「おお振り」×「◆A」

【後日談、その3!】

「ち、ちわ、す!」
ほとんど叫ぶ勢いの吃音気味の挨拶をされて、クリスは足を止めた。
正面からこちらに向かって歩いてきたのは、見覚えのある2人組だ。
クリスは軽く手を上げると「久しぶりだな」と応じた。

秋季東京都大会、決勝戦の日。
滝川・クリス・優は、神宮第二球場に来ていた。
後輩たちが甲子園に行く、その姿を見届けるためだ。
そして試合直前、先に席を取っておいてくれる同学年の部員たちのところへ向かう途中の通路で。
クリスは向こうから歩いてくる2人組に気付いたのだった。

「久しぶりだな。っていうかよくオレのことを覚えていたな。」
クリスの言葉に、2人は身を乗り出すようにしている。
声が小さいので、必死に聞き取ろうとしてくれているのだろう。
同じ学校の面々はこの声に慣れているが、他校の生徒はいつもこんな反応だ。
気をつけなければと思うが、いきなり大きな声でしゃべるのもクリスにとってはむずかしい。

挨拶してきたのは、西浦高校のバッテリー。
投手の三橋と、捕手の阿部だ。
まだ残暑が残る秋の初めに、彼ら西浦高校は青道の合宿所に泊まり込みで合同練習をした。
だがクリスはそのときにはすでに引退していて、練習試合を少し覗いた程度なのだ。
彼らはこちらのことなど、覚えていないものだと思っていた。

「合同練習、で、会いました!」
「っていうか、元々知ってますよ。中学時代は都内ナンバー1と呼ばれた捕手なんですから」
三橋と阿部は一瞬だけ顔を見合わせると、クリスの方に向き直って、そう言った。
覚えてくれていたのは意外だったが、やはり忘れられているよりは嬉しいものだ。

「わざわざ埼玉から見に来たのか?遠かっただろ。」
「そこまで田舎じゃないっすよ。」
「練習はいいのか?」
「レベルの高い試合を観戦するのも、練習のうちですよ。」

クリスは慎重に言葉を選んだ。
何しろ西浦高校はもう秋の大会で、すでに敗退していたからだ。
対する青道高校はこれから決勝なわけで、何か言えば嫌味になるかもしれない。
だが答える阿部も、やり取りを聞いている三橋も、特に肩肘張っている感じはなかった。

「だーはっはっは!」
話題も尽きて、沈黙が微妙になりかけた瞬間、グラウンドから聞き慣れた声が響いた。
沢村が今日の先発である川上に何かを言った後、高笑いをしていたのだ。
阿部は「あいつ、相変わらず元気っすね」と苦笑した。

*****

「そういや、御幸先輩って肩とか故障してるんですか?」
ふと思いついたように、阿部がそう聞いてきた。
クリスは驚き「いや?そんなことはないはずだが」と答える。
すると阿部は隣の三橋に「ほら、やっぱり気のせいだ」と告げた。

「御幸先輩の投げ方が、夏のときとは違うように見えたんで。」
「え、そうなのか?」
「最初に気付いたのはコイツですけど。」
2人の捕手に顔を覗き込まれた三橋が「え、うぇ」と意味不明の声を上げた。
そして「違って、見えた、です」と小さく告げて、項垂れてしまった。

言われてみれば、思い当たることもある。
昨日の試合で、御幸は相手チームの選手とクロスプレイになった。
ほとんどアメフトかラグビーのタックルのような勢いで当たられたのだ。
もしかしたらクリスが知らないだけで、肩を痛めているのかもしれない。

「でもまぁ、スタメンなんだし」
やはり気のせいなのではないか。
阿部がそう言いかけた瞬間、沢村が御幸に向かって叫ぶ声が重なった。

「トイレぐらい1人で行けるわ!」
「いつまでも保護者づら、してんじゃねぇ!」
沢村はいつも通り、元気いっぱいだ。
対する御幸の声は聞こえないが、まるでニヤニヤと笑っている。
御幸は沢村にちょっかいを出している時、楽しくてたまらないという感じになる。
投手と捕手はよく夫婦に例えられるが、この2人は本当によくじゃれあっている。
降谷や川上では、こんな雰囲気にはならない。

そしてクリスと沢村も違う。
2人はそもそも指導する目的で組まされたので、スタートから普通ではないのだ。
チームメイトというよりは、師弟関係に仕上がってしまった。
クリスの性格もあるので、じゃれ合うようなことはしない。
それが時々寂しく感じたりもするのだが、こればかりはどうにもならない。

「まるで好きな子をイジメる小学生ですね。」
阿部が沢村にまた何か告げる御幸を見ながら、呆れたようにそう言った。
そして両チームの試合前のウォームアップも終わり、試合前の張りつめた空気に変わりつつある。

「それじゃ、オレら、席、あっちなんで」
阿部がそう告げ、三橋と2人で頭を下げた。
クリスは「またな」と手を振って、席に戻った。

クリスがこの2人の観察眼を見直したのは、試合の中盤。
御幸が連続で凡退し、らしくなく牽制球がそれてからだ。
これはやっぱりあのクロスプレーのせいかと思わざるを得なくなった。
西浦の2人は試合前の練習だけで、それを見破った。
おそらくあの夏の練習試合の前に散々青道を研究したからなのだろうが、それにしても大したものだ。

そして沢村の投球はまったく乱れない。
武器を増やして進化した沢村は、絶対に勝つという思いを込めて、御幸のミットに投げ続ける。
御幸もその沢村の力を最大限に発揮できるよう、渾身のリードをする。

やはり沢村と御幸、そして阿部と三橋は、特別な絆で結びついたバッテリーなのだと思う。
そして自分も早くそんな投手と巡り逢いたいものだ。
クリスはガラにもなくそんなことを思いながら、後輩たちの大一番に見入っていた。

【続く】
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