「おお振り」×「◆A」

【再び合同練習、その2!】

お願い、します!
三橋は元気よく頭を下げる。
それに対して「はぁぁ!?」と声を上げたのは、頭を下げられた御幸ではなかった。

それは合同練習初日の夜、夕食後のこと。
青道高校野球部主将、御幸は、副主将の倉持、前園と食堂でごく簡単なミーティングをした。
そして後は自由時間というとき。
テコテコと御幸の方へ歩いてきたのは、三橋だった。

ん?どうした、三橋。
御幸は何やら紙の束みたいなものを脇に抱えている三橋に、声をかける。
すると前園が思わず眉を寄せ、倉持はニヤニヤと笑った。
御幸は青道の投手陣と接するときには、からかうような物言いであることが多い。
だが三橋に関しては、ついつい弟を甘やかすような口調になってしまう。
それが2人の副主将には、可笑しかったのだ。

忙しい、です、か!?
三橋は申し訳なさそうに、そう聞いてくる。
御幸は「いや、もう終わった。で、何?」と聞き返す。
すると三橋は小脇に抱えていた紙の束を差し出して「サイン下さい!」と叫んだのだ。

お願い、します!
三橋は元気よく頭を下げる。
それに対して「はぁぁ!?」と声を上げたのは、頭を下げられた御幸ではなかった。
どこから現れたのか、会話に割り込んできたのは沢村だ。
そして三橋に「ダメだ」と言い渡す。
その様子に倉持が「何でお前がことわるんだよ」と呆れた声を上げた。

サインって。しかも何枚あるんだよ!?
御幸は沢村のことを綺麗にスルーして、驚いている。
三橋が抱えていたのはサイン色紙で、10枚以上ありそうだったからだ。

*****

御幸先輩ってすっかり有名人だよね。
三橋と御幸、そして沢村たちのやり取りを見ていた春市は、驚きの声を上げる。
隣に座っていた降谷は、どうでもよさそうに頷いた。

甲子園出場によって、青道高校野球部は知名度を上げた。
そして選手たちの顔と名前も知られることとなり、声をかけられることも多くなった。
その中で爆発的に人気が上がったのが、御幸だった。
理由は単純明快、整ったルックスのせいだ。
御幸目当てに練習を見に来る者もいるくらいだ。
そのほとんどは若い女性で、キャーキャーと黄色い声を飛ばしている。

サイン、頼まれた、です。いろいろ、な、人に。
三橋はたどたどしくそう告げると、御幸の前にサイン色紙の束とマジックを置いた。
さすがの御幸もアイドルのような扱いに、首を傾げてしまう。
すると三橋は「お願い、します!」とまたしても頭を下げた。

頼まれたのは、主にクラスの女子なんだ。
説明よろしくそう言ったのは、春市の向かいに座っていた田島だ。
オレら練習が忙しくてクラスの行事とか手伝えないからなぁ。
さらに田島の隣に座る泉がそう補足する。

そう、これは間違いなくワイロだった。
青道のような野球名門校と違い、県立の西浦は野球部だからと言って何か優遇されるわけではない。
だから大会期間中などは、クラスメイトの善意でいろいろ融通してもらっている。
そのせめてもの恩返しに、甲子園で一躍人気者になった御幸のサインを持って行く。
何とも打算的な話なのだ。

でもコイツ、本当に人気あるのか?実はなかなか腹黒だけど。
納得いかない様子で三橋に念を押すのは、倉持だ。
すると三橋は「だいじょぶ、です」と答える。

テレビ、では、性格、わからない、から。
三橋がそう答えると、前園が飲みかけのスポーツドリンクを吹き出した。
確かにテレビで試合を見ているだけでは、性格の悪さなどわからない。
だが悪気などまったくなさそうな三橋の口からその言葉が出ると、なかなか破壊力がある。

まぁいいけどさ。
御幸が憮然とした表情で、黙々と色紙にサインを書いていく。
食堂に居合わせた面々は笑いを堪えきれず、大爆笑が巻き起こっていた。

*****

栄純、君、も、サイン、して。
三橋は沢村に、ノートとサインペンを差し出す。
予想外の事態に、沢村は「オレも!?」と裏返った声を上げた。

沢村は面白くなかった。
御幸がサインを求められる理由はよくわかる。
だけど理性で仕方ないと思っても、感情は納得しない。
それでいて何が気に入らないのか、自分でもよくわからないのだ。

サインを求められるというのは、特別な選手であるという証拠だ。
沢村にはそんな風に言う人間がいないから、差をつけられたようで嫌なのかもしれない。
こうして黙々とサインをする御幸が、何だか遠くに行ってしまったような気がする。
それが寂しいのかもしれない。
とにかく嫌だという感情に、沢村は明確な理由をつけられない。
それがまたモヤモヤとして、気分が晴れないのだ。

そんな沢村に三橋が「栄純、君」と声をかけて来た。
御幸が色紙にサインをしている間、三橋は沢村の方に向き直る。
そして持っていたノートを開いて「ウヒ」と、三橋特有の笑顔になった。

栄純、君、も、サイン、して。
三橋は沢村に、ノートとサインペンを差し出す。
予想外の事態に、沢村は「オレも!?」と裏返った声を上げた。
三橋はコクコクと何度も首を縦に振る。
すると倉持が「御幸は色紙なのに、沢村はノートなのか?」と聞いた。

これは、オレ、用、だから、です。
三橋がそう告げると、そこここから「ええ?」「そうなの?」と声が上がる。
だがそれに誰よりも驚いたのは、当の沢村だった。

オレでいいのかよ。
沢村の言葉に、三橋が「もち、ろん!」と元気よく答えた。
そして「スゴイ、投手、だから」ときっぱり断言する。
三橋が本心からそう思っているらしいその言葉に、沢村は「おお!」とテンション高く応じた。

御幸がサインを求められる理由とは、きっと全然違う。
おそらくは三橋はただ単に記念品的な意味合いで、沢村のサインを欲しがっているのだと思う。
つまり沢村の投手としての戦績より、友人であることが理由だ。
だけどそれでも別にかまわない。
これから実力をつけて、降谷からエースナンバーを奪う。
そうすれば御幸と同じように、サインを求められる機会はいくらでもあるはずだ。
それに初めてのサインが知らない誰か宛てではなく、三橋宛てなのは光栄なことだ。

三橋も後で、俺のノートにサインしてくれよ。
沢村がそう言いながら、ペンを取った。
サインじゃなくて、署名じゃねーの?
くっきりとした文字で「沢村栄純」と書かれたサインは、みんなからそうツッコまれることになる。
だがノートのそのページは、三橋の大事な宝物の1つになった。

【続く】
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