狂ったモノ

【あいされる】

「友井が?本当に?」
巣山が思わず身を乗り出して、聞き返す。
栄口はその剣幕に驚き、身体を強張らせた。

昨日、栄口は旧友から電話を受けた。
電話をくれたのは、かつてのマネージャー、篠岡千代だ。
マメな性格である篠岡は、時折近況報告のメールをくれる。
最近では阿部と三橋の合同結婚式で、直接顔も合わせていた。
それでも電話で話をしたことは、記憶にない。
もしかして初めてかもしれなかった。

『紋乃に赤ちゃんができたんですって。』
篠岡は挨拶もそこそこにそう告げた。
電話口なのではっきりとはわからないが、テンションが上がっているようだ。
親しい友人の幸せに喜ぶ気持ちはよくわかる。

「そっか。阿部もパパになるのか。」
栄口は明るい口調を装いながら、困惑していた。
あの結婚は偽装だったはずだ。
子供なんてできる筈がない。
それともまさか偽装のために、子供まで作ったというのだろうか?

『それで何かプレゼントしようと思うの。意見を聞きたくて』
やはり篠岡の声は弾んでいる。
阿部と三橋の結婚が偽装であることを知らないからだ。
だが知っている身としては、とても喜べない。
栄口は電話の向こうに届かないように、細いため息をついた。

「巣山に相談してみるよ。それでこっちから連絡する。」
栄口はようやくそう告げた。
とにかく今は電話を切りたい、苦し紛れの言葉だ。
だが篠岡は納得してくれたようだ。
高校時代からメンバー1のおしゃれと言われていた巣山。
その意見を聞くのは悪くないと思ったのだろう。

栄口は電話を切ると、すぐに巣山に電話する。
そして翌日、会社帰りに会う約束を取り付けた。
待ち合わせ場所は、巣山の会社の近くの定食屋だ。
居酒屋にしようかと思ったが、この話題で酒を飲む気にはなれなかった。


「友井が?本当に?」
巣山は思わず身を乗り出して、聞き返した。
予想外の展開に驚くしかない。
なぜなら巣山は、まさに今、紋乃と関わる仕事をしているからだ。

大学を卒業した巣山が就職したのは、大手の警備会社だった。
そして現在は系列の調査会社に出向している。
企業相手の信用調査が多いが、個人の仕事も引き受ける。
そんな巣山のところに依頼を持ち込んだのだった。

「友井、さん、調べて。徹底的、に」
三橋は、今は阿部の妻となっている旧姓友井紋乃を調べろと言う。
依頼を聞いた巣山は妙だと思った。
百歩譲って、自分の妻を調べろというなら、まだ理解できる。
または美亜と紋乃、2人を調べろというのもわからないでもない。
だが三橋が紋乃だけを徹底的に調べろという理由は、わからない。

だが巣山はその理由を聞かなかった。
依頼として聞いた以上、これはもう仕事なのだ。
クライアントである三橋の意見に従わなければならない。

調査は巣山の後輩社員が行なった。
さすがに顔見知りの巣山本人が動けば、紋乃に気付かれる可能性があるからだ。
だが直接依頼されたこともあり、調査結果には目を通している。
だからこそわかる。
この妊娠話には、きっと裏がある。

「なぁ、お祝いは少し待った方がいいかもしれないぞ。」
「どういうこと?」
「・・・あまりめでたくないかもしれないってことだ。」

巣山は慎重に言葉を選んだ。
仕事であるから、多くは語れない。
だがどうしてもいい結末が予想できないのだ。
なまじお祝いなど送ったら、気まずいことになりそうな気がする。

ちょうどその時、頼んだ定食が運ばれてきた。
野球部だけの食事のときは、今でも「うまそぉ!」をしたりする。
だが今日はそんな気も起きない。

どうせなら居酒屋の方がよかった。
巣山は今さらそんなことを思いながら、箸を取った。


「本音、で、話、しよう。」
三橋は2人の女の顔を見比べる。
女たちは冷ややかな三橋の視線を受け止め、睨み返してきた。

ここは美亜と紋乃の部屋だった。
紋乃から電話で「話がある」と呼び出されたのだ。
部屋に行くと、美亜もいた。
2人は三橋と対決するつもりのようだ。

三橋は促されるままに部屋に上がった。
本当はこの2人の部屋になんか入りたくなかった。
だが今回ばかりは仕方ない。
人にはあまり聞かれたくないし、自分たちの部屋には入れたくないのだから。

「どうぞ」
三橋はすすめられるままソファに腰を下ろした。
紋乃がその正面に腰掛ける。
三橋はキッチンに向かう美亜の背中に「お茶、とか、いらない」と声をかけた。
それを聞いた美亜は「フン」と鼻を鳴らすと、紋乃の隣に座った。

「紋乃、妊娠したの。」
「へぇぇ」
挑発的に告げる美亜に、三橋はさらに挑発的に応じる。
2人の女の表情に動揺が走った。
三橋のその態度は予想外だったようだ。

「驚かないのね。阿部君の子よ。」
「そう。」
今度は紋乃が自分の下腹部に手を置きながら、そう言った。
だがまたしても三橋の表情は動かなかった。

「もう、知ってるよ。野球部、全員」
三橋は静かに切り返した。
紋乃の妊娠話は、本人から篠岡に告げたことで、元野球部員たちは皆知っている。
三橋が聞いたのは、調査を依頼している巣山からだった。
その他にも、田島や泉から本当なのかと問い合わせるメールが届いていた。


「本音、で、話、しよう。」
三橋はおもむろに反撃に転じた。
妊娠話は正直言って、耳に入るたびに鬱陶しかった。
それでも女たちを焦らしてやるつもりで、今まで何もしなかったのだ。
そろそろ決着をつける時期ということだろう。

「阿部君、の、子じゃ、ないよね。そもそも、妊娠、してない、でしょ。」
「何言ってるの!紋乃は妊娠して。。。」
「してる、はず、ない。調べれば、わかる。」

本当はすでに、巣山の会社に依頼して調べている。
紋乃は結婚してこのマンションに住んでから、一度も通院をしていないのだ。
今は検査薬などで、妊娠を知ることできる。
だがもしも陽性であったら、病院で診察を受けるのが普通だろう。
それをしないのは、その妊娠自体を疑わざるを得ない。

「すごく、考えたよ。友井さん、そんなこと、する、理由」
三橋はそう言いながら、それは嘘だなと思う。
本当は最初から、気がついていた。
2人の女の邪な目的など。

「小川さんは、財産、目当て。友井、さんは、阿部君。だよね?」
三橋はきっぱりと言い切った。
美亜は眉をひそめ、紋乃は目を伏せる。
やはり自分の直感は当たっていたのかと、三橋は苦笑する。

紋乃は阿部のことを愛している。
だからこの偽装結婚にのったのだ。
偽者でも何でも戸籍上は、阿部の妻。
そしてあわよくばいつか、チャンスがあるかもしれない。
愛されるかもしれない。

紋乃がそんな目で阿部を見ていたことは、三橋にはお見通しだった。
なぜなら三橋は正真正銘、阿部の恋人なのだから。
だからこそ三橋は紋乃には冷たく当たっていた。
仮初めの妻の座に満足せず、阿部に熱い視線を送る紋乃が嫌だった。

それでも偽装結婚に踏み切った理由は1つ。
阿部と2人、誰にも邪魔されずに生きていきたかったからだ。
今の生活を壊さず、親や親族を悲しませずに、それをしたかった。
そのために偽装結婚は最善の策だと思った。


「オレ、動揺、させようと、した?」
三橋は目を眇めながら、2人を見た。
美亜は小さく舌打ちし、紋乃は涙ぐんでいる。
偽装妊娠はやはり三橋を動揺させるのが、目的だったらしい。
少しでも動揺させて、阿部と三橋の間に波風を立てるのが狙いだったのだ。

「妊娠は、間違いって、早く、みんなに、知らせたら、いい。」
三橋はこれで終わりとばかりに腰を上げる。
だがずっと俯いていた紋乃が顔を上げて「バラしてやる!」と叫んだ。

「なに?」
「みんなにバラすわ。これは偽装結婚だって。」
「いまさら」
「そうよ!でも、もうイヤ!」

三橋は冷ややかに、紋乃を見下ろした。
最初からルールを決めた偽装結婚だったはずなのに。
妙な策略を巡らせて、バレたら逆ギレとは。
まったく浅はか過ぎて、ウンザリする。

しばらく室内に微妙な沈黙が落ちる。
だがドアチャイムの音がその沈黙を破った。
美亜が立ち上がって、玄関に出て行く。
そして戻ってきた美亜の後ろから現れたのは、スマートフォンを手にした阿部だった。

「友井がオレを好きなんて、気付かなかった」
阿部がそう言うと、三橋がポケットからスマートフォンを取り出す。
つまり2人のスマホは通話状態で、会話は阿部に筒抜けだったのだ。

「オレの子を妊娠なんてありえねーよ。オレに愛させるのは三橋だけだ。」
阿部はきっぱりとそう言い切ると、三橋の手を引いて出て行こうとする。
だが紋乃は「待って!」と叫んだ。
美亜も「まだ話は終わってないわ」と追い討ちをかける。

「わかった。聞こう。」
阿部が頷くのを見て、三橋は先程まで座っていた場所に再び腰を下ろす。
ごく自然に阿部もその隣に座った。

歪な形で始まった偽装結婚。
その行く末が話し合われようとしていた。

【続く】
4/5ページ