「おお振り」×「◆A」10年後

【来シーズンの契約】

「来期も契約。して、くれるって!」
三橋は通話を終えるなり、開口一番叫んでいた。
阿部は苦笑しながら「まずは落ち着け」と諌めた。

今年もプロ野球のシーズンが終わった。
三橋のチームは日本シリーズで優勝、日本一となったのだ。
それが決まった瞬間、マウンドに立っていたのは三橋だった。
入団当初から3年は中継ぎ投手として使われることが多かった。
だが今シーズンはクローザー、つまり試合の最後の抑え投手として多く起用された。

そして優勝の余韻がまだ残るある日のこと。
阿部の部屋でまったりと寛いでいた三橋に球団から連絡が入った。
来期も契約できること、そして年俸は大幅アップになることを。
そして契約更改、つまり球団と契約書を交わす日を決めて、電話を切った。

「そりゃそうだろ。なんたって守護神様だからな。」
阿部はすかさずツッコミを入れた。
三橋は今年、クローサーとして起用され、何度もチームの危機を救った。
球団からしても、これは予想外だろう。
そもそもプロ入りできるほど、注目されている選手ではなかった。
それが今シーズンは「守護神」などと呼ばれているのだから。

「年俸、せいぜいふんだくってやれよ。」
阿部は茶化しながらも、三橋の活躍を頼もしく思った。
三橋は、というより全ての投手は基本、先発ローテーション入りを目指す。
登板費が最初からわかっているから、コンディションを作りやすいのだ。
対する中継ぎや抑えは試合展開で、出るか出ないかわからない。
つまりいつでも出られるように、常に緊張を保っていなければならないのだ。
それを1シーズン続けた三橋は、当然評価もかなり上がっているはずだ。

「これも、阿部君の、おかげ」
三橋は阿部を真っ直ぐに見つめ「ウヒ」と笑った。
今シーズン、快進撃を続けた三橋の最大の武器。
それは阿部が専属トレーナーについたことだった。
球団職員ではなく三橋個人で雇い、サポートしてもらった。
三橋のレベルでそんなことをしている選手がまずいない。
周りからははっきり言って「バカ扱い」された。
それでも三橋は結果を出し、周囲を黙らせたのだった。

「阿部君の、給料、アップ、できる!」
三橋は自分の事より、阿部への待遇改善を考えている。
阿部は「オレはいいから」と苦笑した。
とはいえ阿部も給料が増えるのはありがたい。
会社を辞め、三橋専属になった阿部だが、今年の財政事情は苦しかった。
会社員時代のささやかな貯金は、かなり食いつぶしてしまったのだ。
来シーズンはバイトでもするかと、真剣に考えている時期もあったのだ。

「今年も、栄純君たち、と、自主トレ、行ける!」
三橋はもう1年、野球ができることを素直に喜んでいた。
元々プロ入りできただけでラッキーと思っているのだ。
持ち合わせている野心は、1年でも多くプロ野球選手でいることだけ。
むしろそんな三橋だから、メンタルも強いのだ。
その結果、どんなピンチでも動揺せず、自分のピッチングができた。

「栄純、君、にも、報告」
三橋は不意に立ち上がると、部屋を出ていこうとする。
高校時代からの友人、沢村は同じマンションの住人なのだ。
だが阿部は「待て、待て」と諌めた。

「とりあえずメールでいいだろ。沢村も御幸先輩とのんびりしてるだろうし。」
「そ、そっかな」
「今日はオレらだけで、来シーズンも契約できた祝賀会をしようぜ」

三橋が「わかった」と頷くのを見て、阿部はホッと胸を撫で下ろした。
今三橋がハイテンションで沢村と話すのはまずい気がしたのだ。
沢村は沢村で大変だったと推察できるからだ。

「阿部君、オレ、ガッツリ肉、食いたい。」
「そりゃいいけど、野菜も食えよ」
トレーナーの顔に戻った阿部が、祝賀会のメニューを考え始めた。
未だに痩せの大食いの三橋は、放っておくと好きなものばかり食べてしまう。
そんな三橋にバランスの良い食事をさせるのも、阿部にとっては仕事なのだ。

*****

「とりあえず契約はしてもらえそうっす」
沢村は冷静を装いながら、報告する。
御幸もまた静かに「そうか」とだけ答えた。

三橋が球団から来シーズンの契約の内示を受けた数日後。
沢村もまた球団から自分の去就を聞かされていた。
とりあえず契約はする。
ただし少しだが年俸が下がることになるらしい。

「なかなか御幸先輩との差が埋まらないっすね。」
沢村は明るさを取り繕いながら「ははは」と乾いた笑いを漏らした。
御幸もまた「簡単に埋められてたまるか」と応じる。
御幸の住まいであるマンションの部屋には、微妙な空気が漂っていた。

今シーズン、沢村にとっては不本意なものだった。
勝ち星も防御率も、昨シーズンを下回ったのだ。
それまでは順調で、ついには先発ローテーション入りを果たした。
それなのに思うような結果を出せなかったのである。

「そんなに落ち込むほどの数字でもないだろ?」
御幸は沢村の空元気など、お見通しだ。
その上でごくごく客観的な意見を述べたのだ。
そう、昨年より確かに悪いが、別に大崩れしたわけではない。
少しだけ落ちただけなのである。
ただずっと成績を伸ばしていた沢村にとって、伸びないどころか落ちたのはショックなのだろうが。

「御幸先輩に言われても、嫌味にしか聞こえないっすよ。」
沢村は口を尖らせて、わかりやすく拗ねた。
御幸は「だよな~」と肩を竦める。
大した落ち方じゃないなんて、気休めにもならない。
選手は常に上を目指すものであり、そうならないことは恐怖でしかないのだ。

ちなみに御幸は絶好調だった。
不動の正捕手であり、今シーズンから4番を打っている。
打率、打点、ホームラン数、そして盗塁阻止数。
そういう目に見える成績は全て伸ばしているのだ。

「来シーズンは絶対リベンジっす!」
「ああ、その意気だ」
「また自主トレからスタートっすね。」
「今年も4人からだな。」

沢村と御幸は顔を見合わせて、頷き合った。
シーズンの始めはかならず御幸と沢村、阿部と三橋で自主トレをする。
三橋の祖父の伝手で、贅沢な施設が格安で使えるのだ。
そこで身体を動かすことから、シーズンが始まる。
それはもうここ何年も恒例の行事となっていた。

「日程決めないとな。オレから三橋に話をしておくよ。」
御幸の言葉に、沢村が微妙な表情になった。
ちなみに御幸と三橋は同じチームでバッテリーを組むこともある。
そのせいか2人の距離は妙に近いのだ。
同リーグとはいえ、別のチームの沢村にはそれが妙にもどかしかったりする。

「早くFA取って、御幸先輩と同じチームになりたいっす。」
沢村の心の奥の本音が、口をついて転がり出た。
FAとはフリーエージェント、つまり全ての球団と契約交渉できることになる。
プロのマウンドで御幸とバッテリーを組みたい。
それが沢村の夢であり、願いだ。

「そうかよ」
御幸は素っ気なく、そう答えた。
実は御幸は御幸で悩んでいることがある。
そして御幸の希望がかなうなら、おそらく沢村とバッテリーは組めない。
だがそれを御幸は沢村に言えないでいた。

【続く】
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