「おお振り」×「◆A」10年後
【アクシデント】
「おめでとう~!」
沢村がグラスを掲げ、三橋は「ウヘヘ」と笑う。
阿部は御幸と共に、子供のようにはしゃぐ2人を見守っていた。
3月某日、プロ野球が開幕した。
御幸は今年も開幕からスタメンマスクをかぶっている。
おそらく日本でプレイするラストシーズン、全試合出場を目指しているだろう。
そして三橋は1点リードした8回からクローザーとして登板。
見事に無失点に抑え、開幕戦勝利を飾った。
そして深夜、マンションに戻ったところで、ささやかな祝勝会だ。
明日も試合があるので、がっつり飲むことはできない。
阿部が用意したカロリーライトな夜食とノンアルコール飲料。
三橋の部屋でそれらを並べていたところで、タイミングよく沢村も帰って来た。
ちなみに沢村のチームも初戦勝利したが、沢村の登板はなかった。
「三橋、初セーブ!おめでとう~!」
沢村は元気いっぱいにグラスを掲げる。
中身はレモン風味のノンアルコールカクテルだ。
三橋は「ウヘヘ」と笑いながら、カチンとグラスを合わせた。
こちらはピーチ風味のノンアルコールカクテルだった。
「あんな甘そうなもん、よく飲めるな。」
御幸はノンアルコールビールを缶のままゴクゴクと飲んでいる。
そして阿部に「お前は遠慮する必要ないぞ」と言った。
選手でない阿部は、別に酒を飲んでもかまわないという意味だ。
だが阿部は「いや。オレもチームの一員のつもりなんで」と笑った。
その手元には御幸と同じ、缶のままのノンアルコールビールがあった。
「にしても、うちらも沢村ンとこも関東でよかったっすね。」
阿部は楽しそうに話し込む三橋と沢村を見ながら、そう言った。
御幸は一瞬、驚いた表情になったが、すぐに「まぁな」と笑った。
プロ野球選手はドラフトという制度があるので、最初の球団を選べない。
御幸と沢村が関東のチームに所属できたのは、偶然だった。
でもそのおかげで、こうして都内に住める。
遠距離恋愛にならず、同じマンションで頻繁に会うこともできるのだ。
でも、それにしても。
阿部は心の中だけで、こっそりとため息をついた。
御幸はどうやらまだ沢村にメジャー行きを伝えていないらしい。
知った時の沢村の動揺を思うと、阿部でさえ心が痛むのだが。
「栄純、君。だい、じょぶ?」
阿部の思考を遮るように、三橋の声がした。
御幸が「あ~あ」と呆れている。
ノンアルコールカクテルを飲み干した沢村の首がグラグラ揺れている。
この短い間に、沢村は寝入ってしまったのである。
「栄純。起きろ」
御幸が沢村の横に立ち、静かに肩を揺する。
それを聞いた阿部は思わず目を瞠った。
御幸は滅多に沢村のことを「栄純」とは呼ばない。
少なくても阿部や三橋がいるところでは「沢村」だ。
それどころか2人きりでもなかなか名前呼びしてくれないと、沢村が文句を言っていた。
「沢村を部屋に放り込む。悪いが手ェ貸してくれ」
御幸が沢村を荷物のように担ぎ上げた。
阿部が立ち上がると、すかさずドアを開ける。
三橋は沢村のジャケットのポケットから鍵を取り出すと、沢村の部屋のドアを開けた。
「御幸先輩が『栄純』って呼ぶの、珍しいよな。」
沢村と御幸が出て行った後、阿部は笑う。
だが三橋に「オレ、たちも、だよ」と返された。
そう、阿部と三橋も未だに照れくさくて、人前での名前呼びはハードルが高かったりする。
「片づけはオレがするから、お前は早く休め。」
阿部は三橋に声をかけると、グラスや空き缶を片づけ始めた。
三橋はコクコクと頷き、寝る支度に取り掛かる。
シーズンオフなら手伝わせるところだが、今は三橋の体調が一番だ。
「とにかく今年も始まったか」
阿部はひとりごちながら、グラスを洗い始めた。
明日も三橋が元気で投げられますように。
少しでも長く一緒にいられますように。
いつだって阿部の願いはシンプルだ。
*****
「栄純」
御幸が呆然と立ち尽くしながら、そう呟いた。
三橋も成すすべもなく、そっと御幸の手を引いた。
4月某日、三橋と沢村のチームの三連戦が始まった。
仲の良い友人である2人だが、今は一塁側と三塁側に別れている。
だが別に今さら気にすることもない。
高校時代から何度も対戦している。
それに田島や倉持など、他にも敵チームに仲の良い友人はいるのだ。
勝負と友情は別物、その辺の切り替えは今や当たり前のことだった。
そして沢村は今シーズン初先発だった。
三橋はベンチからマウンドの沢村を見守る。
もしも試合の終盤、僅差のリードだったら三橋の出番もあるかもしれない。
だが今はまだ三橋に準備の指示は出ていなかった。
「栄純、君、調子、よさそう、ですね。」
三橋は沢村を見つめる御幸に声をかけた。
御幸は沢村から視線を離さないまま「だな」と頷く。
その口元には愉快そうな笑みが浮かんでいた。
沢村のチームと対戦したことは何度もある。
だがその中で沢村が登板した試合は数えるほどしかなかった。
投手はローテーションを組んでいるから、そこはもう巡り合わせというしかない。
だからこそ御幸は、沢村をベンチから見るのが楽しみであるに違いない。
「応援したく、な、ちゃいます、ね。」
「ダメだぞ。敵だからなんだからな。」
「でも、トモダチ」
「今は敵だって」
御幸は三橋を窘めながらも、やはり嬉しそうだ。
そうこうしている間にも回は進み、早くも三回表。
沢村がマウンドに上がったところで、事件は起こった。
ここまで無得点、沢村は上々のピッチングを見せていた。
そして打順は1番に戻る。
だがキレのある投球で、早くも1ボール2ストライクと追い込んだ。
そして打者は完全に押され、ピッチャーゴロとなった。
沢村は軽快に捕球し、一塁へ投げようとする。
だがその瞬間、折れたバットの破片が沢村の方へ飛んだ。
そしてその破片が、沢村の右足をかすめる。
沢村は一瞬顔をしかめたが、送球は乱れなかった。
打者はアウト。
だが沢村の右足、ユニフォームの太ももに血が染み出していた。
球場は騒然となった。
沢村は倒れはしなかったが、痛みに顔を歪ませている。
ベンチからはピッチングコーチやトレーナーらが飛び出し、マウンドに向かった。
一部始終を見ていた御幸もまた、ベンチの中で立ち上がっていた。
だがここで沢村の元へ向かうわけにはいかなかった。
試合中のアクシデントのケアは、チームの仕事。
友人であれ、恋人であれ、敵チームの者が入る余地などないのだ。
「栄純」
御幸が呆然と立ち尽くしながら、そう呟いた。
三橋も成すすべもなく、そっと御幸の手を引く。
御幸はそれで自分が立ち上がってしまったことに気付いたようだ。
自分自身を諌めるように大きく呼吸をすると、ゆっくりと腰を下ろした。
「だいじょぶ、ですよ。きっと。」
三橋は気休めだとわかっていて、あえてそう言った。
御幸もまた自分に言い聞かせるように「だな」と頷く。
そして三橋に「お前のせいじゃないからな」と言った。
御幸もどうやら覚えていたらしい。
開幕直前のある日、三橋は沢村がケガをする夢を見た。
どうしたものかと迷って、キャッチボールを口実に沢村を神社に連れて行ったのだ。
あのとき、ちゃんと言えばよかったのだ。
神頼みなんてせず沢村に伝えれば、こんなことにならなかったかもしれない。
御幸はそれを思い出して、三橋のせいじゃないと言ってくれた。
三橋は御幸の懐の深さに感謝する。
沢村のことが心配でたまらないだろうに、三橋の心配までしてくれたのだ。
沢村はそのまま降板し、別の投手と交代した。
そして三橋は9回に登板し、無得点に抑えた。
内心、かなり動揺していた。
だが何事もないようにプレイする御幸を見て、無様なピッチングは許されないと思ったのだ。
【続く】
「おめでとう~!」
沢村がグラスを掲げ、三橋は「ウヘヘ」と笑う。
阿部は御幸と共に、子供のようにはしゃぐ2人を見守っていた。
3月某日、プロ野球が開幕した。
御幸は今年も開幕からスタメンマスクをかぶっている。
おそらく日本でプレイするラストシーズン、全試合出場を目指しているだろう。
そして三橋は1点リードした8回からクローザーとして登板。
見事に無失点に抑え、開幕戦勝利を飾った。
そして深夜、マンションに戻ったところで、ささやかな祝勝会だ。
明日も試合があるので、がっつり飲むことはできない。
阿部が用意したカロリーライトな夜食とノンアルコール飲料。
三橋の部屋でそれらを並べていたところで、タイミングよく沢村も帰って来た。
ちなみに沢村のチームも初戦勝利したが、沢村の登板はなかった。
「三橋、初セーブ!おめでとう~!」
沢村は元気いっぱいにグラスを掲げる。
中身はレモン風味のノンアルコールカクテルだ。
三橋は「ウヘヘ」と笑いながら、カチンとグラスを合わせた。
こちらはピーチ風味のノンアルコールカクテルだった。
「あんな甘そうなもん、よく飲めるな。」
御幸はノンアルコールビールを缶のままゴクゴクと飲んでいる。
そして阿部に「お前は遠慮する必要ないぞ」と言った。
選手でない阿部は、別に酒を飲んでもかまわないという意味だ。
だが阿部は「いや。オレもチームの一員のつもりなんで」と笑った。
その手元には御幸と同じ、缶のままのノンアルコールビールがあった。
「にしても、うちらも沢村ンとこも関東でよかったっすね。」
阿部は楽しそうに話し込む三橋と沢村を見ながら、そう言った。
御幸は一瞬、驚いた表情になったが、すぐに「まぁな」と笑った。
プロ野球選手はドラフトという制度があるので、最初の球団を選べない。
御幸と沢村が関東のチームに所属できたのは、偶然だった。
でもそのおかげで、こうして都内に住める。
遠距離恋愛にならず、同じマンションで頻繁に会うこともできるのだ。
でも、それにしても。
阿部は心の中だけで、こっそりとため息をついた。
御幸はどうやらまだ沢村にメジャー行きを伝えていないらしい。
知った時の沢村の動揺を思うと、阿部でさえ心が痛むのだが。
「栄純、君。だい、じょぶ?」
阿部の思考を遮るように、三橋の声がした。
御幸が「あ~あ」と呆れている。
ノンアルコールカクテルを飲み干した沢村の首がグラグラ揺れている。
この短い間に、沢村は寝入ってしまったのである。
「栄純。起きろ」
御幸が沢村の横に立ち、静かに肩を揺する。
それを聞いた阿部は思わず目を瞠った。
御幸は滅多に沢村のことを「栄純」とは呼ばない。
少なくても阿部や三橋がいるところでは「沢村」だ。
それどころか2人きりでもなかなか名前呼びしてくれないと、沢村が文句を言っていた。
「沢村を部屋に放り込む。悪いが手ェ貸してくれ」
御幸が沢村を荷物のように担ぎ上げた。
阿部が立ち上がると、すかさずドアを開ける。
三橋は沢村のジャケットのポケットから鍵を取り出すと、沢村の部屋のドアを開けた。
「御幸先輩が『栄純』って呼ぶの、珍しいよな。」
沢村と御幸が出て行った後、阿部は笑う。
だが三橋に「オレ、たちも、だよ」と返された。
そう、阿部と三橋も未だに照れくさくて、人前での名前呼びはハードルが高かったりする。
「片づけはオレがするから、お前は早く休め。」
阿部は三橋に声をかけると、グラスや空き缶を片づけ始めた。
三橋はコクコクと頷き、寝る支度に取り掛かる。
シーズンオフなら手伝わせるところだが、今は三橋の体調が一番だ。
「とにかく今年も始まったか」
阿部はひとりごちながら、グラスを洗い始めた。
明日も三橋が元気で投げられますように。
少しでも長く一緒にいられますように。
いつだって阿部の願いはシンプルだ。
*****
「栄純」
御幸が呆然と立ち尽くしながら、そう呟いた。
三橋も成すすべもなく、そっと御幸の手を引いた。
4月某日、三橋と沢村のチームの三連戦が始まった。
仲の良い友人である2人だが、今は一塁側と三塁側に別れている。
だが別に今さら気にすることもない。
高校時代から何度も対戦している。
それに田島や倉持など、他にも敵チームに仲の良い友人はいるのだ。
勝負と友情は別物、その辺の切り替えは今や当たり前のことだった。
そして沢村は今シーズン初先発だった。
三橋はベンチからマウンドの沢村を見守る。
もしも試合の終盤、僅差のリードだったら三橋の出番もあるかもしれない。
だが今はまだ三橋に準備の指示は出ていなかった。
「栄純、君、調子、よさそう、ですね。」
三橋は沢村を見つめる御幸に声をかけた。
御幸は沢村から視線を離さないまま「だな」と頷く。
その口元には愉快そうな笑みが浮かんでいた。
沢村のチームと対戦したことは何度もある。
だがその中で沢村が登板した試合は数えるほどしかなかった。
投手はローテーションを組んでいるから、そこはもう巡り合わせというしかない。
だからこそ御幸は、沢村をベンチから見るのが楽しみであるに違いない。
「応援したく、な、ちゃいます、ね。」
「ダメだぞ。敵だからなんだからな。」
「でも、トモダチ」
「今は敵だって」
御幸は三橋を窘めながらも、やはり嬉しそうだ。
そうこうしている間にも回は進み、早くも三回表。
沢村がマウンドに上がったところで、事件は起こった。
ここまで無得点、沢村は上々のピッチングを見せていた。
そして打順は1番に戻る。
だがキレのある投球で、早くも1ボール2ストライクと追い込んだ。
そして打者は完全に押され、ピッチャーゴロとなった。
沢村は軽快に捕球し、一塁へ投げようとする。
だがその瞬間、折れたバットの破片が沢村の方へ飛んだ。
そしてその破片が、沢村の右足をかすめる。
沢村は一瞬顔をしかめたが、送球は乱れなかった。
打者はアウト。
だが沢村の右足、ユニフォームの太ももに血が染み出していた。
球場は騒然となった。
沢村は倒れはしなかったが、痛みに顔を歪ませている。
ベンチからはピッチングコーチやトレーナーらが飛び出し、マウンドに向かった。
一部始終を見ていた御幸もまた、ベンチの中で立ち上がっていた。
だがここで沢村の元へ向かうわけにはいかなかった。
試合中のアクシデントのケアは、チームの仕事。
友人であれ、恋人であれ、敵チームの者が入る余地などないのだ。
「栄純」
御幸が呆然と立ち尽くしながら、そう呟いた。
三橋も成すすべもなく、そっと御幸の手を引く。
御幸はそれで自分が立ち上がってしまったことに気付いたようだ。
自分自身を諌めるように大きく呼吸をすると、ゆっくりと腰を下ろした。
「だいじょぶ、ですよ。きっと。」
三橋は気休めだとわかっていて、あえてそう言った。
御幸もまた自分に言い聞かせるように「だな」と頷く。
そして三橋に「お前のせいじゃないからな」と言った。
御幸もどうやら覚えていたらしい。
開幕直前のある日、三橋は沢村がケガをする夢を見た。
どうしたものかと迷って、キャッチボールを口実に沢村を神社に連れて行ったのだ。
あのとき、ちゃんと言えばよかったのだ。
神頼みなんてせず沢村に伝えれば、こんなことにならなかったかもしれない。
御幸はそれを思い出して、三橋のせいじゃないと言ってくれた。
三橋は御幸の懐の深さに感謝する。
沢村のことが心配でたまらないだろうに、三橋の心配までしてくれたのだ。
沢村はそのまま降板し、別の投手と交代した。
そして三橋は9回に登板し、無得点に抑えた。
内心、かなり動揺していた。
だが何事もないようにプレイする御幸を見て、無様なピッチングは許されないと思ったのだ。
【続く】