「おお振り」×「◆A」1年後

【小さな波紋】

「あの人と時々電話してんのかぁ~?」
沢村は軽い口調でそう聞いた。
周りの人間が一瞬、ピリッとしたようだが、まるで目に入っていなかった。

西浦高校との練習試合から数日後。
練習を終えた沢村は、三橋と電話で話していた。
同じ投手同士、この2人はウマが合う。
だからメールで短いやり取りはしょっちゅう行なっていた。

だが電話で話すのは、珍しい。
特に今は夏の大会に向けて、お互い忙しい時期だ。
それでも沢村は三橋に電話をしていた。
一方通行ではなく、話を聞きたかったからだ。

「よぉ、元気かぁ?」
寮の通路に置かれた木製のベンチに座り、沢村は話をしている。
三橋に限らず、電話やメールなどのときにはここですることが多かった。
もちろん多くの部員が行き来している場所。
沢村が電話しているのも見慣れており、特に注意を払う者もいない。

『げ、元気、だよ。栄純、君!』
吃音気味だが大きな声が、沢村のスマホから漏れている。
通話相手が三橋と知れた途端に、そこにいた全員が聞き耳を立てた。
何となくすっきりしない事件の後、犯人の女子生徒と三橋がメアド交換をした。
だから部員たちは、その後の状況が気になっているのである。

「もうすぐ大会だろ。そっちは背番号、決まったか?」
『うん。2年、は、みんな、そのまま!』
「そっかぁ。じゃあその緊張感はねぇんだな!」

なぜか「ははは」と高笑いする沢村だが、内心少々羨ましくはあった。
1年のときから、三橋はずっとエースナンバーを背負っているからだ。
ちなみに青道高校はベンチ入りメンバー20名は発表されたが、背番号はまだだ。
降谷が「1」を守るか、沢村が奪い取るか。
それは当の2人だけではなく、青道高校野球部員全員の関心事だ。

だけど同時に考えてしまう。
実力で勝ち取るエースナンバーと、1人で守らなければならないエースナンバー。
どちらがより重いのだろう。
ただ1つわかっているのは、三橋だって決して楽をしているわけではないということだ。

「ところでさ、あの人のことなんだけど!」
『あの人?』
「あの人と時々電話してんのかぁ~?」
『ああ、あの人、だね。』

電話口で三橋が笑う気配が伝わる。
あの事件の犯人、御幸のクラスの女子生徒だ。
沢村の方が同じ学校であり、彼女との距離はずっと近い。
だが3年生の生徒はほとんど交流がない。
御幸や倉持に聞くのも何か憚られ、こうして三橋に聞いている。
何しろ三橋は、彼女とメル友になったと豪語していたのだから。

『メール、だよ。今日は、進路、の話。』
「しんろ?」
『3年生、だから。大学、行く、みたい。』
「へぇぇ。そっかぁ!」

聞きたいこととは、何か違う気がした。
でもとりあえず彼女が普通に高校3年生していることは伝わってくる。
だから沢村は「よかった!」とまた高笑いだ。
聞き耳を立てていた部員たちは心の中で「そうじゃねぇだろ」とツッコミを入れる。
だが通話を終え、意気揚々と引き上げる沢村にはその声は届かなかった。

*****

「あの人、栄純君に、似てる」
三橋はベンチからサードを見ながら、そう思った。
顔や姿形ではなく、豪快な高笑いや雰囲気が似ているように見えたのだ。

青道高校との練習試合の1週間後。
西浦高校は再び東京に遠征していた。
対戦相手は西東京の薬師高校。
青道と同地区で、何度か対戦している。

先発は三橋だった。
試合は5回を終えたところで3対3。
だけど素直に喜んではいられない。
西浦は青道からデータをもらい、それなりに分析して臨んでいる。
だが薬師はおそらくノーデータ、つまり初見だ。
しかもエースの真田はケガか日程の都合なのか、登板しない。
それでもリードさせてくれないのは、さすが甲子園出場校といったところか。

ちなみに三橋は5回で降板し、レフトの守備についた。
6回以降は1年生投手に経験を積ませる。
だがもし打ち込まれることになれば、またマウンドに戻る。
野球は一度引っ込めば、もうその試合には出られないのだ。
まったくそういうところは不便だと思う。

そんな中、三橋の興味を引いたのは薬師高校の三塁手、轟雷市だ。
常に元気よく声を出し、時折「カハハ」と高らかに笑う。
うるさいと言ってしまえばそれまでだが、どこか憎めない
それにピンチの時も動じず声を出し続けて、チームに力を与えている。

「あの人、栄純君に、似てる」
「だよなぁ。元気いっぱいだもんなぁ。」
心の中で言ったつもりが、口に出していたらしい。
だがすぐに田島が答えてくれた。
賛同してもらえたのが嬉しくて、三橋は「ウヒ」と笑った。
田島も二カッと笑う。
2年生になっても、弟気質の2人の会話は微笑ましい。

結局、試合は負けてしまった。
6回以降、西浦は5点の追加点を許した。
必死に追いすがったが、残念ながら2点止まりだ。
それでも収穫がなかったわけではない。
1年生投手は打たれはしたが、大きく崩れることはなかったからだ。
三橋も再登板することはなく、8対5で試合終了だ。

「フワァァ」
試合の後、片づけをしながら、三橋は大きく欠伸をした。
こういう試合展開は苦手だった。
レフトという慣れないポジション。
しかも再登板もあるかもしれないから、緊張は保っている。
正直なところ、三橋にとっては9回を投げ切るよりも疲れる展開だ。

「お前、ちょっと緩んでねぇか?」
不意に苛立ちを含んだ声で話しかけられ、三橋はビクっと緊張した。
恐る恐るそちらを見ると、阿部が険しい顔でこちらを見ている。
三橋は「ゴ、ゴメン」と項垂れた。
試合が終わったとはいえ、まだ球場にいるのに欠伸などしてしまった。
それを咎められていると思ったからだ。

「お前、自覚あるのか?毎晩メールとか電話してんだろ?」
「え、それは」
それは関係ないと思う。
確かに青道の女子生徒とメールしたり、沢村と電話をした。
だがこれは単に試合展開が三橋にとってしんどかっただけのこと。
でも阿部は、寝不足なのではないかと思っているらしい。

「ったく。青道の心配してる場合じゃねーだろ。」
阿部はそう吐き捨てると、さっさと早足で歩き出してしまう。
三橋はその後ろ姿を呆然と見送る。
こちらの言い分を聞こうともしない様子がショックだったのだ。

「阿部!今のはないだろ!」
田島が阿部を怒鳴っていたが、三橋の耳には素通りだ。
思わず目頭が熱くなったが、目に力を込めて涙を堪えた。

*****

ヤベェかも。
御幸は思い切り「ハァァ」とため息をついた。
大会間近だというのに、これは切実にまずい。

青道高校野球部は、ベンチ入りメンバー20名を決めた。
だがまだ戦いは終わらない。
なぜなら背番号はまだ確定していないのだ。
全員が一桁の番号、つまりレギュラーを狙っている。

だが御幸の関心事は自分のことではなかった。
正捕手の証である背番号「2」は自分のものだと確信している。
それより気になるのは、エースナンバー「1」の行方だ。
御幸の高校生活最後のエースは降谷か、それとも沢村か。

残りの練習試合は、あと少し。
だからこそ御幸は自分の役割が重要だと思っていた。
チームの命運を左右するエースが決まる、最後の戦い。
2人の力を最大限に引き出すことが、御幸の使命と言える。

そしてまた週末はまた練習試合だ。
場所は青道高校のAグラウンド。
先発投手は川上、御幸もスタメンマスクだ。
裏攻撃なので、最初は守備につく。
ホームベース前で腰を落とそうとした御幸は「え?」と声を上げた。

捕手のポジションからは、スタンドが見える。
その半分は高校野球好きのおっちゃんたちだ。
残りのほぼ半分はマスコミや他校の偵察などの関係者。
そんな中に選手のファンであろう女子の姿もチラホラ見える。
そして最前列には、青道の制服姿の女子。
あれはこの前事件を起こした、クラスメイトの彼女だ。

だがよく目を凝らすと、違った。
髪型や雰囲気が似ている、別人だったのだ。
御幸は思わず「ほぉ」と安堵の息をついた。
彼女がいたからといって、することが変わるわけではない。
だがやはりあんな事件の後、顔を合わせたくないと思ったのだ。

実はクラスでもそうだったのだ。
それまで気にも留めていない、正直フルネームさえ覚えていなかった女子。
だけど自分に好意を持っていると知った瞬間から、妙に緊張するものだとわかった。
もしも御幸も彼女に好意を持てたなら、よかったかもしれない。
でもそれができないからこそ、妙に気が引けてしまうのだ。

大丈夫か?
マウンドの川上が、口パクでそう聞いてきた。
どうやら御幸の様子がおかしいことに気付いたようだ。
御幸は右手で軽く拝む仕草をすると、パンパンとミットを叩いた。
捕手が投手を不安にさせてどうする。
ましてや今は投手陣にとっても、すごく大事な時期なのに。

御幸は小さく深呼吸をすると、試合に集中した。
気を引き締めれば、そこはもういつもの御幸だ。
一切の雑音は入らなくなり、リードも冴え渡る。
打撃も絶好調で、タイムリーヒットも打てた。
試合も危なげなく、青道の勝利で終わった。

だから気付かなかったのだ。
ベンチに入っていた沢村が、時折チラチラと御幸の様子をうかがっていたことを。
最前列の女子生徒に御幸がギクリとしたのも、しっかり見ていた。
そして焦りと切なさが入り混じったような気持ちがこみ上げ、困惑していたことも。

それが嫉妬なのだと、沢村が知るのはもっと後のこと。
沢村本人が理解不能なのだから、御幸にも早々わからない。
かくして大会前の青道高校に、小さな波紋が広がろうとしていた。

【続く】
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