「おお振り」×「◆A」10年後

【正式契約】

「よぉ。元気だったか?」
久しぶりに会う御幸が、気さくに声をかけてくれる。
だが沢村は妙に照れてしまい「ああ、まぁ」と曖昧に答えた。

話がある。
今夜、帰って来られないか?

御幸からそんなメールを受け取ったのは、今朝のことだった。
それを読んだ沢村はドキリとした。
改まっていったい何だ?まさか別れ話とか!
だが何のひねりもない文章からは、何も読み取れない。

わかった。
沢村はかろうじてそれだけ返信した。
そしてその日は1日、悶々として過ごした。
幸運なことに、この日は登板もなかった。
プロとして、どんなに動揺していても自分のピッチングをする自信はある。
だけどやはり不安がない状態で投げるに越したことはない。

苦行のような1日を過ごした後、沢村はマンションに戻った。
二軍戦は早い時間に行われたので、時刻はまだ夕方だ。
御幸たちの試合は夜。
つまりここからまた待たなければならない。

沢村はテレビのCS放送で、御幸たちの試合を見た。
画面越しに見る御幸は、やはりカッコいい。
そして最終回のマウンドは、今や定番の守護神三橋だ。
沢村はきっちりと3人で抑えた三橋を見ながら、ため息をついた。
御幸と同じチームでバッテリーを組めるなんて、やっぱり羨ましい。

御幸たちが帰って来たのは、深夜だった。
部屋のドアチャイムが鳴り、沢村はビクリとした。
やっぱり怖い。
もう別れようとか言われたら、どうしたらいい?
正直逃げ出したいけれど、もう無理だ。
沢村は重い足取りで、ドアを開けたのだが。

「よぉ。元気だったか?」
「ああ、まぁ」
「実はオレ、正式にメジャー球団と契約したんだ。」

久しぶりに会う御幸はマイペースだった。
まったく変わらない口調で、なかなかのビックニュースを披露した。
続けて口にしたのは、アメリカ西海岸に本拠地を置くメジャー球団だった。

「まだ人には言うなよ?マスコミ発表はもう少し先だから。」
「・・・ああ」
「で、今日は阿部と三橋がお祝いしてくれるって。だからお前もって、え!?」

楽し気に喋り続ける御幸が突然驚き、沢村を見た。
別れ話を予想していた沢村は、実はかなり緊張していた。
だが全く違う話を明るく言われてしまい、その意図が切れた。
その反動で、その場にぺたんと座り込んでしまったのである。

「どうした?具合が悪いのか!?」
御幸が膝をつき、心配そうに沢村の顔を覗き込んでくる。
まるでキスでもしそうなほどの近さだ。
沢村は思わず「大丈夫」と答えたが、その声が裏返ってしまった。

「大丈夫ならオレの部屋で。腹は減ってるか?」
「かなり!」
「じゃあ来いよ。」
「喜んで!」

ようやく気を取り直した沢村は元気よく立ち上がった。
御幸のメジャー行きはついに確定した。
それは嬉しいけれど、やはり寂しい。
それでもとめるという選択肢は、沢村にはなかった。
アメリカで活躍する御幸も、きっとカッコいいに違いない。

「御幸先輩!おめでとうございやす!」
沢村は先に歩き出した御幸の背中に、そう叫んだ。
一瞬驚いたように立ち止まった御幸が振り返って「ありがとな」と笑う。
いつかこの背中に追いつく。
沢村はそう心に誓いながら、御幸の部屋に向かった。

*****

「ムッフ、フ~ン♪」
三橋がお馴染みの鼻唄と共に、大皿を運んできた。
それを見た御幸は「デケェ!」と声を上げていた。

ついに御幸の来年度の移籍先が決まった。
正式に書類にサインをし、後は公式発表を待つだけだ。
それまでは極秘。
とはいえ、周辺にはバレている。
代理人や移籍先の担当者が、何度も球団事務所に来たりしているのだから。
実際スポーツ紙などには、いろいろ書かれている。
いくつかのガセ情報の中に、本当の話も混ざっていた。

同じ球団の三橋と阿部も知っている。
だけど沢村は知らない。
御幸はこの状況に心苦しさを感じていた。
もしも自分が沢村だったら、こんな蚊帳の外は嫌だろう。

だから沢村には知らせておくことにしたのだ。
正式な契約を交わしたので、阿部と御幸がお祝いをしようと言ってくれている。
それならちょうど良い。沢村も呼んでしまえ。
というわけで、メールを出したのだった。

そして試合が終わった深夜、御幸は沢村の部屋に向かった。
前置きはせず「実はオレ、正式にメジャー球団と契約したんだ」と告げる。
すると沢村はなぜかその場にぺたんと座り込んでしまった。
もしかして具合が悪いのかと心配したが、そうではないらしい。
すぐに笑顔で「おめでとうございやす!」と言ってはくれたが。
もしかして御幸のメジャー行きを機に、別れでも考えているのか。

不安になりながらも、沢村を連れて自分の部屋に戻った。
すると阿部と三橋が次々と自作の料理を運び込んできた。
お祝いというからレストランでも行くものかと思っていたが、まさかの自宅開催。
だけど御幸に不満はないし、むしろ気が楽だ。
それに阿部も三橋も、結構料理は上手いのである。

「ムッフ、フ~ン♪」
三橋がお馴染みの鼻唄と共に、大皿を運んできた。
御幸は思わず「デケェ」と声を上げる。
皿も規格外のサイズなのだが、その上に盛られているのは唐揚げだ。
1個1個が大きく、しかもそれがてんこ盛り。
もう「デカい」以外のツッコミワードなど思いつけないほどだ。

「お待たせしました。」
続いて阿部が大きなトレイを持って来た。
そこに乗せられているのは、サラダや前菜など綺麗に作られた野菜料理の数々だった。

「唐揚げの鶏は三橋のジィちゃんが送ってくれた群馬地鶏っすよ。」
「野菜は、田島君、の、実家、から!」

阿部と三橋はそんな解説をしながら、料理をテーブルに並べてくれた。
御幸はそれを見て「悪いな」と労う。
だけど阿部も三橋もニコニコと笑いながら、首を振った。

「カンパ~イ!」
4人は席につくと、グラスを合わせた。
中身は御幸の部屋にあったもらい物の赤ワインだ。
せっかくだから少しだけ飲もうと言うことになった。
そしてすぐにてんこ盛り唐揚げとの格闘が始まった。

御幸はもりもりと唐揚げを頬張る沢村を見ていた。
今は元気そうだが、先程座り込んでしまったのが気になる。
何とか聞き出したいとタイミングを計っていたのだが。

「廉!唐揚げ、スッゲェ美味い!」
「よ、よかった」
「来てよかったよ。実は少しビビってた。」
「え?ビビ、て?」
「うん。メールで呼び出されたから、別れ話されるんじゃないかって思ってた。」
「そ、なの?」

沢村と三橋の会話を聞いていた御幸は「んなわけねぇじゃん」と素っ気なく答える。
だが内心かなり驚いていた。
御幸が感じていた不安を、沢村も抱いていたとは夢にも思わなかったのだ。

「だから移籍先が決まったって言われて、ホッとして座り込んじまったよ!」
沢村はあっけなく真相をみずから暴露した。
三橋が「そ、なの?」と聞き返し、阿部はトレーナーらしく「足とか平気か?」と聞く。
そんな賑やかなやり取りを聞き、御幸は笑い出してしまった。

お互い離れたって、別れるつもりなんかない。
それだけで充分、幸せなことだ。
道が違っても、心はいつも近くにある。
だから自分の欲しい未来を、迷わず進むことができるのだ。

【続く】
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