「おお振り」×「◆A」10年後

【メジャー移籍?】

「ムッフ、フ~ン♪」
三橋は鼻歌まじりで廊下を進む。
逆サイドから歩いてきた御幸に「ご機嫌だな」と茶化された。

プロ野球選手のポストシーズンは一般人が思うよりは忙しい。
秋季キャンプと契約更改、さらにファン感謝デー。
そして三橋や御幸たちのようにプレ自主トレを組む者もいる。
年が明ければ本格的な自主トレ、2月には春季キャンプ。
そんな中、一軍でそれなりに活躍する選手たちにはさらに仕事がある。

それはイベントだった。
子供たちを対象にした野球教室やテレビ出演、そしてトークショー。
人気選手にはオファーが殺到し、引っ張りダコとなる。
三橋のチームの一番人気は、やはり御幸だった。
野球教室をすれば、すぐに定員が埋まる。
見た目がよく話も上手いので、テレビもトークもそつなくこなした。
ちなみに沢村はあのキャラから、バラエティ番組のオファーが多いようだ。

だが三橋には無縁のものだった。
人に教えるのも喋るのも、得意じゃない。
そもそも目立つ選手でもないので、オファーもない。
だから自分とは関係ないし、興味すら持っていなかったのだが。

今年、状況は一変した。
セットアッパーからクローザーに役割が変わり、守護神と呼ばれるまでになった。
そんな三橋にはさまざまなオファーが舞い込んでいた。
その件で三橋は球団事務所に来ていたのだった。

「ム、ムリ、です。」
オファーの内容を一通り聞かされた三橋のリアクションはそれだった。
野球教室が2件、テレビのスポーツバラエティ出演が1件、トークショーは4件。
話も聞かずにことわるのも悪いかと詳細を聞いたが、やはり無理な気がする。

「全部とはいわんが、少しはできないか?」
球団の広報担当職員が食い下がって来る。
そして「テレビ以外なら阿部と一緒でもかまわんぞ」と言い添える。
三橋のパーソナルトレーナーである阿部は、当然球団でも認知されている。
それを聞いた三橋は「それ、なら」と頷いた。

阿部がフォローしてくれるなら、できることがありそうな気がする。
三橋としても、球団にも職員にも世話になっているという自覚はあるのだ。
苦手だからとことわるのではなく、少しは貢献したい。

「とりあえずスマホに資料を送っておく。検討して2、3日のうちに返事をくれ。」
「わ、わかり、ました。」

三橋は一礼すると、広報の部屋を出た。
後は送ってもらった資料を見ながら、阿部と相談しよう。
とりあえず問題を先延ばしにした三橋は、軽い足取りで歩き出した。
もうすぐ夕刻、この後はいつもの4人で一緒に夕食の約束をしている。
三橋が球団事務所に呼ばれていたので、この近くの店で待ち合わせていた。

「ムッフ、フ~ン♪」
三橋は鼻歌まじりで廊下を進む。
阿部や御幸、沢村と部屋飲みをすることは多い。
だが外で食べることはあまりなかった。
顔が売れているので、トラブルを避けるためだ。
だからこそ、たまの外食はテンションが上がる。

「ご機嫌だな。」
事務所を出ようとしたところで、ちょうど入って来た御幸に茶化された。
三橋は「ウヒ」と笑う。
そして「御幸、先輩も、イベントですか?」と聞いてみた。

「いや。オレは別件。少し遅れるから先に行っててくれ。」
御幸が手を振り、三橋がペコリと頭を下げて、すれ違う。
三橋は事務所を出ると、軽やかな足取りで店に向かっていたのだが。

「よぉ。三橋じゃん。」
後ろから聞き覚えのある声に呼ばれ、三橋はギクリと足を止めた。
振り返ると予想通りの人物が、剣呑な目付きで三橋を見ている。
その男は三橋のチームメイトの先輩投手。
いや正確にはチームメイトだった男だ。
彼は成績が振るわず、先日自由契約になったばかりだった。

「こ、こんにちは」
三橋は嫌な予感を押し隠しながら、頭を下げた。
そのまま行き過ぎようとしたが「待てよ」と呼び止められ、内心秘かにため息をつく。
嫌な予感的中。
このまま何事もなく終わって欲しかったが、どうやら無理のようだ。

*****

「よろしくお願いします」
御幸は丁寧に頭を下げた。
ここから先はもう事態は御幸の手を離れ、動き出していくだろう。

今日は沢村、三橋、阿部と外で夕食を食べる予定だ。
場所は球団事務所近くのダイニングバー。
味が良く、ボリュームもあり、価格も良心的。
しかも場所柄、野球選手もよく利用するので、プライバシー対策もしてくれる。
ちょうど三橋が事務所に呼ばれているそうだし、都合も良いだろう。

だが当日になって、御幸も球団事務所に呼ばれた。
海外移籍の件だ。
アメリカのメジャーリーグでやりたいと、チームにはすでに伝えてある。
あと少しで御幸は海外FA権も取得する。
それを行使すれば、球団には移籍補償金が入らなくなる。
だからチームは積極的に御幸の移籍に向けて動いているのだ。

「水面下で獲得交渉を申し込んできた球団はいくつかある。」
廊下で三橋とすれ違った後、通されたのは年1回契約更改の時しか入らない部屋。
担当の職員に知らわれた情報に、御幸のテンションは上がった。
メジャーに行きたいと言っても、受け入れてくれる球団ありきのことだ。
この時点で手を上げてくれるチームがあるのは朗報だった。

「金額の話も少し出ているけど、まぁまぁ折り合えると思う。」
さらにそう告げられ、御幸は「よろしくお願いします」と頭を下げた。
ここから先はもう御幸ができることはない。
契約交渉もいろいろな手続きも、みんなに助けてもらいながら進むだけだ。

今後の流れを一通り説明してもらって、御幸は球団事務所を出た。
嬉しい。ついに1つ上のステージに上がれる。
夢の最高峰、アメリカのメジャーリーグ。
このためにアメリカと日本の違いも念入りに調べたし、英語も勉強している。
順調に進めば、日本でのプレイは後1年ということになるだろう。

「でも、問題もあるんだよなぁ」
御幸は事務所を出て、三橋たちと待ち合わせをする店に向かう。
だが歩きながら、思わず不安が口をついて出た。

沢村に何て言う?あいつをどうする?
それは御幸の中で常に心の中にわだかまっていたことだった。
すでに御幸のメジャー志望を察している三橋や阿部が心配していることも知っている。
だけどまだ本決まりではないからと、伝えるのを先延ばしにしていた。
自分に言い訳して、問題から逃げていたのである。

御幸は今日、沢村に伝えるつもりだった。
ほぼ決まりかけているのだから、もう先延ばしにする理由はない。
三橋と阿部を巻き込むのは悪いが、良いタイミングだろう。

だが問題はそこから先だった。
渡米したらいつ日本に戻るかなんて、わからない。
つまり選べる選択肢は2つしかない。
遠距離恋愛か、別離だ。

「今さら、か。」
御幸は足早に歩を進めながら、ため息をついた。
本当なら沢村の手を離してやるのが、きっと正解だ。
不毛な男同士の恋で縛るより、新しい恋人を作った方が良い。
沢村の幸せを願うなら、そうするべきなのに。

知り合ってもう10年。
後輩から恋人になった沢村は頼もしく、可愛い。
多分沢村と別れたら、ダメージが大きいのは自分の方だ。
綺麗に別れを告げる自信なんて、全くない。

「沢村、と三橋?」
もう1度ため息をつきかけたところで、御幸は足を止めた。
先に球団事務所を出たはずの三橋と沢村が誰かと喋っている。
しかもその雰囲気は良好に見えない。
もっと言えば、からまれているように見える。

その話している相手が誰だかわかった途端、御幸は走り出した。
つい最近、御幸たちの球団を自由契約になった先輩の投手だ。
彼はシーズン中、何かと三橋にからんでいた。
後輩で格下だと思っていた三橋が守護神にまでなったのが気に入らなかったのだろう。
三橋は気にしていなかったようだし、チーム内でも子供じみた行為に呆れられていたが。

「何をやってるんですか」
彼らに駆け寄った御幸は、割って入った。
とにかく今はまだ日本の球団の選手なのだ。
チームメイト、そして大事な守護神にちょっかいを出されるのを見過ごすなどできなかった。

【続く】
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