狂ったモノ
【神に嫌われた子供】
「本当にいいの?」
西広は書類を確認しながら、念を押す。
だが三橋は少しも迷いのない笑顔で「うん!」と頷いた。
大学を卒業した西広は弁護士になっていた。
高校時代から試験のための勉強はしなかったという明晰な頭脳の持ち主だ。
司法試験を1回でクリアしたときも、驚きはなかった。
西浦高校野球部関係者たちは「まぁ西広なら」と冷静に受け止めていた。
晴れて弁護士となった西広は、大学時代の先輩の弁護士事務所に籍を置いていた。
そこで経験を積んで、いずれは独立するのが目標だ。
そんな西広にとって、三橋はありがたい存在だった。
三星学園は全国区でこそ知名度は低いが、地元では名門進学校。
有名大学への進学率も高い。
必然的に卒業生は有力者が多いし、後援者も然り。
その理事の孫であり、経営の一端を担う三橋の人脈はすごい。
その人脈に、三橋はさりげなく西広を売り込んでいた。
若いけど優秀で誠実な弁護士だと。
おかげでわざわざ西広を指名する顧客が増えている。
「オレは、話、した、だけ。」
「コネを顧客に、するのは、西広君、の、腕、だよ!」
三橋は恐縮する西広に、そう言った。
吃音は相変わらずだが、深い配慮を感じる。
さりげなく、西広に気を使わせないような言葉を選んでいるからだ。
三橋も大人になったんだな。
西広はごく当たり前にそう思った。
その三橋が西広の事務所を訪ねて来て、ある依頼をした。
あまりにも突拍子のないその内容に、西広は驚く。
だが当の三橋はもうすでに心に決めており、撤回するつもりはないらしい。
「じゃあ、これで進めるよ」
西広は有能な弁護士の顔で、そう言った。
三橋が「よろしく、お願いします」と答える。
高校時代と変わらないその笑顔が、西広には少しだけ怖く見えた。
「「お疲れ!」」
西広は会社帰りの居酒屋で、ジョッキを掲げた。
目の前に座るのは、高校時代のクラスメイトにしてチームメイトの沖だ。
偶然職場が近いこの2人は、ときどきこうして一緒に食事をする。
仕事と関係ない友人と、他愛無い世間話や懐かしい思い出話。
それは2人にとって、楽しい息抜きの時間だった。
「今月も契約、取れた。」
沖は一気に生ビールのジョッキを半分ほど飲んでから、そう言った。
現在沖は保険会社に勤めている。
沖は営業職ではないので、契約のノルマがあるわけではない。
それでも名指しで依頼されれば、契約に出向く。
これまた三橋効果だった。
保険に入ろうという者を見つけると、もれなく沖へ誘導しているらしい。
営業のプライドを傷つけず、妬まれない程度の微妙な契約数。
沖の社内での評価も、いい感じで上がっている。
「そうか。よかったな。」
「う~ん。。。」
西広の労いにも、沖は浮かない表情だ。
契約が取れたという、普通に考えれば喜ばしいことなのに。
「実は三橋本人の契約もあるんだ。」
「へぇ。でも結婚したんだから、生命保険に入ってもおかしくないだろ?」
「でも額が大きい。死亡時1億、受取人は阿部」
「1億?阿部に?」
「それに奥さんが受取人のやつを解約した。」
西広は心の中で「まさか」と思った。
それは三橋が西広に依頼した内容と奇妙に符合していたからだ。
あの結婚にはやはり裏に何かがあるのだ。
西広も沖に三橋の依頼の話をしたかったが、それはできない。
弁護士には守秘義務があるのだ。
モヤモヤした気持ちを飲み込むように、西広はジョッキのビールを一気に飲み干した。
「これ、持ってきたんだけど」
紋乃はおずおずと封筒を差し出した。
三橋は冷ややかに「何で?」と言い放った。
紋乃が友井紋乃から阿部紋乃になって、もうすぐ1ヶ月になる。
だがその間に夫である阿部と会ったのは、ほんの数回だ。
しかもマンションのホールやエレベーターですれ違う程度。
時間を全部足しても、10分にも満たないだろう。
元々この夫婦関係は、契約だ。
恋愛した上での結婚でないのだから、顔を合わす必要もない。
だが同じマンションに住んでいてこの状態はいかがなものかと思う。
だから意を決して、阿部宛ての郵便物を持って来た。
表向き阿部は下の階に住んでいることになっていて、郵便物は紋乃たちの部屋に届く。
それを渡すという名目で、上の阿部と三橋の部屋に来たのだった。
ドアチャイムを鳴らすと、顔を出したのは三橋だった。
いつもニコニコと明るい三橋が、紋乃を見ると露骨に顔をしかめる。
それでも何とか、紋乃はおずおずと封筒を差し出した。
三橋は冷ややかに「何で?」と言い放った。
「一応夫婦なんだし、もう少し会ってもいいんじゃないかな?」
「必要、ない」
紋乃の申し出を、三橋はきっぱりと撥ね付けた。
顔を歪ませて傷ついた風情の紋乃を見ても、三橋の表情は動かない。
「郵便物、は、今まで通り、ポストに入れて。いちいち、呼ばないで!」
三橋は紋乃の手から封筒をひったくると、乱暴にドアを閉めた。
紋乃は閉ざされてしまったドアを見ながら、ため息をついた。
元々阿部にも三橋にも好かれていないことはわかっている。
だが三橋は特に紋乃を目の敵にしている。
きっと形だけでも、私が阿部君の奥さんだからよね。
紋乃はそう思うことで、平静を保とうとしていた。
どちらかと言えばおっとりとした性格で、人からここまで嫌われたことはない。
そんな紋乃にとって、三橋の冷ややかな怒りはきつすぎる。
でも神には嫌われているかもしれない。
教会で結婚式をあげて、神様の前で愛を誓ったのに。
そもそもその愛は最初から存在しなかったのだから。
「三橋君、いる?」
三橋夫人となった美亜は何度もドアチャイムを連打した。
ようやく開いたドアから顔を出した人物に、勢い込んでそう聞いた。
「三橋なら今、フロだけど。急用?」
現れたのは阿部だった。
入浴直後だったようで、ラフな部屋着で髪も濡れている。
落ち着き払った態度が、妙に美亜の勘に触った。
「紋乃が泣いてたの!阿部君宛ての郵便、届けて戻ってきた後!」
「ああ、そう言えば持って来たって言ってたな。」
「どうせ三橋君が、きついことを言ったんでしょう?」
美亜がガンガンとがなり立てるせいで、阿部は顔をしかめた。
でもそれだけだ。
仮にも妻である女性が泣いていたと知っても、気にならないらしい。
あからさまに不快という態度の三橋にも疲れるが、阿部の無関心も腹立たしい。
「三橋には注意しとく。でも郵便物はポストでいいって友井に言っとけよ。」
阿部はそれだけ言って、ドアを閉めようとした。
いくら契約とはいえ、妻を「友井」と呼ぶのは冷たすぎる。
紋乃は少しでも良好な関係を築こうと、郵便物をわざわざ届けたのに。
カッとなった美亜は、咄嗟にドアの隙間に足を差し入れる。
そして細く開いたままのドアをすり抜けて、玄関へと上がりこんだ。
「おい、勝手に入るなよ!」
阿部が鋭い声で怒鳴る。
住民票上ではここに住んでいることになっている美亜だが、入ったのは初めてだ。
「なぁお前ら、最初の契約を覚えてるか?」
「もちろん覚えてるわよ。同じ同性愛者同士、世間を誤魔化すために仮の夫婦になる。」
「それから?」
「不必要にお互いの生活に干渉しない。」
「覚えてるなら、ちゃんと守れよ。」
それは元々美亜が言い出したことだった。
阿部と三橋の恋愛関係を知り、自分たちの関係も打ち明け、契約を切り出したのだ。
最初は阿部も三橋も「バカバカしい」と、一蹴した。
だが結婚を勧める親戚や、言い寄ってくる異性にウンザリする。
そんなことを繰り返すうちに偽装結婚もありだと思ったのだ。
「そもそも、小川さん、友井さん。恋愛って、嘘、でしょ?」
ちょうどその時、部屋の奥から三橋が姿を現した。
やはりラフな部屋着で、バスタオルで頭をゴシゴシと拭いている。
「オレ、西広、君に頼んで、遺言状、作った。」
「遺言状!?」
「沖くん、トコで、生命保険、も。」
「そんな」
「小川さん、の、思う通り、ならない、よ。」
その瞬間、美亜の顔色が変わった。
つまり美亜が三橋と結婚した理由は、その財力だったのだ
そしてそれに気付いた三橋は先手を打った。
財産を整理し、万が一の事があったときにも美亜に金が渡らないようにした。
「生活は保障してやる。だけどそれ以上はダメだ。友井にも言っとけ。」
阿部がとどめを刺すようにそう言った。
美亜は反論するべく口を開いたものの、結局何も言わなかった。
無言のまま身を翻して、部屋を出て行った。
三橋と阿部は顔を見合わせると、微笑した。
自分たちは偽りの結婚式で、神を欺いた。
神に嫌われた子供は、今さら誰に恨まれたって平気だ。
【続く】
「本当にいいの?」
西広は書類を確認しながら、念を押す。
だが三橋は少しも迷いのない笑顔で「うん!」と頷いた。
大学を卒業した西広は弁護士になっていた。
高校時代から試験のための勉強はしなかったという明晰な頭脳の持ち主だ。
司法試験を1回でクリアしたときも、驚きはなかった。
西浦高校野球部関係者たちは「まぁ西広なら」と冷静に受け止めていた。
晴れて弁護士となった西広は、大学時代の先輩の弁護士事務所に籍を置いていた。
そこで経験を積んで、いずれは独立するのが目標だ。
そんな西広にとって、三橋はありがたい存在だった。
三星学園は全国区でこそ知名度は低いが、地元では名門進学校。
有名大学への進学率も高い。
必然的に卒業生は有力者が多いし、後援者も然り。
その理事の孫であり、経営の一端を担う三橋の人脈はすごい。
その人脈に、三橋はさりげなく西広を売り込んでいた。
若いけど優秀で誠実な弁護士だと。
おかげでわざわざ西広を指名する顧客が増えている。
「オレは、話、した、だけ。」
「コネを顧客に、するのは、西広君、の、腕、だよ!」
三橋は恐縮する西広に、そう言った。
吃音は相変わらずだが、深い配慮を感じる。
さりげなく、西広に気を使わせないような言葉を選んでいるからだ。
三橋も大人になったんだな。
西広はごく当たり前にそう思った。
その三橋が西広の事務所を訪ねて来て、ある依頼をした。
あまりにも突拍子のないその内容に、西広は驚く。
だが当の三橋はもうすでに心に決めており、撤回するつもりはないらしい。
「じゃあ、これで進めるよ」
西広は有能な弁護士の顔で、そう言った。
三橋が「よろしく、お願いします」と答える。
高校時代と変わらないその笑顔が、西広には少しだけ怖く見えた。
「「お疲れ!」」
西広は会社帰りの居酒屋で、ジョッキを掲げた。
目の前に座るのは、高校時代のクラスメイトにしてチームメイトの沖だ。
偶然職場が近いこの2人は、ときどきこうして一緒に食事をする。
仕事と関係ない友人と、他愛無い世間話や懐かしい思い出話。
それは2人にとって、楽しい息抜きの時間だった。
「今月も契約、取れた。」
沖は一気に生ビールのジョッキを半分ほど飲んでから、そう言った。
現在沖は保険会社に勤めている。
沖は営業職ではないので、契約のノルマがあるわけではない。
それでも名指しで依頼されれば、契約に出向く。
これまた三橋効果だった。
保険に入ろうという者を見つけると、もれなく沖へ誘導しているらしい。
営業のプライドを傷つけず、妬まれない程度の微妙な契約数。
沖の社内での評価も、いい感じで上がっている。
「そうか。よかったな。」
「う~ん。。。」
西広の労いにも、沖は浮かない表情だ。
契約が取れたという、普通に考えれば喜ばしいことなのに。
「実は三橋本人の契約もあるんだ。」
「へぇ。でも結婚したんだから、生命保険に入ってもおかしくないだろ?」
「でも額が大きい。死亡時1億、受取人は阿部」
「1億?阿部に?」
「それに奥さんが受取人のやつを解約した。」
西広は心の中で「まさか」と思った。
それは三橋が西広に依頼した内容と奇妙に符合していたからだ。
あの結婚にはやはり裏に何かがあるのだ。
西広も沖に三橋の依頼の話をしたかったが、それはできない。
弁護士には守秘義務があるのだ。
モヤモヤした気持ちを飲み込むように、西広はジョッキのビールを一気に飲み干した。
「これ、持ってきたんだけど」
紋乃はおずおずと封筒を差し出した。
三橋は冷ややかに「何で?」と言い放った。
紋乃が友井紋乃から阿部紋乃になって、もうすぐ1ヶ月になる。
だがその間に夫である阿部と会ったのは、ほんの数回だ。
しかもマンションのホールやエレベーターですれ違う程度。
時間を全部足しても、10分にも満たないだろう。
元々この夫婦関係は、契約だ。
恋愛した上での結婚でないのだから、顔を合わす必要もない。
だが同じマンションに住んでいてこの状態はいかがなものかと思う。
だから意を決して、阿部宛ての郵便物を持って来た。
表向き阿部は下の階に住んでいることになっていて、郵便物は紋乃たちの部屋に届く。
それを渡すという名目で、上の阿部と三橋の部屋に来たのだった。
ドアチャイムを鳴らすと、顔を出したのは三橋だった。
いつもニコニコと明るい三橋が、紋乃を見ると露骨に顔をしかめる。
それでも何とか、紋乃はおずおずと封筒を差し出した。
三橋は冷ややかに「何で?」と言い放った。
「一応夫婦なんだし、もう少し会ってもいいんじゃないかな?」
「必要、ない」
紋乃の申し出を、三橋はきっぱりと撥ね付けた。
顔を歪ませて傷ついた風情の紋乃を見ても、三橋の表情は動かない。
「郵便物、は、今まで通り、ポストに入れて。いちいち、呼ばないで!」
三橋は紋乃の手から封筒をひったくると、乱暴にドアを閉めた。
紋乃は閉ざされてしまったドアを見ながら、ため息をついた。
元々阿部にも三橋にも好かれていないことはわかっている。
だが三橋は特に紋乃を目の敵にしている。
きっと形だけでも、私が阿部君の奥さんだからよね。
紋乃はそう思うことで、平静を保とうとしていた。
どちらかと言えばおっとりとした性格で、人からここまで嫌われたことはない。
そんな紋乃にとって、三橋の冷ややかな怒りはきつすぎる。
でも神には嫌われているかもしれない。
教会で結婚式をあげて、神様の前で愛を誓ったのに。
そもそもその愛は最初から存在しなかったのだから。
「三橋君、いる?」
三橋夫人となった美亜は何度もドアチャイムを連打した。
ようやく開いたドアから顔を出した人物に、勢い込んでそう聞いた。
「三橋なら今、フロだけど。急用?」
現れたのは阿部だった。
入浴直後だったようで、ラフな部屋着で髪も濡れている。
落ち着き払った態度が、妙に美亜の勘に触った。
「紋乃が泣いてたの!阿部君宛ての郵便、届けて戻ってきた後!」
「ああ、そう言えば持って来たって言ってたな。」
「どうせ三橋君が、きついことを言ったんでしょう?」
美亜がガンガンとがなり立てるせいで、阿部は顔をしかめた。
でもそれだけだ。
仮にも妻である女性が泣いていたと知っても、気にならないらしい。
あからさまに不快という態度の三橋にも疲れるが、阿部の無関心も腹立たしい。
「三橋には注意しとく。でも郵便物はポストでいいって友井に言っとけよ。」
阿部はそれだけ言って、ドアを閉めようとした。
いくら契約とはいえ、妻を「友井」と呼ぶのは冷たすぎる。
紋乃は少しでも良好な関係を築こうと、郵便物をわざわざ届けたのに。
カッとなった美亜は、咄嗟にドアの隙間に足を差し入れる。
そして細く開いたままのドアをすり抜けて、玄関へと上がりこんだ。
「おい、勝手に入るなよ!」
阿部が鋭い声で怒鳴る。
住民票上ではここに住んでいることになっている美亜だが、入ったのは初めてだ。
「なぁお前ら、最初の契約を覚えてるか?」
「もちろん覚えてるわよ。同じ同性愛者同士、世間を誤魔化すために仮の夫婦になる。」
「それから?」
「不必要にお互いの生活に干渉しない。」
「覚えてるなら、ちゃんと守れよ。」
それは元々美亜が言い出したことだった。
阿部と三橋の恋愛関係を知り、自分たちの関係も打ち明け、契約を切り出したのだ。
最初は阿部も三橋も「バカバカしい」と、一蹴した。
だが結婚を勧める親戚や、言い寄ってくる異性にウンザリする。
そんなことを繰り返すうちに偽装結婚もありだと思ったのだ。
「そもそも、小川さん、友井さん。恋愛って、嘘、でしょ?」
ちょうどその時、部屋の奥から三橋が姿を現した。
やはりラフな部屋着で、バスタオルで頭をゴシゴシと拭いている。
「オレ、西広、君に頼んで、遺言状、作った。」
「遺言状!?」
「沖くん、トコで、生命保険、も。」
「そんな」
「小川さん、の、思う通り、ならない、よ。」
その瞬間、美亜の顔色が変わった。
つまり美亜が三橋と結婚した理由は、その財力だったのだ
そしてそれに気付いた三橋は先手を打った。
財産を整理し、万が一の事があったときにも美亜に金が渡らないようにした。
「生活は保障してやる。だけどそれ以上はダメだ。友井にも言っとけ。」
阿部がとどめを刺すようにそう言った。
美亜は反論するべく口を開いたものの、結局何も言わなかった。
無言のまま身を翻して、部屋を出て行った。
三橋と阿部は顔を見合わせると、微笑した。
自分たちは偽りの結婚式で、神を欺いた。
神に嫌われた子供は、今さら誰に恨まれたって平気だ。
【続く】