アイスクリームで6題
【ビタァチョコは明日の願い】
「本日のメニューはビタァチョコは明日の願い、ゲストは埼京彩珠リカオンズの専属トレーナー阿部隆也さんです!」
瑠里は笑顔で、高らかにゲストの名前をコールする。
今日の笑顔はいつものような作り笑いではない。
瑠里は初めて心の底からの笑顔で、テレビカメラに向かっている。
写真週刊誌に叶との写真を掲載された瑠里だったが、すぐに行動に移した。
まずはホームページを立ち上げた。
そしてそこに今回の騒動の顛末を書き綴った。
叶とは幼なじみで心を許せる友人ではあるが、恋人ではないこと。
写真を撮られたあの日は同窓会であり、決して密会ではないこと。
ただ誤解を与えるような行動を取った自分に非があることは認めた。
そして叶は酔った瑠里を介抱しただけであり、迷惑をかけた謝罪の文章も載せた。
その上で許されるなら今後も仕事を続けたいとも書いた。
野球選手たちを尊敬し、彼らの意見を取材し、報道し続けたいと結んだ。
瑠里は何度も何度も文章を推敲して、練り直した。
自宅待機を命じられていたから、時間はたっぷりあった。
おかげで今の瑠里の素直な気持ちが、表現できたと思う。
バッシングされることも覚悟の上だったし、最悪辞めなくてはならないかもしれないと思った。
だが瑠里のコメントは、案外好意的に受け止められていた。
廉は「きっと嘘がないって、伝わったんだよ」と言っていた。
そして瑠里は、番組への復帰を果たしたのだ。
「変わった名前ですね。ビタァチョコは、明日の願い?」
「すみません。私の意気込みも入っているので。」
本日のゲスト、阿部の突っ込みに瑠里は苦笑した。
甘いものが苦手な阿部は「できるだけ甘くないもの」とリクエストしてきた。
そこで考えたのが、苦味の強いビタァチョコだ。
ちなみに今回のメニュー名は瑠里が考えた。
もうこのアイス縛りを思い切り開き直ってやろうという決意の表れだ。
そして実際にやってみて、このメニューの命名は意外に難しいということがわかった。
「選手以外の方にお話をうかがうのは、私初めてなんですよ。」
「テレビを見ている人は、俺のことを『誰?』とか思ってるんじゃないですかね?」
「でも三橋投手や田島選手が甲子園に出場された時、同じチームで捕手をなさってたと言えばわかりますよ!」
瑠里はさりげない口調で、インタビューを開始した。
「新設したばかりの県立高校の野球部が甲子園出場ということで、当時は話題になりましたよね。」
「そうだったんですかね?当事者としてはあまり自覚がなくて。」
「すごい快挙ですよ。」
「でもあれは三橋や田島がいたから。あと監督の指導力かな。」
「百枝監督ですね。女性監督っていうのも話題でしたね。」
さほど面識がない阿部と、旧知の友人のように話が進む。
もちろん事前に取材はしていることもあるが、やはり廉から話を聞いていることが大きいだろう。
「ではここで阿部さんの経歴について、改めてご紹介しましょう。」
瑠里はそう言いながら、手元の資料を読み上げる。
今日のゲストである阿部隆也は、変わった経歴の持ち主だ。
今年から廉の所属する埼京彩珠リカオンズで、専属トレーナーに就任している。
選手のコンディション管理が仕事で、健康面や精神面のケアを行なうのだ。
だが元々は廉の個人トレーナーだった。
高校を卒業した後、スポーツマッサージや整体、鍼灸治療や理学療法を学んだ。
そうしながら廉の体調管理をしてきたのだ。
廉のプロ入り初年度からの活躍には、そういう阿部の献身的なサポートが大きい。
そのことを知った球団が、今年から正式に阿部をチームトレーナーとして採用したのだ。
ここまででも充分変り種なのだが、ここから先はさらに変わっている。
高校時代、捕手として廉の球を受けていた阿部には別の適性もあったのだ。
投手を見れば、その長所や短所を見極めることができた。
成績不振に悩んでいる投手の何人かが、阿部のアドバイスを取り入れたとたん勝ち星を上げ始めたのだ。
三橋廉の活躍と合わせて考えると、球団としても驚きの事態だった。
そして来年度からは正式に、トレーナー兼投手コーチ補佐となる。
通常コーチはプロで実績を残した選手がなるものであり、トレーナーからコーチなど異例中の異例だ。
「本当に変わってますよね。」
「そうですね。自分でもそう思います。」
瑠里の言葉に、阿部が苦笑しながら同意する。
この特異な経歴に、やはりさまざまなメデイアの取材は殺到しているらしい。
だが阿部は「自分は裏方だから」と言って、断り続けていた。
今日インタビューが実現したのもまた廉の協力によるものだ。
廉も田島も榛名も、インタビュー相手としては阿部は扱いにくいだろうと言っていた。
だがそんなことはないと思う。
廉たちは、瑠里の投げかけた質問に対して答えるだけだった。
だが阿部は瑠里の導き出そうとする方向を読んで、答えを返す。
多分頭がいいのだろう。
はっきり言ってしまうと、廉たちよりよほどやりやすい相手だ。
「高校時代に廉を。。。いえ三橋投手を見出したのは、阿部さんなんですよね。」
「そんな大げさなものじゃないですよ。」
瑠里の質問に、阿部が照れ笑いしながら答える。
瑠里は元チームメイトで友人で今は同僚だという廉と阿部の関係を疑っている。
高校時代から廉は実際会っても電話やメールでも「阿部君」ばかり連発する。
それに数えるほどしか会ったことはないが、阿部が廉を見る目は恋する者の目ではないかと思う。
つまりこの2人は恋人同士ではないかと思っていた。
最初は正直なところ「気持ち悪い」と思った。
男同士で恋愛なんて、ありえないと。
だからきっと思い過ごしだと自分に言い聞かせ、あえて深く考えないようにしていた。
だが今は「それもあり」だと思っている。
取材対象として冷静に廉を見れば、どうしても見えてくるのだ。
廉にとって阿部は必要不可欠な人間であり、阿部もまた廉に惚れ込んでいる。
きっかけは確かに投手と捕手だったのだろうが、それが恋になるのはきっと自然なことなのだ。
この2人は性別など関係なく、きっと魂が引き合うのだろう。
「あ、廉もスタジオに来てるんですね~」
瑠里は冷やかすように、そう言った。
今日は阿部の付き添いと称して廉も局に来ており、番組スタッフの邪魔にならない後方で見ていたのだ。
瑠里の言葉に反応して、カメラが無防備な廉の姿を追う。
すっかり油断していた廉が、オロオロとキョドりだした。
そんな廉の姿にスタジオがどっと受けたところで、コーナーは終了した。
「廉のおかげで、最後に分計が上がったわ。」
瑠里はテレビ局の出口で、阿部と廉を見送りながら言った。
分計とはもちろん分ごとの視聴率のことだ。
最後の廉の慌てふためいた様子は、さぞかし視聴率アップに貢献してくれたことだろう。
瑠里はまだ打ち合わせがあるが、収録が終わった阿部と廉は帰宅する。
夜遅いので、もう電車はない。
番組が用意したタクシーに相乗りして帰ってもらう。
阿部が先に乗り込み、続いて乗ろうとした廉がふと足を止めた。
「瑠里、みたいな、戦い方。オレは、できない。」
振り返った廉は静かにそう言った。
瑠里はこの騒動の中、三橋家の祖父の人脈を利用した。
番組スポンサーの会社の社長と廉や瑠里の祖父は、ゴルフ仲間だったのだ。
祖父が電話を1本入れるだけで、瑠里の待機命令は解除された。
番組スポンサーにコネがあると知ると、先輩女子アナからの嫌がらせはピタリと止んだ。
「私は廉みたいに、みんなを守って去ることなんてできない。」
瑠里もまた静かに答える。
それは昔、廉が三星高等部へは行かずに西浦へと進学したことを言っていた。
贔屓されて他の部員たちに不愉快な思いをさせたくない廉は、何も言わずに三星を去った。
自分の存在を消して何もなかったことにした廉と今回の瑠里はまさに対照的だ。
「これからも、テレビ、見るよ。」
「私も見てる。今度は球場にも取材に行くね。」
瑠里が笑顔で手を差し出すと、廉も笑顔になった。
握手を交わした後、廉はタクシーに乗り込んだ。
対照的な生き方だけど、2人とも間違っていない。
これからも全力で、信じる道を進むだけだ。
瑠里は遠ざかるタクシーのテールランプを見送りながら、そう思った。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
「本日のメニューはビタァチョコは明日の願い、ゲストは埼京彩珠リカオンズの専属トレーナー阿部隆也さんです!」
瑠里は笑顔で、高らかにゲストの名前をコールする。
今日の笑顔はいつものような作り笑いではない。
瑠里は初めて心の底からの笑顔で、テレビカメラに向かっている。
写真週刊誌に叶との写真を掲載された瑠里だったが、すぐに行動に移した。
まずはホームページを立ち上げた。
そしてそこに今回の騒動の顛末を書き綴った。
叶とは幼なじみで心を許せる友人ではあるが、恋人ではないこと。
写真を撮られたあの日は同窓会であり、決して密会ではないこと。
ただ誤解を与えるような行動を取った自分に非があることは認めた。
そして叶は酔った瑠里を介抱しただけであり、迷惑をかけた謝罪の文章も載せた。
その上で許されるなら今後も仕事を続けたいとも書いた。
野球選手たちを尊敬し、彼らの意見を取材し、報道し続けたいと結んだ。
瑠里は何度も何度も文章を推敲して、練り直した。
自宅待機を命じられていたから、時間はたっぷりあった。
おかげで今の瑠里の素直な気持ちが、表現できたと思う。
バッシングされることも覚悟の上だったし、最悪辞めなくてはならないかもしれないと思った。
だが瑠里のコメントは、案外好意的に受け止められていた。
廉は「きっと嘘がないって、伝わったんだよ」と言っていた。
そして瑠里は、番組への復帰を果たしたのだ。
「変わった名前ですね。ビタァチョコは、明日の願い?」
「すみません。私の意気込みも入っているので。」
本日のゲスト、阿部の突っ込みに瑠里は苦笑した。
甘いものが苦手な阿部は「できるだけ甘くないもの」とリクエストしてきた。
そこで考えたのが、苦味の強いビタァチョコだ。
ちなみに今回のメニュー名は瑠里が考えた。
もうこのアイス縛りを思い切り開き直ってやろうという決意の表れだ。
そして実際にやってみて、このメニューの命名は意外に難しいということがわかった。
「選手以外の方にお話をうかがうのは、私初めてなんですよ。」
「テレビを見ている人は、俺のことを『誰?』とか思ってるんじゃないですかね?」
「でも三橋投手や田島選手が甲子園に出場された時、同じチームで捕手をなさってたと言えばわかりますよ!」
瑠里はさりげない口調で、インタビューを開始した。
「新設したばかりの県立高校の野球部が甲子園出場ということで、当時は話題になりましたよね。」
「そうだったんですかね?当事者としてはあまり自覚がなくて。」
「すごい快挙ですよ。」
「でもあれは三橋や田島がいたから。あと監督の指導力かな。」
「百枝監督ですね。女性監督っていうのも話題でしたね。」
さほど面識がない阿部と、旧知の友人のように話が進む。
もちろん事前に取材はしていることもあるが、やはり廉から話を聞いていることが大きいだろう。
「ではここで阿部さんの経歴について、改めてご紹介しましょう。」
瑠里はそう言いながら、手元の資料を読み上げる。
今日のゲストである阿部隆也は、変わった経歴の持ち主だ。
今年から廉の所属する埼京彩珠リカオンズで、専属トレーナーに就任している。
選手のコンディション管理が仕事で、健康面や精神面のケアを行なうのだ。
だが元々は廉の個人トレーナーだった。
高校を卒業した後、スポーツマッサージや整体、鍼灸治療や理学療法を学んだ。
そうしながら廉の体調管理をしてきたのだ。
廉のプロ入り初年度からの活躍には、そういう阿部の献身的なサポートが大きい。
そのことを知った球団が、今年から正式に阿部をチームトレーナーとして採用したのだ。
ここまででも充分変り種なのだが、ここから先はさらに変わっている。
高校時代、捕手として廉の球を受けていた阿部には別の適性もあったのだ。
投手を見れば、その長所や短所を見極めることができた。
成績不振に悩んでいる投手の何人かが、阿部のアドバイスを取り入れたとたん勝ち星を上げ始めたのだ。
三橋廉の活躍と合わせて考えると、球団としても驚きの事態だった。
そして来年度からは正式に、トレーナー兼投手コーチ補佐となる。
通常コーチはプロで実績を残した選手がなるものであり、トレーナーからコーチなど異例中の異例だ。
「本当に変わってますよね。」
「そうですね。自分でもそう思います。」
瑠里の言葉に、阿部が苦笑しながら同意する。
この特異な経歴に、やはりさまざまなメデイアの取材は殺到しているらしい。
だが阿部は「自分は裏方だから」と言って、断り続けていた。
今日インタビューが実現したのもまた廉の協力によるものだ。
廉も田島も榛名も、インタビュー相手としては阿部は扱いにくいだろうと言っていた。
だがそんなことはないと思う。
廉たちは、瑠里の投げかけた質問に対して答えるだけだった。
だが阿部は瑠里の導き出そうとする方向を読んで、答えを返す。
多分頭がいいのだろう。
はっきり言ってしまうと、廉たちよりよほどやりやすい相手だ。
「高校時代に廉を。。。いえ三橋投手を見出したのは、阿部さんなんですよね。」
「そんな大げさなものじゃないですよ。」
瑠里の質問に、阿部が照れ笑いしながら答える。
瑠里は元チームメイトで友人で今は同僚だという廉と阿部の関係を疑っている。
高校時代から廉は実際会っても電話やメールでも「阿部君」ばかり連発する。
それに数えるほどしか会ったことはないが、阿部が廉を見る目は恋する者の目ではないかと思う。
つまりこの2人は恋人同士ではないかと思っていた。
最初は正直なところ「気持ち悪い」と思った。
男同士で恋愛なんて、ありえないと。
だからきっと思い過ごしだと自分に言い聞かせ、あえて深く考えないようにしていた。
だが今は「それもあり」だと思っている。
取材対象として冷静に廉を見れば、どうしても見えてくるのだ。
廉にとって阿部は必要不可欠な人間であり、阿部もまた廉に惚れ込んでいる。
きっかけは確かに投手と捕手だったのだろうが、それが恋になるのはきっと自然なことなのだ。
この2人は性別など関係なく、きっと魂が引き合うのだろう。
「あ、廉もスタジオに来てるんですね~」
瑠里は冷やかすように、そう言った。
今日は阿部の付き添いと称して廉も局に来ており、番組スタッフの邪魔にならない後方で見ていたのだ。
瑠里の言葉に反応して、カメラが無防備な廉の姿を追う。
すっかり油断していた廉が、オロオロとキョドりだした。
そんな廉の姿にスタジオがどっと受けたところで、コーナーは終了した。
「廉のおかげで、最後に分計が上がったわ。」
瑠里はテレビ局の出口で、阿部と廉を見送りながら言った。
分計とはもちろん分ごとの視聴率のことだ。
最後の廉の慌てふためいた様子は、さぞかし視聴率アップに貢献してくれたことだろう。
瑠里はまだ打ち合わせがあるが、収録が終わった阿部と廉は帰宅する。
夜遅いので、もう電車はない。
番組が用意したタクシーに相乗りして帰ってもらう。
阿部が先に乗り込み、続いて乗ろうとした廉がふと足を止めた。
「瑠里、みたいな、戦い方。オレは、できない。」
振り返った廉は静かにそう言った。
瑠里はこの騒動の中、三橋家の祖父の人脈を利用した。
番組スポンサーの会社の社長と廉や瑠里の祖父は、ゴルフ仲間だったのだ。
祖父が電話を1本入れるだけで、瑠里の待機命令は解除された。
番組スポンサーにコネがあると知ると、先輩女子アナからの嫌がらせはピタリと止んだ。
「私は廉みたいに、みんなを守って去ることなんてできない。」
瑠里もまた静かに答える。
それは昔、廉が三星高等部へは行かずに西浦へと進学したことを言っていた。
贔屓されて他の部員たちに不愉快な思いをさせたくない廉は、何も言わずに三星を去った。
自分の存在を消して何もなかったことにした廉と今回の瑠里はまさに対照的だ。
「これからも、テレビ、見るよ。」
「私も見てる。今度は球場にも取材に行くね。」
瑠里が笑顔で手を差し出すと、廉も笑顔になった。
握手を交わした後、廉はタクシーに乗り込んだ。
対照的な生き方だけど、2人とも間違っていない。
これからも全力で、信じる道を進むだけだ。
瑠里は遠ざかるタクシーのテールランプを見送りながら、そう思った。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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