「おお振り」×「◆A」1年後

【練習試合、後半戦!】

「いいよなぁ、三橋って」
御幸は本当に嬉しそうに三橋を見ている。
沢村はそんな御幸に心がザワついたが、その理由がよくわからずに困惑していた。

練習試合の日程も、午後の後半戦になった。
青道一軍対西浦高校2年生チームの対戦だ。
青道の先発は沢村、御幸のバッテリー。
投げたくてウズウズしていた沢村も気合いが入っていた。

対する西浦はもちろん三橋と阿部のバッテリーだ。
アクシデントで午前中にリリーフした三橋だが、疲れなど微塵もない。
前回の練習試合の時とフォームが変わっており、球威も増している。
表情は落ち着いていて、強豪相手に怯む素振りは微塵もなかった。

「そんなつもりはなかったんですけど、ちょっとナメていたかもしれません。」
殊勝にもそんなことを言い出したのは、1年生捕手の由井薫だった。
先攻は青道なので、まずマウンドに上がったのは三橋。
青道の選手はベンチから西浦高校を見ている。

「県立にしては強い。そんなくくりで収まらないチームですね。」
由井の言葉に、なぜか御幸がドヤ顔で「だろ?」と応じている。
1年生は西浦というチームに対して、ほぼ初見だ。
実績などから判断すれば「県立で3年生がいないわりには強い」としか評せない。
だが実際試合で目の当たりにして、さすがにこのチームの強さに気付いたようだ。

「おそらく10回試合をすれば、ほとんどの県立校ならうちが全勝する。」
御幸はマウンドの三橋を見ながら、そう言った。
由井だけでなく、奥村も頷いている。
御幸はドヤ顔のまま「けど、西浦は違う」と続けた。

「10回のうち1、2回は勝ってくる。しかもそれを公式戦に持って来る力があるんだ。」
御幸の言葉に、他の2、3年生も頷いている。
一見して選手たちは皆明るく、前向きだ。
それなのに、どこか得体の知れない雰囲気があるのだ。
油断すればやられる、そんな不気味さが。

「だけど個人的には三橋みたいなピッチャー、好きなんだよな。」
さらに続いた御幸の言葉に、青道ベンチの全員が三橋に注目する。
格上の青道相手だが、その表情にはまったく気負ったところが見えない。
それでいて絶対に勝つのだという強い意思だけは伝わってくる。
そしてコントロールは相変わらず絶妙だ。
練習と同じ制球力を試合でも発揮するのは、並大抵のことではないのだ。

「確かにこれだけのコントロールだとリードのし甲斐がありますね。」
「ああ。うちもそうだが大体の投手のストライクゾーンは4分割だろ?」
「ええ。それでもきちんと投げ分けられればすごいですよね?」
「もちろん。だけど三橋は9分割だそうだ。」
「え!?」

御幸の解説に、話を振った由井も奥村も驚く。
2人とも捕手だから、御幸の言葉はより深く理解できた。
青道ではコースのサインは内外と高低、2×2で4分割。
だけど三橋は内中外と高中低。3×3で9分割なのだ。
これが決まるのは、プロでも早々できない制球力だ。

「いいよなぁ、三橋って。いつか組んでみたい。」
御幸は本当に嬉しそうに三橋を見ている。
沢村はそんな御幸に、妙に心がザワついた。

何だよ。三橋、三橋って。
沢村は面白くないのだが、その理由がよくわからずに困惑する。
三橋のことは大好きなのだ。
同じ投手としても尊敬できるし、妙に可愛らしいキャラも気に入っている。
それなのにどうしてこんな気持ちになるのか、自分でもわからない。

1回の表は3人で打ち取られ、チェンジになった。
沢村は「よっしゃ!」と気合いを入れながら、ベンチを飛び出していく。
とにかく今はこの気持ちは封印。
マウンドに上がったからには、最善のピッチングをするだけだ。

*****

「あとでキャッチボールしような!」
攻守交代、チェンジのときに、御幸が三橋に声をかける。
三橋が嬉しそうに「は、はい!」と答えるのを見て、阿部は大きくため息をついた。

ついに始まった青道一軍対西浦2年の練習試合。
1回の表の青道の攻撃は3人で打ち取った。
まずまずの出だしだが、もちろん油断はできない。
どの打者ももう一度同じ球で勝負を仕掛けたら、打たれるだろう。
青道はそういうチームだ。

だがこの流れは大いに良い。
ベンチに引き揚げる西浦高校の面々の足取りも軽やかだ。
三橋も笑顔で戻ろうとしたところで、御幸から声がかかったのだ。

「三橋!あとでキャッチボールしような!」
阿部と入れ替わり、ホームベース前に立った御幸はそう言った。
三橋は一瞬驚くが、すぐに笑顔で「は、はい!」と答える。
阿部は大きくため息をつくと「まったく」と文句を言った。

三橋は捕手から見れば、実に魅力的な投手なのだ。
どんな場面でもほぼ要求通りの球が投げられる。
しかも9分割で投げられる、稀有な制球力だ。
こんな投手でリードを組み立てたいと思うのは、捕手の本能とも言える。

でもだからって。
阿部はもう一度ため息をついた。
童顔やそのキャラから「みんなの弟分」的な立ち位置の三橋だ。
だからって露骨に嬉しそうな視線を向けるのはやめてほしい。
しかもキャッチボールって。
確率は低いが、いつか青道と公式戦で当たるかもしれない。
そこの正捕手相手に投げさせてたまるか。

キャッチボールなんて、ダメだからな。
阿部はそう言おうと思ったが、その言葉を飲み込んだ。
とにかく投げるの大好き、投球中毒の三橋なのだ。
下手にここでダメだと言って、テンションを落とされても困る。

「栄純、君、すごい!」
ベンチにドカリと座りイライラを鎮めていたところで、阿部は我に返った。
三橋が沢村の投球に見入っている。
阿部は「確かにな」と頷いた。
相変わらず球の出所がわかりにくい変則フォーム。
そして球威は格段に上がっているし、変化球のキレも増している。
青道なら降谷の影に隠れた控え投手だが、大抵の学校ならエースだろう。

「確かにすげぇな!」
「う、打てる?」
「打つに決まってるだろ!楽しみだ!」
「た、田島、君も、すごい!」

相変わらずの田島と三橋の末っ子トークに、西浦ベンチは苦笑いだ。
微笑ましいのは、良いことだと思う。
だけど格段にパワーアップした沢村とそれを打つと言い切ってしまう田島。
何だかスケールが大きすぎて、もはや笑いしか出ない感じだ。

「確かに沢村の成長、エゲツねーな」
阿部はもう何度目かわからないため息をついた。
昨年の練習試合のときは、間違いなく青道のエースはダントツで降谷だった。
そして3年生の川上と沢村が二番手争いをしているというイメージだったのだ。

だが今や沢村はエース候補ともいえるほど成長している。
投球練習を見る限り、降谷だって球威やキレを増しているが、それと比べても引けを取らない。
それはやはり御幸の力も大きいのだろう。
世代ナンバーワン捕手と呼ばれ、卒業後はプロ入り間違いなしと言われている偉大な捕手。

「もしも御幸先輩が」
思わず心の声が漏れかけて、阿部は思わず口を噤んだ。
もしも御幸が三橋と同じチームだったら、三橋はもっと成長していたのではないか。
ふとそんな疑念が心をよぎったのだ。

「御幸、センパイ、が、何?」
三橋に聞き返され、阿部は慌てて「何でもねーよ」とごまかした。
弱気は禁物だ。
捕手としては、御幸に負けているかもしれない。
チームの格としても、青道の方が上。
それでも目の前のこの試合は負けたくない。
初回、三橋が良い投球をしたのだから、なおさらだ。

「絶対に勝つからな!」
「うん。が、頑張る!」
阿部が自分に言い聞かせるように叫ぶと、三橋が大きく頷く。
田島が「だよなぁ!」と加わり、ベンチ内は明るい笑いに包まれた。

その余裕たっぷりの笑顔、崩してやる。
阿部はホームを守る御幸を睨みつけた。
再会は嬉しいが、勝負は別。
今はただ三橋に最高の投球をさせて、勝つことだけを考えよう。

*****

「まさか」
ありえない事態に御幸は声を上げ、青道ベンチも騒然としている。
阿部もマウンドに駆け寄り、三橋は訳がわからない様子で呆然としていた。

青道対西浦の試合は、白熱していた。
4回を終わったところで、3-0で青道がリード。
だがヒットの数はあまり変わらない。
要所で打って効果的に得点する青道と残塁が多く今1つ噛み合わない西浦。
それが点差となっている。

そして5回の表。
三橋は少しも疲れた様子を見せず、マウンドに向かう。
まだまだ西浦は逆転する気、満々。
そして青道もこれで勝ったなどとは思っていない。

ギャラリーもいつの間にか増えていた。
青道グラウンドには例によって、練習試合まで観戦に来るファンが多い。
目が肥えていて、結構的確でシビアに試合を評するおじちゃんたちだ。
彼らも相手が埼玉の県立高校と知り、最初は青道圧勝と見ていた。
だが試合が進むにつれ、興味津々な様子で観戦している。
中には健闘を見せる西浦に声援を送る者さえ現れた。

打席に入ったのは、4番の御幸だった。
本日3回目の打席だ。
実は御幸はまだヒットを打っていない。
西浦バッテリーはしっかりと御幸対策をしてきた。
狙い球を絞らせず、苦手なコースをついて、ここまでは押さえ切っていた。

「そろそろ打たねーとな」
打席に入った御幸は、自分自身に気合いを入れた。
ここまでは意表を突かれて、いいようにやられた。
だがさすかにこのままでは4番としての面目は丸つぶれだ。

「打たせませんよ」
御幸のひとりごとを阿部はしっかり拾っていた。
マスクの下に、タレ目のくせに目つきが悪いと評された不敵な笑みが見える。
まだ何か手を隠しているか。それはどんな?
御幸は考えながら、マウンドの三橋を見たのだが。

異変はそのとき起こった。
阿部のサインを覗き込む三橋の顔に、緑の点のようなものが見えたのだ。
その点はまるで虫のように、三橋の顔の上を這い回っている。
三橋は目を細めながら、手で緑の虫を払うような仕草をした。

「まさか」
ありえない事態に御幸は声を上げ、青道ベンチも騒然としている。
やがて監督の片岡がベンチを飛び出し、観客席へ向かって走り出した。
そこで御幸は自分の見立てが間違っていないことに気付く。
誰かが観客席から三橋の目を狙って、レーザーポインターを当てたのだ。

阿部も事態を把握したらしく、タイムも取らずにマウンドに駆け寄った。
そしてただ事ではない様子に、守っていた西浦のメンバーもマウンドに集まる。
三橋は訳がわからない様子で呆然としていた。

観客席を一通り見回した片岡が、西浦のベンチに走っていく。
その途中で御幸と目が合ったが、首を振った。
どうやら犯人らしい人物は見つけられなかったようだ。
片岡は西浦の女性監督、百枝と話し始めた。
この事態をどう収拾するか、その相談だろう。

「とりあえず戻ります。」
御幸は主審に声をかけると、ベンチに戻った。
その途中でマウンドを振り返ると、阿部が三橋の顔を覗き込んでいる。
三橋は目をパチパチと瞬かせながら「だい、じょぶ!」と答えているのが聞き取れた。
どうやら深刻な異常はないようだと、御幸はホッと胸を撫で下ろした。

やがて片岡と百枝が本塁で待つ主審のところまでやって来た。
そして短く何事か告げ、主審がノーゲームを宣言した。
アクシデントのために、試合はここで中止だ。
不完全燃焼、両チームとも納得のいかない表情のまま、本塁前に整列した。

「何なんだ!誰なんだよ!いったい!」
試合終了の礼の後、沢村が怒り狂った。
三橋が「オ、オレも、残念、だ!」と同意を示す。
もちろん2人だけではない。
選手は全員、この結末に怒っている。

それにしても、何で三橋なんだ?
御幸もまた怒りながら、首を傾げていた。
ここは青道グラウンド、百歩譲って青道部員の誰かに向けられる怒りならまだ理解できる。
だが三橋が狙われたとは、不可解極まりない。
仮に三橋が誰かに恨まれていたとしても、どうして埼玉ではなくここで狙われるのか。

やがて両校ともベンチに戻り、片づけを始めた。
いったい何が起こったのか、これからどうなるのか。
誰もが不安であり、足取りも重かった。

【続く】
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