「おお振り」×「◆A」10年後

【黒星】

「つぎ、がんばろぉ、ね。そーしん、っと!」
三橋はブツブツと呟きながら、スマホを操作する。
元気に声を出せば、落ち込みそうになる気分も上がってくるから不思議なものだ。

三橋は自宅マンションで寛いでいた。
時刻は深夜、試合を終えて帰宅したばかりだ。
今日ばかりは静かに過ごすつもりだった。
沢村が遠征に出ていて不在というだけではない。
この夜、三橋には今シーズン初の黒星がついた。
9回裏、1点リードの場面でツーランホームランを食らったのだった。

御幸とは一緒に帰って来たが、一緒に食事するような気分ではなかった。
三橋は部屋に引き上げると、冷蔵庫からゼリー飲料を取り出して飲んだ。
今夜はもうこれでいい。
さっさと寝る支度を整えると、ベットにうつ伏せに横になった。
そしてスマホを取り出すと、メッセージアプリで受信を確認する。
数は多いが、重い内容のものはない。
簡単に絵文字などで返信した後、沢村へのメッセージを打ち始めた。

次、頑張ろうね。
短いそのメッセージは沢村と自分に向けたエールだ。
この夜、ケガから復帰した沢村も登板していた。
だが初回に3点を取られて、降板したらしい。
それをニュースで知った三橋は、沢村に短いメッセージを送ったのだ。

「マッサージするか?」
三橋がスマホを脇に置いたのを見た阿部が、声をかけてくれた。
絶妙のタイミングで、実にありがたい。
三橋が「お願いします」と告げると、阿部が三橋の背中に跨るような形でベットに乗ってきた。

「ふわぁぁ」
阿部が肩から背中を解し始め、三橋は心地よさに弛緩した声を上げる。
打たれても、試合に負けても、この時間は至福だ。
阿部は何も言わず、黙々とマッサージを続けてくれる。
三橋は目を閉じながら「御幸先輩に、悪いこと、した」と懺悔した。

今シーズン、初めての負け。
それは悔しいし、残念なことだけど、ショックではない。
三橋だって学生時代から、負けの経験はたくさんある。
自分が打たれたせいでチームが負けた後ろめたさはウンザリするほど知っている。

なんならプロの方が気が楽だ。
学生野球のトーナメントは、負けてしまえばそこで終わり。
次の大会を待たなければならない。
だがプロならば次の登板で巻き返すことが可能なのだ。
つまり三橋は負けたことに落ち込んでいるのではない。
負けた理由に落ち込んでいたのだ。

「オレ、打たれる気が、してた。でも、首、振らなかった。」
三橋は懺悔しながら、目を閉じた。
そう、サヨナラホームランが打たれたその投球。
サインが出た瞬間、三橋はその通りに投げたら打たれると思ったのだ。
根拠などない、ただの直感でしかない。
三橋は首を振ろうかと、一瞬だけ迷う。
だが御幸の目を見て、その疑念を振り払った。
チームの、いや球界きっての頭脳と評される御幸のリードは絶対だと。

「首、振るべき、だった。」
三橋はため息と共に愚痴を吐き出した。
悔いているのは投球ではなく、あのときの選択ミスだ。
そのせいでチームは負けた。
何より御幸が責任を感じているに違いない。

「御幸先輩、気にして、る、よね。」
三橋の独白のような愚痴はそこで切れた。
マッサージの心地よさに、寝落ちしてしまったのである。
それに気付いた阿部は緩やかに微笑むと、そっとベットから降りた。

そのまま三橋は朝までぐっすり眠った。
うっすらと阿部が出ていく気配を感じたが、眠気には勝てなかった。
そして翌朝になって、沢村からメッセージの返信がないことに気付いたのだった。

*****

「三橋、大丈夫か?」
御幸が阿部にそう聞いてくる。
だが阿部は「あいつはそんなにヤワじゃないっすよ」と苦笑した。

深夜、阿部は御幸の部屋のドアを叩いた。
寝ているかもしれないので、ドアチャイムは鳴らさない。
小さく叩いて、御幸が気付かなければそれでかまわない。
阿部は御幸が落ち込んでいるように見えた夜には、時折こうしている。

この夜もドアが開いた。
御幸は悪戯が見つかった子供のような表情で阿部を迎え入れる。
阿部はそんな御幸に「マッサージ、どうっすか?」と聞いた。
さながらセールスマン。もしくは押し売りか。
だけど御幸はごくごく自然に「悪い。頼む」と頷いた。

御幸がベットにうつ伏せになり、阿部は跨るような形で膝立ちになる。
ついさっきまで同じ体勢で、三橋のマッサージをしたばかりだ。
だけど全然苦ではない。
阿部だって身体は鍛えている。
何より三橋はさっさと寝オチしてしまい、さほど働いていないのだから。

「三橋、大丈夫か?」
マッサージを始めるなり、御幸はそう聞いてきた。
もちろん今日の試合のことだろう。
守護神と呼ばれ、絶好調だった三橋だったが、今日はシーズン初黒星。
御幸としては、やはり御幸のメンタルが気になるところだろうが。

「あいつはそんなにヤワじゃないっすよ」
阿部は苦笑しながら、御幸の身体を解していく。
ほとんど凝りなどを感じない三橋に対して、御幸は少々背中が張っていた。
何人もがローテーションする投手と違い、捕手は1人だ。
チームの大黒柱として支える御幸の苦労が出ているような気がした。

「三橋は御幸先輩に悪かったって思っているようですけど」
「んなわけねぇし。捕手のミスも投手の成績に加算されちまうんだからな。」
「よくわかります。」

阿部はさらに力を入れて、御幸の背中を解しながら、大きく頷いていた。
今は違うとはいえ、阿部だって元捕手だ。
御幸の言わんとするところは、嫌というほどよくわかった。

例えばホームランを打たれたとして、それが投手のミスとは限らない。
捕手のサイン通りの球を投手が投げても、配給が読まれれば打たれる。
これは完全に捕手のミスである。
だがその場合も記録上は、投手の失点として加算されるのだ。
そんなとき、捕手は投手にしてやれることが案外少ないのだと思い知る。

今回はまさにそれだった。
御幸は自分のミスで三橋に黒星がついたことを悔やんでいる。
そして三橋はサインに首を振っていれば、御幸にそんな思いをさせなかったと反省していた。
でも2人ともプロの野球選手。
一晩寝て、起きればまた気持ちを切り替えているだろう。

だが阿部は御幸と三橋にマッサージをする。
少しでもリラックスしてほしいから。
そして自分も一緒に戦いたい、いや戦っているつもりになりたいからだ。
とんだ偽善。自己満足。
それでも三橋がプロである間は、三橋とチームのために尽くすつもりだった。

「三橋より沢村の心配、してやった方がいいんじゃないすか?」
「確かにそっちもあるんだよな。」
「今日は遠征先でしょ。連絡ないんすか?」
「ああ。メール送ったけど返信がない。寝ちまったかな?」
「メールだから気付かないんじゃないすか?ラインにしたら」
「オレ、ガラケー愛好家だからな。」

今日はケガから復帰した沢村も登板したが、負けてしまったらしい。
御幸としては、そちらも気がかりだろう。
だけど沢村だって、負けはそこそこ経験している。
イチイチ落ち込むほどヤワではないはずだ。

とにかく沢村が遠征から戻れば、また元通り。
阿部はそう思っていた。
実はこのとき、沢村は沢村で1人悩んでいたのだ。
だが阿部や三橋がそれを知るのは、もう少し後のことだ。

【続く】
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