「おお振り」×「◆A」10年後
【帰ってきてほしい】
「三橋に手紙が来てたぞ~!」
いつも通り、テンション高い沢村が封筒を差し出す。
三橋は「ありがと!」と笑顔で受け取った。
月曜日、つまり試合のない日。
三橋は昼近くまで、眠っていた。
決して怠けているわけではない。
昨日も試合で登板し、深夜に帰宅したのだ。
昨日も1点リードの試合の9回で登板。
見事に無失点に抑え、またセーブがついた。
そして翌日休みであるのを良いことに、缶チューハイで1人酒をして寝た。
守護神は先発投手と違って、決まった休みが取れない。
だからこそ日曜の酒と月曜の朝寝は、ささやかな贅沢だった。
昼近くにのそのそと起き出したところで、ドアフォンが鳴った。
しかも連打。それだけで誰だかわかる。
こんな鳴らし方をするのは、間違いなく沢村だ。
「おはよ。栄純、君」
三橋はドアスコープで確認することなくドアを開ける。
予想通り沢村が「よぉ!」と笑っていた。
手に袋を下げており、おそらくコンビニ帰りだろう。
ちなみに沢村は休みである。
試合中に負った傷が治るまで、休むことになっている。
とはいっても擦過傷なので、さほど時間はかからないが。
沢村は何も言わず、三橋の部屋に上がり込む。
三橋も特に何も思うことなく、受け入れていた。
もうすっかり慣れっこだ
そもそも沢村のように気心が知れた相手なら、最初から抵抗もない。
「三橋に手紙が来てたぞ~!」
沢村は部屋に入るなり、封筒を差し出した。
どうやら外出のついでに、エントランスの郵便受けを見てくれたのだろう。
三橋は「ありがと!」と笑顔で受け取った。
これまた普通に考えれば、問題だ。
沢村は勝手に三橋の郵便物を手にしているのだから。
個人情報とかプライバシーとか、いろいろある。
だがこれも三橋は、まったく気にしていない。
親しい友人からの私信はだいたいメールかメッセージアプリだ。
郵便受けに入って来るのは、ダイレクトメールかチラシくらいなのだ。
「あれ、ジィちゃん、から、だ。」
「ジィちゃんって群馬の?」
「うん。そう。」
「今どき手紙か。メールとかじゃねぇの?」
「ジィちゃん、そういうの、しない。」
三橋は沢村と話しながら、ハサミで丁寧に開封した。
そして中の手紙を読み始める。
さすがの沢村も、手紙を覗き込むことはしない。
三橋は達筆な祖父の手紙を読んでいく。
封筒に2枚程度、読み終えるのにさほど時間がかからない。
「大丈夫か?何か暗いけど。」
読み終えて固まっている三橋に、沢村が声をかけてくれる。
三橋は我に返ると「だい、じょぶ」と答えた。
「ジィちゃん、ガンバ、てるって、褒めて、くれた。」
「へぇぇ」
「うん。あと、応援してる、って」
「そっか。よかったな!」
沢村は二カッと笑うと「じゃあ」と手を振り、自室に戻っていった。
三橋も笑顔で手を振って、見送る。
だがカチャリと施錠したところで、笑顔は消えた。
沢村に説明した祖父の手紙の内容は本当だ。
よく頑張っている。応援している。
だがそれだけではない。
手紙の最後に「早く帰ってきてほしい」という一文があったのだ。
もちろん単に帰省という話ではないだろう。
プロ野球は早々に切り上げて、群馬に来てほしいという意味だ。
両親や従姉妹からも、最近祖父は歳のせいか気が弱くなってきたと聞く
そんな祖父から「帰ってきてほしい」などと言われると、心が痛んだ。
今の三橋は好き勝手なことをして、家のためには何も貢献していないのだから。
返事、何て書こう。
三橋はそんなことを考えながら、肩を落とした。
おそらく祖父には他意はない。
だけどもうすぐ楽しい時間が終わる、それを突きつけられたような気分だった。
*****
「こんなもんでどうっすか?」
阿部は道具を片付けながら、声をかける。
御幸が満足そうに頷いているのを見て「よかったです」」と笑った。
沢村が三橋の部屋を訪れる少し前、つまり三橋がまだ夢の中にいる頃。
阿部もまた部屋に来訪者を迎え入れていた。
沢村とは対照的、静かにドアチャイムを鳴らしたのは御幸。
これは毎週月曜日、恒例の訪問だった。
「悪いな。毎回」
御幸は恐縮しながら、椅子に座って手を差し出す。
阿部は「気にしなくていいっすよ」と笑った。
そして小さなポーチから取り出したのは、やすりとマニキュア。
阿部は定期的に御幸のネイルケアをするのである。
これは阿部が三橋の専属トレーナーになってからのことだった。
野球の投手、捕手は指先のケアが必須だ。
なにしろ守備の間中、ボールを投げて捕ってを繰り返すのだから。
御幸はプロ野球選手になってから、ネイルサロンに通っていたそうだ。
対する三橋は、指やネイルのケアは阿部に任せっきりだ。
専属になってからは、毎日手をチェックし、マッサージもする。
御幸のケアもするようになったきっかけを、実は阿部はうろ覚えだ。
確か阿部が三橋の爪にやすりをかけているのを見て「上手いな」とか言ってくれた。
それで「御幸先輩のもやりましょうか?」と返したのだったと思う。
「お前、プロだろ。三橋以外のネイルケアもやっていいのか?」
御幸にそう聞かれたことがあったが、阿部としてはこれも仕事の一環だ。
何しろ御幸は三橋の球を受けてくれる捕手なのだから。
少しでも良いプレイができるように協力するのは、阿部としては自然なことだ。
というわけで、阿部は御幸の手のケアをしていた。
伸びた分の爪を整え、磨き、マニキュアでコーティング。
ちなみに御幸は右手の爪だけ、色がついているマニキュアを使う。
そうすることで試合中、投手は捕手からのサインが見やすくなる。
ささやかな御幸のこだわりだ。
「こんなもんでどうっすか?」
ひと通りのケアを終えた阿部は、御幸に声をかけた。
投手の爪と違って、時間はかからない。
阿部は三橋の球種と握りを考慮し、指によって爪の形を変える。
だが捕手の御幸ならそこまで繊細な作業はなく、整えるだけなのだ。
「いつもながらスゲェな。ネイルサロンより綺麗にできてる。」
御幸は仕上がった自分の指を見ながら、感心している。
阿部は「どうも」と笑った。
本人的にはクールに決めたつもりだが、心持ちドヤ顔になっている。
もちろん御幸はそんなことを言わないが。
「本当ならちゃんと代金を払うべきなんだろうけど」
「いや。充分っすよ。」
阿部は思わず苦笑した。
御幸のネイルケアなど、さほどの手間ではない。
だけど御幸は感謝してくれているらしい。
その証拠に酒類などをたっぷり差し入れてくれる。
阿部のビールや三橋の缶チューハイやカクテルなどだ。
ネイルケアの報酬としては、多すぎるくらいだ。
「三橋が引退したら、ネイルサロンで稼げるんじゃねぇの?」
「ネイルサロンすか?」
「ああ。プロ野球選手専門で。結構需要があると思うけど。」
「そうすかね?」
阿部は適当に誤魔化しながら、笑った。
三橋が引退したら、もう野球には関わらない。
阿部はそう決めていた。
多分、三橋を思い出してつらいだけだろう。
それにそんな選択肢もないしな。
阿部は御幸が来る少し前に来たメールを思い出す。
それは母からだった。
最近父も歳のせいか仕事がきつそうだ。
そろそろ家に戻ってもらえないか。
そんなことが書かれていた。
「いつもありがとな。」
御幸に声をかけられ、阿部は我に返った。
そして「ホントに気にしないで下さい」と笑う。
今はまだ考えたくない。
だけどもうすぐ楽しい時間が終わる、それを突きつけられたような気分だった。
【続く】
「三橋に手紙が来てたぞ~!」
いつも通り、テンション高い沢村が封筒を差し出す。
三橋は「ありがと!」と笑顔で受け取った。
月曜日、つまり試合のない日。
三橋は昼近くまで、眠っていた。
決して怠けているわけではない。
昨日も試合で登板し、深夜に帰宅したのだ。
昨日も1点リードの試合の9回で登板。
見事に無失点に抑え、またセーブがついた。
そして翌日休みであるのを良いことに、缶チューハイで1人酒をして寝た。
守護神は先発投手と違って、決まった休みが取れない。
だからこそ日曜の酒と月曜の朝寝は、ささやかな贅沢だった。
昼近くにのそのそと起き出したところで、ドアフォンが鳴った。
しかも連打。それだけで誰だかわかる。
こんな鳴らし方をするのは、間違いなく沢村だ。
「おはよ。栄純、君」
三橋はドアスコープで確認することなくドアを開ける。
予想通り沢村が「よぉ!」と笑っていた。
手に袋を下げており、おそらくコンビニ帰りだろう。
ちなみに沢村は休みである。
試合中に負った傷が治るまで、休むことになっている。
とはいっても擦過傷なので、さほど時間はかからないが。
沢村は何も言わず、三橋の部屋に上がり込む。
三橋も特に何も思うことなく、受け入れていた。
もうすっかり慣れっこだ
そもそも沢村のように気心が知れた相手なら、最初から抵抗もない。
「三橋に手紙が来てたぞ~!」
沢村は部屋に入るなり、封筒を差し出した。
どうやら外出のついでに、エントランスの郵便受けを見てくれたのだろう。
三橋は「ありがと!」と笑顔で受け取った。
これまた普通に考えれば、問題だ。
沢村は勝手に三橋の郵便物を手にしているのだから。
個人情報とかプライバシーとか、いろいろある。
だがこれも三橋は、まったく気にしていない。
親しい友人からの私信はだいたいメールかメッセージアプリだ。
郵便受けに入って来るのは、ダイレクトメールかチラシくらいなのだ。
「あれ、ジィちゃん、から、だ。」
「ジィちゃんって群馬の?」
「うん。そう。」
「今どき手紙か。メールとかじゃねぇの?」
「ジィちゃん、そういうの、しない。」
三橋は沢村と話しながら、ハサミで丁寧に開封した。
そして中の手紙を読み始める。
さすがの沢村も、手紙を覗き込むことはしない。
三橋は達筆な祖父の手紙を読んでいく。
封筒に2枚程度、読み終えるのにさほど時間がかからない。
「大丈夫か?何か暗いけど。」
読み終えて固まっている三橋に、沢村が声をかけてくれる。
三橋は我に返ると「だい、じょぶ」と答えた。
「ジィちゃん、ガンバ、てるって、褒めて、くれた。」
「へぇぇ」
「うん。あと、応援してる、って」
「そっか。よかったな!」
沢村は二カッと笑うと「じゃあ」と手を振り、自室に戻っていった。
三橋も笑顔で手を振って、見送る。
だがカチャリと施錠したところで、笑顔は消えた。
沢村に説明した祖父の手紙の内容は本当だ。
よく頑張っている。応援している。
だがそれだけではない。
手紙の最後に「早く帰ってきてほしい」という一文があったのだ。
もちろん単に帰省という話ではないだろう。
プロ野球は早々に切り上げて、群馬に来てほしいという意味だ。
両親や従姉妹からも、最近祖父は歳のせいか気が弱くなってきたと聞く
そんな祖父から「帰ってきてほしい」などと言われると、心が痛んだ。
今の三橋は好き勝手なことをして、家のためには何も貢献していないのだから。
返事、何て書こう。
三橋はそんなことを考えながら、肩を落とした。
おそらく祖父には他意はない。
だけどもうすぐ楽しい時間が終わる、それを突きつけられたような気分だった。
*****
「こんなもんでどうっすか?」
阿部は道具を片付けながら、声をかける。
御幸が満足そうに頷いているのを見て「よかったです」」と笑った。
沢村が三橋の部屋を訪れる少し前、つまり三橋がまだ夢の中にいる頃。
阿部もまた部屋に来訪者を迎え入れていた。
沢村とは対照的、静かにドアチャイムを鳴らしたのは御幸。
これは毎週月曜日、恒例の訪問だった。
「悪いな。毎回」
御幸は恐縮しながら、椅子に座って手を差し出す。
阿部は「気にしなくていいっすよ」と笑った。
そして小さなポーチから取り出したのは、やすりとマニキュア。
阿部は定期的に御幸のネイルケアをするのである。
これは阿部が三橋の専属トレーナーになってからのことだった。
野球の投手、捕手は指先のケアが必須だ。
なにしろ守備の間中、ボールを投げて捕ってを繰り返すのだから。
御幸はプロ野球選手になってから、ネイルサロンに通っていたそうだ。
対する三橋は、指やネイルのケアは阿部に任せっきりだ。
専属になってからは、毎日手をチェックし、マッサージもする。
御幸のケアもするようになったきっかけを、実は阿部はうろ覚えだ。
確か阿部が三橋の爪にやすりをかけているのを見て「上手いな」とか言ってくれた。
それで「御幸先輩のもやりましょうか?」と返したのだったと思う。
「お前、プロだろ。三橋以外のネイルケアもやっていいのか?」
御幸にそう聞かれたことがあったが、阿部としてはこれも仕事の一環だ。
何しろ御幸は三橋の球を受けてくれる捕手なのだから。
少しでも良いプレイができるように協力するのは、阿部としては自然なことだ。
というわけで、阿部は御幸の手のケアをしていた。
伸びた分の爪を整え、磨き、マニキュアでコーティング。
ちなみに御幸は右手の爪だけ、色がついているマニキュアを使う。
そうすることで試合中、投手は捕手からのサインが見やすくなる。
ささやかな御幸のこだわりだ。
「こんなもんでどうっすか?」
ひと通りのケアを終えた阿部は、御幸に声をかけた。
投手の爪と違って、時間はかからない。
阿部は三橋の球種と握りを考慮し、指によって爪の形を変える。
だが捕手の御幸ならそこまで繊細な作業はなく、整えるだけなのだ。
「いつもながらスゲェな。ネイルサロンより綺麗にできてる。」
御幸は仕上がった自分の指を見ながら、感心している。
阿部は「どうも」と笑った。
本人的にはクールに決めたつもりだが、心持ちドヤ顔になっている。
もちろん御幸はそんなことを言わないが。
「本当ならちゃんと代金を払うべきなんだろうけど」
「いや。充分っすよ。」
阿部は思わず苦笑した。
御幸のネイルケアなど、さほどの手間ではない。
だけど御幸は感謝してくれているらしい。
その証拠に酒類などをたっぷり差し入れてくれる。
阿部のビールや三橋の缶チューハイやカクテルなどだ。
ネイルケアの報酬としては、多すぎるくらいだ。
「三橋が引退したら、ネイルサロンで稼げるんじゃねぇの?」
「ネイルサロンすか?」
「ああ。プロ野球選手専門で。結構需要があると思うけど。」
「そうすかね?」
阿部は適当に誤魔化しながら、笑った。
三橋が引退したら、もう野球には関わらない。
阿部はそう決めていた。
多分、三橋を思い出してつらいだけだろう。
それにそんな選択肢もないしな。
阿部は御幸が来る少し前に来たメールを思い出す。
それは母からだった。
最近父も歳のせいか仕事がきつそうだ。
そろそろ家に戻ってもらえないか。
そんなことが書かれていた。
「いつもありがとな。」
御幸に声をかけられ、阿部は我に返った。
そして「ホントに気にしないで下さい」と笑う。
今はまだ考えたくない。
だけどもうすぐ楽しい時間が終わる、それを突きつけられたような気分だった。
【続く】