「おお振り」×「◆A」1年後
【まずまずの大団円!】
『ありがとうな。三橋』
電話の向こうから、御幸の声が聞こえる。
三橋は「は、はい。じゃ、また」と答えて、通話を終えた。
青道高校との練習試合で巻き込まれた、奇妙な事件。
三橋はなぜか犯人である女子生徒とメル友になっている。
短いメールのやり取り、しかも日にほんの1、2通。
だがそれが妙に楽しかった。
それは三橋の今までの交友関係のせいだった。
元々引っ込み思案で、幼少期から心を開ける友人はほとんどできなかった。
それに中学の野球部では無視されて、孤立していた。
つまりこんな風に頻繁にメールでやり取りする相手など、いなかったのだ。
そしてさらに不思議なことに、彼女と御幸と沢村が会うのをセッティングすることになった。
なんでわざわざ同じ学校に通う彼らの間を、埼玉にいる三橋が取り持つのか。
そう問われれば明確に答えることはできない。
それでもそれはそれで楽しい作業だった。
自分が何かの役に立てていると思うだけで、嬉しかったのだ。
ここ最近、阿部がなぜか三橋に怒っているような気がするから、尚更そう思う。
それじゃ、ごはんだ!
電話を終えた三橋は元気よく、キッチンに向かった。
今日は父も母も仕事で、家には帰らない。
だけど母はカレーを作っておいてくれたので、温めるだけでいい。
帰宅するなりスイッチを入れたご飯も、もうすぐ炊き上がる。
だがコンロに火をつける前に、玄関のチャイムが鳴った。
「うおぉ!」
三橋は驚き、声を上げた。
そして時計を見上げて、困惑する。
どう考えても、誰かが来るような時間じゃない。
まさか泥棒?でもそんな人はきっとチャイムなんか鳴らさない。
どうしよう。出た方がいいのか。
三橋が困惑していると、さらにチャイムが鳴った。
その音から、かなり勢いよく叩いているのがわかる。
どうしていいかわからず固まっていると連打になり、三橋はさらに驚いた。
どうしよう。電話で誰かに助けを求めるか。
三橋が携帯電話を取ろうとしたところで「開けろ!」と叫ぶ声が聞こえた。
聞き慣れた怒声に、三橋は思わず「へ?」と間抜けな声を上げた。
「あ、阿部、君!?」
訪問者の正体を理解した三橋は、玄関に走った。
鍵を外し、ガラガラと引き戸のドアを開けると、予想通り。
阿部がひどく取り乱した様子で立っていたのだ。
「ど、どした、の?」
三橋はその剣幕に完全に引きながらも、おずおずと問いかけた。
すると阿部は「大丈夫なのか!?」と三橋にグイッと詰め寄る。
何が大丈夫なのかはよくわからないが、三橋はコクコクと頷いた。
すると阿部は「よかった」と大きく息をつき、三橋を勢いよく抱き寄せた。
「う、わ、何!」
「いろいろ悪かった。」
驚き、固まった三橋だったが、次第に身体を力を抜いた。
何だかよく分からないけれど、今この瞬間はすごく幸せだと思ったからだ。
ここ最近のよくわからない不機嫌さをすっ飛ばして、阿部が三橋を真っ直ぐに見てくれている。
それが嬉しくて、三橋は阿部の腕の中で笑っていた。
*****
「ど、どした、の?」
三橋は阿部の勢いに驚きながらも、能天気にそう聞いてきた。
その瞬間、ホッとした阿部は思わず三橋に抱きついていた。
「三橋が大変なんだ!」
部活後のコンビニ前で、血相を変えた田島にそう言われた。
だが実際、具体的なことは何もない。
三橋は真っ直ぐ家に帰ったが、具合が悪そうだった。
だから家に着いた頃を見計らって電話をしたが、応答がない。
それだけのことだ。
もしも他の部員の話なら「だから?」と冷やかに聞き返していただろう。
だが三橋のこととなれば、話は別だ。
すぐに三橋に電話をかけてみるが、無機質なアナウンスが聞こえるだけだ。
阿部は舌打ちを1つすると、自転車に飛び乗る。
そして三橋の家まで、全速力でペダルを漕ぎ続けた。
もしかして倒れでもしていたら?
いや、練習後も普通にしていたはずだ。
でも本当に大丈夫かどうか、自信がない。
なぜなら阿部はここ最近、三橋に苛立ち、距離を取っていたからだ。
それは拗ねて、嫉妬しているだけ。
花井はきっぱりとそう言い切った。
そうなのだろうか?
阿部にはよくわからない。
だが今はそんなことはどうでもよかった。
とにかく一刻も早く三橋の様子を確認しなければならない。
阿部は猛然とペダルを漕ぎながら、後悔していた。
三橋が沢村や御幸たちのことを気にかけていたのは、優しさからだ。
それをわかろうとせず、いやわかっていたのに無視した。
三橋の注意が自分以外にも向けられていることが我慢ならなかったのだ。
結果的に三橋から目を背け、だから今日の体調も正確に判断できない。
こんなことでは捕手失格だ。
3年間、三橋に尽くす。
そう決めていたはずなのに。
どうしてつまらないことに囚われ、目を離してしまったのか。
三橋邸に到着すると自転車から飛び降り、そのままの勢いでドアチャイムを鳴らした。
室内の灯りはついているようだし、とりあえず誰かいるのは間違いない。
だが出てくる気配はなかった。
すかさず何度も連打し、最後には「開けろ!」と叫んだ。
見ようによっては、完全にこちらが怪しい。
だけどこのときの阿部には、そんなことを考える余裕はなかった。
ようやく三橋が出てきたときには、心の底からホッとした。
思わず三橋に抱きついてしまったのは、そのせいだ。
最初は驚いた三橋が、抵抗せず身体を預けてくれたのが嬉しい。
こうして阿部と三橋はすれ違いつつあった距離を一気に戻した。
いっそこのまま。
阿部はそっと三橋の頬に触れた。
もっと先に進みたい衝動と、このままではまずいと叫ぶ理性。
葛藤する阿部の耳に「くぅ」と情けなさそうな音が聞こえた。
三橋は申し訳なさそうに「カレー、食べる?」と問う。
空腹だった三橋の腹が鳴ったのだ。
それを理解した阿部は思わず吹き出し、三橋も笑い出した。
阿部は「食う!」と答えて、三橋の身体を離したのだった。
結局田島にまんまと騙されたのだ。
しかも用意周到に、三橋の携帯電話の電源をこっそり切って連絡が取れないようにした。
阿部はそれに気付いたけれど、怒る気にはならなかった。
少々荒っぽい、田島らしいやり方だ。
おかげで目が覚めたし、いつもの2人に戻れた。
だけど絶対に礼は言わない!
阿部は秘かにそう思いながら、三橋家のカレーを堪能した。
相変わらずでっかい寸胴鍋で作られた具がゴロゴロのカレーは美味だった。
かくして2人の距離は元に戻った。
そして西浦高校の部員たちはホッと胸を撫で下ろすことになったのだった。
*****
「全国制覇、頑張ってよね。」
彼女は手を振りながら、颯爽と去っていく。
御幸と沢村はそれを見送りながら、晴れやかに笑った。
三橋と阿部がカレーを食べた翌日、昼休みの青道高校。
御幸と沢村は、指定された場所にやって来た。
青道で一番古い校舎の地下の教室。
沢村が閉じ込められたあの部屋だ。
「ごめんなさいね。他に人が来ない場所って思いつけなくて」
先に来ていた女子生徒が、困ったように笑う。
御幸に想いを寄せ、沢村に嫌がらせをした彼女だ。
それがどういうわけか三橋とメル友になった。
そしてその三橋の仲介で、こうして会っているのだ。
「本当にごめんなさい。特に沢村君にはひどいことをしたわ。」
彼女は深々と頭を下げた。
沢村は「いや。そんな。オレは」と困惑している。
無理もない。沢村にとっては、もはや終わった話。
今さら謝罪されたところで、何と返していいのかわからないのだ。
「わざわざ三橋を使って呼び出して、そんなことを言いたかったのか?」
冷たい声を出したのは、もちろん御幸だ。
今さらしおらしい声で詫びられても、信用できない。
沢村を陥れ、三橋にまで手を出そうとした。
その罪状は簡単に消えるものではない。
「警戒するなっていう方が無理よね。」
彼女は唇を歪めて、笑う。
それを見た御幸は「まぁね」と頷きながら、内心は彼女を見直していた。
今の皮肉っぽい笑いには、媚びや悪意は見られなかったからだ。
どうやら三橋が言うように、彼女は素直な気持ちでここにいる。
その点は信用してもいいかと思った。
「三橋君と話してるうちに、自分がバカなことをしてるって思い知ったのよ。」
「へぇ」
「その後もメールして、大事なことに気付いた。」
「大事な事って?」
「野球バカで投手オタクな男なんか、さっさと諦めた方がいいってこと。」
「あんた、結構面白れぇな。」
御幸はクスクスと笑い出した。
何だかんだ言って御幸はモテるし、言い寄ってくる女子生徒もたまにいる。
だけどそういう女子たちは一様に、媚びるような表情や態度で面白味がない。
だからこそもしかしてもっと早くに素の彼女を知ったら、何かが違ったかもしれない。
「あたしね。9月から留学するの。だからもうお別れ。」
「そりゃすごい決心だな。」
「でしょ?あんたたちが日本でチマチマ戦ってる間に、あたしはもっと広い世界に出ていく。」
「そっか。頑張れよ。」
「そっちも。全国制覇、頑張ってよね。」
彼女は笑顔で手を振りながら、颯爽と去っていく。
御幸と沢村はそれを見送りながら、晴れやかに笑った。
これは彼女にとって、必要なことだったのだ。
そして彼女が気になっていた御幸にとっても、ありがたかった。
これで完全に吹っ切って、進むことができる。
「それにしてもお前、こんなトコに閉じ込められてたんだな。」
「今はマシですけど、夜はめちゃめちゃ暗いし怖かったっすよ!」
「何でキレてんだよ?」
「あんたもその理由に無関係じゃないでしょ!」
御幸と沢村は軽口を叩きながら、教室を出た。
彼女が何の処罰も受けずに終わるのは、甘いという気はする。
だけど蒸し返すよりは、さっさと忘れて前に進んだ方が建設的だ。
「今日はナンバーズの練習、集中的にやるぞ!」
「はい!全力で行きます!」
2人は完全に野球モードに切り替わった。
三橋たちとは違い、御幸と沢村が組めるのはもうわずか。
悔いのない夏を過ごすために、今日も頑張るだけだ。
【続く】
『ありがとうな。三橋』
電話の向こうから、御幸の声が聞こえる。
三橋は「は、はい。じゃ、また」と答えて、通話を終えた。
青道高校との練習試合で巻き込まれた、奇妙な事件。
三橋はなぜか犯人である女子生徒とメル友になっている。
短いメールのやり取り、しかも日にほんの1、2通。
だがそれが妙に楽しかった。
それは三橋の今までの交友関係のせいだった。
元々引っ込み思案で、幼少期から心を開ける友人はほとんどできなかった。
それに中学の野球部では無視されて、孤立していた。
つまりこんな風に頻繁にメールでやり取りする相手など、いなかったのだ。
そしてさらに不思議なことに、彼女と御幸と沢村が会うのをセッティングすることになった。
なんでわざわざ同じ学校に通う彼らの間を、埼玉にいる三橋が取り持つのか。
そう問われれば明確に答えることはできない。
それでもそれはそれで楽しい作業だった。
自分が何かの役に立てていると思うだけで、嬉しかったのだ。
ここ最近、阿部がなぜか三橋に怒っているような気がするから、尚更そう思う。
それじゃ、ごはんだ!
電話を終えた三橋は元気よく、キッチンに向かった。
今日は父も母も仕事で、家には帰らない。
だけど母はカレーを作っておいてくれたので、温めるだけでいい。
帰宅するなりスイッチを入れたご飯も、もうすぐ炊き上がる。
だがコンロに火をつける前に、玄関のチャイムが鳴った。
「うおぉ!」
三橋は驚き、声を上げた。
そして時計を見上げて、困惑する。
どう考えても、誰かが来るような時間じゃない。
まさか泥棒?でもそんな人はきっとチャイムなんか鳴らさない。
どうしよう。出た方がいいのか。
三橋が困惑していると、さらにチャイムが鳴った。
その音から、かなり勢いよく叩いているのがわかる。
どうしていいかわからず固まっていると連打になり、三橋はさらに驚いた。
どうしよう。電話で誰かに助けを求めるか。
三橋が携帯電話を取ろうとしたところで「開けろ!」と叫ぶ声が聞こえた。
聞き慣れた怒声に、三橋は思わず「へ?」と間抜けな声を上げた。
「あ、阿部、君!?」
訪問者の正体を理解した三橋は、玄関に走った。
鍵を外し、ガラガラと引き戸のドアを開けると、予想通り。
阿部がひどく取り乱した様子で立っていたのだ。
「ど、どした、の?」
三橋はその剣幕に完全に引きながらも、おずおずと問いかけた。
すると阿部は「大丈夫なのか!?」と三橋にグイッと詰め寄る。
何が大丈夫なのかはよくわからないが、三橋はコクコクと頷いた。
すると阿部は「よかった」と大きく息をつき、三橋を勢いよく抱き寄せた。
「う、わ、何!」
「いろいろ悪かった。」
驚き、固まった三橋だったが、次第に身体を力を抜いた。
何だかよく分からないけれど、今この瞬間はすごく幸せだと思ったからだ。
ここ最近のよくわからない不機嫌さをすっ飛ばして、阿部が三橋を真っ直ぐに見てくれている。
それが嬉しくて、三橋は阿部の腕の中で笑っていた。
*****
「ど、どした、の?」
三橋は阿部の勢いに驚きながらも、能天気にそう聞いてきた。
その瞬間、ホッとした阿部は思わず三橋に抱きついていた。
「三橋が大変なんだ!」
部活後のコンビニ前で、血相を変えた田島にそう言われた。
だが実際、具体的なことは何もない。
三橋は真っ直ぐ家に帰ったが、具合が悪そうだった。
だから家に着いた頃を見計らって電話をしたが、応答がない。
それだけのことだ。
もしも他の部員の話なら「だから?」と冷やかに聞き返していただろう。
だが三橋のこととなれば、話は別だ。
すぐに三橋に電話をかけてみるが、無機質なアナウンスが聞こえるだけだ。
阿部は舌打ちを1つすると、自転車に飛び乗る。
そして三橋の家まで、全速力でペダルを漕ぎ続けた。
もしかして倒れでもしていたら?
いや、練習後も普通にしていたはずだ。
でも本当に大丈夫かどうか、自信がない。
なぜなら阿部はここ最近、三橋に苛立ち、距離を取っていたからだ。
それは拗ねて、嫉妬しているだけ。
花井はきっぱりとそう言い切った。
そうなのだろうか?
阿部にはよくわからない。
だが今はそんなことはどうでもよかった。
とにかく一刻も早く三橋の様子を確認しなければならない。
阿部は猛然とペダルを漕ぎながら、後悔していた。
三橋が沢村や御幸たちのことを気にかけていたのは、優しさからだ。
それをわかろうとせず、いやわかっていたのに無視した。
三橋の注意が自分以外にも向けられていることが我慢ならなかったのだ。
結果的に三橋から目を背け、だから今日の体調も正確に判断できない。
こんなことでは捕手失格だ。
3年間、三橋に尽くす。
そう決めていたはずなのに。
どうしてつまらないことに囚われ、目を離してしまったのか。
三橋邸に到着すると自転車から飛び降り、そのままの勢いでドアチャイムを鳴らした。
室内の灯りはついているようだし、とりあえず誰かいるのは間違いない。
だが出てくる気配はなかった。
すかさず何度も連打し、最後には「開けろ!」と叫んだ。
見ようによっては、完全にこちらが怪しい。
だけどこのときの阿部には、そんなことを考える余裕はなかった。
ようやく三橋が出てきたときには、心の底からホッとした。
思わず三橋に抱きついてしまったのは、そのせいだ。
最初は驚いた三橋が、抵抗せず身体を預けてくれたのが嬉しい。
こうして阿部と三橋はすれ違いつつあった距離を一気に戻した。
いっそこのまま。
阿部はそっと三橋の頬に触れた。
もっと先に進みたい衝動と、このままではまずいと叫ぶ理性。
葛藤する阿部の耳に「くぅ」と情けなさそうな音が聞こえた。
三橋は申し訳なさそうに「カレー、食べる?」と問う。
空腹だった三橋の腹が鳴ったのだ。
それを理解した阿部は思わず吹き出し、三橋も笑い出した。
阿部は「食う!」と答えて、三橋の身体を離したのだった。
結局田島にまんまと騙されたのだ。
しかも用意周到に、三橋の携帯電話の電源をこっそり切って連絡が取れないようにした。
阿部はそれに気付いたけれど、怒る気にはならなかった。
少々荒っぽい、田島らしいやり方だ。
おかげで目が覚めたし、いつもの2人に戻れた。
だけど絶対に礼は言わない!
阿部は秘かにそう思いながら、三橋家のカレーを堪能した。
相変わらずでっかい寸胴鍋で作られた具がゴロゴロのカレーは美味だった。
かくして2人の距離は元に戻った。
そして西浦高校の部員たちはホッと胸を撫で下ろすことになったのだった。
*****
「全国制覇、頑張ってよね。」
彼女は手を振りながら、颯爽と去っていく。
御幸と沢村はそれを見送りながら、晴れやかに笑った。
三橋と阿部がカレーを食べた翌日、昼休みの青道高校。
御幸と沢村は、指定された場所にやって来た。
青道で一番古い校舎の地下の教室。
沢村が閉じ込められたあの部屋だ。
「ごめんなさいね。他に人が来ない場所って思いつけなくて」
先に来ていた女子生徒が、困ったように笑う。
御幸に想いを寄せ、沢村に嫌がらせをした彼女だ。
それがどういうわけか三橋とメル友になった。
そしてその三橋の仲介で、こうして会っているのだ。
「本当にごめんなさい。特に沢村君にはひどいことをしたわ。」
彼女は深々と頭を下げた。
沢村は「いや。そんな。オレは」と困惑している。
無理もない。沢村にとっては、もはや終わった話。
今さら謝罪されたところで、何と返していいのかわからないのだ。
「わざわざ三橋を使って呼び出して、そんなことを言いたかったのか?」
冷たい声を出したのは、もちろん御幸だ。
今さらしおらしい声で詫びられても、信用できない。
沢村を陥れ、三橋にまで手を出そうとした。
その罪状は簡単に消えるものではない。
「警戒するなっていう方が無理よね。」
彼女は唇を歪めて、笑う。
それを見た御幸は「まぁね」と頷きながら、内心は彼女を見直していた。
今の皮肉っぽい笑いには、媚びや悪意は見られなかったからだ。
どうやら三橋が言うように、彼女は素直な気持ちでここにいる。
その点は信用してもいいかと思った。
「三橋君と話してるうちに、自分がバカなことをしてるって思い知ったのよ。」
「へぇ」
「その後もメールして、大事なことに気付いた。」
「大事な事って?」
「野球バカで投手オタクな男なんか、さっさと諦めた方がいいってこと。」
「あんた、結構面白れぇな。」
御幸はクスクスと笑い出した。
何だかんだ言って御幸はモテるし、言い寄ってくる女子生徒もたまにいる。
だけどそういう女子たちは一様に、媚びるような表情や態度で面白味がない。
だからこそもしかしてもっと早くに素の彼女を知ったら、何かが違ったかもしれない。
「あたしね。9月から留学するの。だからもうお別れ。」
「そりゃすごい決心だな。」
「でしょ?あんたたちが日本でチマチマ戦ってる間に、あたしはもっと広い世界に出ていく。」
「そっか。頑張れよ。」
「そっちも。全国制覇、頑張ってよね。」
彼女は笑顔で手を振りながら、颯爽と去っていく。
御幸と沢村はそれを見送りながら、晴れやかに笑った。
これは彼女にとって、必要なことだったのだ。
そして彼女が気になっていた御幸にとっても、ありがたかった。
これで完全に吹っ切って、進むことができる。
「それにしてもお前、こんなトコに閉じ込められてたんだな。」
「今はマシですけど、夜はめちゃめちゃ暗いし怖かったっすよ!」
「何でキレてんだよ?」
「あんたもその理由に無関係じゃないでしょ!」
御幸と沢村は軽口を叩きながら、教室を出た。
彼女が何の処罰も受けずに終わるのは、甘いという気はする。
だけど蒸し返すよりは、さっさと忘れて前に進んだ方が建設的だ。
「今日はナンバーズの練習、集中的にやるぞ!」
「はい!全力で行きます!」
2人は完全に野球モードに切り替わった。
三橋たちとは違い、御幸と沢村が組めるのはもうわずか。
悔いのない夏を過ごすために、今日も頑張るだけだ。
【続く】