「おお振り」×「◆A」10年後

【爪の手入れ】

「よく動けてるな。」
御幸は軽口を装いながら、声をかけてくれる。
沢村は「そうっすね」と頷きながら、淡々と身体を動かしていた。

4人の自主トレも日程の半分が過ぎ、折り返し点に来た。
前半は眠っていた身体を起こすことが目的。
スローペースで地味な体力作りがメインだった。
だがここからは少しずつハードになっていく。
シーズン前の身体づくりのファーストステップ。
丁寧にしっかりとメニューをこなしていく必要がある。

沢村は穏やかな気持ちで、過ごせていた。
初日こそ昨シーズン不本意だったことの焦りから、三橋に少々からんだりした。
だがその三橋の話を聞いて、目が覚めた。

沢村は昨シーズン絶好調だった三橋がうらやましかった。
だが三橋は「オレは栄純君がうらやましい」と言った。
そして自分の将来の話をしてくれたのだ。
野球選手でなくなったら、阿部との仲も終わる。
だから1年でも多く、現役を続けるべく頑張るのだという。

正直、わからなかった。
三橋も阿部も真剣に好き合っているのはわかっている。
なのにどうして別れを覚悟しているのか。
親とか家とか関係なく、一緒にいればいいと思う。
もしも沢村だったら、絶対に無理だ。
今さら御幸がいない人生を送る自分は想像できない。

だけど沢村は何も言わなかった。
きっと三橋なりに考え抜いた結論なのだ。
沢村ができることは1つしかない。
それは何があっても、三橋や阿部と友人でいることだ。

翌日からの沢村は嘘のようによく動けた。
もう誰かを羨んだり、悔いを残したりしない。
新しいシーズンを戦い抜き、満足いく結果を残す。
今はそのための第一歩なのだ。

「よく動けてんなぁ。」
御幸は軽口を装いながら、声をかけてくれる。
三橋の話は御幸には伝えていない。
プライベートな話なので、勝手に教えていいとは思えなかったからだ。

「そうっすね」
沢村は頷きながら、淡々と身体を動かしていた。
何も聞かずに見守ってくれている御幸に感謝だ。
そして三橋と阿部にも。
おかげでこうして有意義な自主トレができている。

この日もそろそろ終わり。
沢村は三橋とキャッチボールをしていた。
この自主トレの間は、それが日課になっている。
そしてその横では阿部が御幸の素振りをチェックしていた。
打撃フォームの改良を目指す御幸に、阿部がトレーナーとしてアドバイスする。
これもまた日課となりつつあった。

「御幸先輩、ちょっと肩に力が入ってないすか?」
阿部はスマホで御幸の素振りを撮影すると、映像を確認しながらそう聞いた。
御幸が「言われてみれば」と頷いている。
すると阿部が「もっとこうじゃないっすか?」と御幸の肩に触れた。
それを見ていた沢村は思わず「あ」と声を上げた。

「どう、したの?」
怪訝そうに首を傾げる三橋に、沢村は「何でもない」と答えた。
そして「ラスト10球ずつな」と声をかける。
言えやしない。いまさら阿部が御幸に触れたことに嫉妬したなんて。
付き合って何年も経つのに、カッコ悪すぎる。

「それじゃ行くぞ!」
沢村は軽く振りかぶると、ゆっくりと投げた。
綺麗にスピンがかかったボールがすっぽりと三橋のグローブに納まった。

*****

「それじゃ整えていくぞ~」
阿部はやすりを手にすると、丹念に三橋の爪を削っていく。
御幸には「過保護」とよく笑われるが、知ったことではなかった。

練習を終え、食事や入浴も終わり、あとは寝るばかりとなった時間帯。
三橋と阿部は食堂で向かい合って座っていた。
三橋の手の状態をチェックするためだ。
マメや傷などはないか、爪が折れたり傷ついていないか。

「なんかピンクオーラが見えるんだけど」
「イチャつくなら、自分の部屋でやれよ~!」

御幸と沢村も2人の横に陣取り、茶々を入れた。
だが三橋は「ウヒ」と余裕の笑み。
そして阿部は「ここの方が照明が明るいんで」と涼しい顔だ。
もはや夫婦の域に達している阿部と三橋は、この程度の冷やかしには動じない。

「キャッチボールんとき、変化球投げただろ。」
「やっぱり、バレた?」
「爪がちょっと傷ついてるからな。」
「そ、そっか」

阿部は三橋の爪にやすりをかけていた。
三橋は右手を阿部に預け、完全にリラックスモードだ。
そんな2人に、御幸は「スゲェな」と苦笑した。

「そんな会話でも雰囲気甘いって、なかなかだぞ?」
「・・・爪か。オレももっとちゃんとしねぇとな」

感心する御幸とは対照的に、沢村は自分の爪を見ていた。
そして三橋の指先と見比べている。
沢村だってプロの端くれ、爪の手入れはしている。
だけど自分でやっているので、三橋と比べれば仕上がりは落ちる。

「見てやろうか?」
そんな沢村に、阿部が気さくにそう言った。
沢村は「え?いいの?」と身を乗り出す。
専門家に見てもらえるのは、心強い。

「別にいいぞ。こっちはもう終わるから。」
「ど、どーぞ!」

阿部の言葉に反応するように、三橋が席を立った。
沢村は「ああ」と頷き、入れ替わるように阿部の前に座る。
そして左手を差し出すと、阿部が無言でチェックし始めた。

「結構細かい傷、ついてんな」
「そっか?特に気付かないけど」
「ってお前、自分の爪だろ」

阿部はやすりを取り出すと、沢村の爪を削り始めた。
そして形を整えると、次は小さな瓶を取り出す。
沢村は「マニキュア?」と顔をしかめた。
プロの投手ならマニキュアを使用している者も少なくない。
だが沢村は抵抗があった。

「マニキュアじゃねぇよ。補修用のオイル。」
「そんなの、あるのか」」
「・・・お前、本当にプロの投手か?」

沢村は慣れた手つきで爪を削り、補修オイルを塗っていく。
簡単そうに見えても、さすがプロ。
沢村が自分でやるよりも、はるかに手早く綺麗に仕上がった。

「ところで三橋、御幸先輩と距離、近くねぇ?」
ふと見ると、三橋は阿部にピッタリと寄り添うように座っていた。
その距離が妙に近い。
三橋は御幸をチラリと見ると「仕返し!」と叫び、ニッコリ笑った。

「阿部君、気軽に触りすぎるから。オレも」
阿部は一瞬ポカンとした顔になったが、やがて笑い出した。
御幸のフォームチェックや沢村の爪の手入れ。
野球選手として、阿部が御幸や沢村に手を貸すのは問題ない。
だが恋人としては、別の男とベタベタされるのは微妙。
だから三橋は御幸との距離を詰めることで「仕返し」したのだ。
その試みは成功だ。
案の定、阿部はその距離の近さにモヤっとしたのだから。

「仕返しって。三橋、カワイイな。」
「うん。確かにカワイイ。阿部にはもったいない!」

御幸と沢村はそんな2人に笑みが止まらなかった。
守護神などと呼ばれる三橋だが、その心は未だに少年のようにピュアなのだ。

【続く】
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