「おお振り」×「◆A」1年後

【昼食タイム!】

「昼メシだぞ!」
声がかかると、西浦高校の面々はソワソワし始めた。
阿部は特にテンションが上がった三橋に「焦って転ぶなよ!」と声をかけた。

練習試合のために、青道高校に遠征した西浦高校野球部。
午前午後の2試合になるため、当然間に昼食となる。
そしてそれは青道高校の食堂で食べられるように手配されていた。

こういう場合、飲食代がどうなるのかというのがちょっとした問題となる。
だが百枝や志賀はそういうところ、抜かりはない。
青道高校側ときっちりと話をつけていた。
もちろん完全無料ではない。
農家を営む田島家から朝採れの新鮮野菜を譲り受けて持ち込んだのだ。
しかも形が少々悪いので、味は美味なのに販売できないものメインだ。
田島家では売りにくい野菜がさばけ、青道の食堂スタッフは新鮮野菜が無料で手に入る。
双方が喜ぶウィンウィン作戦だ。

そして昼、食堂の一角は西浦高校野球部のために空けられていた。
彼らは恐縮しながら、食堂に入ってくる。
昼食のメニューは野菜カレーだった。
田島家の野菜がふんだんに使われている。

昼食にカレーが出ることは、青道高校では珍しくない。
だから青道の部員たちは、いつもと変わらず至って普通だ。
だが西浦高校野球部の面々は、単純に喜んでいた。
基本的に食べるのが大好きな彼らである。
いつもはちょっと違う食事ができることで、ワクワクしていたのである。

彼らは食事を受け取って、席に着いた。
だが全員揃っても、食べ始めない。
全員がじっと食い入るように、カレーの皿を見つめている。
その光景はなかなかシュールだ。

青道の2、3年生はニヤニヤしながら、その光景を見ていた。
この後どうなるのかを、知っているからだ。
だが1年生は何事かと首を傾げている。
彼らがカレーを見つめる真剣な表情には、切実な食欲が溢れ出ている。
それは見ていて、恐怖を感じるほどだ。

「うまそぉ!」
不意に主将の花井の叫びで、沈黙が破られた。
すぐに全員が「うまそぉ!」と復唱し、まるで堰を切ったように食事が始まる。
さながらダムが決壊したかのように、全員が一気に食べ進んでいく。
その光景は圧巻で、もはやお見事と言うしかない。

「ダメだよ。よく噛まないと!」
「こぼしたら失礼だからね!綺麗に食べなさい!」
引率教師の志賀と監督の百枝が、まるで子供にするように注意する。
その都度部員たちは「はい!」と答えるが、食べるスピードは落ちなかった。

「オレ、おかわりしようっと!」
「オ、オ、オレ、も!」
真っ先に一皿目を食べ終わった田島と三橋が、空の皿を持って立ち上がる。
すかさず花井が「午後、試合だぞ!」とツッコミを入れた。
だが田島は「だって全然足りねーし!」と言い返し、三橋もウンウンと何度も頷く。
花井が諦めたようにため息をつき、2人は皿を持って走り出そうとしたのだが。

「ちょっと待て!」
阿部が後ろから三橋の襟を掴んで、止めた。
田島だけが駆け出していき、三橋が「うわわ!」と声を上げる。
だが阿部はその三橋から「危ないから、オレが取ってくる」と皿を取り上げた。
その表情は雄弁に「こんなところでケガでもされたらたまらない」と語っている。

「座って、待っとけ!」
阿部の一喝に、三橋は「はいぃ!」と答えて、急いで席に戻った。
そこここから「過保護」という声が聞こえたが、阿部はスルーだ。
そしてたくさんの視線に動じることなく、大盛りのカレーを手にして戻ったのだった。

*****

「うまそぉ!」
思いも寄らない大合唱に、奥村は顔をしかめた。
ああいうノリは好きじゃない。
だがいつの間にか背後に立っていた御幸に「なぁ」と声をかけられ、顔をしかめた。

1年の奥村光舟は、憮然としていた。
練習試合の相手、西浦高校のマイペースっぷりには呆れるばかりだ。
全員そろっての「うまそぉ!」は、きっと彼らのルーティーンなのだろう。
だが正直、見ている方は鬱陶しい。
少人数でアットホームな雰囲気なのは結構だが、意味のない掛け声だと思う。

そもそもどうして、ここまで彼らを優遇するのか。
向こうの女性監督とこちらの副部長の高島が親しいという話は聞いた。
だがダブルヘッダーを組む意味などないと思う。
1年、2年で2チーム作ってきたようだが、2年生も強豪とは言い難く1年生は論外。
どうしてわざわざ一軍が相手にするのか、わからない。
思わずため息をついたところで、御幸に「なぁ」と声をかけられたのだ。

「鬱陶しいとか、思ってる?」
御幸はからかうように、そう言った。
すでに先に食べ終えたらしく、空の食器をのせたトレイを持っている。
奥村は何も答えず、ムッツリと黙り込んだ。
御幸の口調も、先に食べ終えているのも気に食わなかったからだ。
同じ捕手の御幸には対抗心もあるし、部員の中では食が細いことがコンプレックスなのだ。

「あれもメントレなんだとさ」
「メントレ、ですか?」
「ああ。メシだって欲求を高めて、集中して食って、満足感を味わう。」
「それがメントレに?」
「ああ。脳内物質の分泌を促してポジティブを養う、だったかな?」
「それを、食事の度に?」
「そう。日常生活の中でメシの時間さえ、ヤツらは勝利に向けて努力してるってわけ」

奥村の隣で食事をしていた浅田が「すごい!」と声を上げる。
御幸がなぜか「だろ?」とドヤ顔だ。
気付くと向かいに座る瀬戸や九鬼も感心していた。
奥村はもう一度、西浦高校の面々が座る一角を見た。
凄まじい勢いで食事に集中しているのは、勝つための強い意識。
そう思ってみると鬱陶しいと思っていた光景が、違うように見えた。

「ボクなんか残さず食べるだけで、やっとなのに」
素直に感心する浅田の横で、奥村は「それで勝てるならすごいですね」と言った。
あの「うまそぉ!」が高い意識から出ていることを、確かに見抜けなかった。
だけどだから彼らが強いは限らない。
やる気や意識は確かに重要だ。
だがそれだけで勝てるほど、高校野球は甘くない。

「バカ!三橋!もうやめとけ!お前、午後の先発なんだぞ?」
「ど、どう、しても、ダメ?」
「ダメ!」
「せ、せめて、半分!」

不意に聞こえてきた怒声と懇願に、全員の注目が集まる。
三橋の3杯目のカレーを巡っての攻防だ。
もう1杯、せめて半分と粘る三橋。
午後一の試合だから、この辺にしておけと止める阿部。
西浦高校の面々は、生温かい目で見守っている。

「まったく気持ちがいい食べっぷりだねぇ。」
ふと違う方向から声が聞こえる。
青道高校野球部の胃袋を握る食堂スタッフの男性だ。
彼は奥村や御幸をチラリと見ると、皮肉っぽく笑った。

「うちの部員たちは嫌々食べてたり、揚げ物の衣を剥がしたり、わがままだから」
彼の言葉に奥村はむっつり黙り込み、御幸も気まずそうにそっぽを向いた。
浅田は素直に「すみません!」と声を上げる。
毎日奥村や浅田は決められた量を食べるのに必死で、とても味わう余裕がない。
御幸は揚げ物があまり得意ではなく、衣は基本剥がしている。

分が悪くなったことを察したらしい御幸が、さっさと食器を片づけて去っていく。
奥村はその背中を睨みつけた後、もう1度西浦高校の選手たちを見た。
どうやら駆け引きに勝ったらしい三橋が、皿に半分ほど盛られたカレーを美味そうに食べている。
その食欲、分けて欲しい。
奥村は切実にそう思ったが、そんな弱音を口に出すほど素直な性格ではないのだ。

*****

あれが西浦のエースと4番。
浅田は競うようにしてカレーのおかわりをする2人を見て、ため息をついた。
あの食欲は単純に羨ましくて、分けて欲しいと切実に思った。

浅田浩文は西浦高校野球部に圧倒されていた。
最初の「うまそぉ!」の掛け声から、その旺盛な食欲。
さらに無邪気なエースや4番にだ。
特に野球選手としては線が細いエースに、シンパシーを持ってしまっていたりする。

だが御幸が奥村にあれもメントレなのだと話すのを聞いて「すごい!」と思った。
浅田は奥村と共に「食堂居残り組」と呼ばれている。
決まった量がなかなか食べられなくて、食事にプレッシャーさえ感じていた。
だからこそ食事もまた練習の一環にしているという西浦に、素直に感動していた。

西浦のことを教えてくれた御幸が、食堂から出ていく。
それと入れ替わるように現れたのは、沢村だ。
やはり空いた食器をのせたトレイを持っており「なぁなぁ」と楽しそうに声をかけてきた。

「面白いだろ、あいつら」
沢村が目で指し示しているのは、もちろん西浦の面々だ。
御幸もそうだが、沢村も彼らを気に入っているのがわかる。
その証拠に2人ともわかりやすく上機嫌なのだ。

「三橋って増子先輩並みに食うんだよ。」
「増子先輩って確か、ボクの前のあの部屋の」
「そう!」

青道高校の寮の部屋はほぼ全て3人部屋。
しかも学年は1、2、3年で構成されるようになっている。
今の沢村の部屋は3年の倉持と2年の沢村、1年の浅田だ。
だが1年前には先輩の増子がいた。

浅田はもちろん面識はないが、話は聞いている。
青道は「食事が資本」という考えがあり、とにかく食べることを推奨される。
そんな中、増子は唯一「お前は食うな!」と怒られたというエピソードを持つほどの大食漢なのだ。
沢村曰く、三橋はその増子並みに食べるという。
ふと見ると、三橋は空の皿を見ながら涙目になっていた。
そして阿部の方を見るが、首を振られて肩を落としている。

「いくら食っても太れないのが、悩みなんだと」
「そうなんですか?」
「まぁでも去年に比べたら、背も伸びて筋肉もついてるけどな。」
「それでも細身ですね。」
「だよなぁ。わはは!」

相変わらず野武士のように笑った沢村も、食堂を出ていく。
浅田はそれを見送った後、もう1度自分の皿を見た。
山盛りカレーの2杯目が、まだ3分の1ほど残っている。
実際、食事を残したところで罰則があるわけではない。
だけど練習同様、ここで手を抜くことはしたくなかった。
日々のこうした積み重ねが強い身体を作り、やがて勝利につながるのだから。

浅田は必死にスプーンを進めながら、もう1度西浦高校の方を見た。
三橋はようやくおかわりを諦めたらしく、渋々立ち上がろうとする。
だが隣の阿部が三橋の肩を掴んで、止めた。
そして手を伸ばすと、三橋の唇の端についてた米粒を取った。

何か距離が近い。
浅田はそんなことを思っていたが、次の瞬間盛大にむせた。
なぜなら阿部はその米粒を自分の口に押し込んだからだ。

え?何?嘘!何で!?
浅田は混乱するけれど、言葉が出ない。
どうやら青道の部員たちは誰も見ていなかったらしく、誰も反応していない。
そして西浦の部員たちは何事もなかったように席を立ち、ぞろぞろと食堂から出ていったのだ。

「顔が赤いけど、どうかした?」
隣の奥村にそう問われ、浅田は慌てて「何でもない!」と首を振った。
何だか見てはいけないものを見てしまった気がする。
動揺した浅田は、一番手っ取り早い方法を取った。
つまり記憶を封印し、何も見なかったことにしたのである。

そして午後、奥村や浅田も見守る中、第二試合が始まった。
青道一軍対西浦2年の真剣勝負である。

【続く】
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