「おお振り」×「◆A」10年後

【プレ自主トレ】

「すんません!頭、冷やして来やす!」
沢村は勢いよく頭を下げると、くるりと身を翻して走り出す。
三橋は御幸をチラリと見たが、すぐに沢村を追いかけていった。

御幸と沢村、阿部と三橋は自主トレに入っていた。
正確には自主トレ前のトレーニング、いわば「プレ自主トレ」だ。
4人で合宿よろしくキャンプを張り、身体を動かす。
学生時代から続いた4人のルーティーンだった。

三橋って本当に金持ちの子なんだよな。
御幸はこの時期に毎回思うことを、今年も痛感していた。
毎回この自主トレの場所は三橋の、正確には三橋の祖父の伝手に頼っている。
そこそこ綺麗な宿泊施設で、グラウンドやジムもあり、しかも外から見えない。
そんな理想的な場所を、嘘みたいな格安価格で貸し切りにできるのである。

今年もいよいよ始まる。
そんな決意を持って、4人がここに到着したのは昨晩のこと。
食事は自炊だが、作るのは阿部だ。
4人の中で唯一プロ野球選手ではない阿部は、そういう雑用を引き受けていた。
そして美味しく彩りよく栄養バランスの良い料理を、手際よく作ってしまうのだ。

「悪いな。お前ばっかり。」
恐縮した御幸は、阿部に手を合わせて謝罪のポーズを取る。
だが阿部は「いや、全然っすよ」と笑っていた。
阿部にとって、三橋の世話を焼くのは当然のこと。
御幸や沢村の分の食事は、あくまでそのついでらしい。

そして翌朝から、トレーニングだ。
4人でストレッチやランニングから始まり、黙々と身体を動かす。
初日はオフの間、眠っていた身体を起こすのが目的だ。
ピッチングやバッティングなど、ボールを使った練習はしないはずだったのだが。

「な、投げたい!」
自主トレ終了直前、おねだり(?)を始めたのはやはり三橋だった。
学生時代から「投球中毒」とまで評された三橋の投げたがり。
それはプロになってもやはり健在だ。
そして今は専属トレーナーになった阿部に上目遣いに訴えているのだ。

「何か拾って欲しい捨て猫みたいなんだけど」
御幸は笑わずにはいられなかった。
御幸も沢村も阿部ももはや青年、いやオッサンの域に入ろうとしている。
だが三橋だけはいつまでも10代の少年みたいに可愛らしい。

「オレも投げたいし、キャッチボールしねぇ?」
すかさず助け舟を出したのは、沢村だった。
そして「ちょっとならいいだろ」と勝手に話を進めている。
結局阿部が「ちょっとだけだぞ」と折れた。

「じゃあ守護神、やろうぜ!」
沢村は三橋の活躍を称えるように、声をかけた。
三橋は「しゅ、ごしん?」と首を傾げている。
御幸はすかさず「切るところ、おかしいぞ!」とツッコミを入れた。
そして笑い声の後、沢村と三橋はキャッチボールを始めたのだが。

「オレらもやります?キャッチボール」
阿部がそう言ったが、御幸は「いや」と首を振った。
そして取り出したのはバット。
御幸の今の気分はキャッチボールではなく、素振りだった。

やっぱり気分、落ちてるのか?
御幸は沢村をチラリと見ながら、そんなことを思った。
三橋に「守護神」だなんて、沢村らしくない。
もしかして絶好調だった三橋に、嫉妬でもしているのか。

「御幸先輩、フォーム改造とかしてます?」
物思いに耽りかけた御幸に、阿部が声をかけてきた。
我に返った御幸は「お前、鋭いね」と笑う。
御幸はまた思うところがあり、バッティングフォームを変えようとしていたのだ。

「そうだ。ちょっと素振りを見てもらっていいか?」
御幸はバットを構えながら、そう言った。
今やプロのトレーナーである阿部に何か気付いたことがあれば指摘してほしい。
阿部も気さくに「いいっすよ」と答えたのだが。

「それ、おかしくないっすか?」
沢村がキャッチボールをやめて、こちらに向かってやって来た。
三橋は何が起きたかわからず、オロオロしている。
御幸も「おかしい?」と首を傾げた。

「阿部は三橋の専属でしょ。御幸先輩を見るのはおかしいと」
「そんなに杓子定規に考えるなよ。オレはかまわないけど」

沢村の言い分に阿部がフォローを入れる。
だが御幸は「そうだな。オレが悪い」と頷いた。
阿部とは旧知の仲だが、今は三橋が金を払って雇っているトレーナーだ。
友人の延長で軽く意見を求めるべきではないというのは、もっともだ。
だが御幸があっさり非を認めた途端、沢村が急に狼狽えだした。

「すんません!頭、冷やして来やす!」
不意に沢村は勢いよく頭を下げると、くるりと身を翻して走り出した。
デカイ声とデカイ動作に、御幸も阿部も驚く。
三橋はビクンと身体を震わせ、目を見開いていた。

結局沢村は走り去り、残った3人の間に微妙な沈黙が漂う。
三橋は御幸をチラリと見たが、すぐに沢村を追って走り出した。
御幸はそんな三橋を見送りながら「あ~あ」と苦笑した。

「オレより三橋の方が、うまく話をまとめちゃうんだろうな。」
「ド直球で嘘がないから、説得力があるんすよ。」
「・・・それって、オレが嘘つきみたいじゃん!」

残された御幸と阿部は軽口を叩き合いながら、後片付けを始めた。
とりあえず今日のトレーニングは終了。
後は妙なしこりを明日に残さないようにすることだ。

*****

「オレは、栄純君が、うらやましい、よ」
三橋は素直に自分の気持ちを打ち明けた。
そしてポカンとした顔の沢村を見ながら、クスリと笑った。

三橋は突然走り出した沢村を追って、宿舎に戻った。
エントランスに沢村の姿はないが、行く場所は1つしかない。
そして予想通りの場所に沢村はいた。
食堂の冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し、飲んでいたのだ。

「栄純、君。おつかれ」
三橋は何事もない素振りを装いながら、声をかけた。
そして「オレも、スポドリ」と冷蔵庫を開ける。
沢村は食堂の椅子に腰を下ろし、何か言いたげにこちらを見ていた。

「キャッチボール、途中、だった」
三橋は沢村の隣に腰を下ろすと、恨みがましくそう言った。
沢村は「へ?」と間の抜けた声を上げる。
そう、三橋と沢村はキャッチボールの途中だったのだ。
沢村はキョトンとした表情になったが、やがて笑い出した。

「悪かった!」
「そう、だよ!」
「いや、雰囲気を悪くした。」
「それは御幸、先輩に」
「いや三橋と阿部にも悪かった!」

沢村は勢いよく立ち上がると、頭を下げる。
三橋はその剣幕に驚き、スポーツドリンクを吹き出しそうになった。
沢村はいちいち声がデカいし、動作も大きい。
小心な三橋が驚かされるのは、もう何度目になることか。

「オレ、三橋に嫉妬してた」
「オレ、に?」
「ああ。オレは今シーズン不調でさ。守護神なんて言われた三橋が羨ましくて」
「今シーズン、じゃないよ。」
「え?」
「昨シーズン、だよ。今シーズンは、これから、始まるんだ!」

三橋は沢村の言葉を訂正した。
そう、もう終わったことをクヨクヨしてても仕方ない。
それより次のシーズンに向けて始動する。
それがこの自主トレの目的なのだ。

「だよな。前に進まねーとな。」
二カッと笑う沢村に、三橋はウンウンと何度も頷いた。
すると沢村が「三橋を羨んでても仕方ねーし」などと言う。
三橋は慌てて、今度はブンブンと首を横に振った。

「オレは、栄純君が、うらやましい、よ」
三橋は素直に自分の気持ちを打ち明けた。
すると沢村はポカンとした顔になる。
今日の三橋は沢村のデカい声に何度も驚かされた。
その仕返しができたような気がして、クスリと笑った。

「だって、栄純君、左だし」
「そりゃ多少は有利かもだけど」
「球、オレより、速い」
「速けりゃ打たれないってもんじゃないだろ」
「球種も、多い」
「数が多ければいいってもんでもねぇよ」

三橋は指を折りながら「うらやましいポイント」を挙げていく。
沢村はいちいちそれに答えていた。
沢村は左投げで、三橋よりも球速が早く、変化球の数も多い。
それは紛れもない事実だった。
おそらく投手の能力を五角形のグラフで表したら、沢村の方が大きくバランスも良い。
投手としてのポテンシャルなら、明らかに沢村が上だ。

だがだからシーズン中の成績がいいとは限らないのだ。
球が速いから打たれないものではない。
むしろプロ選手は速球には慣れている。
変化球だって、何試合も投げていれば見極められていく。
上手い投手と強い投手は、必ずしもイコールではないのだ。

「それに、ずっと、好きな人と、いられる。」
三橋は最後の「うらやましいポイント」を口にした。
沢村は「は?」と間抜けな声を上げる。
いきなり野球と関係ないことを言われ、意表をつかれたようだ。

「オレは、プロ引退したら、じいちゃんの、学校で、働くんだ。」
「ええと、群馬の?」
「うん。三星学園。で、阿部君は、家業」
「カギョウ?」
「家の、仕事。阿部君ち、会社、やってる。」
「つまり、遠距離恋愛?」

沢村の質問に、三橋は静かに首を振った。
離れ離れになったら、多分それが最後。
三橋はそう思っている。
新しい仕事に就いて、距離も離れたら、多分終わる。
そこで恋愛を続けられるほど、三橋も阿部も器用ではないのだ。

「次の仕事なんて、自分で選べねーの?」
沢村はもっともなことを言う。
三橋は曖昧に笑うだけで答えた。
祖父から三橋の両親、そして三橋自身が今まで受けた援助。
それを考えれば、おそらく選択の余地などない。

「オレは、少しでも、長く、プロで、投げる。それだけ。」
三橋はそう呟くと、スポーツドリンクを飲み干した。
沢村は「オレも、そうする」と同じようにスポーツドリンクを飲む。
そのとき食堂のドアが開き、御幸と阿部が入って来た。

「テメーら、後片付け、サボったな!」
御幸は笑いを含んだ怒声を上げた。
三橋と沢村は勢いよく立ち上がると「「ごめんなさい!」」と頭を下げる。
期せずして同じ動作、しかもハモってしまった。
それに気付いた2人は顔を見合わせると笑い出した。

【続く】
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