「おお振り」×「◆A」10年後
【筋金入りの御幸ファン】
「マジ、カッコいいっす!」
予想外の訪問者はひどく感激している様子だ。
三橋は自分のことではないのに「でしょ?」とドヤ顔になった。
それは試合のない日の午後のこと。
三橋はマンションの自分の部屋でくつろいでいた。
甘いカフェラテとお気に入りのコンビニスイーツ。
休日のささやかな贅沢だ。
父方の実家は学校経営、自分もそこそこの年俸をもらっている。
そんな三橋でもやはり「プレミアム」と銘打たれたコンビニスイーツは敷居が高い。
だから試合の合間の休みの日だけ、自分に許している。
その三橋の正面に陣取り、野球雑誌を読んでいるのは御幸だった。
その前にはこれまた少々良い豆で淹れたコーヒーだ。
のんびりした空気の中、この部屋にいるのは2人だけだった。
沢村は倉持の部屋でゲームをしている。
そして阿部は買い物があるからと出かけてしまっていた。
三橋も一緒に行こうと思ったが「身体を休めておけよ」と言われ、留守番だ。
「平和だよな」
御幸が雑誌のページをめくる手を止め、ズズッとコーヒーを啜る。
三橋は何度もコクコクと頷いた。
賑やかな沢村や声の大きい阿部のいない、静かな午後。
普段の騒がしい感じも嫌いではないが、こんな日も悪くない。
そんなことを考えていると、ドアフォンが鳴った。
部屋の外ではなく、1階エントランスのオートロックからのコールだ。
三橋は立ち上がると、モニターを見て「わわ!」と声を上げた。
「どうした?誰が来たんだ?」
「シュ、シュン君」
「シュン君?」
「阿部君、の、弟、です。」
三橋はインターフォンに「どうぞ」と声をかけると、ロックを解除した。
すると「ありがとうございます」と阿部によく似た声が答える。
程なくして、今度は部屋のドアチャイムが鳴った。
ドアを開ければもちろん、阿部の弟の旬が立っていた。
「い、いらっしゃい。」
「すみません。兄貴のところに来たんすけど、いなくて」
「買い物、だから、すぐ、戻るよ。」
「ここで待ってていいっすか?」
「も、もちろん」
旬が部屋に入って来たのを見て、御幸が「オレ、外そうか」と立ち上がる。
だが三橋が何か言う前に、旬が「うっそぉぉ!」と声を上げた。
そして持ってたカバンを放り出すと、御幸に駆け寄る。
「み、御幸選手!マジ、カッコいいっす!」
「どうもありがとう。」
「サインお願いします!あと写真も!」
御幸を見た旬は、まるで少年の戻ったようなハイテンションだ。
対する御幸は慣れたもので「三橋、何かサインする紙とかある?」と聞いてくる。
三橋は「あり、ます」と答えながら、意味なくドヤ顔になった。
何だかんだで旬も野球少年、しかも捕手。
御幸はきっと憧れのスターなのだろう。
三橋にとっても自慢の大事な先輩だ。
「何で御幸選手が三橋さんの部屋に!?」
「オレもこのマンションの住人だから」
「マジで~?兄貴全然教えてくれないし!」
旬が完全にテンションが上がり、御幸の前で頬を赤く染めている。
三橋はそれを横目に見ながら、コーヒーを淹れ始めた。
御幸のお代わりも含めて、多めに豆をセットする。
そしてドリップがし終わった頃、またしてもドアチャイムが鳴った。
「頼まれたアイス、買ってきたぞ。」
三橋の返事を待たずに、阿部が部屋に入って来る。
だがその途端、旬がいることに気付いて「ハァァ!?」と声を上げた。
「お前、ここで何してんだ?」
「兄ちゃん!何で御幸選手が同じマンションだって言わないの!?」
久しぶりに顔を合わせたであろう兄弟の、まるでコントのような再会。
三橋も御幸もその様子を見ながら、思わず笑い出したのだった。
*****
「兄貴、見合いをすっぽかしたって?」
旬が揶揄うようにそう言いながら、コーヒーを啜る。
阿部は顔をしかめながら「それ、三橋には内緒な」と釘を刺した。
弟の来訪は阿部にとって完全に予想外だった。
間が悪く阿部の留守中で、何と三橋の部屋に上がり込んでいたのだ。
しかも居合わせた御幸にサインと写真をせがんだらしい。
「兄ちゃん!何で御幸選手が同じマンションだって言わないの!?」
旬には文句を言われたが、言えるわけがない。
なぜなら弟は筋金入りの御幸ファンなのだ。
ここにいると知れば、頻繁に会いに来るに決まっている。
阿部としては、御幸の手を煩わせたくなかったのだ。
まぁ今知られてしまったけれど、問題ないだろう。
来年、御幸はこのマンションを出て渡米するのだから。
阿部と旬は阿部の部屋に移動していた。
テーブルには三橋が淹れたコーヒーと、御幸が提供してくれたクッキー。
こうして久しぶりに兄弟が向かい合い、お茶会となった。
「で、何の用なんだ?」
「母さんが心配してる。だから様子を見に来たんだ。」
旬はそう言って、クッキーを齧った。
そしてゆっくりとコーヒーを飲む。
阿部はそんな旬を見て、ため息をついた。
実家は継がない。
もう少し三橋のトレーナーを続けたい。
そしてその後も好きなように生きたい。
先日実家に戻った阿部は両親にそう伝えた。
両親、特に母はショックを受けたようだった。
将来は阿部が結婚し、夫婦で家業を継いでほしいと思っていたようだ。
だから阿部の決意表明は、受け入れ難いものだっただろう。
「兄貴、見合いをすっぽかしたって?」
「それ、三橋には内緒な」
さらに話し続ける旬に、阿部は釘を刺した。
母は未だに阿部のことを諦めてくれないようで、お見合いをセッティングしたのだ。
阿部はきっぱりとことわった。
未練がましく時間と場所を教えられたけれど、行かなかった。
「兄ちゃんにお見合いなんて、無駄だよね。」
旬はニヤニヤと笑いながら、茶化してきた。
阿部は「まぁな」と苦笑する。
旬はある時期から阿部を「兄貴」と呼ぶようになった。
だけど小さい頃は「兄ちゃん」で、阿部を揶揄う時にもそうなる。
「三橋さんが大好きなのは、見え見えなのに。」
「父さんや母さんにもそれとなく言ったんだけどな。」
「やっぱり認められないんじゃない?男同士ってのは」
「もし家を継ぐなら、絶対にダメだな。」
阿部はため息をつくと、冷めかかったコーヒーをごくりと飲んだ。
最近三橋がお気に入りのこの豆は冷めても美味い。
その風味を楽しみながら、阿部はどうしたものかと思った。
家業を継ぐなら、三橋との恋愛は絶対にNGだ。
顧客の中には同性愛者なんて認めない者もいるだろうから。
「でさ、兄貴。俺が家を継いでも問題ないか?」
旬は唐突に思いもよらないことを言った。
阿部は思わず「は?」と首を傾げる。
確かにありがたい、阿部家の問題が片付く素晴らしい提案だが。
「お前、それ本気?」
「もちろん」
「もしかして俺の為に言ってる?」
「まさか。実は興味があったんだ。でも兄貴が継ぐなら仕方ないって思ってた。」
ニンマリと笑う弟を見て、阿部は「マジか」と脱力した。
家に縛られていると思っていたけれど、まさかこんな風に話が進むとは。
しかもそれが旬の希望であるなら、理想的な解決だ。
「俺が家を継ぐ。兄貴と三橋さんのことも応援する。だから」
「だから?」
「御幸選手と酒飲みたい。セッティングよろしく!」
両手を合わせて拝む弟に、阿部は「お前なぁ」と苦笑する。
だけどお安い御用だ。
そんなことで済むなら、いくらでもする。
「それから父さんと母さんには、兄ちゃんが元気だったって伝えておくよ。」
「悪い。頼む。」
阿部はすっかり頼もしくなった弟を見ながら、頷いた。
ついこの間までは子供だった気がするのに、妙に逞しい。
だけどそれがちょっと寂しいと思うのは、誰にも秘密だ。
【続く】
「マジ、カッコいいっす!」
予想外の訪問者はひどく感激している様子だ。
三橋は自分のことではないのに「でしょ?」とドヤ顔になった。
それは試合のない日の午後のこと。
三橋はマンションの自分の部屋でくつろいでいた。
甘いカフェラテとお気に入りのコンビニスイーツ。
休日のささやかな贅沢だ。
父方の実家は学校経営、自分もそこそこの年俸をもらっている。
そんな三橋でもやはり「プレミアム」と銘打たれたコンビニスイーツは敷居が高い。
だから試合の合間の休みの日だけ、自分に許している。
その三橋の正面に陣取り、野球雑誌を読んでいるのは御幸だった。
その前にはこれまた少々良い豆で淹れたコーヒーだ。
のんびりした空気の中、この部屋にいるのは2人だけだった。
沢村は倉持の部屋でゲームをしている。
そして阿部は買い物があるからと出かけてしまっていた。
三橋も一緒に行こうと思ったが「身体を休めておけよ」と言われ、留守番だ。
「平和だよな」
御幸が雑誌のページをめくる手を止め、ズズッとコーヒーを啜る。
三橋は何度もコクコクと頷いた。
賑やかな沢村や声の大きい阿部のいない、静かな午後。
普段の騒がしい感じも嫌いではないが、こんな日も悪くない。
そんなことを考えていると、ドアフォンが鳴った。
部屋の外ではなく、1階エントランスのオートロックからのコールだ。
三橋は立ち上がると、モニターを見て「わわ!」と声を上げた。
「どうした?誰が来たんだ?」
「シュ、シュン君」
「シュン君?」
「阿部君、の、弟、です。」
三橋はインターフォンに「どうぞ」と声をかけると、ロックを解除した。
すると「ありがとうございます」と阿部によく似た声が答える。
程なくして、今度は部屋のドアチャイムが鳴った。
ドアを開ければもちろん、阿部の弟の旬が立っていた。
「い、いらっしゃい。」
「すみません。兄貴のところに来たんすけど、いなくて」
「買い物、だから、すぐ、戻るよ。」
「ここで待ってていいっすか?」
「も、もちろん」
旬が部屋に入って来たのを見て、御幸が「オレ、外そうか」と立ち上がる。
だが三橋が何か言う前に、旬が「うっそぉぉ!」と声を上げた。
そして持ってたカバンを放り出すと、御幸に駆け寄る。
「み、御幸選手!マジ、カッコいいっす!」
「どうもありがとう。」
「サインお願いします!あと写真も!」
御幸を見た旬は、まるで少年の戻ったようなハイテンションだ。
対する御幸は慣れたもので「三橋、何かサインする紙とかある?」と聞いてくる。
三橋は「あり、ます」と答えながら、意味なくドヤ顔になった。
何だかんだで旬も野球少年、しかも捕手。
御幸はきっと憧れのスターなのだろう。
三橋にとっても自慢の大事な先輩だ。
「何で御幸選手が三橋さんの部屋に!?」
「オレもこのマンションの住人だから」
「マジで~?兄貴全然教えてくれないし!」
旬が完全にテンションが上がり、御幸の前で頬を赤く染めている。
三橋はそれを横目に見ながら、コーヒーを淹れ始めた。
御幸のお代わりも含めて、多めに豆をセットする。
そしてドリップがし終わった頃、またしてもドアチャイムが鳴った。
「頼まれたアイス、買ってきたぞ。」
三橋の返事を待たずに、阿部が部屋に入って来る。
だがその途端、旬がいることに気付いて「ハァァ!?」と声を上げた。
「お前、ここで何してんだ?」
「兄ちゃん!何で御幸選手が同じマンションだって言わないの!?」
久しぶりに顔を合わせたであろう兄弟の、まるでコントのような再会。
三橋も御幸もその様子を見ながら、思わず笑い出したのだった。
*****
「兄貴、見合いをすっぽかしたって?」
旬が揶揄うようにそう言いながら、コーヒーを啜る。
阿部は顔をしかめながら「それ、三橋には内緒な」と釘を刺した。
弟の来訪は阿部にとって完全に予想外だった。
間が悪く阿部の留守中で、何と三橋の部屋に上がり込んでいたのだ。
しかも居合わせた御幸にサインと写真をせがんだらしい。
「兄ちゃん!何で御幸選手が同じマンションだって言わないの!?」
旬には文句を言われたが、言えるわけがない。
なぜなら弟は筋金入りの御幸ファンなのだ。
ここにいると知れば、頻繁に会いに来るに決まっている。
阿部としては、御幸の手を煩わせたくなかったのだ。
まぁ今知られてしまったけれど、問題ないだろう。
来年、御幸はこのマンションを出て渡米するのだから。
阿部と旬は阿部の部屋に移動していた。
テーブルには三橋が淹れたコーヒーと、御幸が提供してくれたクッキー。
こうして久しぶりに兄弟が向かい合い、お茶会となった。
「で、何の用なんだ?」
「母さんが心配してる。だから様子を見に来たんだ。」
旬はそう言って、クッキーを齧った。
そしてゆっくりとコーヒーを飲む。
阿部はそんな旬を見て、ため息をついた。
実家は継がない。
もう少し三橋のトレーナーを続けたい。
そしてその後も好きなように生きたい。
先日実家に戻った阿部は両親にそう伝えた。
両親、特に母はショックを受けたようだった。
将来は阿部が結婚し、夫婦で家業を継いでほしいと思っていたようだ。
だから阿部の決意表明は、受け入れ難いものだっただろう。
「兄貴、見合いをすっぽかしたって?」
「それ、三橋には内緒な」
さらに話し続ける旬に、阿部は釘を刺した。
母は未だに阿部のことを諦めてくれないようで、お見合いをセッティングしたのだ。
阿部はきっぱりとことわった。
未練がましく時間と場所を教えられたけれど、行かなかった。
「兄ちゃんにお見合いなんて、無駄だよね。」
旬はニヤニヤと笑いながら、茶化してきた。
阿部は「まぁな」と苦笑する。
旬はある時期から阿部を「兄貴」と呼ぶようになった。
だけど小さい頃は「兄ちゃん」で、阿部を揶揄う時にもそうなる。
「三橋さんが大好きなのは、見え見えなのに。」
「父さんや母さんにもそれとなく言ったんだけどな。」
「やっぱり認められないんじゃない?男同士ってのは」
「もし家を継ぐなら、絶対にダメだな。」
阿部はため息をつくと、冷めかかったコーヒーをごくりと飲んだ。
最近三橋がお気に入りのこの豆は冷めても美味い。
その風味を楽しみながら、阿部はどうしたものかと思った。
家業を継ぐなら、三橋との恋愛は絶対にNGだ。
顧客の中には同性愛者なんて認めない者もいるだろうから。
「でさ、兄貴。俺が家を継いでも問題ないか?」
旬は唐突に思いもよらないことを言った。
阿部は思わず「は?」と首を傾げる。
確かにありがたい、阿部家の問題が片付く素晴らしい提案だが。
「お前、それ本気?」
「もちろん」
「もしかして俺の為に言ってる?」
「まさか。実は興味があったんだ。でも兄貴が継ぐなら仕方ないって思ってた。」
ニンマリと笑う弟を見て、阿部は「マジか」と脱力した。
家に縛られていると思っていたけれど、まさかこんな風に話が進むとは。
しかもそれが旬の希望であるなら、理想的な解決だ。
「俺が家を継ぐ。兄貴と三橋さんのことも応援する。だから」
「だから?」
「御幸選手と酒飲みたい。セッティングよろしく!」
両手を合わせて拝む弟に、阿部は「お前なぁ」と苦笑する。
だけどお安い御用だ。
そんなことで済むなら、いくらでもする。
「それから父さんと母さんには、兄ちゃんが元気だったって伝えておくよ。」
「悪い。頼む。」
阿部はすっかり頼もしくなった弟を見ながら、頷いた。
ついこの間までは子供だった気がするのに、妙に逞しい。
だけどそれがちょっと寂しいと思うのは、誰にも秘密だ。
【続く】