「おお振り」×「◆A」

【さらに後日談、その2!】

その日、青道高校野球部の寮は、いつになく静かだった。
理由は簡単、一番やかましい男が外出していたからだ。
その男は、プロ野球のオープン戦を見に行ってしまった。
前に練習試合をした埼玉の高校の選手に、チケットが余っていると誘われたそうだ。

何か寂しいと思うのは、癪だな。
御幸はふとそんなことを思って、苦笑した。
単純でバカ正直な沢村をからかうのが、実は楽しかったりもする。
だけどそれを本人や他の部員に言うほど、素直な性格ではない。
まぁ同学年の連中には、バレているだろうけど。

とにかく今は、この静かさを堪能しよう。
おそらく沢村はもうそろそろ帰って来るだろうから。
そんなことを思いながら、部屋で宿題をしていた御幸は聞き慣れない音に首を傾げた。
廊下から聞こえる「プルルルル」という電子音は、まぎれもなく電話の音だ。

あの電話、こんな音だったのか。
御幸は妙なことに感動していた。
寮の廊下には一応電話があるのだが、鳴ったのを聞いたことがないからだ。
おそらく携帯電話がない頃には、重要な連絡手段だっただろう。
だが今は事務的な用件でも、部員へのコンタクトでも、みんな携帯電話を持っている。
だから寮の電話はほとんど使われることもなく、置き物状態だ。

それにしても電話は鳴り止む気配がない。
いいかげんうるさいと顔をしかめた御幸は、廊下に出た。
すると何人かの部員が電話の前に群がって、だが誰も出ようとしない。
うるさいからと出て来たものの、どうしていいかわからないのだろう。

「はい、もしもし。青道高校野球部の寮です。」
御幸は受話器を掴むと、いつもと変わらない口調でそう言った。
倉持と前園がボソボソと「出ちゃったよ」なんて言っている。
だがこの場合、出ない方が問題だろう。

『すみません。秋に練習試合をした西浦高校の阿部です。』
電話の相手は、意外な人物だった。
御幸は「久し振りだな。御幸だ。」と答えた。
知っている相手なので、少しホッとしたが、すぐに嫌な予感がした。
西浦の阿部からの電話、しかも寮の電話になんて、普通じゃないからだ。

『あの、沢村、帰ってますか?』
電話口の阿部は、挨拶もなく、そう言った。
切り込むようなその口調に、焦りが伝わって来る。
御幸は「まだ帰ってねーよ。三橋たちと出かけたんだろ?」と聞き返した。
すると阿部からは落胆のようなため息が聞こえた。

「いったいどうしたんだよ?」
御幸はさらにそう聞いて、返ってきた答えに「はぁ!?」と声を上げてしまった。
阿部が、沢村と三橋が行方不明になっていると告げたからだ。

*****

「あの、沢村、帰ってますか?」
阿部は焦る気持ちを押さえながら、そう聞いた。
もしかしたら三橋と沢村が意気投合して、青道の寮にいてくれればと思ったのだ。
だけど御幸の答えはやはり「まだ帰っていない」だった。

実は阿部は、盛大に拗ねていた。
三橋たちがプロ野球のオープン戦を見に行くという話。
最初は9組の4人で行く予定だったそうだ。
だが浜田が行けなくなったのだと聞いた。
それならばその1枚、自分に回してくれればいいのにと思ったのだ。
何しろ三橋とはバッテリーを組んでいるのだから。
他の部員に比べたら、優先順位は高いと思う。
だがその余ったチケットは、なぜか青道高校の沢村に渡ってしまったのだ。

そして観戦の日、阿部は三橋に電話をかけた。
明日の練習の内容を確認しようと思ったのだ。
見に行った試合はとっくに終わったことを、ネットで確認している。
試合後に食事をしたとしても、もう帰っているだろう。

別に今、焦って確認するようなことでもない。
だけど何となく、三橋の声が聴きたくなったのだ。
それを素直に言えないから、明日の練習を口実にした。
ほんの2、3言、話をすれば、それでよかった。
阿部自身、この気持ちの正体に何となく気付いている。
だけどそれを具体的な言葉にする勇気は、今のところまだない。

阿部は携帯電話を操作して、三橋の番号をコールする。
だが帰ってきたのは、意外な声。
不機嫌そうな声で「阿部?」と応じたのは、泉だった。

『三橋と沢村、いなくなっちゃったんだ。』
泉はそう言った。
阿部は思わず「何だ、それ!?」と叫んでしまう。
すると電話の向こうから「声、デケー」とうんざりした声が返ってきた。

試合が終わった後、三橋と沢村は土産を買うと言って、グッズショップに行ったそうだ。
田島と泉はゲームをしようということになり、ここで一度別れた。
だが待ち合わせたゲームセンターの前に、2人はいつまでたっても現れないというのだ。
しかも連絡も取れない。
グッズショップが混んでいたので、三橋も沢村もカバンを泉たちに預けていた。
その中に携帯電話も入れていたというのだ。

取りあえず電話を切った阿部は、三橋の家に電話をしてみた。
すると三橋母がおっとりと「まだ帰ってないんだけど」と言った。
そして今度は沢村の方を確認しようと、青道の寮に電話をかけた。
幸いにも出てくれたのは御幸で、長い前置きはしないですんだ。
だがやはり沢村も戻っていないという。

「何か消え方が尋常じゃないんですよ」
阿部は泉から聞いた話を、御幸に説明する。
すると電話の向こうの御幸は「警察に届けた方がいいのかも」と言った。

*****

「警察に届けた方がいいのかもしれねーな」
阿部から事情を聞かされた御幸はそう言った。
電話の前に集まっていた部員たちは「警察」という単語に、目を剥いた。

ったく、あのバカ。
御幸は舌打ちしそうになるのを、慌てて堪えた。
知らせてくれた阿部に聞かせるものではない。
それにとにかく、冷静にならなければ。

『警察、届けちゃっていいんスか?』
電話の向こうの阿部は、心配そうに聞いてきた。
何のことかわからない御幸は「何で?」と聞き返す。
すると阿部は「そっちは今、大事な時期でしょう」と答えた。

大事な時期。確かにそうだ。
青道高校は、もうすぐ甲子園に行く。
問題を起こすことなど、絶対にあってはならないのだ。
だからこその阿部の問いだった。
もしかして沢村たちが消えた経緯によっては、不祥事になるかもしれない。
事情がわからないうちに、警察に届けていいのかと。

「別にかまわない。甲子園よりやつらの無事の方が大事だろ。」
御幸は即答した。
阿部の言いたいことはわかったし、心遣いには感謝する。
だけどそのために沢村たちになにかあっては、取り返しがつかない。

『わかりました。とりあえずうちの責任教師と三橋の親に話します。』
「わかった。その後、こっちにも連絡くれ。」
『了解です。いったん失礼します。』
「ああ、よろしく頼む。」

電話が切れたのを確認して、御幸は受話器を置いた。
部員たちが不安そうに「どうした?」と聞いてきた。
会話の様子から、かなりヤバい感じが伝わったのだろう。
だが御幸はそれらの声を無視して、走り出した。
取りあえず今は、片岡や太田、高島たちにわかっていることを伝えるべきだろう。

ったく、どうしてこんなに危なっかしいんだ。
御幸は走りながら、叫び出したいような気分になる。
だが同時に「手がかかる子ほどかわいい」という格言は本当なのだと思った。

【続く】
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