「おお振り」×「◆A」1年後
【なんでこうなった?】
「本当に大丈夫か?」
阿部が心配そうに、三橋の顔を覗き込んで来る。
三橋は「だい、じょぶ!」と答えながら、心配性気味な気遣いを嬉しく思った。
監督室を出た青道、西浦の両バッテリーは食堂に向かう。
惜しくもノーゲームとなってしまった練習試合。
だが御幸と沢村は今日の投球について話しながら、足早に歩いていく。
その後ろをやや遅れて歩いていた三橋は、チラリと阿部を見た。
自分たちも投球について話さなくていいのかと思ったのだ。
だが阿部は未だに心配そうに、三橋を見ている。
そして本日何度目かわからない「大丈夫?」をまた口にした。
レーザーポインターを当てられたことを、まだ気にしているのだ。
捕手はよく「恋女房」などと言われるが、阿部は本当に世話焼き女房だ。
田島や泉には「ウザい」と評される過保護っぷりだが、三橋は普通に嬉しかった。
「だい、じょぶ!何かあったら、ちゃんと、言う!」
三橋がそう答えても、阿部はまだ心配顔だ。
だが不意に「あ、タオル。置いて来ちまった!」と声を上げる。
三橋のことばかり気にしていた阿部は、監督室に忘れ物をしたらしい。
まったく自分のことは二の次なのだからと、三橋は笑った。
「と、取りに、戻る?」
「ああ。三橋は先に戻っとけ。身体を冷やすとよくない。」
たかがタオルを取りに戻る間に、冷えたりしない。
三橋はそう思ったけれど、素直に「うん」と頷く。
そして監督室に駆け戻る阿部を見送ると、食堂に向かって歩き出した。
御幸と沢村はもうかなり先を歩いていた。
だけど勝手知ったる青道の寮、食堂の場所もわかっている。
別に無理に追いつく必要もないだろう。
ゆっくりと歩き出した三橋は「ねぇ」と声をかけられた。
「西浦高校の投手の人だよね?」
声をかけてきたのは、1人の女子生徒だった。
青道の制服であるブレザーを着ている。
三橋はコクンと頷いたところで、首を傾げた。
青道のマネージャーの顔はうろ覚えだけれど、その誰でもない気がしたのだ。
ここは野球部関係者でない生徒が簡単には入れるのだろうか?
「ちょっと来てもらえる?聞きたいことがあるの。」
「でも、オレ、食堂に」
「ちょっとだけでいいから。お願い!」
拝むように手を合わせられれば、否とは言えない。
三橋はそういう性格なのだ。
弱々しく「ちょっと、だけ、なら」と念を押す。
そして先に立って歩き出した彼女の後を追った。
女子生徒は食堂とは反対方向に歩き、外に出てしまった。
さらに寮を出た途端に、スタスタと歩調を速める。
三橋は「ちょっと、だけ、なのに」とボソボソ文句を言った。
だが聞こえているのか、いないのか。
そして2人がやって来たのは、寮からは少し離れた校舎だった。
2人が落ち着いたのはその校舎の1階、誰もいない教室だ。
週末だからだけではなく、おそらく日頃も使っていないのだろう。
埃っぽい空気を吸い込みながら、三橋はそんなことを思う。
ドアを閉め、完全な密室になったところで、女子生徒はようやく三橋と向き合った。
「き、聞きたい、ことって」
「あなた、御幸君のこと好き?」
予想外の質問に、三橋は「へ?」と首を傾げた。
そして「御幸君」と呼んだということは、この人も3年生かと思う。
だがはっきり答えない三橋に、女子生徒はややイラついた表情を見せた。
「どうなのよ。」
「す、好きです!」
三橋は思いっきりそう答えたところで、まずいと思った。
この勢いでは三橋が御幸を恋愛対象と見ているようにも取られかねない雰囲気だ。
三橋は誤解されたところで問題ないが、後々御幸に迷惑をかけるかもしれない。
「み、御幸先輩、だけじゃ、なくて。青道の人、みんな、好きです!」
三橋は慌てて、訂正を入れた。
さらに「みんな、いい、人!」とさらに付け加える。
すると女子生徒はポカンとした顔で「マジで?」と聞いてきた。
「ま、マジ、です」
三橋はそう答えて、首を傾げた。
別に間違えたことを言ったつもりはない。
なのに彼女は何でこんなリアクションなのだろう?
*****
「ったく。何でだよ!」
御幸は悪態をつきながら、食堂を飛び出した。
沢村を襲い、今三橋も巻き込まれているかもしれない災厄。
それがまさか自分が原因だなんて、考えただけで腹が立ったのだ。
倉持の推理を聞いた御幸は、驚いた。
ほとんど口を利いたこともないクラスの女子が自分に好意を寄せていたこと。
そしてその女子生徒が、沢村を閉じ込め、三橋にレーザーポインターを浴びせたかもしれない。
にわかに信じられない。
もしも別の部員、例えば沢村や前園あたりに言われたなら「嘘だ」と笑い飛ばしただろう。
だけど倉持となると話は別だ。
しかも青道の頭脳たる渡辺も、この推理を信じているようだ。
ならばきっとかなり角度の高い話だ。
その女子生徒が犯人である可能性が高い。
御幸は主将として、部員たちに指示を出した。
まずは三橋を発見するのが、先決だ。
倉持の推理が正しいなら、三橋と女子生徒は一緒にいる。
そしてそんなに遠くには行っていないはずだ。
まだ校内にいると考えるのが、妥当だろう。
御幸が悪態をつきながら食堂を飛び出すと、渡辺もついてきた。
2人は寮から一番遠い校舎を捜すことになっていた。
その場所を自分に割り振ったのは、そこが一番可能性が高いと思ったからだ。
自分ならそうする。
仮にも「誘拐」したなら、寮からは少しでも遠ざかりたいはずだ。
「何でお前も来るんだよ?」
校舎に向かって走りながら、なぜかついて来た阿部に叫んだ。
西浦の部員たちには、食堂で待てと言っていたからだ。
だが阿部はきっぱりと「オレも行きます」と答えた。
御幸は一瞬顔をしかめたが、何も言わなかった。
黙って待っていられない気持ちは理解できたからだ。
阿部にとっての三橋は、御幸にとっての沢村のようなもの。
実に手のかかる、だけど愛おしい存在なのだ。
「オレ、ちょっと自信を失ったよ。」
御幸は走りながら、ポツリと呟いた。
独り言とも渡辺にとも阿部にともつかない口調だ。
渡辺が「倉持が言ってたこと?」と聞き返すと、御幸は「まぁな」と頷いた。
「オレ、人の気持ちはわかる方だと思ってたからさ」
御幸が自嘲気味に吐き出すと、阿部が「わかります」と答えた。
捕手というポジションは、常に人間観察をしているからだ。
プレイ中は投手のコンディションや対戦相手の打者の様子などをチェックする。
だから人よりもそういう目はあるものだと自負してしまうものだ。
「だけど自分に向けられる気持ちなんて、全然」
苦笑する御幸の表情や口調に、弱気が垣間見えた。
自分が気付いていれば、沢村や三橋を巻き込まずにすんだ。
その自責の念が吐かせた言葉だ。
「それは仕方がないんじゃない?」
「三橋も沢村も、御幸先輩が悪いなんて思ってないっすよ。」
隣の渡辺と後ろの阿部、双方からフォローが入った。
御幸は「ありがとな」と苦笑する。
そう、今は落ち込んでいる場合ではない。
一刻も早く三橋を見つけるのが、最優先だ。
校舎に入った3人は、耳を澄ました。
週末の今日は授業がないので、静まり返っている。
果たしてどこにいるのか。
するとどこからかボソボソと話し声が聞こえてきた。
「奥の教室だな」
御幸は声を潜めてそう告げると、渡辺と阿部が頷いた。
そして3人は足音を忍ばせながら、廊下を進む。
すると次第に話し声は大きくなった。
話し声の元は、やはり一番奥の教室だった。
どんなことになっているのかと、3人は息を殺して聞き耳を立てる。
ここまで来ると、声はかなりはっきり聞き取れた。
1人は三橋、もう1人は聞き覚えのない女子の声だ。
当たりだな。
御幸はドアに手をかけ、開けようとした。
だが中から聞こえてきた言葉に、思わず手が止まる。
阿部も渡辺も驚いたような顔で固まっていた。
「青道、野球部、みんな、いい人、ですよ」
三橋はそう言って「フヒ」と笑ったのだ。
想像していたような緊迫した雰囲気ではない。
毒気を抜かれて固まる間に、中の会話は進んでいく。
御幸はそのまま中の会話をしばらく聞くことになった。
深く考えてのことではない。
完全にドアを開けるタイミングを逸してしまい、なし崩し的にそうなってしまったのだ。
*****
「青道、野球部、みんな、いい人、ですよ」
三橋はそう言って「フヒ」と笑った。
名も知らない女子生徒は「そうかなぁ」と懐疑的な声で反論する。
だが三橋はひるまず「絶対、いい人、です!」と繰り返した。
何やってんだ、こいつら。
期せずして立ち聞きすることになった阿部はガックリと肩を落とした。
元はと言えば、青道の女子生徒の1人が御幸に恋をしているという話だ。
それに三橋が巻き込まれて、下手をすれば危害を加えられるかもしれないという。
とりあえず青道の部員だけで校内を捜すと言うが、じっとしてはいられない。
だから阿部は御幸と渡辺の後をついて行った。
今までの話を聞く限り、この2人の行き先が一番「当たり」っぽい気がしたからだ。
勝手に1人で傷つくな。間違ってもケガなんかするな。
阿部は焦り、イライラしながらここまで来た。
そして寮から離れた校舎の一室から三橋の声が聞こえたときにはホッとした。
ここで三橋を救出すれば、まぁまぁハッピーエンド。
そう思っていたのだが、そうはいかないのが三橋だ。
何と犯人と思しき女子生徒と、和やかに談笑していたのである。
しかも御幸、渡辺と教室の外からこっそりと話を聞くことになってしまった。
「確かに渡辺君とか川上君とか見てると、いい人って気がする。」
「ナベ先輩、も、ノリ先輩、も、いい人、です」
「でも倉持とか、ヤンキーじゃない?」
「ええと、多分、ぽい、だけ、かと」
「前園のコテコテ関西弁とか、ありえないし!」
「そ、ですか?ってか、何で、ふたり、呼び捨て?」
何で、意気投合している?
阿部は思いっきり叫んでいた。
あくまで心の中でだが。
心配して、ここまでやって来た自分がバカみたいじゃないか。
だけど、当たってる。
御幸は慌てて両手で自分の口を押えた。
そうしなければ笑ってしまいそうだからだ。
渡辺や川上のことは良い。
だけど倉持がヤンキーとか、前園のコテコテ関西弁とか。
わかりやすく面白い。
ふと見ると御幸と渡辺も笑いを堪えているのがわかった。
「2年の沢村って、御幸君と仲良いでしょ?」
「もちろん、です、けど」
「邪魔だって思っちゃったのよね。いつも隣にいるから」
「じゃま?」
「わかってるんだけどね。あいつがいなくなっても関係ないって」
「え?え?」
「一晩閉じ込めておけば門限破りとかになって、野球部クビになるかなとか思っちゃって」
「えええ!?」
ここへきてようやく、三橋は目の前の女子生徒が沢村の事件の犯人だと気付いたらしい。
3人は一気に緊張し、御幸が今度こそ教室に踏み込もうとドアに手をかける。
だがまたしても阻んだのは、三橋の声だった。
「あやまったら、いいと、思います。」
「あやまる。今さら?」
ここでおそらく三橋はコクコクと頷いているのだろう。
女子生徒が「御幸君にキモいって思われるのはイヤ」と吐き捨てる。
すると三橋が「そんな、こと、ないです」と断言した。
「御幸、先輩。そういう、人、じゃない、です。」
「え?」
「ちゃんと、話せば、わかります。キモいって、斬り捨てたり、しない、です。」
聞こえてくる三橋の言葉に、御幸は困ったような顔になった。
そんな御幸を渡辺がニヤニヤと見ている。
露骨な褒め言葉に照れる御幸を、渡辺が冷やかしているのだ。
だが阿部は面白くない気分だった。
三橋が自分以外の捕手を褒めるのを聞くのは、正直微妙なのだ。
「で、どうする?」
ひと通り2人の話を聞いた後、渡辺が御幸の耳元で囁いた。
御幸は「仕方ないな」と肩を落とすと、ガラリとドアを開けた。
教室の中の2人、三橋と女子生徒が驚いた表情で振り返る。
だが三橋は阿部の姿を見つけると、パタパタとこちらに向かって駆けてきた。
「何か、飼い犬みたい。」
渡辺がそう言って、クスクスと笑った。
阿部は「そうすか?」と惚けてみせたが、悪い気はしない。
駆け寄ってきた三橋に「先に戻ろう」と声をかけた。
三橋は女子生徒に頭を下げると、阿部と並んで歩き出した。
「とりあえず食堂に戻るまで、今日の試合の反省会な。」
「ええ!?今、やる、の?」
阿部と三橋は軽口を叩き合いながら、食堂に向かった。
何ともしまらない終わりだが、三橋が無事なら阿部としては問題ない。
どんな結末になろうと、この女子生徒がどうなろうと知った事ではなかった。
【続く】
「本当に大丈夫か?」
阿部が心配そうに、三橋の顔を覗き込んで来る。
三橋は「だい、じょぶ!」と答えながら、心配性気味な気遣いを嬉しく思った。
監督室を出た青道、西浦の両バッテリーは食堂に向かう。
惜しくもノーゲームとなってしまった練習試合。
だが御幸と沢村は今日の投球について話しながら、足早に歩いていく。
その後ろをやや遅れて歩いていた三橋は、チラリと阿部を見た。
自分たちも投球について話さなくていいのかと思ったのだ。
だが阿部は未だに心配そうに、三橋を見ている。
そして本日何度目かわからない「大丈夫?」をまた口にした。
レーザーポインターを当てられたことを、まだ気にしているのだ。
捕手はよく「恋女房」などと言われるが、阿部は本当に世話焼き女房だ。
田島や泉には「ウザい」と評される過保護っぷりだが、三橋は普通に嬉しかった。
「だい、じょぶ!何かあったら、ちゃんと、言う!」
三橋がそう答えても、阿部はまだ心配顔だ。
だが不意に「あ、タオル。置いて来ちまった!」と声を上げる。
三橋のことばかり気にしていた阿部は、監督室に忘れ物をしたらしい。
まったく自分のことは二の次なのだからと、三橋は笑った。
「と、取りに、戻る?」
「ああ。三橋は先に戻っとけ。身体を冷やすとよくない。」
たかがタオルを取りに戻る間に、冷えたりしない。
三橋はそう思ったけれど、素直に「うん」と頷く。
そして監督室に駆け戻る阿部を見送ると、食堂に向かって歩き出した。
御幸と沢村はもうかなり先を歩いていた。
だけど勝手知ったる青道の寮、食堂の場所もわかっている。
別に無理に追いつく必要もないだろう。
ゆっくりと歩き出した三橋は「ねぇ」と声をかけられた。
「西浦高校の投手の人だよね?」
声をかけてきたのは、1人の女子生徒だった。
青道の制服であるブレザーを着ている。
三橋はコクンと頷いたところで、首を傾げた。
青道のマネージャーの顔はうろ覚えだけれど、その誰でもない気がしたのだ。
ここは野球部関係者でない生徒が簡単には入れるのだろうか?
「ちょっと来てもらえる?聞きたいことがあるの。」
「でも、オレ、食堂に」
「ちょっとだけでいいから。お願い!」
拝むように手を合わせられれば、否とは言えない。
三橋はそういう性格なのだ。
弱々しく「ちょっと、だけ、なら」と念を押す。
そして先に立って歩き出した彼女の後を追った。
女子生徒は食堂とは反対方向に歩き、外に出てしまった。
さらに寮を出た途端に、スタスタと歩調を速める。
三橋は「ちょっと、だけ、なのに」とボソボソ文句を言った。
だが聞こえているのか、いないのか。
そして2人がやって来たのは、寮からは少し離れた校舎だった。
2人が落ち着いたのはその校舎の1階、誰もいない教室だ。
週末だからだけではなく、おそらく日頃も使っていないのだろう。
埃っぽい空気を吸い込みながら、三橋はそんなことを思う。
ドアを閉め、完全な密室になったところで、女子生徒はようやく三橋と向き合った。
「き、聞きたい、ことって」
「あなた、御幸君のこと好き?」
予想外の質問に、三橋は「へ?」と首を傾げた。
そして「御幸君」と呼んだということは、この人も3年生かと思う。
だがはっきり答えない三橋に、女子生徒はややイラついた表情を見せた。
「どうなのよ。」
「す、好きです!」
三橋は思いっきりそう答えたところで、まずいと思った。
この勢いでは三橋が御幸を恋愛対象と見ているようにも取られかねない雰囲気だ。
三橋は誤解されたところで問題ないが、後々御幸に迷惑をかけるかもしれない。
「み、御幸先輩、だけじゃ、なくて。青道の人、みんな、好きです!」
三橋は慌てて、訂正を入れた。
さらに「みんな、いい、人!」とさらに付け加える。
すると女子生徒はポカンとした顔で「マジで?」と聞いてきた。
「ま、マジ、です」
三橋はそう答えて、首を傾げた。
別に間違えたことを言ったつもりはない。
なのに彼女は何でこんなリアクションなのだろう?
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「ったく。何でだよ!」
御幸は悪態をつきながら、食堂を飛び出した。
沢村を襲い、今三橋も巻き込まれているかもしれない災厄。
それがまさか自分が原因だなんて、考えただけで腹が立ったのだ。
倉持の推理を聞いた御幸は、驚いた。
ほとんど口を利いたこともないクラスの女子が自分に好意を寄せていたこと。
そしてその女子生徒が、沢村を閉じ込め、三橋にレーザーポインターを浴びせたかもしれない。
にわかに信じられない。
もしも別の部員、例えば沢村や前園あたりに言われたなら「嘘だ」と笑い飛ばしただろう。
だけど倉持となると話は別だ。
しかも青道の頭脳たる渡辺も、この推理を信じているようだ。
ならばきっとかなり角度の高い話だ。
その女子生徒が犯人である可能性が高い。
御幸は主将として、部員たちに指示を出した。
まずは三橋を発見するのが、先決だ。
倉持の推理が正しいなら、三橋と女子生徒は一緒にいる。
そしてそんなに遠くには行っていないはずだ。
まだ校内にいると考えるのが、妥当だろう。
御幸が悪態をつきながら食堂を飛び出すと、渡辺もついてきた。
2人は寮から一番遠い校舎を捜すことになっていた。
その場所を自分に割り振ったのは、そこが一番可能性が高いと思ったからだ。
自分ならそうする。
仮にも「誘拐」したなら、寮からは少しでも遠ざかりたいはずだ。
「何でお前も来るんだよ?」
校舎に向かって走りながら、なぜかついて来た阿部に叫んだ。
西浦の部員たちには、食堂で待てと言っていたからだ。
だが阿部はきっぱりと「オレも行きます」と答えた。
御幸は一瞬顔をしかめたが、何も言わなかった。
黙って待っていられない気持ちは理解できたからだ。
阿部にとっての三橋は、御幸にとっての沢村のようなもの。
実に手のかかる、だけど愛おしい存在なのだ。
「オレ、ちょっと自信を失ったよ。」
御幸は走りながら、ポツリと呟いた。
独り言とも渡辺にとも阿部にともつかない口調だ。
渡辺が「倉持が言ってたこと?」と聞き返すと、御幸は「まぁな」と頷いた。
「オレ、人の気持ちはわかる方だと思ってたからさ」
御幸が自嘲気味に吐き出すと、阿部が「わかります」と答えた。
捕手というポジションは、常に人間観察をしているからだ。
プレイ中は投手のコンディションや対戦相手の打者の様子などをチェックする。
だから人よりもそういう目はあるものだと自負してしまうものだ。
「だけど自分に向けられる気持ちなんて、全然」
苦笑する御幸の表情や口調に、弱気が垣間見えた。
自分が気付いていれば、沢村や三橋を巻き込まずにすんだ。
その自責の念が吐かせた言葉だ。
「それは仕方がないんじゃない?」
「三橋も沢村も、御幸先輩が悪いなんて思ってないっすよ。」
隣の渡辺と後ろの阿部、双方からフォローが入った。
御幸は「ありがとな」と苦笑する。
そう、今は落ち込んでいる場合ではない。
一刻も早く三橋を見つけるのが、最優先だ。
校舎に入った3人は、耳を澄ました。
週末の今日は授業がないので、静まり返っている。
果たしてどこにいるのか。
するとどこからかボソボソと話し声が聞こえてきた。
「奥の教室だな」
御幸は声を潜めてそう告げると、渡辺と阿部が頷いた。
そして3人は足音を忍ばせながら、廊下を進む。
すると次第に話し声は大きくなった。
話し声の元は、やはり一番奥の教室だった。
どんなことになっているのかと、3人は息を殺して聞き耳を立てる。
ここまで来ると、声はかなりはっきり聞き取れた。
1人は三橋、もう1人は聞き覚えのない女子の声だ。
当たりだな。
御幸はドアに手をかけ、開けようとした。
だが中から聞こえてきた言葉に、思わず手が止まる。
阿部も渡辺も驚いたような顔で固まっていた。
「青道、野球部、みんな、いい人、ですよ」
三橋はそう言って「フヒ」と笑ったのだ。
想像していたような緊迫した雰囲気ではない。
毒気を抜かれて固まる間に、中の会話は進んでいく。
御幸はそのまま中の会話をしばらく聞くことになった。
深く考えてのことではない。
完全にドアを開けるタイミングを逸してしまい、なし崩し的にそうなってしまったのだ。
*****
「青道、野球部、みんな、いい人、ですよ」
三橋はそう言って「フヒ」と笑った。
名も知らない女子生徒は「そうかなぁ」と懐疑的な声で反論する。
だが三橋はひるまず「絶対、いい人、です!」と繰り返した。
何やってんだ、こいつら。
期せずして立ち聞きすることになった阿部はガックリと肩を落とした。
元はと言えば、青道の女子生徒の1人が御幸に恋をしているという話だ。
それに三橋が巻き込まれて、下手をすれば危害を加えられるかもしれないという。
とりあえず青道の部員だけで校内を捜すと言うが、じっとしてはいられない。
だから阿部は御幸と渡辺の後をついて行った。
今までの話を聞く限り、この2人の行き先が一番「当たり」っぽい気がしたからだ。
勝手に1人で傷つくな。間違ってもケガなんかするな。
阿部は焦り、イライラしながらここまで来た。
そして寮から離れた校舎の一室から三橋の声が聞こえたときにはホッとした。
ここで三橋を救出すれば、まぁまぁハッピーエンド。
そう思っていたのだが、そうはいかないのが三橋だ。
何と犯人と思しき女子生徒と、和やかに談笑していたのである。
しかも御幸、渡辺と教室の外からこっそりと話を聞くことになってしまった。
「確かに渡辺君とか川上君とか見てると、いい人って気がする。」
「ナベ先輩、も、ノリ先輩、も、いい人、です」
「でも倉持とか、ヤンキーじゃない?」
「ええと、多分、ぽい、だけ、かと」
「前園のコテコテ関西弁とか、ありえないし!」
「そ、ですか?ってか、何で、ふたり、呼び捨て?」
何で、意気投合している?
阿部は思いっきり叫んでいた。
あくまで心の中でだが。
心配して、ここまでやって来た自分がバカみたいじゃないか。
だけど、当たってる。
御幸は慌てて両手で自分の口を押えた。
そうしなければ笑ってしまいそうだからだ。
渡辺や川上のことは良い。
だけど倉持がヤンキーとか、前園のコテコテ関西弁とか。
わかりやすく面白い。
ふと見ると御幸と渡辺も笑いを堪えているのがわかった。
「2年の沢村って、御幸君と仲良いでしょ?」
「もちろん、です、けど」
「邪魔だって思っちゃったのよね。いつも隣にいるから」
「じゃま?」
「わかってるんだけどね。あいつがいなくなっても関係ないって」
「え?え?」
「一晩閉じ込めておけば門限破りとかになって、野球部クビになるかなとか思っちゃって」
「えええ!?」
ここへきてようやく、三橋は目の前の女子生徒が沢村の事件の犯人だと気付いたらしい。
3人は一気に緊張し、御幸が今度こそ教室に踏み込もうとドアに手をかける。
だがまたしても阻んだのは、三橋の声だった。
「あやまったら、いいと、思います。」
「あやまる。今さら?」
ここでおそらく三橋はコクコクと頷いているのだろう。
女子生徒が「御幸君にキモいって思われるのはイヤ」と吐き捨てる。
すると三橋が「そんな、こと、ないです」と断言した。
「御幸、先輩。そういう、人、じゃない、です。」
「え?」
「ちゃんと、話せば、わかります。キモいって、斬り捨てたり、しない、です。」
聞こえてくる三橋の言葉に、御幸は困ったような顔になった。
そんな御幸を渡辺がニヤニヤと見ている。
露骨な褒め言葉に照れる御幸を、渡辺が冷やかしているのだ。
だが阿部は面白くない気分だった。
三橋が自分以外の捕手を褒めるのを聞くのは、正直微妙なのだ。
「で、どうする?」
ひと通り2人の話を聞いた後、渡辺が御幸の耳元で囁いた。
御幸は「仕方ないな」と肩を落とすと、ガラリとドアを開けた。
教室の中の2人、三橋と女子生徒が驚いた表情で振り返る。
だが三橋は阿部の姿を見つけると、パタパタとこちらに向かって駆けてきた。
「何か、飼い犬みたい。」
渡辺がそう言って、クスクスと笑った。
阿部は「そうすか?」と惚けてみせたが、悪い気はしない。
駆け寄ってきた三橋に「先に戻ろう」と声をかけた。
三橋は女子生徒に頭を下げると、阿部と並んで歩き出した。
「とりあえず食堂に戻るまで、今日の試合の反省会な。」
「ええ!?今、やる、の?」
阿部と三橋は軽口を叩き合いながら、食堂に向かった。
何ともしまらない終わりだが、三橋が無事なら阿部としては問題ない。
どんな結末になろうと、この女子生徒がどうなろうと知った事ではなかった。
【続く】