「おお振り」×「◆A」10年後

【まんまと手玉に取った】

「どう、だった?」
三橋はおずおずと遠慮がちに切り出す。
阿部は苦笑しながら「スッゲェ怒られた」と答えた。

発端は1週間ほど前のこと。
二軍で調整中の沢村が、マンションに戻って来た。
その剣幕に阿部も三橋も何事かと驚く。
だがすぐにその理由は知れた。
沢村は三橋が今シーズンで引退を決意しているのを知り、帰って来たのだ。
勢いにまかせて詰め寄る様は、さながら殴り込みだ。

「絶対ダメ!許さないからな!」
沢村はストレートに怒りをぶつけて来た。
阿部はそんな沢村を見ながら、皮肉なことだと思わずにはいられない。
まだまだプロで続けるつもりの沢村が二軍で、守護神とまで呼ばれた三橋が引退。
これを皮肉と言わずして、何と言う。

御幸先輩、謀ったな。
阿部は沢村の怒声を聞きながら、状況を理解した。
御幸は三橋の引退を止めようと、沢村を投入したのだ。
理路整然と話を組み立てる自分より、感情のままド直球の沢村の方が響くと考えたのだろう。
そしてそれは見事に当たっていた。

「オレのジィちゃんは野球してるオレを応援してくれてる。」
「オレが一番カッコいいのは投げてるときだって、言ってくれたし。」
「廉もそうだろ?ジィちゃんならそんな瞬間を長く見たいって思ってくれるんじゃねーの?」

沢村の言葉は真っ直ぐに、三橋と阿部の胸に刺さった。
それに阿部にとっては、もう1つ意味がある。
三橋が投げる姿に誰よりも惚れているのはオレ。
阿部にはそういう自負がある。
だからこそ「そんな瞬間を長く見たい」というセリフに動揺したのだ。
覚悟を決めたつもりだったが、やはり全然無理だった。
阿部はまだまだ三橋の投げる姿を見ていたいのだ。

三橋もまた沢村と話すことで、投げたい気持ちがこみ上げてきたらしい。
そこで2人は試合のない日に、帰郷した。
阿部は埼玉の実家、三橋は群馬の祖父宅だ。
そしてもっと続けたいのだと意思表示をしたのだった。

阿部はその日のうちにマンションに戻った。
群馬往復の三橋よりは早い帰宅だ。
実家での感触は思わしくなく、怒りが収まらない。
そんなときは料理に限る。
冷蔵庫の中の食材をかき集めて、手の込んだメニューを並べていく。
三橋が帰って来たのは夜、ちょうど料理を終えた頃合いだった。

まったくこういうタイミングが良いのは、昔からだ。
お互いの顔を見れば、良い結果ではないことはわかる。
そんなときはまず食べて、笑うこと。
かくして2人は向かい合い、本題は後回しにして夕食を楽しんだ。

「どう、だった?」
「スッゲェ怒られた」
「そ、そっか」

食後のお茶を飲みながら、ようやく本題だ。
三橋がまずおずおずと口を開いたので、阿部が答える。
まだやめたくない。もっと続けたい。
阿部は実家で両親についに本音を吐露した。
その途端、両親は激怒したのだ。

「なんで今になって、そんなことを言うんだ?」
「そうよ。いろいろ準備していたのに!」
「そこまでしてトレーナーを続ける意味があるのか?」
「道楽はさっさと終わりにして、帰って来なさい。」

両親のマシンガンのような攻撃に、阿部は「ハァァ!?」とブチ切れた。
怒られるのは覚悟していたし、辛抱強く話をするつもりはあったのだ。
だけど我慢できなかった。
三橋のトレーナーを「道楽」などと切り捨てられては、冷静ではいられない。
結局「こんな家、誰が継ぐか!」と捨てゼリフを吐いて、帰って来たのである。

「阿部君。それって」
一部始終を聞き終えた三橋が呆れている。
わかっている。大人げないってことは。
阿部は「ハァァ」とため息をつく。
そして「そっちはどうだった?」と三橋に話を振った。
だが三橋は眉を下げて、わかりやすく肩を落とした。

「オレ、どうしよう」
三橋は本当に困ったと言わんばかりに、阿部を見た。
どうやらこっちの方が深刻らしい。
阿部は覚悟を決めると「話してくれ」と告げた。

*****

「オレ、どうしよう」
三橋はその言葉通り、心の底から迷い、困っていた。
自分の決断は正しいのか、正しくないのかわからない。
そして阿部にうながされるままに、口を開いていた。

三橋が群馬に戻ると、祖父母と両親が待っていてくれた。
その雰囲気は、少々固い。
おそらく何となく用件を察していたからだろう。
子供の頃から慣れ親しんだ、三橋家の居間。
三橋は祖父母、両親と向かい合っていた。

「廉、大活躍だな。」
「久しぶりに会えて、嬉しいわ~」

両親は相変わらず大らかで優しい。
祖母は黙ってお茶を出してくれた。
子供の頃は、渋くて美味しくないと思っていたお茶。
だけど大人になってみれば、高級品で実に美味なのだとわかる。

「オレ、もう、少し。プロ野球選手、続けたい。」
お茶を一口啜った三橋は、意を決して切り出した。
両親も祖母も驚いた顔になる。
だが祖父だけは表情が変わらない。
三橋はその祖父と目を合わせて、さらに言葉を続けた。

「いつか、引退、しても。野球に、関わる、仕事、したい。」
緊張でいつも以上に吃音がひどくなった。
それでも言いたいことは言えたと思う。
三橋は口を閉じると、じっと祖父を見た。
祖母と両親は困惑したように、三橋と祖父を交互に見ている。

「三星で働くのは嫌か?」
微妙な沈黙の後、祖父はそう言った。
三橋は「ごめん、なさい」と頭を下げる。
すると祖父は「そうか」と頷いた。

「嫌なら、仕方ないな」
ため息をついた祖父の顔に浮かんでいたのは悲しみだった。
祖父がこんな表情をしているのを見るのは初めてだ。
それを見た途端、三橋の心は揺らいでしまったのだ。
祖父は三橋の決意を受け止めてくれた。
だけどそれを悲しんでいる。
身内を悲しませてまで、野球を続けていいのだろうか。

「いっそ、怒って、欲しかった。」
帰宅して、その一部始終を阿部に説明した三橋は、盛大にグチった。
そう、いっそ怒ってくれればよかったのだ。
阿部の両親のように、怒りをぶつけてくれれば。
むしろふっ切れて、自由に生きられる気がする。

「で、お前は逆に悩んでいるってわけか。」
「そ、そう、です。。。」

三橋は阿部と顔を見合わせると、ハァァとため息をついた。
わかっている。選ぶのは自分だ。
親を泣かして、好きなようにして生きるか。
それとも好きなことに区切りをつけて、親孝行するか。
道は2つに1つ、大人として決断しなければならない。

「で、三橋はまだ迷ってると。」
翌日、阿部の車で球場に向かう途中。
三橋と阿部はそれぞれの実家での顛末を説明していた。
まだ引退などするなと言ってくれた、大事な先輩。
とりあえず報告しておくべきだろう。

「阿部は決断したって感じか?」
「そうなるんすかね?」

阿部と御幸がミラー越しに視線を合わせながら、話している。
ちなみに阿部の運転で移動するときは、三橋が助手席で御幸が後部座席。
何となくそれが決まりになっていた。

「もし三橋が引退したら、阿部、オレとアメリカに行かねぇ?」
「は?」
「うぇぇ?」

御幸の予想外の提案に阿部と三橋の声が裏返る。
だが御幸はニンマリと笑い、今度は三橋を見た。

「阿部は家を出て、三橋が引退したら、優秀なトレーナーが失業するわけじゃん。」
「で、御幸先輩んとこに就職ですか?」
「悪くないだろ?」
「わ、悪い!です!」

予想外の成り行きに、三橋は声を張った。
少し前まで、別れも覚悟していたはずなのに。
まさか御幸に阿部を取られる事態は想定外だ。
そしてそれは三橋の心を思いのほかかき乱した。

「取られたくなかったら、今日も勝てよ?」
「か、勝ち、ます!」

揶揄うように言われて、三橋の心に火がついた。
そしてその日は8回に登板して、4三振無失点の好投。
だがこれもまた御幸の計略だった。
守護神のテンションが落ちているのを、御幸は見逃さなかった。
だから阿部を引き合いに出して、三橋を焚きつけたのだ。

「すごいよな。やっぱり」
まんまと三橋を手玉に取った御幸に、阿部は感心している。
試合の後になって、御幸に乗せられたことに気付いた三橋は笑うしかなかった。

【続く】
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