「おお振り」×「◆A」1年後

【再び不穏な事態】

「わ、わかり、ません。ひ、人、多かった、し」
三橋は何度も首を傾げながら、そう答えた。
思い出せないのが心苦しいけれど、いくら考えてもわからないのだ。

青道対西浦の練習試合は、中止となった。
西浦の投手、三橋に対して、レーザーポインターの光が当てられたからだ。
両校の選手は「寮の食堂で待機」と指示された。
そして監督室には両校の監督、コーチ陣とバッテリーが集められた。
青道は片岡、落合、高島と太田、そして御幸と沢村。
西浦は百枝、志賀、阿部と三橋である。

「目は何ともないんだな?」
片岡は三橋にそう聞いてきた。
三橋はオドオドと「ダイジョブ、デス」と答える。
沢村が思わず「何でカタコト?」と首を傾げた。
さすがに笑う空気にはならなかったが、御幸も阿部も心の中で深く頷いていた。

ちなみに三橋は後日、このときはひたすら怖かったと白状している。
何しろ青道の監督、片岡はただでさえ顔が怖い。
トレードマークのサングラスも相まって、普通にしてても迫力があるのだ。
それが三橋に詰め寄ってきたのだ。
いや、片岡にすれば三橋が心配で普段よりも距離が近かっただけである。
だけど人見知りの三橋にすれば、脅されているくらいの迫力があった。

「誰か怪しい人を見なかった?」
とりあえず三橋の目に異常はないが、念のために後で病院へ行くことになった。
そうなれば質問は、犯人の方へ向く。
西浦の監督である百枝がそれを聞くと、三橋は「わ、わかり、ません」と答えた。
そして「ひ、人、多かった、し」と言い訳のように付け加える。
本当にどうしてよく見ておかなかったのかと、三橋は後悔しきりだ。

「仕方ねぇよ。マウンドに上がれば客席なんか見ねぇし。」
「だよな。お前が責められる問題じゃない。」
すかさずフォローしたのは、沢村と御幸だ。
三橋の隣に立つ阿部はそっと三橋の手を握った。
緊張しているのか、三橋の手は酷く冷たい。
阿部はぬくもりを分け与えるように、握る手に力を込めた。

「確かにギャラリーは多かったですしね。」
冷静に分析したのは、志賀だった。
練習試合と言えど、青道高校には動員力がある。
この日の試合だって、多くの観客がいた。
高校野球好き、青道好きのおじちゃんファン。
御幸や降谷ファンの女子高校生。
そして母校の活躍を見たい青道生等々。
さらにマスコミ関係者やプロや大学のスカウトもいた。
客席はほぼ埋まっており、立ち見の者さえいたのだ。

「対応は慎重にしなければなりませんね。」
野球部副部長にして理事長の娘である高島が、メガネのフレームをずり上げながらそう言った。
事態は簡単ではない。
いくら実害がないとはいえ、悪質だ。
何としても犯人を見つけ、2度とこんなことがないようにしたい。
だが一方で、あまり騒ぎ立てなくないという気持ちもあった。
大会も近いし、無駄に騒いで選手の心をかき乱したくないのだ。

「とりあえず、お前らは他の選手たちと一緒に待て。」
片岡の指示に御幸が「はい!」と応じ、沢村や三橋たちに「行こう」と促した。
ここから先は大人が相談して決めること。
選手たちはここで退場だ。

「失礼します!」
御幸と沢村が一礼すると阿部と三橋もそれに倣い、揃って監督室を出た。
三橋は歩き出しながら「カントク、の部屋、すごい」と呟く。
阿部は「確かにな」と小さく頷いた。
西浦には監督の部屋はおろか、狭い部室1つしかないのである。

*****

「なぁ、今日の事件ってこの前のと関係ねぇと思う?」
倉持は隣に座る渡辺に、そっと耳打ちした。
おそらく誰もが別々の話と考えている。
だけど倉持はどうにもつながっている気がしてならなかったのだ。

試合が中止になった後、両校のバッテリー以外は食堂に集まっていた。
はっきり言って、不完全燃焼だ。
試合は青道が勝っていたけれど、西浦はひっくり返す気満々だった。
地力では青道が勝るが、西浦はそれをひっくり返す勢いがあるチームだ。
そしておそらく作戦を立てており、試合終盤で奥の手を出すつもりだった思われる。

「何だか勝ち逃げしたみたいで、後味が悪ぃな。」
倉持は彼にしては珍しく、ため息まじりにそう言った。
渡辺が「確かにねぇ」と穏やかに頷く。
果たして再戦はありや、なしや?
倉持の性格上、きっちりとカタをつけないと気分が悪い。

だがそれ以上に気になることがあった。
だから食堂で席に着くとき、さり気なく渡辺の隣を選んだのだ。
青道というチームで情報収集を担当し、的確に分析する。
そんな渡辺に、今倉持が考えていることをどう思うか聞きたかった。

「なぁ、今日の事件ってこの前のと関係ねぇと思う?」
「この前って」
「沢村が閉じ込められた事件」

倉持は声を潜めながら、そう言った。
幸いなことに、他の部員たちは賑やかに喋っている。
これなら誰にも聞かれなさそうだが、念のために声を落とした。
渡辺も察したようで、声のボリュームを合わせてくれた。

「倉持は同じ犯人だって思ってる?」
「ああ。実はちょっと心当たりがある。」
「え?誰?」
「オレらと同じクラスの女子」

倉持はここ最近気になっていたことを一気に話した。
少し前に起こった、沢村の閉じ込め事件。
沢村は練習中に姿を消し、深夜まで行方がわからなくなったのだ。
他の部員なら、門限破りの無断外泊と疑われたかもしれない。
だが練習大好き、しかも地方出身で校外に友人もいない沢村にそれはない。

結局校舎の地下の倉庫になっている部屋に閉じ込められていた。
沢村曰く、声をかけてきたのは青道の制服を着た女子生徒。
倉持はそれを同じクラスの女子の仕業ではないかと疑っていた。
理由は簡単、その生徒は御幸に好意を抱いている。
それは御幸を見る熱い視線、そしてよく一緒にいる倉持への敵意がこもった視線でわかった。

軽口を叩く倉持さえ、睨みつけるのだ。
何だかんだと懐いている沢村は、さぞ目障りだっただろう。
それにその女子生徒は、時折練習試合を見に来ていた。
もし今日来ていたとしたら。
御幸は今日、やたらと三橋に声をかけたり、髪をなで回していたのだ。

「だけどオレの勘だけで」
証拠はないと言いかけた倉持の背後から「なんやと!?」と声がかかった。
どうやら後ろに座っていた前園が、話を聞いていたらしい。
前園は勢いよく立ち上がると「沢村の事件の犯人が今日もやったんか!?」と叫ぶ。
大音量の関西弁に、賑やかだった食堂が一気に静まり返った。

「バカ!声がデケェよ!」
「ねぇ。沢村の事件って何?」
凍り付いた空気を物ともせずに問いかけてきたのは、田島だった。
そう、沢村の事件は緘口令が敷かれている。
西浦では阿部と三橋、そして百枝と志賀しか知らない話なのだ。

「あ~、その」
「残念ながら、遅いみたいだね。」
口ごもる前園に、渡辺が諦めたようにため息をつく。
だがそこへ監督室から御幸たちが戻ってきた。
前園は御幸に「すまん!話してもうた!」と頭を下げた。

「何だ?どうした?」
御幸は前園の萎れっぷりとぎこちない空気に首を傾げる。
倉持もそんな御幸に「原因は多分お前だ」と告げたのだった。

*****

「ハァ!?オレ!?」
倉持の話を聞いた御幸は、主将らしからぬ声を上げた。
そして同じ話を聞いた沢村は、なぜか面白くないとテンションを下げていた。

監督室を出て、食堂に入った御幸と沢村は困惑した。
なぜなら食堂は妙にぎこちない雰囲気だったからだ。
しきりに恐縮する前園と、途方に暮れた表情の倉持。
苦笑する渡辺と、機嫌が悪そうな田島。

「何だ?どうした?」
「原因は多分お前だ。御幸」
「意味がわからないんだけど」
「ナベ、御幸に説明はまかせた。もう一度話すのはシンドイ」

倉持の言っている意味がわからず、御幸も沢村も首を傾げる。
すると渡辺が「仕方ないね」と肩を竦めて、説明してくれた。
倉持は先日の沢村の閉じ込め事件と、今日のレーザーポインターの件を同一犯とみていること。
そしてその犯人は御幸に想いを寄せる、クラスの女子ではないかと思っていることを。

「ハァ!?オレ!?」
「だからそう言ってんだろ!?」
「でもオレ、その女子と話したこともないぞ?」
「だから好きにならないとは、限らないだろ?」

御幸は反論できずに、押し黙った。
実際、野球部の主将で顔もまずまずイケメンの御幸はモテるのだ。
校内で知らない女子生徒に告白されたこともある。
球場で他校の女子生徒に手紙を渡されたこともあるのだ。
口を利いたことがなくても、御幸に好意を持つ女子が多いことはわかっている。

「モテてよかったっすね。」
なぜか不機嫌にからんできたのは、沢村だった。
御幸は思わず「は?」と尖った声を上げる。
ヤキモチを焼いてくれているなら、ちょっと嬉しい。
だけど御幸もまだよくわかっていない状況で、拗ねられても困る。

「御幸先輩がモテるかどうかは、どうでもよくねぇ?」
割って入ってきたのは、まさかの田島だ。
御幸としては「どうでもよい」と言われれば、微妙に傷つく。
むずかしいお年頃なのだ。
だけど本題はそこではないので「だな」と頷き、話を進めることにした。

「っていうか田島。先輩にタメ口やめろ」
慌てて注意したのは、西浦の常識人こと主将の花井だ。
だが田島は「それも今どうでもいいし」と無視した。

「それって青道の問題に、三橋が巻き込まれたってことだろ!?」
田島はさらにそう続ける。
そこでようやく御幸も沢村も他の面々も田島が怒っていることに気付いた。
田島にとって三橋は、可愛い弟分なのだ。
それがこんな形で巻き込まれたのが、我慢ならないらしい。

「さっさとその女子、捕まえればいいじゃん!」
「だから証拠がねぇんだよ。オレの勘だけなんだ。」
「それで充分じゃねーの?倉持先輩、そういう勘だけは鋭そうだし。」
「だけってなんだ!さっきからいろいろ失礼だぞ!」

なぜか田島と倉持に言い合いに発展し、御幸と渡辺が止めに入る。
そこへ阿部が食堂に入ってきた。
御幸と沢村同様、異様な雰囲気に「何だ?」と首を傾げている。

「あれ?阿部、三橋は一緒じゃないのか?」
「ああ。オレ、タオルを忘れてて監督室に戻ったんだ。三橋は先に行けって言ったんだけど」
「・・・ここには来てねぇぞ?」

三橋がいないことに気付いた栄口と今戻ったばかりの阿部。
2人の会話に、沢村が「それって」と声を上げた。
狙われたかもしれない三橋。
そしてその三橋は、行方不明になっている。
誰もが「まさか」と首を振りながら、同時に「もしや」と疑っていた。

「とりあえず手分けして、三橋を捜そう。」
御幸はいち早く決断を下した。
そして渡辺には「割り振りを決めてくれ」と、倉持には「監督に知らせろ」と指示する。
すかさず「オレらはどうします?」と手を上げた花井には「ここで待機してくれ」と告げた。
三橋がひょっこり戻ってきたら、誰かいないとすれ違いになってしまう。

「みんなケータイは持ってけよ!」
「お前以外は全員スマホだよ!」
ガラケーユーザーの御幸の指示で、全員が食堂を飛び出していく。
こういうときの団結力は、強い。

どうか、無事でありますように。
願わくば、妙なトラウマなど残りませんように。
御幸は祈るようにそう思いながら、自らも三橋捜索のために動き始めた。

【続く】
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