にプロ入りしていたに違いないからだ。
それでも何度か訪ねてきてくれるうちに、すっかり慣れた。
降谷も沢村も、プロ志望らしいな。
クリスは相変わらずの小さな声で、そう言った。
2人は試合前の球場の客席に並んで座りながら、話をしていた。
一応チケットを持った客は、試合の2時間前に入れることになっている。
試合前の練習から見たいコアなファンが、チラチラと客席を埋めていた。
そうらしいっすね。
御幸はそう答えて、苦笑した。
2人がプロ志望届を出したことは、知っている。
それに御幸の所属する球団は、降谷の獲得に動いているのだ。
もっともそれは球団内の機密事項、例えクリスといえども話せないのだが。
御幸は球団が降谷を獲ろうとしていることを概ね嬉しく、少しだけ残念に思っていた。
元々かなりの才能を秘めていた降谷は、順調に実力をつけている。
またあの球を受けてみたいと思う気持ちは、嘘じゃない。
だけどそれ以上に、また沢村のことが気になっている。
学生時代、そしてプロを通じて、御幸が組んだ投手の中で一番面白いのが沢村だ。
あのボールを受けたい。
こうして離れている間に、どれだけ成長したのか確かめたかった。
だけどそれは無理な相談だ。
御幸の所属するチームは昨年、左投手の補強で榛名元希を獲得している。
今年はおそらく、左投手は獲らないだろう。
こうなるともうよほどのことがない限り、沢村とまたバッテリーを組む可能性はない。
この前、西浦の阿部が連絡してきたぞ。
クリスが御幸の感傷を断ち切るように、そう言った。
阿部は「マジすか?」と苦笑する。
クリスと阿部、意外な組み合わせではあるが、あり得ないことはない。
練習試合で青道に来た時、阿部はクリスと話をしていた。
クリスは子供の頃から才能あふれる捕手として、関東の野球少年には有名だった。
そんな彼から、いろいろ話を聞きたかったのだろう。
三橋と阿部、同じ大学に進むつもりだそうだ。
クリスの言葉に、御幸は「なるほど」と答えた。
あの2人なら同じところに進んでも納得できる、むしろ離れることを想像できなかった。
ちょっとうらやましいかな。
御幸はふとそんなことを思いながら、こっそりとため息をついた。
そしてあの2人の活躍も、またこの目で見たいものだと思った。
*****
ったく、むずかしいな。
阿部は電話を切ると、唸るように文句を言った。
阿部隆也は、卒業後の進路に迷っていた。
大学に行くことはすでに決めており、行きたい学部もある。
そして候補の大学を絞り込んでさえいた。
だがなかなか1つに決めきれない。
問題は同じ大学に進みたいと願う三橋の学力にあった。
阿部にとって合格圏内の大学でも、三橋にはきびしい。
今最有力候補の大学には、知り合いがいる。
かつて練習試合をした青道高校のOB、滝川・クリス・優だ。
幸いにも以前、クリスとは連絡先を交換していた。
だから思い切って連絡を取り、野球部の雰囲気などを聞いてみたのだが。
クリスの所属する大学の野球部は、古いタイプの体育会系だった。
いや、それは事前に調べて分かっていたのだが、予想以上だったのだ。
キッチリした縦社会、上級生への絶対服従などなど。
きつい練習には、それなりに耐えられるつもりではいる。
だけど西浦での3年間、ずっと上級生がいない状況に慣れていた。
そんな阿部と三橋が、今さら上下関係がぎびしい学校で、やっていけるだろうか?
それにそもそも2年上にクリスがいるというのも、問題ではあるのだ。
高校時代にケガで、正捕手の座を御幸に譲った。
だがそもそもケガがなければ、プロに行ってもおかしくないほどの逸材だ。
そんな男とポジション争いをして、勝つ自信もなかった。
三橋とできる野球はあと4年、そのうち2年を潰すのは得策じゃない。
クリス先輩の卒業まで、待つってのはないよなぁ。
阿部がまた文句を言うと、隣室との境の壁がドスンと音を立てた。
隣の部屋の弟が、壁を殴るか蹴るかしたのだろう。
どうやら進路に迷うあまり、独り言が大きすぎたようだ。
父親譲りのデカい声は、本人の意に反してよく響く。
その時、携帯電話が振動して、着信を告げた。
三橋からのメールだ。
アイツだって、迷っているだろう。
そう思って、メールを開いた阿部は「はぁぁ!?」と声を上げていた。
メールには「えーじゅん君が泊まりに来てるよ」と書かれている。
そして自分撮りをしたらしい三橋と沢村のツーショット写真が添付されていた。
沢村が泊まりに来ることは事前に聞いていたし、滅多にないことでテンションが上がっているのはわかる。
だけどやっぱり2人の進路に悩んでいるときに、能天気な写真は力が抜ける。
阿部が「ったく!」と叫んだ瞬間、また壁がドスンと蹴られた。
4年後、大学を卒業したら、おそらく別れがやって来る。
そのときまでに悔いのない道を選択しなくてはいけない。
阿部はグッと拳を握りしめると、もう一度洗い出した志望校の検討を始めた。
【続く】
久し振りだな。
その声はあまりにも小さくて、よく聞き取れなかった。
だけど御幸は何となく察して「本当にお久しぶりです」と答えた。
御幸一也は自分のチームの試合前の球場で、かつてのチームメイトと再会した。
彼の名は、滝川・クリス・優。
高校時代、同じ野球部で1年先輩だった男だ。
今では御幸がプロで、クリスは大学生、立場が逆転している。
それでも御幸にとって、クリスは尊敬する捕手だ。
クリスはこうしてたまに、ふらりと御幸に会いに来てくれる。
そして立ち話のような軽いノリで、近況報告などをするのだ。
最初はそんな状況に慣れず、戸惑っていた。
なぜならケガさえなければ、クリスの方が先にプロ入りしていたに違いないからだ。
それでも何度か訪ねてきてくれるうちに、すっかり慣れた。
降谷も沢村も、プロ志望らしいな。
クリスは相変わらずの小さな声で、そう言った。
2人は試合前の球場の客席に並んで座りながら、話をしていた。
一応チケットを持った客は、試合の2時間前に入れることになっている。
試合前の練習から見たいコアなファンが、チラチラと客席を埋めていた。
そうらしいっすね。
御幸はそう答えて、苦笑した。
2人がプロ志望届を出したことは、知っている。
それに御幸の所属する球団は、降谷の獲得に動いているのだ。
もっともそれは球団内の機密事項、例えクリスといえども話せないのだが。
御幸は球団が降谷を獲ろうとしていることを概ね嬉しく、少しだけ残念に思っていた。
元々かなりの才能を秘めていた降谷は、順調に実力をつけている。
またあの球を受けてみたいと思う気持ちは、嘘じゃない。
だけどそれ以上に、また沢村のことが気になっている。
学生時代、そしてプロを通じて、御幸が組んだ投手の中で一番面白いのが沢村だ。
あのボールを受けたい。
こうして離れている間に、どれだけ成長したのか確かめたかった。
だけどそれは無理な相談だ。
御幸の所属するチームは昨年、左投手の補強で榛名元希を獲得している。
今年はおそらく、左投手は獲らないだろう。
こうなるともうよほどのことがない限り、沢村とまたバッテリーを組む可能性はない。
この前、西浦の阿部が連絡してきたぞ。
クリスが御幸の感傷を断ち切るように、そう言った。
阿部は「マジすか?」と苦笑する。
クリスと阿部、意外な組み合わせではあるが、あり得ないことはない。
練習試合で青道に来た時、阿部はクリスと話をしていた。
クリスは子供の頃から才能あふれる捕手として、関東の野球少年には有名だった。
そんな彼から、いろいろ話を聞きたかったのだろう。
三橋と阿部、同じ大学に進むつもりだそうだ。
クリスの言葉に、御幸は「なるほど」と答えた。
あの2人なら同じところに進んでも納得できる、むしろ離れることを想像できなかった。
ちょっとうらやましいかな。
御幸はふとそんなことを思いながら、こっそりとため息をついた。
そしてあの2人の活躍も、またこの目で見たいものだと思った。
*****
ったく、むずかしいな。
阿部は電話を切ると、唸るように文句を言った。
阿部隆也は、卒業後の進路に迷っていた。
大学に行くことはすでに決めており、行きたい学部もある。
そして候補の大学を絞り込んでさえいた。
だがなかなか1つに決めきれない。
問題は同じ大学に進みたいと願う三橋の学力にあった。
阿部にとって合格圏内の大学でも、三橋にはきびしい。
今最有力候補の大学には、知り合いがいる。
かつて練習試合をした青道高校のOB、滝川・クリス・優だ。
幸いにも以前、クリスとは連絡先を交換していた。
だから思い切って連絡を取り、野球部の雰囲気などを聞いてみたのだが。
クリスの所属する大学の野球部は、古いタイプの体育会系だった。
いや、それは事前に調べて分かっていたのだが、予想以上だったのだ。
キッチリした縦社会、上級生への絶対服従などなど。
きつい練習には、それなりに耐えられるつもりではいる。
だけど西浦での3年間、ずっと上級生がいない状況に慣れていた。
そんな阿部と三橋が、今さら上下関係がぎびしい学校で、やっていけるだろうか?
それにそもそも2年上にクリスがいるというのも、問題ではあるのだ。
高校時代にケガで、正捕手の座を御幸に譲った。
だがそもそもケガがなければ、プロに行ってもおかしくないほどの逸材だ。
そんな男とポジション争いをして、勝つ自信もなかった。
三橋とできる野球はあと4年、そのうち2年を潰すのは得策じゃない。
クリス先輩の卒業まで、待つってのはないよなぁ。
阿部がまた文句を言うと、隣室との境の壁がドスンと音を立てた。
隣の部屋の弟が、壁を殴るか蹴るかしたのだろう。
どうやら進路に迷うあまり、独り言が大きすぎたようだ。
父親譲りのデカい声は、本人の意に反してよく響く。
その時、携帯電話が振動して、着信を告げた。
三橋からのメールだ。
アイツだって、迷っているだろう。
そう思って、メールを開いた阿部は「はぁぁ!?」と声を上げていた。
メールには「えーじゅん君が泊まりに来てるよ」と書かれている。
そして自分撮りをしたらしい三橋と沢村のツーショット写真が添付されていた。
沢村が泊まりに来ることは事前に聞いていたし、滅多にないことでテンションが上がっているのはわかる。
だけどやっぱり2人の進路に悩んでいるときに、能天気な写真は力が抜ける。
阿部が「ったく!」と叫んだ瞬間、また壁がドスンと蹴られた。
4年後、大学を卒業したら、おそらく別れがやって来る。
そのときまでに悔いのない道を選択しなくてはいけない。
阿部はグッと拳を握りしめると、もう一度洗い出した志望校の検討を始めた。
【続く】