「おお振り」×「◆A」6年後

【浮気疑惑】

もしかして。でもまさか。
三橋は主のいない部屋で、1人膝を抱えていた。

練習で負傷した三橋は、捻挫で全治2週間と診断された。
三橋からしてみたら、大げさすぎると思う。
最初の二日ほどは痛かったけど、3日も過ぎればほとんどなくなった。
学生の頃なら、気にせず投げていたレベルだ。
だがチームドクターにそれを訴えてみたのだけれど、却下された。
ほとんど痛くないっていうのは、まったく痛くないのとは違うのだと。

最初の1週間は上半身のストレッチのみ、後の1週間は身体を慣らすためのメニュー。
そう言い渡されたものの、三橋は落ち着かなかった。
2週間も離脱して、戻れるのか。
仮に身体は戻せたとしても、チームに三橋の居場所はあるのかと。

栄純君はどうだったんだ?
焦る三橋が考えたのは、沢村のことだった。
騒動の後、二軍に落とされていた沢村は、こういう気持ちとどう折り合っていたのだろう。
そう思った三橋は、さっそく沢村にメールしてみた。

栄純君、二軍にいる間、あせったりしなかった?
三橋は近況報告の後、最後にそう質問してみた。
しばらくして返ってきたのは、実に沢村らしいメールだ。

神様が休みくれたと思えばいいじゃん。
マンションに戻って、阿部と会えばいい。

三橋にとって、目からウロコどころじゃない。
どうしてこんなことに気付かなかったんだろうと、驚いてしまう。
だが名案だ。練習メニューは軽いし、どうぜ時間を持て余す。
そうだ。阿部に会いに行けばいい。
どうせなら連絡せずに行って、驚かしちゃえ!

そう思った三橋は、マンションに戻った。
だが向かったのは自分の部屋ではなく、隣室の阿部の部屋だ。
合鍵はもらっている。
三橋は勝手知ったる恋人の部屋に上がり込んで、待つことにした。
コンビニで食事やお菓子を大量に買い込んだし、長期戦の構えだ。

でも、遅い。
三橋はテレビを見たり、阿部の部屋にあった野球雑誌を見たりして、時間を潰した。
だが阿部は夜遅くなっても、戻って来ないのだ。
阿部とは日に何回もメールのやり取りをしていて、今、仕事はそんなに忙しくないと聞いている。
それなのに夕食時が終わり、そろそろ深夜といえる時間になっても、阿部は帰って来なかった。

どこにいったんだろう。
会社の飲み会、とか?それとも何か、オレに言えないこと?
そこまで考えた三橋は、もう1つの可能性に思い至った。
新しい恋人ができたとか?
もしかして。でもまさか。

三橋は結局、阿部に会うことなく、夜11時前にマンションを出た。
寮の門限は過ぎているが、外泊の申請はしてある。
用事が早く片付いたから戻ったと言えば、問題ないだろう。
使ったカップを洗い、雑誌は元の場所に戻し、買って来た食料はそのまま持ち帰る。
ここへ来たことがバレないように。

阿部君、何してるんだろ。
三橋はため息をつきながら、マンションを出た。
阿部が戻ったのは、三橋が部屋を出た30分後だった。

*****

『三橋、お前が浮気してんじゃないかって悩んでるぞ。』
唐突にそう告げられた阿部は、思わずスマホを取り落しそうになった。

阿部は忙しい日々を送っていた。
会社の仕事はまぁまぁ、何とかやっていける。
新人の割りには、まぁまぁデキる方だと思っている。
だが大変なのは、専門学校との両立だった。
三橋のトレーナーのなりたくて、会社帰りにそのための学校に通っている。
授業は毎日あるわけではないが、2日に1度は帰りが深夜になる。
若いから大丈夫と強がってみても、やはりしんどい。

三橋から届くメールが、今の阿部の心の支えだ。
何を食べたとか、こんな練習をしたとか、先輩選手とこんな話をしたとか。
本当に他愛のない話ばかりだ。
だが毎日三橋が何をしているのか、よくわかるのが嬉しかった。

それなのに、最近は何だか妙だ。
相変わらずの頻度で、メールは届く。
だが微妙に内容が素っ気ないのだ。
例えば今まで食事などは、美味しかったとか、量がたっぷりあって大満足なんて書かれていたのに。
ここ数日はメニューが淡々と箇条書きされているだけだ。

そんなときに、電話が来た。
発信者は「御幸一也」だ。
それを見た阿部は、何だかひどく不吉な予感がした。
御幸からは三橋ほどではないが、まぁまぁメールは来る。
だが電話で話したのは、いい加減長くなった付き合いの中でもほんの数回だ。
それがわざわざメールでなく電話ということは、よほどの急用だろう。
用件もおそらく三橋のことではないかという気がする。

「もしもし。御幸センパイっすか?」
阿部が電話に出ると、向こうからは『よぉ』と軽い口調の声が聞こえた。
切羽詰まった様子ではないことに、阿部は少しだけ安堵しながら「電話なんてめずらしいっすね」と言った。
だが次の瞬間、御幸はとんでもないことを言い出したのだ。

『三橋、お前が浮気してんじゃないかって悩んでるぞ。』
唐突にそう告げられた阿部は、思わずスマホを取り落しそうになった。
だがかろうじて持ちこたえると「何でですか!?」と聞き返した。
冷静に応じるつもりだったが、声が上ずってしまった。

『三橋、この前、マンションに行ったけど、お前が帰ってこなかったって』
「は?」
『浮気してたらどうしようってさ』

阿部は思わず「あ!」と声を上げていた。
数日前、専門学校に寄ったので深夜に帰宅した日、部屋の中がおかしかったのだ。
几帳面な阿部は、部屋の中のものの位置をきっちりと決めている。
だがテレビのリモコンや、キッチンのカップの位置が変わっていたのだ。
いや正確には、変わっていた気がしただけだ。
おかしいな、こんな場所に置いたっけ?と首を傾げたが、それ以上疑うことはなかった。
まさかこっそり三橋が来るなんて可能性は、考えなかったからだ。

『どうせ学校に行ってて、遅くなったんだろう?』
阿部がトレーナーを目指していることを、御幸は知っている。
だが何も知らない三橋は、深夜になっても帰宅しない阿部を心配してしまったのだ。
なるほど、メールが素っ気ない理由も頷ける。

「わざわざ知らせてくれて、ありがとうございます。」
『ちゃんとフォローしてやれ。じゃあな』
通話が切れると、阿部はハァァとため息をついた。
やはり離れていると、ちょっとしたことですれ違ってしまう。
御幸がわざわざ電話で、だが敢えて淡々とした口調で教えてくれたのが、ありがたかった。

「もう隠してはおけないかな。」
阿部はポツリとそう呟くと、三橋にどうやって話すべきかと考えを巡らせ始めた。

【続く】
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