「おお振り」×「◆A」6年後

【そしてまた自主トレ】

「御幸センパイ、左足、どうかしました?」
阿部は御幸に声をかけた。
御幸は「お前、するどいな」と、苦笑した。

12月某日、御幸と沢村、そして阿部と三橋は自主トレに来ていた。
場所は三橋の祖父の伝手で借りることができる、九州某所の施設。
昨年も来ており、4人にとってはお馴染みの場所だ。

「阿部、よく休みを取れたな」
御幸は呆れたようにそう言った。
阿部は「よく言いますね」と応じる。
当初、休みが取れないから自主トレには参加しないと言っていた阿部を説得したのは、御幸なのだ。

とはいえ、会社員1年目の阿部が休みを取るのは、実はなかなか大変だった。
忙しい年末時期の長期休暇なのだ。
上司には嫌味を言われたし、おそらく勤務評定に響いていると思う。
だが阿部は元々長く今の会社にいるつもりはない。
三橋の専属トレーナーになるのが夢だし、それが叶わなくてもいつかは父親の会社を継ぐつもりだ。
だから大変とは思いながらも、気持ちはサバサバしていた。

自主トレは昨年同様、基礎体力強化から始まる。
ランニングや筋トレ、ストレッチなどがメインだ。
そして阿部は、三橋と差がついたことを痛感させられた。

昨年、阿部も三橋もまだ大学生だった。
御幸や沢村がサラリとこなすメニューに、ついていくのがやっとだったのだ。
だが今は三橋は軽々と2人と同じ練習をこなしている。
逆に阿部は社会人となり、大学の頃ほど身体を動かしていない。
以前より動けなくなっているのが、嫌というほどわかる。

「すんません。オレ、ここで抜けます。」
ダッシュを何本か繰り返し、ノルマの半分のところで阿部は練習を抜けた。
そしてセットしておいたビデオカメラの映像をチェックする。
最初から彼らの練習について行こうと思えば、落ち込むだけだ。
だから阿部は今回、この自主トレで別のテーマを設定していた。
それはトレーナーとしてのスキルを磨くことだ。
だからビデオカメラを数台持ち込み、彼らの練習をチェックすることにしたのだが。

3人はダッシュのノルマの回数を終え、ハァハァと荒い呼吸をしながら、水分補習をしている。
ビデオ映像をチェックしていた阿部は「御幸センパイ」と声をかけた。
そして「左足、どうかしました?」と聞く。
ビデオでチェックすると、ダッシュの回数が進むにつれ、御幸が左足を引きずるような動きが見えたのだ。

「お前、するどいな」
御幸は苦笑した。
そして「この前、寮を出るヤツの引越手伝った時に、左足の小指をぶつけたんだ」と白状した。
沢村は「うわぁ、痛そう」と顔をしかめる。
三橋は黙ったまま、顔を曇らせた。
今の話の「寮を出るヤツ」は契約を打ち切られた先輩選手のことで、三橋とも仲がよかったのだ。

「大したことないならいいっすけど。とりあえず今日は走らない方がいいっすよ。」
阿部がそう告げると、三橋も沢村も大きく頷いた。
御幸は「お前、いいトレーナーになるよ」と笑い、その日の練習をジムでの上半身の強化に切り替えた。

*****

「今日はよく走ったよなぁ。疲れたぜ!」
沢村が言葉とは裏腹、元気いっぱい声を張り上げた。
三橋もまた「疲、れた!」と元気が有り余るような大声で、同意した。

御幸が別メニューになった後は、三橋も沢村もずっとランニングをした。
投手に大事なのは、とにかく下半身の強化である。
オフシーズン走り込むのは、必須だ。
特にまだまだ若手であり、長く現役を続けたい2人にとっては。

「阿部、飲みたければ飲んでもいいぞ?」
夕食の席で、御幸が冗談とも本気ともつかない口調で、そう言った。
プロである3人は、最終日の打ち上げまではノンアルコールで過ごすつもりである。
だが現役ではない阿部の場合は、もうそこまでする必要もない。

「オレも最終日まではノンアルでいいっすよ。」
阿部はそう答えながら、こっそりとため息をついた。
気にしないようにしていても、やはり彼らとの差が気になるのだ。
練習についていけないのが悔しいだけではない。
やはり3人とも、アスリートらしい綺麗な身体をしているのだ。
阿部はこの1年で筋肉が落ちて、その分脂肪がついた。
東京に戻ったら、トレーニングをしなくてはと真剣に考えていた。

「オレ、東京に帰ったら、部屋探さなきゃなんないんだよなぁ」
沢村が突然、そんなことを言い出した。
三橋が「栄純、君、も?」と聞き返す。
実はつい先日、御幸が寮を出なくてはならなくなり、三橋たちのマンションに来ることになったばかりだ。
年内に前の住人が引っ越すので、年明け早々に入居することになっている。

「ああ。昨日、寮監に言われた。そろそろ考えろってさ。」
「そろそろってことは、退去命令じゃないんだろ。」
「う~ん。そうなんっすけど。言われた手前、居づらい雰囲気で」
「沢村でも雰囲気を気にするんだな。」
「阿部、テメー!!」

そこで笑いがドッと弾けた。
そして笑いの波が引く頃、思わぬ提案を仕掛けたのは三橋だった。

「栄純、君。オレ、の、部屋。来る?」
「ハァァ!?」
「どうせ、オレ、帰った時は、阿部、君の、部屋で、ずっと、いるし」
「・・・マジで?」
「うん。それ、に、栄純、君、も、御幸センパイ、の部屋、行く、でしょ?」

三橋の言葉に、沢村も三橋本人も真っ赤になった。
そして御幸も困ったような顔で、わざとらしくコホンと咳払いをする。
一瞬の間の後、御幸も阿部も沢村も、三橋の提案が案外合理的であることに気がついた。

三橋本人は1年目で寮暮らしであり、マンションにはほとんど戻っていない。
そしてたまに戻った時も、ほとんど阿部の部屋にいるのだ。
また沢村も、同じマンションなら御幸の部屋で過ごすことが増えるだろう。
そもそもマンションは単身者用ではなく世帯向けで、そこそこ広い間取りなのだ。

「それ、いいかも」
沢村と御幸は顔を見合わせて、頷いた。
阿部は「まぁ賑やかなのも、楽しいか」と呟き、三橋は「そう、でしょ!」とドヤ顔になった。

【続く】
29/31ページ