空10題-青空編

【真昼の月】

まずは打球の当りでしょ?
次にランナーが誰かっていうこと。そいつの足の速さとか走塁のうまさってあるから。
それからボールを裁く選手が、捕球がうまいか、送球の肩が強いかってこともある。
それと守備の中継の場合の連係とか。
そのへんを見極めるんだ。
事前にデータがあっても、実際試合の場面でどうかっていうのを計るのは、難しいよ。
数をこなして、勘に頼る部分も大きいかな。
あとは当日の天気とか、球場のコンディションとか。。。

そこまで言って、オレは言葉を切った。
質問者であり、話を聞いていた三橋の目がグルグルと回り始めたからだ。
どうやら三橋の処理能力をオーバーしたのだろう。

事の発端は三橋の質問だった。
昼休みに1人で3組にやって来た三橋が「教えて下さい」と言ってきたのだ。
勉強?宿題?
どっちにしろ教えることは何も問題ない。
だが次の言葉は予想外だった。
何と三橋は「走塁コーチ」について、教えて欲しいと言って来たのだ。


人数が10名しかいない西浦高校野球部において、三塁コーチは試合に出ないオレの指定席だった。
阿部の怪我などで、多少事情が変わったりもしたが、走塁コーチをした回数はオレが一番多いだろう。
逆に一番少ないのは、間違いなく三橋だ。
一塁コーチはその回打順が一番遠い選手が入るが、投手と捕手は除いている。
消耗するポジションだから、負担を少しでも失くすためだ。

だが三橋に関しては、練習試合で沖や花井が先発であるときでもコーチは免除されている。
表向きの理由は、試合の状況によってはリリーフする可能性もあるから。
まだ公式戦には無理だと言われている沖や花井だから、場合によっては三橋が交代することだってありうる。

だが実のところは、もう1つ理由がある。
それは、三橋は走塁コーチには不向きな性分であるから。
声が小さくて常日頃から吃音気味である三橋は、咄嗟の時に的確な指示がうまく出ない。
だから何となく三橋が先発しない試合でも、水谷あたりがさり気なく「オレ、コーチ入るよ」などと声をかけていた。

思いつめた表情で「走塁コーチ」について教えてほしいと言った三橋。
今まで三橋本人には「投げる場面があるかもだろ?」などと説明していたが、納得はしていなかったのだろう。
自分だけ特別扱いはイヤなのだろうし、やんわりと遠ざけられるのは悔しいのだろう。

むずか、しいね。どうしたら、西広くん、みたいに、できるように、なるかな。
さっきオレが言ったことをノートに書き取った三橋が、それを読みながら呟いた。
オレはいつもの「西広センセイ」の顔で、ゆっくりと口を開いた。


簡単にオレみたいになられちゃ困るよ。
走塁コーチは、オレにとって切り札の1つなんだからね。
三橋は「わからない」という顔で、コテンと首を傾げた。

今はたった10人しかいない状態。
それなのに練習試合か怪我人が出た場合でしか、オレには出場機会がないのだ。
この先だってもちろんレギュラーを狙うつもりだし、そのための努力は惜しまない。
でも来年、再来年に人数が増えたら、レギュラーはおろかベンチ入りだって危うくなるかもしれない。
三橋は驚いたように大きく目を見開いて「そんな、こと」と言う。
だけどオレはやんわりと「あるよ」と言って、三橋の言葉を押し止めた。
決して自分を卑下するわけでもないが、冷静に自分を見ることは重要なことだ。

だからオレは三塁コーチを極めてやろうと思っている。
試合に出る選手じゃなくて、三塁コーチ専属でもいいからベンチ入りできるように。
そしてまずはベンチに入って、そこから試合出場を狙う。
姑息かもしれないけど、出来ることは何でもしておきたいんだ。

三橋はウルウルと目を潤ませながら、オレの話を聞いている。
どうやら思いのほか、熱く語ってしまったらしい。
オレは何だか急に照れくさくなった。
ハンカチで三橋の目尻を押さえるように拭いてやると、三橋が「ウヒ」と笑う。


走塁コーチは真昼の月のような存在なんだと思う。
選手も観客も、走塁コーチなど目に入らないし、気にも留めていないだろう。
みんながベンチにいる攻撃の時にはグラウンドに出ているし、守備についているときにベンチに戻る。
味方の選手たちにとって、試合のときのオレの存在は空気よりも希薄かもしれない。

でもそこには確かに存在している。
試合をじっと見守っているし、ここぞの時には指示を出して。
オレの指示でランナーがホームへ走るとき、試合を動かしたのは間違いなくオレだ。
切り札なんて言いながら、オレは案外走塁コーチを楽しんでいるんだろう。

西広、く、が、お月、様。
三橋はオレの話を噛み締めるように大きく頷くと、そう言った。
でもね、オレも、頑張る。お月様、に、なれるように。
そう言って「フヒ」と満面の笑みを見せた。

三橋は月よりも太陽じゃないかな。
普段は投手で、エースで、うちのチームの中心なんだから。
オレはそう言って笑った。

オレは真昼の月。
太陽が眩しい昼間は、月は見えない。
だが太陽は、オレが確かにそこにいることを知っていてくれる。

【終】
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