「おお振り」×「◆A」1年後
【遠征終了!】
「よいしょっと」
篠岡は掛け声とともに、足元に大きな紙袋を置く。
春乃は同じような袋をその隣に置き、そのまま交換となった。
青道高校と西浦高校の練習試合は、異例なまま終わった。
試合はアクシデントで中断、そして最後は軽い合同練習。
だけど雰囲気は悪くなかった。
和やかなムードで身体を動かし、談笑し、お開きとなったのだ。
そして西浦高校が引き上げる時間になり、車が準備された。
青道高校は専用バスを持っているが、西浦はない。
遠征の度に借りているのだそうだ。
だが西浦の選手たちは、そんなことはまるで気にしていない。
青道の選手たちと「また会おう」と握手を交わし、ゆっくりと乗り込んでいく。
そんな中、青道のマネージャー吉川春乃は西浦のマネージャー篠岡千代と向かい合っていた。
単に別れを惜しむだけではない。
彼女たちの足元には、大きな重い紙袋。
中にはDVDのディスクや書類、つまりデータだった。
西浦はARC学園や千朶高校など、埼玉の強豪のデータを多く持っている。
対する青道は稲実や市大三高など、東京のデータだ。
それらを交換して、大いに役立てようという作戦だった。
「じゃあまたね。春乃ちゃん」
「うん。千代ちゃん!」
データを交換すると、春乃は紙袋を抱えて車に乗り込む篠岡を見送った。
すごいよなぁ。千代ちゃんは。
春乃は篠岡のことを考えるとき、いつもその結論に落ち着く。
2年になった春乃は、未だに先輩の梅本や夏川に頼りまくりだ。
だが千代は昨年、1年生でたった1人でマネージャーをこなしていたのだ。
そして今年は後輩マネージャーをしっかり指導している。
篠岡は「うちは人数少ないから」と笑って謙遜するが、春乃はやはりすごいと思う。
「それデータだろ?持ってってやるよ。」
春乃に声をかけてきたのは、金丸だ。
同じ学年で今年からは同じクラスの金丸は、春乃にとって沢村の次に話しやすい相手だ。
春乃は慌てて「そんな。マネージャーの仕事だから」とことわる。
だが今度は東条が「やらせちゃいなよ」と割り込んできた。
結局重い紙袋は金丸が持つことになり、3人で並んで歩き出した。
「西浦ってすごいな。部を創立したのが去年でこんなにデータを持ってんのか。」
「うん。うちのデータと量はそんなに変わらない。」
「コピーするだけでも、一苦労だよな?」
「西浦の方が大変だと思う。こっちはマネージャー5人だけど、向こうは2人だし」
会話をしているのは金丸と春乃で、東条はニコニコと頷いている。
春乃は会話が切れたタイミングで、西浦の車の方を振り返った。
ドアの前で話し込んでいるのは、三橋と沢村。
そして阿部は当然のように三橋の横を陣取り、御幸は沢村の隣で笑っている。
投手と捕手はまるでカップルのようで、彼らとの距離を感じてしまう。
「大丈夫?」
思わずため息をつきかけた春乃だったが、東条に問われて我に返った。
そして慌てて「うん。全然平気」と笑う。
だが答えながらも何が平気なのかわかっていない。
金丸は「マネージャーだって、練習試合のサポートとか疲れるだろ」と微妙にズレたことを言った。
沢村が気になる春乃と、その春乃が気になる金丸。
だが沢村が誰よりも気になり、認めて欲しがっているのは御幸だ。
恋まではいかない、微妙なトライアングル。
当事者である春乃も金丸もよくわかっていないが、実は東条が看破していたりする。
「なんかもう、微妙だよなぁ」
思わず呟いた東条に、春乃は「何が?」と聞き返した。
そして東条が「今日の試合が」とごまかしたことに、特に疑問も抱かず「そうだね」と頷いた。
*****
「じゃあまたね。春乃ちゃん」
「うん。千代ちゃん!」
データを交換すると、篠岡は紙袋を抱えて車に乗り込む。
そして当然のように並んで座る阿部と三橋を見て、深いため息をつくのだった。
予想外のアクシデントがあった、青道遠征。
だが「終わり良ければ全て良し」な雰囲気で、西浦高校は帰りの車に乗り込んでいく。
青道のマネージャー吉川春乃とデータの交換をして、篠岡も乗り込む列に加わった。
だがその横にすっと寄り添ったのは、水谷だった。
「重いだろ?オレが運ぶよ」
「え?いいよ。これくらい」
「いいから持つって」
水谷は半ば強引に篠岡からデータが入った紙袋を受け取った。
そして2人は社内の、通路を挟んで隣同士の席に落ち着いた。
ちなみに篠岡の横には1年生の女子マネージャー、水谷の横には花井が座っている。
「データ交換、大変でしょ。重いし事前のコピーも時間かかるし」
「うん。でも今年はマネージャー2人だからね」
「言ってくれれば、オレも手伝うよ?」
「選手のみんなに雑用なんて。その分練習しないと。」
通路を挟んで他愛のない会話をしていると、阿部と三橋が乗ってきた。
そして開いている席に2人並んで、腰を下ろす。
他の部員たちはその時々で適当な場所に座っている。
隣に座る相手も固定していない。
だが阿部と三橋だけはいつも隣同士だ。
投手と捕手は特別。
それはわかっているつもりだった。
だけど三橋と阿部はどう見ても、その範疇を超えているように見える。
捕手のことはよく「恋女房」などと例えられるが、阿部はまさに世話焼き女房だ。
そして三橋はニコニコとそれを受け入れている。
やっぱり嫉妬しちゃうよなぁ。
篠岡は思わずため息をついていた。
ずっと前から阿部のことが気になっていたのだ。
何気にモテる野球部、阿部のファンも一定数はいる。
篠岡としては、阿部がそういうことに興味を示さないのは嬉しい。
だが三橋に対する異常とも言える過保護っぷりには、嫉妬してしまうのだ。
これはもはやBLの世界だ。
この2人の間に割り込む余地なんて、1ミリもない。
「どうしたの?すっげぇため息」
「そう?ちょっと疲れたかな」
「え?大丈夫?」
「うん。着くまで少し寝るから。ありがとう。」
篠岡はなおも話したそうな水谷との会話を、少々強引に打ち切った。
悪いけど、今は明るく笑えない。
とりあえず少し寝て、そこから先は元気なマネージャーに戻らなければ。
篠岡は畳んだタオルを目の上に乗せて光を遮断すると、静かに目を閉じた。
そして車の揺れに身を任せると、すぐに眠気はやって来た。
一方篠岡に好意を寄せる水谷は、わかりやすく不満気だ。
もっと話したかったのに、残念だ。
だが良くも悪くも前向きは水谷は、すぐに切り替えた。
篠岡が疲れて寝たいなら静かにするべきだと口を噤む。
阿部と三橋がカップルのように寄り添っていることが篠岡を暗くしているとは夢にも思わないのだ。
ちなみに彼らを後ろから見ていた何人かの部員も、秘かにため息をついていた。
水谷、篠岡、そして阿部と三橋。
彼らの微妙な恋愛未満の心の動きに気付いている勘の鋭い者たちだ。
「阿部と三橋はもうほぼカップルだしなぁ。」
「篠岡と水谷がうまくいけば、ハッピーエンドなんだけど。」
「でも水谷じゃなぁ」
ヒソヒソとそんな声が後ろの方で囁かれている。
だが当の4人は気付くことなく、車の揺れに合わせて舟を漕いでいたのだった。
*****
「オレもしたかったです。キャッチボール。」
由井がポツリとそう呟き、奥村が頷く。
御幸は「やっぱりわかるか」と頷き、沢村はなぜか高笑いをしていた。
西浦高校が引き上げ、ミーティングも終わった後。
沢村と御幸はテレビの前にいた。
今日の練習試合、途中で不本意な中断となったが、途中までは良い試合だった。
それを確認するためだ。
DVDのディスクをレコーダーに入れたところで、小野と降谷と由井の同室トリオが加わった。
試合が始まるところで、奥村と瀬戸と浅田もだ。
大所帯になったところで、試合がプレイバックされたのだった。
「三橋、去年より良くなってるよなぁ。」
「ああ。球速も上がったし、変化球のキレもいい。」
「かなりいろいろ改造してるよな。それでいてコントロールは変わらずすごい。」
「これだけ変化球がピタリと決まると、捕手のリードの幅も広がるよなぁ。」
三橋の投球を解説するように喋るのは、3年生捕手の御幸と小野だ。
沢村が「ですよね~!」と自分のことのように喜んだ。
降谷もまんざらでもない顔で、うんうんと頷く。
1年生たちは「何で沢村さんと降谷さん、ドヤ顔?」と思ったが、誰も口には出さなかった。
「受けてみたくなる投手っているけど、三橋はドンピシャだよな。」
「だよな。阿部が羨ましい。あ、降谷と沢村もそういう投手だからな。」
さらに三橋を褒める御幸に、沢村も降谷も次第に微妙な表情になる。
それを見て取った小野が、すかさずフォローを入れたのだ。
投手とは、気難しくも愛おしい生き物。
捕手が他の投手に熱烈な興味を持つと、嫉妬するものなのだ。
「ボクもしたかったです。キャッチボール。」
由井がポツリとそう呟き、奥村が頷く。
実はアクシデントの後の合同練習で、由井も奥村も三橋とキャッチボールをしたかった。
彼らも一軍に上がる捕手、投手三橋の魅力は感じ取れるのだ。
御幸は「やっぱりわかるか」と頷き、沢村はなぜか高笑いだ。
ちなみに由井も奥村もチャンスをうかがっていた。
だがそれ以上に、阿部のガードが堅かった。
沢村以外の青道の選手と三橋を組ませなかったのである。
「そりゃ他校の捕手と組ませたくはないだろうけど。」
「にしたって阿部、あんなに牽制するかぁ?」
「三橋もまんざらでもないって顔してるし」
「あれはもうカップルの域だよなぁ。」
御幸と小野はそんなことを言いながらも、映像の中の三橋に見入っていた。
正直なところ、埼玉を代表する投手とはお世辞にも言えない。
だが昨年から今年にかけての成長は著しい。
そしてまだまだ未完成、つまりまだまだ伸びしろが期待できる。
「負けてられねーよな。御幸先輩、今からオレの球」
「ボクも投げたいです。」
やる気を刺激された沢村と降谷がすかさず御幸に声をかける。
だが御幸は「悪いな。今日はノリの球を受ける約束だから」といなす。
すると由井が「オレ、受けます!」と手を上げ、奥村も無言で進み出た。
「これもカップリングっぽい。」
ボソリと呟いたのは、浅田だ。
投手と捕手のやり取りを面白そうに見ていた瀬戸が「だよなぁ」と頷く。
阿部と三橋の関係を、カップルっぽいと揶揄していたけれど。
沢村、降谷の御幸の取り合いや、由井と奥村の参戦。
これはまるで今流行の恋愛リアリティショーというヤツに似ていないか?
「カップルっぽい、かぁ?」
御幸はウンザリとした顔を隠さずにそう言った。
ちなみに沢村、降谷と由井、奥村が組み合わせ決めに熱中してて気づかないようだ。
御幸は「投げすぎるな。ほどほどにな」と声をかけたが、聞こえているのかどうか。
沢村も降谷も三橋に触発されて、ギンギンのやる気モードなのだ。
御幸は由井と奥村に「短時間で終わらせろよ」と指示すると、席を立った。
夜はノリこと川上の投球練習に付き合うことになっている。
御幸はその準備のために部屋に向かいながら、ため息をついた。
とりあえず丸く収まったようだが、ここ最近の騒ぎの一端は御幸にもある。
寄せられた恋心に気付かなかったせいで、あの女子生徒の行動がエスカレートしたのだ。
沢村も三橋も無事だったが、それはあくまで結果論だ。
明日からどんな顔して、学校に行けばいいんだ?
御幸は切実な問題に、ため息をついていた。
問題の女子生徒は、同じクラスにいるのだ。
顔を合わせることもあると思うが、何もない顔ができるだろうか?
野球のことだけ考えたいんだけどな。
御幸はもう1度ため息をつくと、歩調を速めた。
考えても仕方がない。
あとはもう出たとこ勝負、なるようにしかならない。
【続く】
「よいしょっと」
篠岡は掛け声とともに、足元に大きな紙袋を置く。
春乃は同じような袋をその隣に置き、そのまま交換となった。
青道高校と西浦高校の練習試合は、異例なまま終わった。
試合はアクシデントで中断、そして最後は軽い合同練習。
だけど雰囲気は悪くなかった。
和やかなムードで身体を動かし、談笑し、お開きとなったのだ。
そして西浦高校が引き上げる時間になり、車が準備された。
青道高校は専用バスを持っているが、西浦はない。
遠征の度に借りているのだそうだ。
だが西浦の選手たちは、そんなことはまるで気にしていない。
青道の選手たちと「また会おう」と握手を交わし、ゆっくりと乗り込んでいく。
そんな中、青道のマネージャー吉川春乃は西浦のマネージャー篠岡千代と向かい合っていた。
単に別れを惜しむだけではない。
彼女たちの足元には、大きな重い紙袋。
中にはDVDのディスクや書類、つまりデータだった。
西浦はARC学園や千朶高校など、埼玉の強豪のデータを多く持っている。
対する青道は稲実や市大三高など、東京のデータだ。
それらを交換して、大いに役立てようという作戦だった。
「じゃあまたね。春乃ちゃん」
「うん。千代ちゃん!」
データを交換すると、春乃は紙袋を抱えて車に乗り込む篠岡を見送った。
すごいよなぁ。千代ちゃんは。
春乃は篠岡のことを考えるとき、いつもその結論に落ち着く。
2年になった春乃は、未だに先輩の梅本や夏川に頼りまくりだ。
だが千代は昨年、1年生でたった1人でマネージャーをこなしていたのだ。
そして今年は後輩マネージャーをしっかり指導している。
篠岡は「うちは人数少ないから」と笑って謙遜するが、春乃はやはりすごいと思う。
「それデータだろ?持ってってやるよ。」
春乃に声をかけてきたのは、金丸だ。
同じ学年で今年からは同じクラスの金丸は、春乃にとって沢村の次に話しやすい相手だ。
春乃は慌てて「そんな。マネージャーの仕事だから」とことわる。
だが今度は東条が「やらせちゃいなよ」と割り込んできた。
結局重い紙袋は金丸が持つことになり、3人で並んで歩き出した。
「西浦ってすごいな。部を創立したのが去年でこんなにデータを持ってんのか。」
「うん。うちのデータと量はそんなに変わらない。」
「コピーするだけでも、一苦労だよな?」
「西浦の方が大変だと思う。こっちはマネージャー5人だけど、向こうは2人だし」
会話をしているのは金丸と春乃で、東条はニコニコと頷いている。
春乃は会話が切れたタイミングで、西浦の車の方を振り返った。
ドアの前で話し込んでいるのは、三橋と沢村。
そして阿部は当然のように三橋の横を陣取り、御幸は沢村の隣で笑っている。
投手と捕手はまるでカップルのようで、彼らとの距離を感じてしまう。
「大丈夫?」
思わずため息をつきかけた春乃だったが、東条に問われて我に返った。
そして慌てて「うん。全然平気」と笑う。
だが答えながらも何が平気なのかわかっていない。
金丸は「マネージャーだって、練習試合のサポートとか疲れるだろ」と微妙にズレたことを言った。
沢村が気になる春乃と、その春乃が気になる金丸。
だが沢村が誰よりも気になり、認めて欲しがっているのは御幸だ。
恋まではいかない、微妙なトライアングル。
当事者である春乃も金丸もよくわかっていないが、実は東条が看破していたりする。
「なんかもう、微妙だよなぁ」
思わず呟いた東条に、春乃は「何が?」と聞き返した。
そして東条が「今日の試合が」とごまかしたことに、特に疑問も抱かず「そうだね」と頷いた。
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「じゃあまたね。春乃ちゃん」
「うん。千代ちゃん!」
データを交換すると、篠岡は紙袋を抱えて車に乗り込む。
そして当然のように並んで座る阿部と三橋を見て、深いため息をつくのだった。
予想外のアクシデントがあった、青道遠征。
だが「終わり良ければ全て良し」な雰囲気で、西浦高校は帰りの車に乗り込んでいく。
青道のマネージャー吉川春乃とデータの交換をして、篠岡も乗り込む列に加わった。
だがその横にすっと寄り添ったのは、水谷だった。
「重いだろ?オレが運ぶよ」
「え?いいよ。これくらい」
「いいから持つって」
水谷は半ば強引に篠岡からデータが入った紙袋を受け取った。
そして2人は社内の、通路を挟んで隣同士の席に落ち着いた。
ちなみに篠岡の横には1年生の女子マネージャー、水谷の横には花井が座っている。
「データ交換、大変でしょ。重いし事前のコピーも時間かかるし」
「うん。でも今年はマネージャー2人だからね」
「言ってくれれば、オレも手伝うよ?」
「選手のみんなに雑用なんて。その分練習しないと。」
通路を挟んで他愛のない会話をしていると、阿部と三橋が乗ってきた。
そして開いている席に2人並んで、腰を下ろす。
他の部員たちはその時々で適当な場所に座っている。
隣に座る相手も固定していない。
だが阿部と三橋だけはいつも隣同士だ。
投手と捕手は特別。
それはわかっているつもりだった。
だけど三橋と阿部はどう見ても、その範疇を超えているように見える。
捕手のことはよく「恋女房」などと例えられるが、阿部はまさに世話焼き女房だ。
そして三橋はニコニコとそれを受け入れている。
やっぱり嫉妬しちゃうよなぁ。
篠岡は思わずため息をついていた。
ずっと前から阿部のことが気になっていたのだ。
何気にモテる野球部、阿部のファンも一定数はいる。
篠岡としては、阿部がそういうことに興味を示さないのは嬉しい。
だが三橋に対する異常とも言える過保護っぷりには、嫉妬してしまうのだ。
これはもはやBLの世界だ。
この2人の間に割り込む余地なんて、1ミリもない。
「どうしたの?すっげぇため息」
「そう?ちょっと疲れたかな」
「え?大丈夫?」
「うん。着くまで少し寝るから。ありがとう。」
篠岡はなおも話したそうな水谷との会話を、少々強引に打ち切った。
悪いけど、今は明るく笑えない。
とりあえず少し寝て、そこから先は元気なマネージャーに戻らなければ。
篠岡は畳んだタオルを目の上に乗せて光を遮断すると、静かに目を閉じた。
そして車の揺れに身を任せると、すぐに眠気はやって来た。
一方篠岡に好意を寄せる水谷は、わかりやすく不満気だ。
もっと話したかったのに、残念だ。
だが良くも悪くも前向きは水谷は、すぐに切り替えた。
篠岡が疲れて寝たいなら静かにするべきだと口を噤む。
阿部と三橋がカップルのように寄り添っていることが篠岡を暗くしているとは夢にも思わないのだ。
ちなみに彼らを後ろから見ていた何人かの部員も、秘かにため息をついていた。
水谷、篠岡、そして阿部と三橋。
彼らの微妙な恋愛未満の心の動きに気付いている勘の鋭い者たちだ。
「阿部と三橋はもうほぼカップルだしなぁ。」
「篠岡と水谷がうまくいけば、ハッピーエンドなんだけど。」
「でも水谷じゃなぁ」
ヒソヒソとそんな声が後ろの方で囁かれている。
だが当の4人は気付くことなく、車の揺れに合わせて舟を漕いでいたのだった。
*****
「オレもしたかったです。キャッチボール。」
由井がポツリとそう呟き、奥村が頷く。
御幸は「やっぱりわかるか」と頷き、沢村はなぜか高笑いをしていた。
西浦高校が引き上げ、ミーティングも終わった後。
沢村と御幸はテレビの前にいた。
今日の練習試合、途中で不本意な中断となったが、途中までは良い試合だった。
それを確認するためだ。
DVDのディスクをレコーダーに入れたところで、小野と降谷と由井の同室トリオが加わった。
試合が始まるところで、奥村と瀬戸と浅田もだ。
大所帯になったところで、試合がプレイバックされたのだった。
「三橋、去年より良くなってるよなぁ。」
「ああ。球速も上がったし、変化球のキレもいい。」
「かなりいろいろ改造してるよな。それでいてコントロールは変わらずすごい。」
「これだけ変化球がピタリと決まると、捕手のリードの幅も広がるよなぁ。」
三橋の投球を解説するように喋るのは、3年生捕手の御幸と小野だ。
沢村が「ですよね~!」と自分のことのように喜んだ。
降谷もまんざらでもない顔で、うんうんと頷く。
1年生たちは「何で沢村さんと降谷さん、ドヤ顔?」と思ったが、誰も口には出さなかった。
「受けてみたくなる投手っているけど、三橋はドンピシャだよな。」
「だよな。阿部が羨ましい。あ、降谷と沢村もそういう投手だからな。」
さらに三橋を褒める御幸に、沢村も降谷も次第に微妙な表情になる。
それを見て取った小野が、すかさずフォローを入れたのだ。
投手とは、気難しくも愛おしい生き物。
捕手が他の投手に熱烈な興味を持つと、嫉妬するものなのだ。
「ボクもしたかったです。キャッチボール。」
由井がポツリとそう呟き、奥村が頷く。
実はアクシデントの後の合同練習で、由井も奥村も三橋とキャッチボールをしたかった。
彼らも一軍に上がる捕手、投手三橋の魅力は感じ取れるのだ。
御幸は「やっぱりわかるか」と頷き、沢村はなぜか高笑いだ。
ちなみに由井も奥村もチャンスをうかがっていた。
だがそれ以上に、阿部のガードが堅かった。
沢村以外の青道の選手と三橋を組ませなかったのである。
「そりゃ他校の捕手と組ませたくはないだろうけど。」
「にしたって阿部、あんなに牽制するかぁ?」
「三橋もまんざらでもないって顔してるし」
「あれはもうカップルの域だよなぁ。」
御幸と小野はそんなことを言いながらも、映像の中の三橋に見入っていた。
正直なところ、埼玉を代表する投手とはお世辞にも言えない。
だが昨年から今年にかけての成長は著しい。
そしてまだまだ未完成、つまりまだまだ伸びしろが期待できる。
「負けてられねーよな。御幸先輩、今からオレの球」
「ボクも投げたいです。」
やる気を刺激された沢村と降谷がすかさず御幸に声をかける。
だが御幸は「悪いな。今日はノリの球を受ける約束だから」といなす。
すると由井が「オレ、受けます!」と手を上げ、奥村も無言で進み出た。
「これもカップリングっぽい。」
ボソリと呟いたのは、浅田だ。
投手と捕手のやり取りを面白そうに見ていた瀬戸が「だよなぁ」と頷く。
阿部と三橋の関係を、カップルっぽいと揶揄していたけれど。
沢村、降谷の御幸の取り合いや、由井と奥村の参戦。
これはまるで今流行の恋愛リアリティショーというヤツに似ていないか?
「カップルっぽい、かぁ?」
御幸はウンザリとした顔を隠さずにそう言った。
ちなみに沢村、降谷と由井、奥村が組み合わせ決めに熱中してて気づかないようだ。
御幸は「投げすぎるな。ほどほどにな」と声をかけたが、聞こえているのかどうか。
沢村も降谷も三橋に触発されて、ギンギンのやる気モードなのだ。
御幸は由井と奥村に「短時間で終わらせろよ」と指示すると、席を立った。
夜はノリこと川上の投球練習に付き合うことになっている。
御幸はその準備のために部屋に向かいながら、ため息をついた。
とりあえず丸く収まったようだが、ここ最近の騒ぎの一端は御幸にもある。
寄せられた恋心に気付かなかったせいで、あの女子生徒の行動がエスカレートしたのだ。
沢村も三橋も無事だったが、それはあくまで結果論だ。
明日からどんな顔して、学校に行けばいいんだ?
御幸は切実な問題に、ため息をついていた。
問題の女子生徒は、同じクラスにいるのだ。
顔を合わせることもあると思うが、何もない顔ができるだろうか?
野球のことだけ考えたいんだけどな。
御幸はもう1度ため息をつくと、歩調を速めた。
考えても仕方がない。
あとはもう出たとこ勝負、なるようにしかならない。
【続く】