「おお振り」×「◆A」15年後
【反対です】
「ネットの力って怖いっすね」
阿部が深々とため息をつく。
御幸も「迷惑かけて悪いな」と力なく笑った。
先日、御幸にちょっとしたスキャンダルが巻き起こった。
某女性アーティストとの熱愛報道が出たのだ。
だけどまったくの事実無根。
相手側が話題作りのために、フェイクを仕掛けてきたのだ。
「これ、沢村が見たら信じるかな?」
この話を知った最初の御幸のセリフはそれだった。
阿部は思わず「はい?」と間抜けな声を上げてしまう。
怒るでも焦るでもない、御幸の心配はその一点だけだった。
「信じそうだよなぁ。あいつ単純だし、バカだし!」
「いやいや。。。」
一見冷静そうだけど、かなり焦ってる。
阿部は御幸の様子を見て、そう判断した。
その相手はたった1人。
沢村に誤解されてしまうことだけが、心配なのだ。
ちなみにその沢村は現在ハワイで三橋とバカンス中である。
「あいつ思い込んだら、斜め上に突っ走るかならぁ。」
「御幸先輩」
「逆上するか?それとも別れ話される?」
「先輩。大丈夫ですよ。」
阿部は御幸を宥めながら、内心驚いていた。
これがあの沈着冷静なスーパー捕手、御幸一也か?
落ち着きなくソワソワ、ウロウロ。
そして勝手に最悪を想像して、動揺している。
「大丈夫ですよ。あいつはそんなにバカじゃない。」
「そ、そうか?」
「それにいざって時はオレが証言しますよ。」
「お前が?」
「そうです。同じ家に住んで四六時中一緒にいるんですから」
「・・・そう、か」
阿部が淡々と事実を告げて、ようやく冷静さが戻ったらしい。
そう、考えればわかることなのだ。
トレーナーの阿部は御幸と同居し、遠征にもいつも同行している。
つまり阿部の目を盗んで、熱愛などできるはずがないことを。
冷静さを取り戻した御幸は、さっさと事務的なことをした。
球団に相談し、弁護士事務所に話を通してもらう。
表に出た画像や音声は粗悪なフェイクで、すぐに偽物と判定できた。
その結果を引っ提げて、訴訟だ。
沢村がニュースを知って帰ってくる頃には、もう終わっていた。
当の沢村は御幸のスキャンダルをまったく信じておらず、笑い話となったのだが。
問題はその後だった。
御幸のスキャンダルはデカデカとニュースになったが、訂正は小さなものだった。
つまり信じてしまっている者が少なからずいるのだ。
したり顔でニヤニヤと冷やかされたり、恋愛にうつつを抜かしている立場かと説教されたり。
なぜか関係ないはずの阿部が怒られることさえあった。
「ネットの力って怖いっすね」
阿部は心の底からそう思った。
ネットで「御幸一也」と検索をすれば、嘘の熱愛記事が多く引っかかる。
これではまだ信じている者も多いだろう。
「迷惑かけて悪いな」
力なく笑う御幸に、阿部は「俺は全然」と首を振った。
専属トレーナーたるもの、この程度のことは全然大丈夫だ。
むしろしっかり支えようと、阿部は決意も新たにしていたのだった。
*****
「沢村とのこと、公表しようかなって考えてるんだけど」
夕食の後、御幸は茶を啜りながら、切り出した。
阿部と三橋は顔を見合わせ、沢村は思いのほか冷静に「そうっすか」と頷いた。
バカンスから戻った三橋と沢村は、しばらく御幸邸にいた。
三橋の判断だ。
御幸の熱愛報道を目にした時、沢村はやはり少し動揺していた。
だから少し、御幸との時間を取った方がよいと思ったのだ。
三橋にこっそりとそう告げられた御幸は考え込んでいた。
沢村との関係は、このままで良いのだろうか?
今のところ、日本で同性婚はできない。
ならばあくまで恋人のままか。
結婚にこだわるなら、アメリカへの移住もありだろうか?
だけどその未来は想像できなかった。
多くの友人を持つ沢村は、日本を離れるという選択肢を好まないだろう。
ならせめて、この先ずっと一緒なのだという約束をしたかった。
だからこの関係を公表しようかと思い至ったのだ。
自分の隣には、沢村がいる。
否、沢村しか置くつもりはない。
それをはっきりと世間に示すのだ。
ちなみに今日は遠征の合間のオフ日だ。
キッチンからは、カレーの良い香りがする。
三橋が「作る!」と志願してくれたのだ。
日本の食材を置くスーパーでカレールーを見つけたらしい。
見たら食べたくなり、我慢できなくなったと笑っていた。
そして4人はテーブルについた。
鶏カレーは、三橋家の定番のメニューだそうだ。
具はゴロゴロと大きめで、食べ応えがある。
しっかりしたとろみがあるルーを、白飯にかける。
ちょっと豪華なおうちカレー。
日本人のソウルフードである。
「「「「うまそぉ!いただきます!」」」」
4人で西浦流の掛け声で、手を合わせる。
そしてスプーンを取って食べ始めれば、文句なく美味い。
阿部が作ったサラダも彩りが美しく、これまた美味かった。
しっかりとおかわりをして、たっぷり食べた。
食後のデザートは、手作りプリンだ。
これも三橋が作った。
従妹の直伝だという固いプリンは、クオリティが高い。
しっかり味わった後、御幸はおもむろに切り出したのだ。
「沢村とのこと、公表しようかなって考えてるんだけど」
御幸が切り出せば、食後のお茶を飲んでいた3人の手が止まる。
だがすぐに沢村は「そうっすか」と頷いた。
思いのほか冷静な様子に、御幸はホッと息をつく。
だが阿部と三橋は顔を見合わせ、黙り込んでいたのだが。
「「反対です」」
さすが元バッテリー、綺麗にかぶった。
それを聞いた沢村は顔を強張らせたが、御幸は冷静に「何で」と聞き返す。
御幸と沢村をずっと近くで見続けた2人の意見を知りたかった。
*****
「「反対です」」
まるで練習したかのように、阿部と三橋の声が綺麗に重なった。
御幸に「何で」と問われ、阿部がまず口を開いた。
「沢村とのこと、公表しようかなって考えてるんだけど」
夕食の後、食後のお茶の時間に、御幸はそう切り出した。
阿部と三橋は顔を見合わせ、お互い反対の気持ちなのだとわかった。
「公表したら、大変なのは沢村ですよ。」
「別に俺は覚悟の上だけど」
まず喋り始めた阿部に、すかさず沢村が反応する。
だけど阿部は「お前だけじゃないよ」と言った。
「今でさえ『御幸先輩の恋人は誰だ』って大変だろ?」
阿部は冷静に今の現状を伝える。
あの熱愛騒動で、御幸はコメントを出した。
曰く「好きな人がいるから誤解されたくない」と。
だから今、御幸邸の周辺にはパパラッチ的な記者がいる。
「お前だってわかったら最後、徹底的に追い回されるぞ」
「だから俺は大丈夫だって」
「多分、お前の家族や青道の先輩や同級生んとこにも押しかけられるぞ?」
「それは」
阿部の指摘に、沢村の語気が弱まった。
家族や友人たちにコメントを求めにおしかける記者を想像できたからだ。
御幸も小さく息を飲んでいる。
自分たち以外への圧力に、今気づいたようだ。
「少なくても御幸先輩が選手のうちはやめた方がいいと思う。」
阿部は控えめに、だけどしっかりと断言した。
御幸が沢村の立場を明確にさせたい気持ちは理解できる。
今回のように、知らないヤツに熱愛を宣言させるなんて冗談じゃないと。
だけどそれをするなら今じゃない。
御幸が引退したら、今ほど注目度は高くなくなる。
無駄に周囲を傷つけるようなこともないだろう。
「タイミングじゃない。言わない方が良い。」
今度は黙って聞いていた三橋が割って入った。
話下手の三橋が、前のめりに話すなんて普段はないことだ。
だからこそ説得力があった。
「打ち明けたときの、あの表情、忘れられない。」
「表情?」
「どうして男の人なの?って。お父さんも、お母さんも、じいちゃんも」
三橋の暗い表情に、御幸も沢村も押し黙った。
4人でいると忘れそうになるけど、同性カップルへの風当たりは強い。
いくらジェンダーフリーなどと言っても、簡単ではないのだ。
三橋はかつて実家の家督問題で、親族にカミングアウトしている。
そのときの反応は、やはり芳しいものではなかったのだろう。
「ありがとな。親身になってくれて」
御幸は笑顔でそう言って、茶を飲み干した。
阿部も三橋も真剣に考え、しっかり本音で答えてくれた。
敢えて言いにくいことを言ってくれたのだ。
否定的な意見であっても、感謝しかない。
「沢村。2人でもう1度よく考えよう。」
阿部は沢村を見て、頷いた。
沢村も「うっす」と体育会系の答えを返す。
お互いに大切に思っているからこそ迷う。
そんなことを痛感した夜だった。
【続く】
「ネットの力って怖いっすね」
阿部が深々とため息をつく。
御幸も「迷惑かけて悪いな」と力なく笑った。
先日、御幸にちょっとしたスキャンダルが巻き起こった。
某女性アーティストとの熱愛報道が出たのだ。
だけどまったくの事実無根。
相手側が話題作りのために、フェイクを仕掛けてきたのだ。
「これ、沢村が見たら信じるかな?」
この話を知った最初の御幸のセリフはそれだった。
阿部は思わず「はい?」と間抜けな声を上げてしまう。
怒るでも焦るでもない、御幸の心配はその一点だけだった。
「信じそうだよなぁ。あいつ単純だし、バカだし!」
「いやいや。。。」
一見冷静そうだけど、かなり焦ってる。
阿部は御幸の様子を見て、そう判断した。
その相手はたった1人。
沢村に誤解されてしまうことだけが、心配なのだ。
ちなみにその沢村は現在ハワイで三橋とバカンス中である。
「あいつ思い込んだら、斜め上に突っ走るかならぁ。」
「御幸先輩」
「逆上するか?それとも別れ話される?」
「先輩。大丈夫ですよ。」
阿部は御幸を宥めながら、内心驚いていた。
これがあの沈着冷静なスーパー捕手、御幸一也か?
落ち着きなくソワソワ、ウロウロ。
そして勝手に最悪を想像して、動揺している。
「大丈夫ですよ。あいつはそんなにバカじゃない。」
「そ、そうか?」
「それにいざって時はオレが証言しますよ。」
「お前が?」
「そうです。同じ家に住んで四六時中一緒にいるんですから」
「・・・そう、か」
阿部が淡々と事実を告げて、ようやく冷静さが戻ったらしい。
そう、考えればわかることなのだ。
トレーナーの阿部は御幸と同居し、遠征にもいつも同行している。
つまり阿部の目を盗んで、熱愛などできるはずがないことを。
冷静さを取り戻した御幸は、さっさと事務的なことをした。
球団に相談し、弁護士事務所に話を通してもらう。
表に出た画像や音声は粗悪なフェイクで、すぐに偽物と判定できた。
その結果を引っ提げて、訴訟だ。
沢村がニュースを知って帰ってくる頃には、もう終わっていた。
当の沢村は御幸のスキャンダルをまったく信じておらず、笑い話となったのだが。
問題はその後だった。
御幸のスキャンダルはデカデカとニュースになったが、訂正は小さなものだった。
つまり信じてしまっている者が少なからずいるのだ。
したり顔でニヤニヤと冷やかされたり、恋愛にうつつを抜かしている立場かと説教されたり。
なぜか関係ないはずの阿部が怒られることさえあった。
「ネットの力って怖いっすね」
阿部は心の底からそう思った。
ネットで「御幸一也」と検索をすれば、嘘の熱愛記事が多く引っかかる。
これではまだ信じている者も多いだろう。
「迷惑かけて悪いな」
力なく笑う御幸に、阿部は「俺は全然」と首を振った。
専属トレーナーたるもの、この程度のことは全然大丈夫だ。
むしろしっかり支えようと、阿部は決意も新たにしていたのだった。
*****
「沢村とのこと、公表しようかなって考えてるんだけど」
夕食の後、御幸は茶を啜りながら、切り出した。
阿部と三橋は顔を見合わせ、沢村は思いのほか冷静に「そうっすか」と頷いた。
バカンスから戻った三橋と沢村は、しばらく御幸邸にいた。
三橋の判断だ。
御幸の熱愛報道を目にした時、沢村はやはり少し動揺していた。
だから少し、御幸との時間を取った方がよいと思ったのだ。
三橋にこっそりとそう告げられた御幸は考え込んでいた。
沢村との関係は、このままで良いのだろうか?
今のところ、日本で同性婚はできない。
ならばあくまで恋人のままか。
結婚にこだわるなら、アメリカへの移住もありだろうか?
だけどその未来は想像できなかった。
多くの友人を持つ沢村は、日本を離れるという選択肢を好まないだろう。
ならせめて、この先ずっと一緒なのだという約束をしたかった。
だからこの関係を公表しようかと思い至ったのだ。
自分の隣には、沢村がいる。
否、沢村しか置くつもりはない。
それをはっきりと世間に示すのだ。
ちなみに今日は遠征の合間のオフ日だ。
キッチンからは、カレーの良い香りがする。
三橋が「作る!」と志願してくれたのだ。
日本の食材を置くスーパーでカレールーを見つけたらしい。
見たら食べたくなり、我慢できなくなったと笑っていた。
そして4人はテーブルについた。
鶏カレーは、三橋家の定番のメニューだそうだ。
具はゴロゴロと大きめで、食べ応えがある。
しっかりしたとろみがあるルーを、白飯にかける。
ちょっと豪華なおうちカレー。
日本人のソウルフードである。
「「「「うまそぉ!いただきます!」」」」
4人で西浦流の掛け声で、手を合わせる。
そしてスプーンを取って食べ始めれば、文句なく美味い。
阿部が作ったサラダも彩りが美しく、これまた美味かった。
しっかりとおかわりをして、たっぷり食べた。
食後のデザートは、手作りプリンだ。
これも三橋が作った。
従妹の直伝だという固いプリンは、クオリティが高い。
しっかり味わった後、御幸はおもむろに切り出したのだ。
「沢村とのこと、公表しようかなって考えてるんだけど」
御幸が切り出せば、食後のお茶を飲んでいた3人の手が止まる。
だがすぐに沢村は「そうっすか」と頷いた。
思いのほか冷静な様子に、御幸はホッと息をつく。
だが阿部と三橋は顔を見合わせ、黙り込んでいたのだが。
「「反対です」」
さすが元バッテリー、綺麗にかぶった。
それを聞いた沢村は顔を強張らせたが、御幸は冷静に「何で」と聞き返す。
御幸と沢村をずっと近くで見続けた2人の意見を知りたかった。
*****
「「反対です」」
まるで練習したかのように、阿部と三橋の声が綺麗に重なった。
御幸に「何で」と問われ、阿部がまず口を開いた。
「沢村とのこと、公表しようかなって考えてるんだけど」
夕食の後、食後のお茶の時間に、御幸はそう切り出した。
阿部と三橋は顔を見合わせ、お互い反対の気持ちなのだとわかった。
「公表したら、大変なのは沢村ですよ。」
「別に俺は覚悟の上だけど」
まず喋り始めた阿部に、すかさず沢村が反応する。
だけど阿部は「お前だけじゃないよ」と言った。
「今でさえ『御幸先輩の恋人は誰だ』って大変だろ?」
阿部は冷静に今の現状を伝える。
あの熱愛騒動で、御幸はコメントを出した。
曰く「好きな人がいるから誤解されたくない」と。
だから今、御幸邸の周辺にはパパラッチ的な記者がいる。
「お前だってわかったら最後、徹底的に追い回されるぞ」
「だから俺は大丈夫だって」
「多分、お前の家族や青道の先輩や同級生んとこにも押しかけられるぞ?」
「それは」
阿部の指摘に、沢村の語気が弱まった。
家族や友人たちにコメントを求めにおしかける記者を想像できたからだ。
御幸も小さく息を飲んでいる。
自分たち以外への圧力に、今気づいたようだ。
「少なくても御幸先輩が選手のうちはやめた方がいいと思う。」
阿部は控えめに、だけどしっかりと断言した。
御幸が沢村の立場を明確にさせたい気持ちは理解できる。
今回のように、知らないヤツに熱愛を宣言させるなんて冗談じゃないと。
だけどそれをするなら今じゃない。
御幸が引退したら、今ほど注目度は高くなくなる。
無駄に周囲を傷つけるようなこともないだろう。
「タイミングじゃない。言わない方が良い。」
今度は黙って聞いていた三橋が割って入った。
話下手の三橋が、前のめりに話すなんて普段はないことだ。
だからこそ説得力があった。
「打ち明けたときの、あの表情、忘れられない。」
「表情?」
「どうして男の人なの?って。お父さんも、お母さんも、じいちゃんも」
三橋の暗い表情に、御幸も沢村も押し黙った。
4人でいると忘れそうになるけど、同性カップルへの風当たりは強い。
いくらジェンダーフリーなどと言っても、簡単ではないのだ。
三橋はかつて実家の家督問題で、親族にカミングアウトしている。
そのときの反応は、やはり芳しいものではなかったのだろう。
「ありがとな。親身になってくれて」
御幸は笑顔でそう言って、茶を飲み干した。
阿部も三橋も真剣に考え、しっかり本音で答えてくれた。
敢えて言いにくいことを言ってくれたのだ。
否定的な意見であっても、感謝しかない。
「沢村。2人でもう1度よく考えよう。」
阿部は沢村を見て、頷いた。
沢村も「うっす」と体育会系の答えを返す。
お互いに大切に思っているからこそ迷う。
そんなことを痛感した夜だった。
【続く】